風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第38回  加越・しらさぎ

『ネームトレイン』 第38回  加越・しらさぎ

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米原駅の『路線の思い出』記事を書く時に
所蔵コマ4万枚のネガのお蔵を漁ったら
中坊の時に米原で撮ったのが出てきたよ

  特急【加越】・【しらざき】 ・・  JR西日本及びJR東海が、名古屋・米原~金沢を東海道本線・北陸本線経由で運行する特急列車である。 1964年10月1日に東海道新幹線が東京~新大阪で開業した事に合わせて、名古屋~富山の特急列車として運転を開始すべく準備が進められる。

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誰もいない米原駅で
停車中の特急【しらさぎ】
国鉄型車両の原色塗装はカックイイね

だが、481系電車の落成が間に合わず、運転開始は東海道新幹線開業から3ヶ月近く遅れた12月25日にずれ込む事となった。 運転開始当初から、一等車(グリーン車)と食堂車を含む11両編成で運行されていた。

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東尋坊を描いた
【加越】の絵入りヘッドマーク
モザイクみたいで
デザインのデキは良くない
※『ヘッドマーク辞典』より

また、1975年3月10日に、関西と北陸を結ぶ短絡線として建設された湖西線が開通し、大阪から北陸方面の優等列車のほとんどが湖西線経由に改められた。 この結果、敦賀から米原方面へ抜ける優等列車が激減した事から、米原での新幹線接続の機会を確保する為に米原発の特急列車が設定された。
これが【加越】である。

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特急【加越】はターミナル駅ではない
米原発着で当初から12両編成が標準の
国鉄特急としては異例の7両の短編成だった
※ ウィキペディア画像を拝借

【加越】は、このような経緯で設定された為に需要自体が限られており、当時としては異例の7両編成での運転となった。 気動車特急では見られた7両編成の列車が電車特急でも登場したのは、房総特急ですら9両編成であった事からすればセンセーショナルな事であった。

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中京圏と北陸を結ぶ列車として
順調に増発されて『エル特急』
指定された特急【しらさぎ】
※『列車名鑑・しらさぎ』より

増発が重ねられた【しらさぎ】に比べて、特に大きな変化もなくJR時代へと突入するが、【加越】は【しらさぎ】と完全に運転区間が重なるなど存在感が今イチで、1988年には【加越】の上位列車とも言うべき【きらめき】が登場して、更に影が薄くなった。

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金沢~米原で福井のみ停車の最速達列車
特急【きらめき】を設定したが
思う程に利用が延びず再び【加越】に統合
【きらめき】塗装のまま
【加越の運用に就いていた】
※『列車名鑑・加越』より

だが、当初停車駅が途中福井だけだった【きらめき】の乗車率は思ったほどに上がらず、次第に停車駅が増加されて、ついには列車名と車両以外が【加越】と変わらなくなった。 この事で、今度は【きらめき】が【加越】へと編入されて、1997年に【加越】に完全に吸収されて【きらめき】は消滅した。

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真っ先にボンネット型の初期車が
投入された特急【しらさぎ】
※『列車名鑑・しらさぎ』より

使用車両であるが、特急【しらさぎ】は、大阪からの【雷鳥】と共に初の交直流特急型電車の481系電車を使用した特急として登場した。 その後増発が重ねられ、1972年以降は485系も使用されるようになり、名古屋発着の九州方面の寝台特急【金星】との絡みで583系も使用されていた。 1975年には489系も投入されている。

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最後まで国鉄の
特急列車だった特急【加越】
※『特急列車列伝』より

一方【加越】は、登場以後は485系列の車両による運転が続いていたが、485系の老朽化が進んだ為に、2003年7月に683系に置き換えられた。 ちなみに、【しらさぎ】の683系の置き換えは2003年3月より始まり、6月には全列車の置き換えが完了している。

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2003年3月より681系電車へ
置き換えとなった特急【しらさぎ】
※ ウィキペディア画像を拝借

だが、運転区間の重なる【しらさぎ】と比べて地味な印象は拭い切れなかったようで、683系に置き換えられてから僅か2ヶ月ほど過ぎた2003年10月のダイヤ改正で、【しらさぎ】に統合されて【加越】の名が消滅した。

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JR西日本の【サンダーバード】と同様に
681系・683系が使用されているが
運用会社の別を示す為に【しらさぎ】は
青色帯の下に細いオレンジの帯が入っている
※『列車名鑑・しらさぎ』より

なお、現在も、京阪神(関西)地区と北陸地方を結ぶ特急【サンダーバード】と同様に681系及び683系が使用されているが、【しらさぎ】の車体側面の青色ラインの下部にJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色のラインが入っている点が異なる。

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北陸新幹線の開業で金沢~富山の
運行打ち切りにより乗り換えが生じて
時短効果がほとんどない上に
特急料金2列車分と利便改悪の限りとなった
※『トレインニュース』より

そして、【しらさぎ】の運行上での最大の変化が訪れる。 それは、北陸新幹線の開業に伴う2015年3月14日のダイヤ改正で、大阪発着の【サンダーバード】と共に新幹線と重複する金沢~富山が廃止され、金沢~富山はシャトルタイプの新幹線【つるぎ】で代替されたが、乗り換え時間を要して時短効果が全くないのに特急料金が2列車分徴収されるなど、大阪・名古屋方面の利用客にとっての北陸新幹線の開業は、サービス低下と料金値上げというダイヤ改悪の最たるものとなった。

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JRとなって観光開発した和倉温泉への
直通運転が1往復あったが
北陸新幹線開業により
金沢以遠が第三セクター化されて
特急乗り入れは打ち切りに
※『列車名鑑・しらさぎ』より

また、金沢~和倉温泉についても、金沢から七尾線の分岐駅である津幡までが第三セクター転換して『IRいしかわ鉄道』となった事から廃止され、金沢発着の特急【能登かがり火】に代替となった。 

ヘッドマーク辞典 (4)
【しらさぎ】の絵入りヘッドマーク
【しらさぎ】の列車名の由来は
山中温泉の開湯伝説に登場する白鷺との事
※『ヘッドマーク辞典』より

列車名であるが、【しらさぎ】は山中温泉の開湯伝説に登場する白鷺が由来となっている。 
また、【加越】は運行区間の旧国名の『越中』・『加賀』・『越前』から来ている。 エピソードとしては、特急【加越】は表定速度86.1kmと、当時の在来線特急では最速を誇っていた。

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『しらさぎ色』ってあったのね
※ ウィキペディア画像を拝借

《列車データ》
運行区間と運行距離:【しらさぎ】名古屋~富山 315.9km、【加越】米原~富山 236.0km
          現在は、名古屋~金沢 256.5km【しらさぎ】のみの運行となっている
  ※ 特急【加越】は、2003年10月のダイヤ改正で特急【しらさぎ】に統合されて
    名称消滅している
  ※ 2015年3月の北陸新幹線に伴って運行区間が重複する金沢~富山が廃止となり、
    現在は名古屋・米原~金沢の運行となっている)

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中京圏と北陸を結ぶ主幹列車として
増発が続けられた特急【しらさぎ】

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特急【しらさぎ】と運行区間が被って
【しらさぎ】に統合された特急【加越】
※『列車名鑑・加越』より

運行期間:1964年10月  1日:東海道新幹線の東京~新大阪開業よるダイヤ改正で、新製配置された
              481系電車により、名古屋~富山に特急【しらさぎ】1往復が設定される
              だが、481系電車の車両落成が遅れた為に、運行開始は同年12月25日
              までズレ込む事となった
              なお、12月25日までは代用車両で凌いだとの事
     1968年10月  1日:このダイヤ改正で2往復に増便
       1971年  4月26日:このダイヤ改正で3往復に増便

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名古屋発の寝台特急【金星】の
間合い運用として583系が
運用に就いた時もあった

       1972年  3月15日:寝台特急【金星】の間合い運用で583系電車が投入され、4往復に増便

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湖西線の開業により
米原発着の優等列車が激減した為に
設定された特急【加越】
※ ウィキペディア画像を拝借

       1975年  3月10日:このダイヤ改正で2往復増便されて6往復となり、『エル特急』化と
              自由席が新設される
              同時に、米原~金沢・富山に特急【加越】も6往復新設される
     1978年10月  2日:583系の使用が終了となる
             また、絵入りヘッドマークの使用を開始する
       1982年11月15日:特急【加越】1往復増便で7往復に
       1984年12月12日:食堂車の営業を休止

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米原駅で発車を待つ急行【くずりゅう】
ワテが中坊なりたてだった
40年前の米原駅は
『撮り鉄』の宝箱だったよ
背後の旧客も撮っとくべきだったよ

       1985年  3月14日:急行【くずりゅう】の格上げにより、【加越】は8往復に増便
              【しらさぎ】に連結されていた食堂車の連結終了
       1988年  3月13日:特急【しらさぎ】全列車の運行区間が、名古屋~富山に統一される
              米原~金沢で特急【加越】の速達版である特急【きらめき】1往復が
              新規設定
       1989年  3月11日:特急【加越】2往復の区間延長により、特急【しらさぎ】8往復、
              特急【加越】は6往復となる
       1991年  3月16日:【加越】の1往復を【きらめき】に変更
              【加越】5往復、【きらめき】2往復となる
       1991年  9月  1日七尾線電化に伴い、1往復を和倉温泉まで延長運転
       1997年  3月22日:【きらめき】2往復を【加越】に統合し、【加越】7往復となる
              スーパー雷鳥用付属編成の転用により、米原で増解結する列車が登場

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パノラマグリーン車が
投入された時期もあった
※『列車名鑑・しらさぎ』より

       2001年  7月12日:スーパー雷鳥用だったパノラマグリーン車を投入し、塗装も変更

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2003年3月より【しらさぎ】の
683系置き換えが始まり
【加越】も7月に置き換えられたが
その2ヶ月先には
【加越】の運行が廃止となった
※ ウィキペディア画像を拝借

       2003年  3月15日:特急【しらさぎ】の4往復に、新型車両の683系投入
              同年5月30日で、特急【しらさぎ】全列車の683系置き換え完了
       2003年  7月19日:特急【加越】全列車の683系置き換えにより、485系の運用終了

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683系特急【しらさぎ】のエンブレム
※『ヘッドマーク辞典』より

     2003年10月  1日:特急【加越】を併合し、特急【しらさぎ】16往復となる
              特急【加越】の名称消滅
       2015年  3月14日:北陸新幹線の開業に伴い、北陸新幹線と重複する金沢~富山が短縮
              となり、全列車金沢発着となる

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東海道本線を快走する
681系特急【しらさぎ】
※ ウィキペディア画像を拝借

停車駅:名古屋・尾張一宮・岐阜・大垣・米原・(長浜)・敦賀・武生・鯖江・福井・芦原温泉・
    〔大聖寺〕・加賀温泉・小松・(松任)・金沢・(津幡)・(石動)・高岡・富山
 ※ 長浜は【しらさぎ】・【加越】の大部分が通過し、一部のみ停車
 ※ 大聖寺は【しらさぎ】は全列車通過、【加越】の上り2本のみ停車
 ※ 松任は【しらさぎ】・【加越】の一部が停車
 ※ 津幡は【しらさぎ】・【加越】の大半が停車
 ※ 石動は【しらさぎ】・【加越】の一部が停車し、大半が通過

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485系ボンネット車を使用した
特急【加越】
※『特急列車列伝』より

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485系の最新タイプの489系を使用した
特急【しらさぎ】
※『列車名鑑・しらさぎ』より

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2003年よりは新型車両の
681系・683系が投入された
※ ウィキペディア画像を拝借

使用車両:【しらさぎ】1964年12月25日~2003年5月30日 481系・485系・489系の485系
                            系列使用
           1972年3月15日~1978年10月2日 寝台特急【金星】の間合い運用で
                            583系使用
           2003年3月15日以降は、681系及び683系使用

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【しらさぎ】・【加越】共に
乗車経験は乏しいが
『撮り鉄』は米原駅で撮影経験あり
だがこの頃から特急より
後ろの車両に興味があった
変なガキだったワテ

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の背後に停車していた
敦賀行きの普通列車
この頃の北陸本線は柳ヶ瀬線の名残りで
気動車運行であった

乗車経験:敦賀~名古屋で乗車経験アリ
撮影経験:国鉄時代に米原駅で撮影経験あり


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オッサンの妄想
もし俺が地球王になったら!

嫌な思いをさせた奴とか
恥ずかしい思いをさせた奴とか
そういう大罪人を処刑していくんですよ

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だってムカつく奴なんて
地獄に堕ちて当然じゃないですか
処刑した方が社会の為になりますしね

やっぱりね・・逆恨みの極みだねぇ
前の勤め先で『全く使い道のない奴』
評価を受けてたから人手不足のITエンジニア
でも給料が上がらなかったんだね
普通は上がるよねぇ・・必要な人材なら

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雇い側もこんな仕事もせず
実績も上げず貢献もせず
文句ばかり垂れて使えない奴には
給料を払う事さえ
ナンセンスと思ってただろうね

だからエンジニア不足なのに
引き留めなかったんだね
『人を呪わば穴二つ』ってか

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そして再就職でもIT業界がエンジニアの
人手不足であるにも関わらず
『貴殿の今後の多幸』をお祈りされたんだって
面接で前職のエンジニアが辞めた理由なんて
尋ねれば「コイツは危ない」となるだろうよ

もう天文学的に頭が悪いね
もう人間の頭脳ではなく半島由来の
ウジ虫に脳ミソ半分食われて
逆恨みだけで生きてるヒトモ▽キだね

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それに雇う側もバカじゃないので
応募者の内容を調べるだろうよ
なぜ前の会社を辞めたのか?
このITエンジニア不足の折に前の勤め先は
なぜコイツを引き留めなかったのか?って事をね

面接で前職のエンジニアが辞めた理由
なんか尋ねたなら尚更調べるだろうよ
それに雇い側となるIT関連の企業も
ITエンジニアを探す目的が同じなだけ
企業同士の横のつながりを持ってるよ

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仕事の評価とか勤務態度とかを
聞いているだろうし前の勤め先の担当者も
「あのオッサンはマジで雇わない方がいい」
面接した企業担当者に忠告しているだろうね

だから次も『今後の多幸』を
お祈りされるだろうね
理由なんかいくらでも後付けできるし・・ね

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『お祈り』が3回も続けば
ワテの予想は『アタリ』だね
オッサン・・ITエンジニアとしては
もう詰んでるんだよ





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