風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『路線の思い出』  第521回  石北本線・美幌駅

『路線の思い出』  第521回  石北本線・美幌駅 〔北海道〕

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新しく建て替えられた駅舎は
全くもって目にした事がない
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
     営業区間と営業キロ            輸送密度 / 営業係数(’15) 
    新旭川~網走 234.0km             1142  /  389
運行本数(’23)
美幌駅発着列車
 旭川~網走 特急【大雪】2往復・札幌直通【オホーツク】2往復
 北見~網走 普通 下り網走方面10本(うち1本は知床斜里行き)
          上り北見方面  9本 (北見行き3本・留辺蕊・西留辺蘂行き各2本・遠軽行き2本)

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美幌駅の駅名標
相生線が廃止となって35年以上が経ち
もはや相生線の存在さえ無かったかの
ような駅名標となっている
※ ウィキペディア画像を拝借

美幌駅(びほろえき)は、北海道網走郡美幌町字新町3丁目にあるJR北海道・石北本線の駅である。
特急【オホーツク】・【大雪】を含む全列車が停車する。 かつては相生線の分岐駅でもあった。
駅名の由来は駅の所在する町名(自治体名)からで、その町名はアイヌ語の『ピポロ』(石・多い)、あるいは『ペホロ』(水・多い)に由来する。

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相生線の廃止で駅舎寄りの
1番線ホームが使用停止となり
残った島式ホームが改番されず
そのまま使われている
※ ウィキペディア画像を拝借

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駅舎から島式ホームへは
跨線橋で渡している
※『フォートラベル』より

島式ホーム1面2線を持つ駅で、駅舎との間は跨線橋を利用している。 かつては駅舎に接した単式ホームには相生線用の1番のりばが設けられていたが、相生線の廃止に伴って線路が撤去された。

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相生線廃止後は駅母屋寄りの
線路が撤去されて
ホーム自体も駅舎からの壁が塞がれて
立ち入る事が不能となり
ホーム敷地跡は花壇となっている
※『フォートラベル』より

この単式ホームは現在も残るが、駅舎からの出入口は封鎖されて立ち入る事ができなくなっており、花壇が設置されるなど駅舎の側壁と化している。

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相生線在時の美幌駅構内配線図
かつては広大な貨物ヤードに
多くの貨物専用線が延びる広大な駅だった
※『北海道690駅・宮脇俊三 著』より

また、島式ホームの外側には多くの側線を持っていて、更に側線の外側には原料倉庫や原油貯蔵庫などが設けられ、近くにあった昭和シェル石油の美幌油槽所や日本甜菜製糖の美幌製糖所への専用線を始め、最盛期には王子製紙・網走木材・ホクレン穀物調製工場等などへの専用線も敷かれていた。

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かつてのヤード跡は植樹された奥に
日本通運の流通倉庫が建っている他は
広大な空き地となっている模様
※『フォートラベル』より

だが、1984年3月14日のダイヤ改正で当駅での荷物取り扱いが廃止となり、貨物ヤードはJR貨物に移管されている。 その後も貨物の取り扱いが減り続け、1990年に日本石油(昭和シェルから日本石油に移管)専用線、翌年に日本甜菜製糖の専用線が相次いで使用廃止となって専用線は全廃となった。
この広大なヤード跡地の現在は、日本通運の倉庫に転用された他は空地となっている模様。

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現在は美幌観光物産協会が
当駅発の一部の区間の切符販売を
受託する簡易委託駅となったが

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改札業務は受託されてないので
無人駅と同様の扱いとなっている
※ 上下いずれも
 ウィキペディア画像を拝借

北見駅が管理する簡易委託駅で、駅舎に併設されている美幌観光物産協会が受託するが、取扱券種は美幌発の一部に限られている。 なお、JR発売窓口の他、高速バス〔ドリーミントオホーツク号〕の発売窓口も設置されている。 直営駅時代の駅事務室と窓口は、現在は使われておらず封鎖されている。
2021年の1日平均乗車人員は242.6人と、相生線在時の1984年(相生線の廃止は1985年4月1日)の624人の半分以下となっている。



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使用を停止された旧相生線ホームと
後ろに建つ見た事もない駅舎が
ネット画像で見た今の美幌駅だった
※『フォートラベル』より

たぶん・・であるが、この駅の外に出た記憶がないので、美幌駅の駅舎を目にした事はない・・と思う。 だが、この駅が今のような時計塔のある洋風駅舎ではなく、木造駅舎だった事を覚えている。

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姿・形までは憶えていなかったが
美幌駅が木造駅舎だった
記憶は確かにあった
※『北海道の古い駅舎の写真』より

木造平屋建ての国鉄の駅らしい駅舎だった記憶があるのだ。 そして、最後に記すが、この駅での鮮烈な思い出もあって、駅舎がどうだったかもロクに憶えていない駅が『駅の思い出』ネタとなったのである。

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ワテが相生線を追っかけていた
1984年の冬の急行【大雪】は
昼夜3往復で絵入りヘッドマーク
が採用され始めた頃だった
※『客車急行【大雪】』より

そういった訳で、この駅での自身の下車記録をたどってみたくなったのである。 相生線在時に急行【大雪5号】(相生線在時の1984年に訪れた時の急行【大雪】は昼行2往復・夜行1往復の3往復であった)から降り立った当時の時刻表を調べると、急行【大雪5号】と相生線始発列車は数分接続だったのである。

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急行【大雪5号】の
停車駅と時刻表

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相生線の時刻表

それは、急行【大雪5号】の美幌着が6:06着で、相生線の始発列車の発車時刻が6:10発と4分接続だったようである。 この数分の乗り継ぎ時間では、急行【大雪5号】から降りて、速攻で今は花壇となっている1番ホームで発車待ちしている相生線列車に乗り換えたであろうから、駅舎に立ち寄る事も無かっただろうと思う。

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空気抵抗を考慮した設計の
スラントノーズ(ワテ的には『デコ顔』)の
キハ183であったが急勾配の石北本線では
一部特急で表定速度60km/hを割るなど
ほとんど効果がなかったみたい

また、帰りも、宿を確保するべく特急【オホーツク】に乗って札幌方向に抜けたので、駅の待合室にも立ち寄った記憶はないっていうか、この時に最後に記す『鮮烈な思い出』をカマしていたりするのである。

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廃止ローカル線の淘汰と夜行列車の廃止で
もう立ち寄る事はないと思った深川駅に
当時は本線格で『乗るだけ』だった
留萌本線の廃止で再び立ち寄る事に

ちなみに『宿を確保するべく』とあるのは、特急【オホーツク】で深川又は滝川まで出て、網走行きの急行【大雪5号】や稚内行きの急行【利尻】に乗り換えて、名寄本線から分岐している渚滑線や興浜南線、又は宗谷本線の音威子府からの天北線の始発に乗り換えて興浜北線(『廃線鉄道』の第100・101回を見てネ・・。 結構力作でっす)を目指していたのである。

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デコ顔はあまり好きになれず
撮るのを避けていたけど
今思えば撮っといて良かったよ

ここで、なぜ札幌ではなく深川や滝川かというと、当時の特急【オホーツク】は速度が低く美幌から札幌まで6時間以上(札幌~旭川の激走区間を含めて、かろうじて表定速度60km/hをクリアしていた)を要して、札幌到着は急行【大雪5号】や【利尻】の発車後の23時過ぎで、深川や滝川で乗り継がねばならなかったのである。 また、深川や滝川で乗り継ぐ事によって3時間近くの間ができて、深川の銭湯や飯屋で風呂&夜飯のミッションがこなせたのである。

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学割&冬季割で特急を含めて
20日間乗り放題で26800円まで
価格が下がったスーパーアイテム
だった北海道ワイド周遊券
※『フォートラベル』より

いゃぁ、特急にも乗れて宿も確保できた当時の周遊券って、当時の廃止ローカル線追っかけにはなくてはならないお宝アイテムだったよね~。 それに、学割&冬季割りで20日間周れて26800円と格安だったもんね。 ホント、JRとなってシンカンセン一辺倒で、サービスガタ落ちになったよね。 もう、JRになっての在来線の減便に次ぐ減便で旅に鉄道が使えなくなったし、切符も周遊券が無くなるなど『シンカンセン有りき』となってしまったし・・ね。

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大雪・五色ヶ原で目にした
ハクサンイチゲとトムラウシの絶景
廃止ローカル線が淘汰され
シンカンセン有りきに変わって
魅力を無くし旅の手段としても
使えなくなった鉄道に見切りをつけたよ

ヤマ期に突入したとはいえ、ワテがローカル線が廃止淘汰されてから15年~20年の間ほとんど鉄道旅をしなくなったのは、この理由が多分に含まれているからだよな。 要するに、『シンカンセンでは自由な旅は為しえない』って事である。 なぜなら、旅に出る動機や目的は、シンカンセンの駅ではなく在来線に所在する駅で、しかも国鉄当時は周遊券で料金不要の夜行急行列車がバンバン走っていたしィ。

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料金倍取りで乗り換えを要し
しかも時短効果もほとんどなく
ただ在来線に自身の赤字の責任転嫁して
食い潰すシンカンセンはもう要らん!
特急【白鳥】の復活を強く望むよ
※ コハクチョウの愛の語らい
『ハッピーリング』

そして、今も『旅に使えない』鉄道での旅は、ほとんどしないっていうか『できない』よ。 
特に、北海道や東北では・・。 だから、北海道や東北の旅は、レンタカーが定番となっているよ。
北海道や東北へのアプローチも、鉄道を食い潰す『シンカンセン』にはあまり乗りたくはないので、『シンカンセン』によるアプローチは未乗を解消する1回コッキリで、他は飛行機・フェリー・夜行バス+在来線でのアプローチとなっているよ。 あぁ・・、日本海縦貫の特急【白鳥】カムバァ~ック!

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1984年のリベンジ旅で
夏にフイルム間違いで全ボツとなった
相生線のリベンジは叶ったが
※ 北見相生にて

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その時は駅舎はおろか改札も潜らず
ただホームと跨線橋を
往来しただけだったよ
※ ウィキペディア画像を拝借

あらら・・、また悪い癖で話が違う話題にぶっ飛んでしまったが、元に戻すとしよう。
1984年のリベンジ旅で、他の廃止ローカル線と同じく相生線も夏のファースト旅での『フイルム間違い』の失敗を『撮り』戻す事ができたのだが、上記のように記憶をたどると、駅の外はおろか待合室にも立ち寄っておらず、ホームと跨線橋にしか足跡を着けていないのである。

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1984年のリベンジ旅では
美幌駅の改札すら潜らなかったのに
何故か美幌駅が国鉄洋式の
木造駅舎だった記憶が残っていた
※『惜しくも失われた駅舎』より

だが、木造駅舎の記憶があるって事は、降りて目にした事があるって事である。 そこで、更に記憶をたどると美幌駅の木造駅舎は、サブカメラで撮ったネガの『B級写真』以外に全く結果を残せなかった、フイルム間違いの失敗旅である夏のファースト旅』で見た記憶だったのである。

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お蔵入りのネガ写真を漁ると
サブカメラの『B級ネガ写真』で
旭通仮乗降場を撮っていたよ

それは、廃止ローカル線を追っかけていた小僧の時に、旅に出る毎に書いていた『旅日記』(挿絵や行程図も書いていた)を読み返したのであるが、美幌駅から相生線の旭通仮乗降場(仮乗降場だが切符の委託販売があった)に立ち寄ってから美幌ユースホステルまでの3~4kmを歩いていたのである。

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その旭通仮乗降場の簡易委託の
硬券乗車券も買っていたよ

もちろん、旭通仮乗降場の無人駅委託の乗車券もあるしィ。 恐らく、この時に下車して目にした木造の旧美幌駅舎が記憶に残っていたのだろう。

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北見相生駅の駅名標や

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♨マークが絶妙な
北見相生駅スタンブ

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相生線をゆくキハ22など
お宝画像満載の
我が閑散ホームページ『日本百景』

このブログの書式や形式は我がホームページの『日本百景』が元ではあるが、その『日本百景』の根源がこの『旅日記』だったりするのである。 それを思えば、記録を消えないもので残す事が適う銀塩写真(デジタルカメラはデータ消失で消えるので却下)や紙に書いた日記は歴史を示す貴重な資料となりますねぇ。

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人は失敗を記憶から消して
成功だけを記憶に留める
性質が多分にあるね

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夏に北見相生に立ち寄った記憶は
雌阿寒岳に登った時に
道の駅に静態保存されて
無料宿泊場を兼ねた旧客に泊まった記憶まで
綺麗サッパリと飛んでいたよ
※ ウィキペディア画像を拝借

特に、『残すべき写真原盤』が、フイルム間違いの失敗で全滅して目に見える記録が残せなかった『夏のファースト旅』での事だから、深層心理にしか記憶が残らなかったのだろうと思う。 まぁ、失敗って記憶にとどめる事が大切なのだが、心理的には『失敗はとっとと忘れたい』と思うモノだし、その冬の『リベンジ旅』で『撮り』返す事ができたのだから、『リベンジ旅』の記憶で全て上書きされてしまうしィ。

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コレ酔っぱらって雪の中を
酩酊状態で泳ぎながら撮ったモノデス
酔っぱらった方が
上手く撮れてたりして

駅の記憶をたどるのはコレで切り上げて、美幌駅ホームでカマした『鮮烈な思い出』の事を記す事にしようか。 それは、酔っぱらって(高校1年の小僧が酔っぱらっている時点で倫理違反だぁね)て、ホームに降りた途端に雪で滑って、目から火花が出る程に派手に転んで酔いが醒めたという『鮮烈な思い出』である。 なお、なぜ酔っぱらっていたかというと、長くなるのでコチラの記事をどうぞ。

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廃止から35年以上経って
旧相生線ホームは封鎖されて
崩れた縁石となり
※ ウィキペディア画像を拝借

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終着の北見相生駅は『道の駅』併設の
駅跡鉄道資料館となった
※ ウィキペディア画像を拝借

なんていうか、小僧の時から『ロクデナシ道』の免許皆伝の道をひたすら突き進んでいたようである。
でも、駅と酒にまつわるエピソードの究極はコチラの記事でしょうねぇ。←たぶん、ドン引きされて、ロムオンリーの不人気に拍車がかかるでしょうな。


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