2023-04-02 (Sun)✎
『日本百景』 春 第548回 皇海山・鋸岳十一峰 〔栃木県・群馬県〕
幾何学模様を為した
春の樹々に包まれた
鋸岳の岩峰の背後に鎮座する
足尾山地の盟主・皇海山
皇海山 すかいさん
足尾山地に属し、栃木県日光市と群馬県沼田市との境界にある標高2,144mの峰である。
約160万~90万年前に活動した古い成層火山だが、侵食が進んだ事と山腹が樹林に覆われた事により、現在の容姿は火山らしい面影はなくなり、隆起山塊のような姿を魅せている。 山体は東西に長い頂稜を持つが、北側は国境平付近まで標高差にして500m以上も切れ落ちている。
鋸山から望む皇海山
:
ぢ・つ・わ・・ワテも最初は
『こうかいさん』と読んでいた
※ ウィキペディア画像を拝借
山名は『皇海山』と書いて『すかいさん』と読むが、江戸時代の正保年間の地図には『サク山』とあり、別名として『笄山』と書いて『こうがいさん』と読んでいたという。 この別名『こうがいさん』が後に『皇開山』と当て字され、開が海に置き換えられ、皇の字がスメと読まれることから『すかいさん』と誤読されるようになったと云われている。
男体山から中禅寺湖を挟んで
皇海山を望む
※ ウィキペディア画像を拝借
皇海山に登るには、栃木県側の銀山平から庚申山・鋸山を経る古くからの登山道、渡良瀬川上流の松木渓谷を溯るもの、群馬県側の不動沢、そして両県境である日光白根山から袈裟丸山を結ぶ稜線をたどる三つのコースが主となっている。
脆い岩層が連なる鋸岳十一峰
:
栃木側からの登山路はどのルートも
かなりの難路となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
栃木県側の庚申山から鋸山までの尾根は鋸尾根と呼ばれ、11のピークがあることから鋸十一峰と呼ばれ、険しい尾根を上り下りしながらのコースである。 尾根の南側を巻くように伝う六林班峠を経由して皇海山に至るコースもあるが、どちらかといえば下りに使われる事が多い。
皇海山麓の木々に囲まれた庚申山荘
:
設備充実の有難い登山小屋だ
江戸時代には庚申山~鋸山~皇海山の尾根を行く「三山駆け」をする信仰登山が行われていた。
庚申山頂への登り、鋸山の峰々の登降は梯子、鎖が数多く現れる険しい道のりである。 山小屋は庚申山の山頂近くに庚申山荘(無人)がある。 なお、登山口の銀山平には温泉があり、宿泊や入浴が可能である。
群馬県・沼田側の
栗原川(不動沢)登山口
:
以前は片道2時間半で皇海山に登頂できる
大衆ルートであったがアプローチ林道の
通行止により使えなくなった
※『ヤマレコ』より
群馬県側の不動沢コースは、登山口の皇海橋まで車を利用すれば山頂までの往復で6km程と、比較的容易に皇海山を往復する事ができたが、栗原川林道が通行できなくなった現在は、そのアプローチの長さから一般的とは言えなくなった。
松井渓谷からのルートは
長く奥深い沢歩きで
到底一般向きのルートではない
※ 皇海山の頂上より
松木渓谷からのコースは、ニゴリ沢出合からモミジ尾根を登り、国境平から皇海山に至るものだが、距離が長く道も不明瞭なので、経験者向きである。 途中で1泊を要するが、宿泊施設はない。
その他にも沢登りルートがあるが、いずれも難度が高く一般向きではない。
皇海山・栃木県側ルート全容図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 JR桐生駅より鉄道(1:15)→原向駅(1:40)→銀山平(2:10)→庚申山荘
《2日目》 庚申山荘(1:10)→庚申山(2:00)→薬師岳(1:30)→鋸山(1:30)→皇海山
(1:20)→鋸山(1:20)→六林班峠(2:10)→庚申山荘
《3日目》 庚申山荘(2:00)→銀山平(1:30)→原向駅より鉄道(1:15)→JR桐生駅
天下見晴より望む皇海山
《1日目》 足尾口より庚申山荘へ
華やかな《日光》の山々とは対照的に、かなり地味めな山である皇海山。 だが、《両毛国境》にひっそりとそびえる弧峰は、登山の魅力を十分に秘めている。 登山の魅力にはいろいろあるが、この山の魅力の第一は、やはり登頂時の充実感である。 寂れた谷里より奥深い弧峰まで、水の流れに遡って延々とつめていく行程は、一つの物語を秘めている。 さぁ、都会の喧噪で疲弊した心と身体が無くしつつある充実感を取り戻しにいこう。
六林班峠の山深い眺め
:
袈裟丸山から奥白根山まで
足尾山塊を貫く縦走路が開かれている
《両毛国境》の奥深くにそびえる弧峰・皇海山へは、群馬・栃木の両県共に登山道が開かれている。
最短ルートを取るなら群馬県側からつめればいいのだが、あまりにも簡単に山頂に立てるので、この山の抱く『奥深い弧峰をつめていく』という魅力を味わう事ができない。 従って、里より忠実に奥の弧峰へつめていく栃木県側ルートを行く事にしよう。 このルートは長く苦しい道程ゆえに、達成した時の充実感はひとしおである。
足尾銅山・本山精錬所跡の全景
※ ウィキペディア画像を拝借
賑わった往時の残骸が放置され、哀れを誘う銅山の町・《足尾》。 地味な印象の皇海山への登山ルートは、裏寂れた廃鉱の街より始まる。 旧国鉄・足尾線であった『わたらせ渓谷鉄道』の無人駅・《原向》が最寄り駅である。
銀山平のキャンプ場
:
温泉施設や宿泊施設もある
行楽地となっている
※『銀山平キャンプ場』より
ここから、キャンプ場と国民宿舎のある《銀山平》までは舗装道を行く。 道程は約6km。
時間に余裕のない時は、タクシーの利用も止むを得ないであろう。 なお、《銀山平》まではこれといったものもないので(途中に《小滝》の坑道跡があるのみである)、行程ガイドは《銀山平》より始めよう。
周囲の芽吹きに春を感じて
《銀山平》の車止めゲートをくぐると林道は右の岩肌に取り付いて、《銀山平》の施設を俯瞰するように大きく高巻いていく。 ゲートから約1.5km先までは舗装されている。 やがてそれも途切れ、林道規格としてはかなり荒れた砂利道となる。 砂利道となってすぐに、遙か下の沢に『坑夫(光風)ノ滝』という意味深な名称の滝が目に入ってくる。 目の保養はこれだけで、林道の終点となる《一ノ鳥居》までは延々1時間の退屈な砂利道歩きだ。
猿田彦神社の赤鳥居
:
暗がりの中歩いてたりして
軽く登り気味に山肌を地形通りにつめていくと、《猿田彦神社》の前宮の赤鳥居が見えてくる。
《一ノ鳥居》である。 この奥に、今日の行程最大の景勝地である《庚申七滝》がある。
庚申山から流れ出た支沢が本流と合流する際、七段の滝となって掛け落ちるのである。 ここまではハイキングコースとなっていて、天気の良い休日などは家族連れがよく訪れる。 滝を見て心を和ませたなら、《一ノ鳥居》をくぐって先に進もう。
庚申七滝は帰りに撮ったよ
行きは真っ暗闇だったから
《一ノ鳥居》からは、道は山道となり傾斜も増してくる。 道中では《鎧岩》や《百丁目石標》など、随所に《猿田彦神社》ゆかりの史跡が現れる。 距離にして2.3km、約1時間の道程で《猿田彦神社》跡の広場に出る。 ここから山荘までは約200mと一投足であるが、到着時間には十分留意しよう。
暗闇の中で真上の高台に建つ
山荘を見落として
小沢の方向に下ってしまったみたい
:
そして翌日以降に
大騒ぎのキッカケを作ってしまったよ
その事はまたの機会に
小屋がイバラの向こう側に建っている為、暗がりだと小屋の位置が皆目検討が着かないからである。
これは、筆者の体験(雨の夜の暗がりを1時間彷徨った)に基づくものなので留意されたい。
なお、《庚申山荘》は無人であるが、炊事場・寝具完備の立派な山荘である。
鋸山十一峰・岩稜ルートの詳細図
《2日目》 庚申山・鋸山十一峰を経て皇海山へ
この項目では、鎖場連なる上級者向けのルートを伝ってダイレクトに皇海山へアプローチしてみよう。
まずガイドを始める前に言える事だが、このルートを踏破するのは並大抵の事ではないという事である。
登山路は荒廃しているが
山の基地だけは充実している
それは、「想像以上に所要時間がかかる」という事に尽きる。 余程に身体が山に慣れていなければ全行程を明るい内に歩き通す事は難しく、皇海山登頂の断念もあり得るって事である。 もちろん、《1日目》を山荘へのアプローチにあてがうのは必須条件となる。 つまり、『ハショる』事は許されないし、事実上も不可能なのである。 ここは山荘へのアプローチに十分なる時間を取って、今日《2日目》への準備を万端に挑んで頂きたい。 それでは、出発しよう。
行程表から逆算しても半日はかかるこのルートをチャレンジするとしたなら、夜明けと共に出発する事が必須となろう。 少なくとも、朝5時には歩き始めなければならないだろう。 そして、出発の時点で「最後はどうするか」を決めておかねばならないのである。 それは、「ここに戻ってくるか否か」で、「荷物をデポしていけるかどうか」が決定されるからである。
栗原川林道が崩壊・通行不能になって
最短ルートの利用が不能に
:
現在の皇海山への利用可能の登路は
栃木県側のみとなっている
※『ヤマレコ』より
もし、エスケープ方法として皇海山を越えて沼田側に抜ける事を選択するなら、荷物を担いで行かねばならない。 即ち、デポは不可能となるのだ。 しかし、鋸山の到着時間次第で皇海山登頂の是非を判断をするなら、荷物は山荘にデポして空身で行けるのである。 出発時点でこのような判断を迫られるように、この山域の周回はそれ程に時間がかかるのである。
※ なお、群馬県不動沢からの最短ルートだが、崩落の危険がある為に林道が通行止となり
現在は通行が不能の状態となっている。
また、これらの判断は、幕営山行か小屋利用かのスタイルで概ね確定される事でもある。
それは幕営山行のスタイルだと、『デポありき』となるのである。 なぜなら、岩稜越えの難所に幕営装備一式を担いで挑むのはさすがに困難を極めるからである。
逆に小屋泊りだと荷物は最小限で済む事から、沼田方向へ抜けるエスケープルートを選択できるのである。 だが、下山後の車の手配(タクシーの手配)の必要があって費用の面で圧倒的に不利であるし、しかも連絡手段が乏しい場所(皇海橋の林道終点)での車手配となる訳である。 従ってエスケープというよりは、始めから沼田側に抜けるべく行程を立てる方が望ましいだろう。
『胎内潜り』付近から
袈裟丸山を望む
話は脱線してしまったが、歩き出す事にしよう。 今回歩く《鋸山十一峰》ルートは、《六林班峠》ルートとは逆の左へ進路を取る。 山荘から来た道を少しばかり戻ると《猿田彦神社》があり、ここで《銀山平》への下山ルートを分ける。 コースの入口には『お山めぐりコース』の案内板があり、「お山めぐりコースは鎖場連なる難所で、体力・登攀 とはん 技術のない方は控える事」、「悪天候の時は入山は控える事」などの注意書きが記してある。
この『お山めぐりルート』はめぐるだけで3時間はかかるので、この山行を終えて余裕があるならチャレンジするといいだろう。 従ってルートは、この『お山めぐりルート』の下のエスケープルートとなるのである。
案内板を越えると山の斜面に一筋に切られた犬走りのような踏跡を行くようになる。 鬱蒼とした森の中で、枯れ草が足元を覆い道はやや不明瞭である。 やがて、犬走りの道はつづら折りで高度を稼ぐようになり、周囲も樹林帯から岩肌に囲まれるようになる。 どうやら、岩稜に取り付いたようである。
『胎内潜り』
こういう難所を通るので
大きい荷物は避けたい所だ
これからは岩肌にバンド状に掛けられたの鎖を手に、この岩肌を斜め上に迫り上がるように登っていく。 鎖で対応しきれぬような岩肌にはハシゴが取り付けられ、登攀 とはん の技術に乏しい初心者でも対応できるようにしてある。 それは、この岩稜を登りきった庚申山の頂上までは、一般ハイカーも通る『一般登山路』だからである。
《二ノ門》より背後を覗く
庚申山の頂上へは、《一ノ門》、《二ノ門》と岩の間を抜ける『胎内潜り』の儀式!?を経て、その直上の岩峰をハシゴで巻くようにつめればこの岩峰の稜線に出る。 稜線に立てばその先を数十メートルつめるだけで、視界の全く聞かない狭いサークル上に『庚申山 1901m』と記された札の挿された庚申山の頂上だ。
《一ノ門》を潜り抜けて
いよいよ山の神の降臨する処へ
ちなみにこのルートは、特別天然記念物に指定されている食虫植物の『コウシンソウ』の自生地としても有名である。
絶滅危惧種に指定されている
当地固有種のコウシンソウ
:
食虫植物で粘液を出す葉や茎に
引っ付いた虫を消化・吸収している
※ ウィキペディア画像を拝借
故に先程にも記した様に、この庚申山までは花めぐりを目的とする一般ハイカーが多く訪れるのである。 なお、ワテの訪れた時は5月の連休時で開花期の6月には少し早かったので、残念ながら『コウシンソウ』を見る事は適わなかったが・・。
庚申山の頂上は
森林に囲まれた小サークルだった
森林に囲まれた小サークルだった
庚申山の頂上は鬱蒼とした樹林に囲まれた小サークルで、これを目にする限りでは期待ハズレなのだが、心配は御無用。 その先へ50mほどあるけば、皇海山側が完全に開けた好展望地があるのだ。
少し先の展望台からは
皇海山の展望が欲しいまま
皇海山の展望が欲しいまま
休憩するなら、断然こちらだろう。 皇海山は元より、これから挑む《鋸山十一峰》の岩稜が縦一列に並んで鋸山に連なる迫力ある眺めを目にする事ができる。 ここは、カメラ片手にゆっくりと呼吸を整えよう。
皇海山から視線を右に向けると
奥白根山の頂が
白い衣をまとっていた
さて、この庚申山から先が難路となる。 元は《六林班峠》ルートと並んで皇海山のメインルートであったのだが、沼田側からの登山道が開かれてからは急激に利用が減って踏跡もまばらな難路となってしまったのである。 事実、訪れた人の大半が折り返すこの《庚申山展望台》からは踏跡は極端に薄くなり、オリエンテーリングの指標みたいな道標も、放置されたままに朽ちて外れ落ちたモノが多く見受けられた。
奥白根山から
奥日光へ続く山なみ
こうなると、ルートを見つけるのが厄介となってくるのである。 山の鞍部に下りての樹林帯に差しかかると、5月という事もあってベシャベシャの雪がルートを覆い隠し、更にルートの発見を困難にしている。 筆者などは、樹林帯を抜けての鞍部で道を見失って彷徨い、時間を無駄にする失敗をしでかしている。
つまり、鞍部の窪みが雪で完全に覆われて判断が着かない状況となってしまっていたのである。
ちなみにこの開けた鞍部の窪地の正しいルートは、鞍部の底まで下りきらずにトラバース気味に左に展開する支尾根に取り付いていくみたいである。 だが、同じく迷った前人の踏跡が鞍部の底まで続いているケースがあり、これにつられて鞍部の底まで下りてしまうと筆者のように道をロストする訳である。
なお筆者は、無理やり斜めに登りつめて(そういえば、南アルプスの鋸岳で道をロストした時も同じ事したなぁ)ルートを探し当て事なきを得たが・・。
稜線の所々で
皇海山の勇姿が望める
この左に展開する支尾根をつめていくと、《鋸山十一峰》の一つ『御岳山』である。 山とは名乗ってはいるが途中の通過点に等しく、山名を記した札がなければそれとなく通り過ぎるような所である。
展望は南側は全くなく樹林の隙間から僅かに、これから登る鋸山と皇海山が望める位であろうか。
360度の大展望地もあれば
不明瞭な灌木帯の中をゆく
判り辛い道であった
※『ヤマレコ』より
この『御岳山』から鋸山手前の目だった岩稜である『薬師岳』までは、多少の上下がある位でそれ程に問題はないだろう。 但し、この後に通過する《鋸山十一峰》の全ての峰が通りすがりでしかない目ただぬピークで、今自分がどの辺りを歩いているか・・の実態がつかみ辛い。
十一峰の中で唯一
頂上らしき峰の薬師岳
※『ヤマレコ』より
唯一頂上らしきスペースを持つ『薬師岳』も、頂上サークルは登山路と離れたサークルの中にあり、何か休息場所を取るペースのつかみ辛い登路である。 そして、いよいよこの『薬師岳』からが、鎖場連なる難路となるのである。
鋸岳まで鋸の刃を
一つづつ越えていく
※『ヤマレコ』より
少し上下して地図上で『白山』と表記されているピークと思しき峰を越えると、30~40mの懸垂下降の鎖場が現れる。 これを鎖とロープで直下降するのだが、かなり地質が脆い粘土質の岩肌のようで、足で踏ん張る度にボロボロと崩れ去っていくのである。 また、途中から鎖が布状のロープに変っているのも心許ない。
ハシゴやロープで
垂直下降する所もある
※『ヤマレコ』より
この鎖場は高度があるので、下りは慎重を期して頂きたい。 これを無事に下りきると『蔵王岳』との鞍部で、『蔵王岳』へは掲げられたハシゴを2~3昇ってつめていく。 なお、この鞍部の踏跡を覆うクマザサはどういう訳かよく滑り危険だ。
こんなガチャガチャした
岩稜を上下していく
岩稜を上下していく
『蔵王岳』からは先程の鎖場程の難関ではないものの、鎖付の下降が現れて再び鞍部へ下る。
下りきった鞍部から眺めると、粘土層の一枚岩で形成された岩稜が行く手を阻んでいる。
このルートのクライマックスである『熊野岳』の難所である。 ここは見た通りに脆い粘土層の岩盤で、鎖を打ち込むアングルが固定できないが為に、岩盤の全区間がロープとなっているのである。
また登る高さは70~80mあり、見た目取っ掛かりのないようなツルツルの一枚岩なのである。
突起となる峰があれば
鎖片手に忠実に上下する
高度感満点のスリルあるルートだ
※ 鋸山頂上から遠望にて
取り敢えず真下にかけられたハシゴで5m程稼ぐと、クライマックスの難路の始まりだ。
見た目通り、足の取っ掛かりの乏しい斜面である。 取っ掛かりが乏しくズルズルと滑り落ちる危険性のある難所なので、心して挑んで頂きたい。
これを越えて『熊野岳』の頂に立つと「もう難所は終わり」と言いたい所だが、まだ『剣ノ山』というピークの上下がある。 これまでの難所と比べて格段に容易だが、ハシゴの上下と下降の鎖場がある。
・・というか、人の抱く心理を代弁するならば、この『熊野岳』の岩峰こそが鋸山の頂上と信じ込みたくなる所であろう。 正直、『剣ノ山』との間にある鞍部を目にした時、落胆の気配が頭に漂ったのは事実である。
鋸山からは豊かな森林を抱く
皇海山がそびえ立つのが望める
こうして更に疲れて『剣ノ山』を乗り越え、何とか鋸山 1998m の頂上にたどり着く。
鋸山の頂上からの眺めは格別だ。 眼前に豊かな森林を抱く皇海山がそびえ立ち、その背後には上州武尊 2158m や谷川連峰 1977m 、右手には深く刻まれた松木渓谷を挟んで白布をまとう奥白根山 2578m と逆光に武骨な黒光りを魅せる男体山 2484m が見渡せる。 眺めだけで言うならば、この山系の盟主・皇海山 2144m を遙かに凌ぐだろう。
皇海山の右には白峰となった
奥白根山と帝釈山が続き
逆に左側は上州武尊山などが
白銀の峰を魅せている
2578mと関東以北で
最も標高の高い奥白根山
下るほどに奥深くなる
松木渓谷
この鋸山は群馬県側からの最短ルートとの合流点で、大半というか、ほとんどの登山者がこのルートを利用して皇海山に登っているようである。 所要3時間で登れるコースが開かれた現在、栃木県側のルートはほとんど利用されず、寂れるまま現状のようになったようである。 道標や道の荒れ具合も、そういう訳ならばうなづける。
ここからは雪はあるものの、しっかりと踏み固められたトレースのついた斜面を頂上に向けてイッキに登っていく。 所々、クマザサが進行を邪魔するものの、キツい所は適当にジグザグをきっていて安心して登れる。 但し、1ヶ所だけルンゼ状に掘れた岩の通過があり、融雪水が凍ってアイスバーンとなっている事があるので、ここだけは注意しよう。 約250m登って鋸山の鉾先より高い位置にきたなら、頂上は目の前だ。
皇海山頂上は雑木林が生い茂り
今イチ貧弱だった
青銅軒が突き立ててある岩があり、その裏手に出ると皇海山 2144m の頂上だ。 苦労して、怖い思いをして、多くの時間を費やした皇海山の頂上からの眺めは今イチ貧弱である。 見える山は奥白根山のみで、あとは雑木林に視界が遮られている。 《松木渓谷》側は開けているのだが、鋸岳で見たあの《日高》のカール地形のような眺めではなく、至って凡庸な眺めであった。
奥白根山も雑木林に
阻まれて『残念』な眺め
どうやら、この皇海山という山は、キツい登りでかく汗や体験がその魅力を語る山なのである。
従って、冒頭でも述べた通り、安易なコースでこの山に登ったならば、心には乏しい思いしか残らないだろう。 この山から登頂の充実感を取ると、何も残らないのである。
松木渓谷方向に厚い黒雲が覆い始めた
この後に雷が落ちた
帰路は往路を戻るが、もし頂上で雷が発生していたならば要注意。 帰路は稜線上を行くので、落雷には逃げ場がない。 その時は無理をせず、沼田側から登ってきた人に下山後の車の便乗をお願いして、エスケープルートに最短コースを取ろう。 往復だと帰りも6時間近くかかるが、最短ルートだと2時間余りで下る事が可能である。
春山は得てして雷が発生しやすいので、頭の片隅にこの事も考えておくべきであろう。 なお、往路の下山なら、12時には下山を開始しなければかなりキツくなる。 時間に追われた場合も、エスケープの必要がでてくるだろう。
芽吹く前の幾何学模様の樹々に
覆われた鋸山と
その背後にそびえる皇海山
《3日目》 天下見晴をめぐり帰路に就く
栃木県側から皇海山を登ると、どうあがいても庚申山荘~皇海山だけで1日行程を要するのである。
前日は記述しなかったが、《2日目》は皇海山の往復のみで庚申山荘で泊まりである。
山野の道を通って
天下の見晴らしの地へ
そして、昨日の皇海山への山行で心も弾んでいるだろうから、ここは『昨日登った山』をより魅惑的に魅せる地に立ち寄ってから帰路に就く事にしよう。
国境稜線の穏やかな山なみ
原生林の幾何学模様の
艶やかさに酔う
その地は素晴らしい眺めを魅せる事から『天下見晴』と呼称され、国境稜線の草原帯を連ねる穏やかな山なみや、原生林による幾何学的な山肌模様を魅せる皇海山、清らかな水が生み出す『庚申七滝』という瀬滝群など、その名の通り圧倒的な自然風景を魅せてくれる。
この山行の最後は
庚申七滝に魅せられようか
『庚申七滝』めぐりなど、《両毛国境》の山の魅力を堪能してから帰るとしよう。 なお、《庚申山荘》より《原向》駅までは、約12km・約3時間の道程である。
給料が上がる奴は何かしら
『稼ぐ』努力をしているものだ
その一つが出世を目指して
会社内での確たる地位を目指す努力だ
もちろんその為のリスクも
給料を上げる為に引き受けている
まぁワテには合わない『努力』手法だが
勉学に励んで資格を取り
自営・自活する奴もいる
これも多大な時間と労力という
費やすべきリスクが膨大だ
勝負を賭けて商売に乗り出す奴もいる
たぶんコレが最大の苦難だろうね
全ての責任が双肩にかかるのだから
そしてワテのように自身が拒絶する
ちょっとの昇給で多大な責任を負わされる
勤め先の業務に励んでの昇給は見送り
副業という別の事で稼ごうと考える奴もいよう
でも例のオッサンのように
給料が上がらないのを会社や
その経営者・一部の成功者や資産家
そして会社指示に従い黙々と働く者のせい
にする奴は一向に給料が上がるまい
それは給料が上がらないのは
会社のせいでも国のせいでも
ましてや世間のせいでもなく
自身の怠惰が原因だからである
ITエンジニアは人手不足で
売り手市場となってるのだろう?
この状況はちょっと知恵を使って
努力すれば儲け放題じゃね?
日々グチグチ世間を罵っているが
人手不足で引く手数多のITエンジニアなら
その技術を持ってるのなら
「辞めて欲しくなかったら月3万上げろ!」
と何故掛け合わなかったのだろう?
給料が上がらない自身の怠惰を差し置いて
世間を逆恨みしてネットやブログで喚いても
給料が上がる訳も給料の高い勤め先が
手を差し伸べてくれる訳もないよ
もしこのオッサンが勤め先にとって
必要な人材と見なされているなら必ず上がるよ
まぁ渋ったり上げない回答をするなら
全く戦力になってない証となるし
全く上がらなければ別の職に就く指標となろう
このように技術職でも自身の持つ技術を
会社に売るべくの『営業力』が要るのである
もちろん事が不調に終わった時の
替えをキッチリと用意して・・であるが
替えの仕事を用意するのも社会に対する責任なのだ
- 関連記事
スポンサーサイト
管理人のみ閲覧できます * by -
Re: No Subject * by 風来梨
内緒さん、こちらこそ宜しくお願いします。 これから登山にはいい季節になっていきますね。 山行記を楽しみにしております。