2023-04-05 (Wed)✎
『ネームトレイン』 第37回 大隅
国分駅を発車する快速〔大隅〕
:
停車駅が多くなった事以外は
急行時代からの貫禄を魅せていた
※『鉄道ホビタス』より
快速〔大隅〕 ・・ 鹿児島と県内の大隅、宮崎県の日南地方を結んだ元急行列車で、1980年10月1日のいわゆる『ゴーゴートウ』のダイヤ改正による急行列車大幅削減の煽りを受けて快速列車に格下げとなった。 この改正では、大隅線の鹿屋と宮崎を結び、かつては博多発のエリート急行【佐多】も快速に格下げられている。
大隅線の撮影名所だった
菱田川橋梁を渡る快速〔佐多〕
※ ウィキペディア画像を拝借
だが、快速に格下げとなっても運転区間や運行ダイヤにほとんど変更はなく、利用者にとっては急行料金が不要になる分、有利であったとの推察もできる。
西鹿児島で発車を待つ
急行時代の【大隅】
※『昭和の記憶』より
急行【大隅】時代の運行区間は、日豊本線・志布志線・日南線を経由して西鹿児島~油津(志布志~油津間は普通列車)の運行だった。 また、分割・併合を有する列車で、西鹿児島~国分では大隅線経由で志布志まで走る車両を併結し、この列車は分割後の大隅線内は名無し(急行【大隅】の運行がある為に名無しとなっていた)の快速列車となっていた。
廃止直前の志布志線をゆく快速〔大隅〕
隣のレールは2週間前に路線廃止となって
列車が通らず錆びつつある大隅線のレール
※『列車名鑑・快速〔大隅〕』より
だが、1980年10月1日のいわゆる『ゴーゴートウ』のダイヤ改正により、急行区間の【大隅】も快速に格下げられた為、1つの列車名称で2系統の列車が運行されていた。 一つは元急行の運行区間を行く列車で、油津発で志布志までの日南線内は普通列車で、志布志より快速列車となって志布志線で都城に出て、鹿児島本線を経由して西鹿児島(現在は鹿児島中央)までの運行だった。
急行時代は大隅線周りは
名無し快速だったのが
快速格下げで〔大隅〕の名が与えられた
※『レイルラボ』より
もう一つは、急行時代に国分から分割していた名無しの快速列車にも快速〔大隅〕の名が与えられ、急行時代と同じように国分で志布志線・鹿児島本線経由の快速〔大隅〕と分割併合を行っていた。
大隅線は桜島の噴煙の
降灰を浴びまくったのと
小僧の写真のウデの拙さで
ロクなモノが撮れずに終わったよ
だが、1980年末に施行された『国鉄再建法』(『ゴーゴートウ』のダイヤ改正は、この『国鉄再建法』施行を控えての地方路線の優等列車の整理という名目もあった)によって、大隅線が1984年6月に第2次廃止対象路線に指定され、廃止路線の指定から僅か3年の1987年3月14日に路線廃止となったのである。
志布志線・安楽駅の駅名標
:
志布志線は悔しいかな・・未乗に終わったよ
※『プラットホームの旅』より
大隅線の廃止に伴って大隅線を走っていた快速〔大隅〕は当然廃止となり、油津から志布志線・鹿児島本線を経由していた快速〔大隅〕も、大隅線の廃止から2週間後の3月28日に志布志線が廃止となり、大隅線経由列車より2週間遅れで廃止となった。 なお、都城~西鹿児島は、同区間をゆく快速〔錦江〕に併合されている。
即席で作ったっぽい
快速〔大隅〕のサボ
※『快速・大隅』より
《列車データ》
運行区間:油津・志布志~西鹿児島(現 鹿児島中央)
※ 国分で大隅線経由の志布志行きを分割・併合していた
※ 1973年10月ダイヤ改正~1978年10月ダイヤ改正まで、下りのみ西鹿児島から指宿枕崎線
の山川まで延長運転(西鹿児島~山川 50.0km 但し、西鹿児島~山川は普通列車)
志布志駅で発車を待つ
急行時代の【大隅】
※『鉄道チャンネル』より
運行距離:油津~志布志~西都城~西鹿児島 157.5km(山川までの延長運転時は、下り油津発の
山川行きは 207.5km)
志布志~国分~西鹿児島 132.0km(山川までの延長運転時は、下り志布志発の
山川行きは 182.0km)
快速〔大隅〕の鹿児島本線
経由列車の時刻表
:
快速〔大隅〕のメインは
志布志線・鹿児島本線周りの列車であった
運行期間:1960年12月 1日:西鹿児島~志布志(志布志線・鹿児島本線経由)の準急として誕生
1961年10月 1日:西鹿児島~西都城で準急〔錦江〕を併結
1966年 3月 5日:列車制度の見直しにより、急行に格上げとなる
快速〔大隅〕の
大隅線周りの時刻表
:
快速格下げで大隅線周りにも
快速〔大隅〕のトレインネームが与えられ
1列車2系統の運転となった
1973年10月 1日:国分より分割して大隅線経由で志布志までの列車を併結
なお、国分で分割された大隅線経由の列車は名無しの快速列車として
運行された
また、下りのみこのダイヤ改正より1978年10月のダイヤ改正まで、
指宿枕崎線の山川まで延長運転
1978年10月 2日:ダイヤ改正により下り列車の山川乗り入れ廃止
1980年10月 1日:『ゴーゴートウ』のダイヤ改正により、快速に格下げ
快速格下げにより、国分より分割される大隅線周りの志布志行き
にも快速〔大隅〕のトレインネームが与えられる
1984年 6月22日:1980年12月末に施行された『国鉄再建法』により、大隅線が第
2次廃止対象路線に指定される
1987年 3月13日:大隅線の路線廃止に伴い、大隅線廃止前日をもって大隅線経由の
快速〔大隅〕の運行廃止
1987年 3月27日:志布志線の路線廃止に伴い、志布志線廃止前日をもって鹿児島本線・
志布志線経由の快速〔大隅〕の運行廃止
駅舎のない無人駅の大隅境も
交換設備がある為に停車駅となっていた
停車駅:油津より志布志線・鹿児島本線経由の列車
油津~志布志の日南線内は上下列車とも普通列車、志布志・安楽・伊崎田・大隅松山・
岩川・(岩北)・末吉・西都城・(五十市)・財部・(北俣)・(大隅大川原)・
霧島神宮・国分・隼人・加治木・錦江・帖佐・重富・竜ヶ水・鹿児島・西鹿児島
※ ()のある駅は下り油津発の列車のみ停車
※ 下り列車は1973年10月ダイヤ改正~1978年10月ダイヤ改正まで山川まで延長運転
但し、西鹿児島~山川は普通列車として各駅に停車
志布志より大隅線経由の列車
志布志・大隅大崎・東串良・大隅高山・吾平・鹿屋(下り志布志発は、志布志~鹿屋は
普通列車で各駅に停車)大隅高須・古江・垂水・海潟温泉・大隅境・大隅福山・国分・
隼人・加治木・錦江・帖佐・重富・竜ヶ水・鹿児島・西鹿児島
※ 国分~西鹿児島(下りの志布志発は山川まで)は、志布志線・鹿児島本線経由の列車と
併結運転
急行時代の志布志~西鹿児島の停車駅
志布志・岩川・末吉・西都城・財部・霧島神宮・国分・隼人・鹿児島・西鹿児島
※ 日南線内の油津~志布志と下りの指宿枕崎線・西鹿児島~山川は普通列車
また、大隅線周りは名無しの快速運行であった
※ 急行時代の西鹿児島~志布志では、快速時より下りで19分・上りで13分速かった
快速に格下げられたとはいえ
大隅線の花形列車であった快速〔大隅〕
※ ウィキペディア画像を拝借
使用車両:キハ58が主に使用された
創成期の準急時代はキハ55やキハ26 400番台が使用された
乗車経験:鹿屋~志布志で乗車経験アリ
大隅線の撮影は
桜島から噴き出す噴煙との戦いだったよ
撮影経験:大隅麓付近で狙ったものの、快速〔大隅〕が通過時に線路に積もった桜島の火山灰を
巻き上げてファインダーが真っ白けになって撮影できなかったよ
虐げられた労働者層の労働環境を是正し
給料を上げるには皆で仕事を辞めて
給料を上げない会社や業界を閉鎖に追い込み
一度業界そのものを刷新させる
それが例のオッサンが心待ちにする
『グレードリセット』だそうだ
このオッサン・・そこらへんを
徘徊する犬猫より遥か下で
直腸付近のサナダムシにも劣るバカだね
その『グレードリセット』やらで
自身が高い給料で労働環境抜群の職に就けるなど
ITエンジニアの待遇改善となるなら
それを提唱するのも吝かではないだろう
でも業界の多くの会社を人手不足で
潰したら失業者で溢れかえるよ
要するに更に仕事がない状態となり
職に就く事自体が
困難極まるものとなるのである
そんな失業者が溢れる中で
『グレードリセット』の到来を喜んだなら
失業者となった皆からナブリこ□しに遭うよ
ブログなんかで喜びの声を書けば
途端に大炎上だわな
でもこの世の中を逆恨みするオッサンが
失業した皆に囲まれて袋叩きとなって
ナブリ△ろされるシーンは
見てみたい気がするけど
人手不足で業界がこのオッサンが望む
『グレードリセット』なほどに
会社が潰れて業界が傾くと
潰れた会社の従業員全てが職を失い
失業者となってしまうのだ
もちろんこのオッサンと同じITエンジニアも
多くが失業してしまうのだ
要するに失業して仕事を探すITエンジニアや
サーバーエンジニアで巷が溢れかえる訳だ
受けとなる会社が多くが潰れて
就業先がごく僅かとなったなら
エンジニアが職に就く事が厳しくなるのだ
それにITエンジニアも
それほどにバカじゃないだろうし・・ね
:
次回に続く
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