2023-03-17 (Fri)✎
『路線の思い出』 第520回 日豊本線・東別府駅 〔大分県〕
古き良き時代の駅舎が残る
有形文化財駅・東別府駅
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
小倉~鹿児島 462.6km 9497 / 115
運行本数
東別府駅発着列車(東別府は普通列車のみ停車)
下り(大分方面)普通 毎時1~2本(ラッシュ時は3~5本)
行先は大分・幸崎・臼杵・佐伯
上り(小倉方面)普通 毎時1~3本(ラッシュ時は毎時4本)
行先は亀川・杵築・中津
別府~大分を通る特急列車
博多~大分 特急【ソニック】上下ともおおむね毎時2本で、日に1往復は佐伯まで運転
小倉~宮崎空港 特急【にちりん】1日1往復(他の【にちりん】は大分で乗り換え)
博多~宮崎空港 特急【にちりんシーガイア】1日1往復
別府~熊本 特急【九州横断特急】(豊肥本線経由熊本行で当駅始発着)2往復
別府~博多 特急【ゆふ】(久大本線経由博多行で当駅始発着)2往復
特急【ゆふいんの森】(久大本線経由博多行で当駅始発着)1往復
木造日本瓦屋根の建物って
心が落ち着くね
東別府駅(ひがしべっぷえき)は、大分県別府市浜脇一丁目にあるJR九州・日豊本線の駅である。
相対式ホーム2面2線ホームを有する駅で、互いのホームは跨線橋で連絡している。 駅本屋は1911年開業当時のもので、別府市指定の有形文化財となっている。 別府市がJR退職者団体『別府鉄道OB友の会』に駅業務を委託する簡易委託駅で、近距離きっぷの自動券売機が設置されている。 JR九州のICカード『SUGOCA』は、出入場とチャージのみ対応している。
別府市指定の有形文化財で
ある事を示した説明書き看板
:
看板は駅舎の雰囲気に合わせて
年季の入った造りになっているが
有形文化財指定は2016年3月と
そんなに昔の指定ではない
有形文化財指定の経緯は、駅舎老朽化により2002年に改築が検討されたが、「古き良き時代の面影を残す駅舎」として保存を望む声が多く寄せられ、2003年に別府市の有形文化財に指定されて、2004年に原型を留めたままの姿となるべく修復を受けている。
JR九州のOB会が窓口業務を受託する
簡易委託駅となっている
1965年度の1日平均乗車人員は537人で、手荷物や小荷物も取り扱っていたが、1984年に荷物の取り扱いが廃止されている。 2016年度の1日平均乗車人員は229人と半減している。 2022年春までは、JR九州の社員が駅員として配置された別府駅管理の有人駅であったが、現在は別府市から委託された鉄道OB会が駅業務を行う簡易委託駅となっている。
下をゆく国道10号線から
石畳の階段を30段ほど登ると
明治末期から別府の街を
見守る市民の駅がある
駅は高台にあり、下を国道10号線が走っている。 県都・大分市と別府市を結ぶ大分県では最大の人口集中区間に駅があるが、国道10号線をゆくバス路線に押されて利用客は減少傾向にある。
また、当駅と西大分駅の間は、複線化の際に新しく設けられた上り線は線形か良く、曲線が多かった旧来線の下り線より1~2分所要時間が早くなっているとの事。
最近の九州の旅は小倉・博多ではなく
四国・八幡浜からフェリーに乗るか
大阪から別府・大分への直行バス
で九州入りが多くなっている
※ ウィキペディア画像を拝借
以前に取り上げた別府駅の項目で、「最近は、四国を周った後に八幡浜からフェリーで別府に渡って、別府から山陰本線の『惣郷川橋梁』や『須佐ホルンフェルス』など撮影名所を周って大阪に戻ったり、大阪から別府に直行する夜行バスで九州に入り、別府でレンタカーを借りて阿蘇・九重を周る旅行程(もちろん、帰りも大阪直行の夜行バス)となるなど、九州の出入口が小倉・門司・博多から別府となっている」と記したが、別府を九州の出入口にした事で生じた問題もあったのである。
別府は全国指折りの温泉地であるが
都会ではないので
ヒマ潰しは困難を伴う
※ ウィキペディア画像を拝借
それは、別府は小倉・博多と違って鉄道での自由度がなく、レンタカー返却後の夜行バスに乗るまでの待ち時間など、時間を潰すのが厄介なのだ。 それは、小倉・門司・博多なら香椎線や筑豊本線・平成筑豊鉄道など時間を潰す手段が豊富だし、小倉・門司・博多は九州随一の繁華街で漫画喫茶なども容易に見つけられるが、別府は時間潰しが困難となるのだ。
久大本線は湯布院から先は日に7~8本
豊肥本線は豊後竹田から先は僅か5本と
普通列車が極端に少なくなる
※ 久大本線・湯平にて
なぜなら、大分から分かれる久大本線・豊肥本線共に本数が少なくて、一度乗ると予定時間内に帰ってこれなくなり、日豊本線も大分から先は宮崎に向かって列車本数が先細りとなり、特急に乗らねば日豊本線内の移動もできず、時間潰しの為に往復特急料金を払う程の無駄はしたくないし、日豊本線の特急停車駅に訪れたくなるような魅力もないからである。
大分・宮崎県境を越える
唯一の下り列車と
日に2本の内の朝1本の上り列車の交換
※ 重岡駅にて
要するに、JR北海道ほどに酷い事はないが、普通専用のフリー乗車券などでは周る事が不能な位に普通列車の本数が少ないのである。 従って、鉄道で旅をするならば『乗車』に徹した旅の行程を立てる以外になく、途中の観光名所にはまず立ち寄る事が適わないのである。
大分・宮崎の県境を越える普通列車は
下り朝1本・上り朝夜各1本の3本のみ
:
この重岡駅の時刻表を撮るには
重岡駅で駅寝する以外に方法がない
ホント、昔の周遊券は良かったなぁ。 特急にも乗れたし、普通列車も『乗ってもらえる』事を前提としたダイヤ設定で、それこそ鉄道路線のある所なら九州内のどこへでも行けたのである。 今のダイヤでしかも周遊券が廃された現在なら、『乗車券+特急料金』を払って特急に乗らねば、大分から宮崎・熊本などの隣県に移動する事も適わないのである。
写真に映るテント装備一式の
デカザックを担いでうろつくのは
山岳縦走以上に過酷であり
また社会の迷惑でもある
※ 九州全駅寝旅での長門本山にて
・・ちなみにこの時は雀田で駅テント寝
こういった状況でも、別府という“途中駅”では時間潰しの必要性が高くなっていくのである。
また、レンタカーなどを使ってヤマ旅をした後などは、テント一式の山装備を担いでの時間潰しは修行に通じる困難で、それこそ鉄道で時間内に戻れるように設定して、荷物と共に列車で無駄に往復する『時間潰し』策が現実的に唯一の手法だったりするのである。
なので、極力別府で時間潰しする事がないように旅行程を立てるが、夜行のフェリーで別府に渡った時などは、朝早く着き過ぎてレンタカー店の開店時間まで2~3時間の間ができたりするのである。
そして、ヤマ旅という事で当然テント装備一式の重装備で、この重装備を担いで別府駅内をたむろするのは、この重装備を担いでのヤマの縦走より過酷なのである。
簡単にツボにハマるが
ハマると途端に冴えてくる
残念なスキルがここでも発動
それで咄嗟に思いついたのが、ネットで明治末期の開業時からの駅舎が現存する駅を紹介するブログ記事なのである。 そして、その駅は都合のいい事に別府の隣駅で、しかも大分県で最も人口が集中する別府・大分間に位置しているのである。 先程まで「普通列車が先細りとなって、鉄道に乗っての時間潰しは不能だ」と記述したが、大分県で最も人口集中区間である別府・大分間の駅ならば、1時間に2~3本の列車があって『時間潰し』が適うのだ。
乗る時に告知せず着いた途端に
「本日は船内休憩できませんので下船下さい」
はコンブライアンス違反でしょう!
※ 宇和島運輸のウェブサイトを加工
ぢ・つ・わ・・、夜行のフェリーは別府港に3:10に入港し、普段なら5時半まで船室で仮眠できる事が時刻表に記載されていて、この仮眠を前提に行程を立てていたのだが、「土日休日は利用客が増えるので、折り返し便の出航準備に充てるへく仮眠の為の船室開放を取りやめるから、夜明け前の3時過ぎにとっとと下船しろ!」という、利用客の心を逆撫でする整備シンカンセンのような対応を取りやがったよ・・、宇和島運輸フェリーは。
昭和の過疎の村役場のような建物に
和式トイレにプラッチック椅子
コレでは仮眠もできないよ
※ ウィキペディア画像を拝借
・・という訳で、朝の3時過ぎに、昭和の過疎の村役場のようなボロボロの宇和島運輸フェリーの別府港ターミナルに叩き出されて、「さぁ困った」のである。 そして、このボロボロの『昭和の過疎の村役場』の中は、和式トイレにプラッチック椅子と仮眠もできない粗雑な造りだったのである。
このタイプのプラスチック椅子では
寝転ぶ事が不能で仮眠できない
:
写真は内容に全く関係ない
東別府の駅舎だけど
なので、時間潰しもかねて、別府港ターミナルから別府駅まで3.5kmを荷物一式を担いで歩いて時間潰しする事にした。 途中でオールナイトの牛丼屋で時間潰ししながら、5時半過ぎに別府駅に着く。
だが、レンタカーを予約した8時まで2時間半ある。 この2時間半を潰さねばならないが、別府って国道沿いの牛丼屋以外にオールナイトの店ってないんだよね。
乱雑に止められた自転車も
絵になる力を持つ
明治時代建立の名駅舎
「そこで咄嗟に思いついた」と記したのが、4段上の記述である。 6時前の始発に乗り、約3分の乗車で『時間潰し』の格好の標的である隣駅・東別府に着く。 その東別府の駅舎は、『トレビアン』の一言だった。
九重山での日の出
:
フイルムはヤマで使うから
この場面では使えない
でも、フイルムはメインの九重の山旅に費やすべく使う事は叶わない。 なので、スマホのカメラを使って撮る事にしたのである。 最近、こういったさして重要ではない被写体では、スマホカメラに有用性があるって事を理解でき始めたよ。
スマホ撮影でのシャッター
タイミングがつかめず
貴重なカボチャ塗装を
『顔面袈裟斬り』しちまったよ
だから、最近はスマホカメラを扱う練習を少しやってるよ。 それで、ようやく『×10』までのアップの撮影と撮影したコマのサイズ調整を覚えたよ。 だけど、タイミングの取り方がつかめず、この前の岡山で『顔面袈裟斬り』をしちまったよ。
ボタン3つで全てを操作やら
アプリのダウンロートとか
ワテの性に合わないよ
でも、最初はスマホからPCへのデータ移し替えの方法も解からず、イラついてスマホをぶっ壊しかけたよ。 何ていうか、スマホの『◁ ◎ □』のボタン3つだけっていうのは性に合わず、それまではスマホの機能はネットを見るのと電話以外は使う事なかったしィ。 まぁ、何ていうか、ワテは『昭和』なのである。 だから、指でタップを生業とするタブレットとかも性に合わないだろうね。
デシダルでメインは撮らないと
決めているから当初は撮る予定がない
『B級写真』以外はスマホでは
撮らないと決めている
もちろん、デジカメを「カメラではなく人の能力と楽しみを奪うつまらぬ家電」と言うが如く、生涯を通じてデジカメでメインの写真は撮らないと決めているしィ。 こんなので撮るくらいなら、キッパリと写真映像に見切りをつけて写真から手を引くよ・・、ワテは。 だから、フイルムを使うまでもない『B級写真』の撮影のみにしているよ。 それでは、明治から現代まで生き抜いた名駅舎をごろうじろ。
東別府駅
古き良き駅舎のギャラリー
(と言えるのか?)
駅舎の中は洒落たロマンアートに
装飾された別府の街の
小さな歴史館となっている
停車場建設記念の石碑を入れると
更に歴史的な重厚感が出るね
駅舎に掲げられた駅名標が
檜板に木彫りか国鉄時代の
紺色のホーロー板なら
もっと雰囲気が出ただろうね
駅舎内の清涼飲料の自販機も
駅舎に合わせた色に塗装されている
ファインダーのないスマホカメラでは
自分の影が映る
間抜けな失敗が多分にある
:
ミラーレスなんかも
同じ失敗があるだろうね
気を取り直して展示されている
駅舎歴史観展示の写真おば・・
ワテは一応写真撮りだから
鉄道資料館などの展示品は
現物(切符類や模型)より
当時の写真の方を好むよ
帰りに列車を入れて撮ったが
撮ってる最中に乗車する対向列車が来て
すぐに被ってしまって中途半端な構図に
:
手前の影は対向列車デス
前回の続き
:
1度目でもこんな状況だから
2度目はもう完全にアウトだよ
1度目はIT業界の人手不足もあって
『ひとなみ』で許容されるが
2度目は『クセの悪い奴』として認識されるよ
企業も業績に貢献もせず文句ばかり
垂れる奴は例え人手不足でも
全く必要としないからね
それはこんなのを雇えば
会社の内部に悪影響を及ぼすからだよ
恐らく企業が望んでいるのは
エンジニアとしての技量は元より
コンサルティングや営業ができて
仕事を取ってこれる奴だわ
何だかんだ言っても2つの仕事を
こなせる奴が重宝されるのだな
それは真に独立する起業主のスキルの一端が
従業者にも求められているのだな
だからこのオッサンの場合は
簡単にネットの煽りに騙されるなど
エンジニア業で起業しても即死確定だわな
まぁ『営業』を否定している時点で
起業は成り立たないけど
そして起業したとしてもITエンジニアとして
再就職さえできなかった奴が起業した
会社への仕事の依頼は見合わせるわなぁ
普通に考えると・・だけど
職安に行った履歴だけでチョンバレだしィ
それに1人起業なら
『営業』『経理』『金策』『クレーム処理』の
全てをこなさねばならないし
起業者プロフィールも実績を強調して
華やかにせねばまず受注は呼べないよ
要するにこのオッサンは
ITエンジニアではもう『詰んでる』んだよね
我慢して定年まで会社勤めを全うすれば
最悪の『詰んでる』は回避できたのだけど
または早々に『先がない』事を自覚して
別の手(ワテの場合は副業の拡充)を
考えて実践するべきだったんだよ
でもこのオッサンの場合は自ら仕事を辞めて
元勤め先を始め日本の社会全体を詰るなど
『先がない』以上に最悪の状況の『詰んでる』を
自ら招いたのだから心を入れ替えない限り
1食200円の『大勝利』のままだよ
このオッサンは到底向いてない
エンジニア業に見切りをつけて
新聞配達や清掃員など
オッサンが望む人と関わりの薄い
職種に鞍替えする事だね
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