2023-03-11 (Sat)✎
『路線の思い出』 第519回 一畑電気鉄道広瀬線・出雲広瀬駅跡 〔島根県〕
旧一畑電鉄・広瀬線の駅を
移築したような外観の
広瀬バスターミナル待合室
《路線データ》
路線距離(営業区間):荒島~出雲広瀬 8.3km、軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)、電化区間:全線(直流600V)、
駅数:12(始点駅含む)〔荒島〕・仲仙寺・西赤江・西中津・田頼・小原・飯梨・植田・鷺ノ湯・
鷺湯温泉前・温泉前・出雲広瀬
※ 飯梨・出雲広瀬のみ停車場で、残りは全て停留場だった
また、唯一の交換可能駅は飯梨であった
路線廃止年月日:1960年6月20日、運行本数:1日12往復で、所要は全線で25分だった
廃止転換処置:一畑電鉄バスの自社バス運行を経て、現在は安来市広域生活バス(通称・イエローバス)
の荒島・広瀬線が運行している
安来市広域生活バス(通称イエローバス)の
終着ターミナルには鉄道時代の
駅舎跡と思しき待合所が建っている
※『鉄道チャンネル』より
出雲広瀬駅(いずもひろせえき)は、かつて島根県能義郡広瀬町(現在は安来市)にあった一畑電気鉄道広瀬線の駅で、同線の終着駅であった。 当駅は現在は安来市に編入されているが、かつては広瀬町の街の中心に位置していた。 1960年6月20日に、一畑電気鉄道広瀬線の路線廃止によって廃駅となり、現在は1kmほど南の街の中央部に移動して『広瀬バスターミナル』となっている。
『出雲広瀬駅』と『一畑電気鉄道株式会社』の
文字を削り取った跡がクッキリと残っている
『広瀬バスターミナル』には、『出雲広瀬』との駅名が削除された跡が残る駅舎然とした建物が建っているが、残念ながらこれはバス転換した一畑電鉄バスが、路線廃止直後に当地に建てた営業所の建物で、当時の一畑電鉄バスはこのバスターミナルを『出雲広瀬駅』と呼称していた事によるものとされている。
また、鉄道廃止後に南に移動したという事は、鉄道在りし時の駅は広瀬町の入口付近の現在は安来市立(広瀬)病院が建っている辺りだと推察される。 また、駅跡地はハイツが建っているとの事である。
広瀬には難攻不落を誇った
『天空の城』月山富田城があった
※ ウィキペディア画像を拝借
なお、この広瀬の街の入口付近は、飯梨川を渡ればかつて出雲の国の国府が置かれていて、戦国大名となった尼子氏の居城となった月山富田城址があり、以前はこのあたりが国府である月山富田城への参道口となっていた事から駅が設置されたものと推察できる。
この前運休・折り返しとなった
特急【やくも】
:
前回は大雪で備中高梁・・
詳細に言えば備中川面で
引き返しとなった旅のリベンジが
今回の出雲路めぐりだった
『路線の思い出』の岡山駅でのエピソードでも述べた通り、最初のアプローチは雪に阻まれて夜行バスも特急【やくも】も運休&運行打ち切りとなり、雪の出雲路めぐりは果たせずにいたのであるが、この大雪から僅か2週間後に早速リベンジを敢行したのである。
アニメは好きだが『ゲゲゲの鬼太郎』の
ような児童向けはちょっと守備範囲外
・・なので基本は無視だが
夜明け前であまりにもヒマなので
この時は大阪~米子の夜行高速バスも通常通り動いていて、夜明け前である午前5時前に米子駅前に着く。
米子駅は高架駅となるべく改装工事中の仮駅舎で、駅の外側にあるテナント以外は全て高架駅完成まで閉鎖されていたよ。 なので、駅の外側に建てられた仮店舗のkiosk(コンビニ・セブンイレブン)以外に駅に店屋が無い状態だったよ。
絶賛改築工事中で
駅前にムリヤリ移設した
コンビニ以外に店屋のない
山陰地方最大の駅・米子駅
だが、店があったとしても着いた朝の5時前で店屋が開いている訳もなく、仮駅舎で通路だけしかない米子駅で40分ほど待って、まだ未乗のままであった境線の往復で夜明けまでの時間を潰す。
作者の故郷が境港市という事で、境線は『ゲゲゲの鬼太郎』で染まりきっているが、『ドラえもん』や『アンパンマン』などこの手の児童向けアニメはワテの守備範囲外なので、車内では思いっきり寝ていたよ。 まぁ、夜明け前で、車窓も真っ暗だったしィ。
『ゲゲゲの鬼太郎』は無視する方向で
エキゾチックな夜明け前の
港町の駅を狙ってみたが・・
スマホでだけど
境線で夜明けまでの時間を潰し、夜が明けてこの出雲市めぐりの主目的の地に向かう。 それは次の安来からタクシーで白鳥の飛来地に向かい、白鳥のテイクオフを撮る事であったか、この出雲路も留萌線には大いに及ばぬものの、前回の大雪での運休など“ツイてない“オーラが漂い始めていた地なのである。
立派な駅舎だけど
駅前に飯屋はほとんどなかったよ
それは、前日の雨予報によってある程度覚悟していて、「もしかしたら雪に変わるかも」とも思っていた空模様が、土砂降りに近い本降りの雨だったのである。 この雨で鉄道を止めた雪は全て溶け消えて、雪はほとんど残ってなかったよ。 それに朝の空腹を満たすべく期待した安来の駅前も店屋がなく、駅より300mも先の『牛丼・すき屋』まで雨の中で傘もなく歩かされたよ。
ちなみに、なぜ傘を持たなかったかというと、夜行バスに傘の置き場がないし、「傘は駅のコンビニで買えばいい」と安易に考えていたからである。 そして、この日の必須アイテムの傘は、『牛丼・すき屋』の更に100m先のコンビニまで手に入らなかったよ。
・・で、朝飯と傘を手に入れて安来駅に戻り、タクシーで白鳥の飛来地に向かう。 ハクチョウは池が白い斑点まみれになるほどに居着いており、そろそろ夜が明けて朝飯を食らう為に田んぼの落穂を目指して次々とテイクオフしていくのである。
傘を差しながら300mmで撮ったので
一番マシなのでもブレまくりの
リベンジ必須の全滅だったよ
だが、結果を言うと取り損ねて、フイルム1本がほぼ全滅だったよ。 なぜなら、この雨で空が暗く、露光不足でシャッタースピードが上がらず『ブレまくり』の『流れまくり』だったのである。
これで、白鳥が故郷のアラスカに向けて飛び立ち始める3月の中旬までに、再リベンジをする事が必須となってしまったよ。
ブレない為にはある程度
カメラの重さが必要だって解ったよ
:
210mmで重量1.3kgのF-1で
撮ったクッチャロ湖の方が
いい結果が残せたし・・ね
今度の『再リベンジ』は、焦点距離は210mmと短いがF4と明るいレンズのF-1で、真剣の『ホンキ撮り』せねばならないなぁ。 この時は、300mmが使えるα303で撮っていて、これが軽すぎて却って手ブレしまくりとなっちまったしィ。
まぁ、フイルムだから現像しないと結果は判らないが、この『待ち』も楽しみの一つだし、今回のようにシクじった時のリベンジ心も熱く燃えるのである。 これのないデジタルは、ワテの生涯において「使うに値せぬ」タダの家電である。 ワテは写真撮りとして、パソコンでどのようにも偽造できる偽物を受け入れる事はあり得ないのだ。
さて、白鳥の飛来地でフイルム1本を(失敗したけど)撮りきって、『イエローバス』(安来市が運行する広域生活バス)のバス停のある所まで雨の中を約1.5km歩いて、如何にも『コミュニティバスの停留所』がありそうなコンビニのある交差点に出る。
広瀬の街を行く安来市の
コミュニティバス『イエローバス』
※ 安来市のウェブサイト
『安来市広域生活バス(イエローバス)の路線案内』より
ちなみに、この『イエローバス』は安来市の全域に渡って運行しているが、白鳥の飛来地は閑散区域に属するので路線の範囲外だったのである。 なので、米子行きの経路であるこのコンビニのある交差点まで歩かねばならないのだ。
だが、コンビニ前のバス停は『イエローバス』の支線に当たる吉田線のバス停で、広瀬方面とは無関係だったのである。 なので、このコンビニの交差点から、米子~広瀬の『イエローバス』のメイン路線が通る道を広瀬方面へバス停を探して歩いていく。
すると、コンビニのある交差点から2つ目のバス停で、運よく米子からの広瀬行きのバスがやってきて、バスの運ちゃんに「月山富田城の入口に行くか」どうかを訪ねる。 答えは「月山富田城の入口には寄らないが、市民病院から歩いて10分ほどで城の入口に行ける」との事なので、このバスに乗って市民病院前へ・・。
今回の歩行詳細図
:
今回の記事のカテゴリは
『路線の思い出』で駅が題材だけど
記事内容はほとんど城訪問記だなぁ
立地的にだが、広瀬町の市街地の入口に当たるこの市民病院の周辺に、一畑電気鉄道広瀬線の終着駅である『出雲広瀬駅』があったと思われる。 『イエローバス』は、市民病院の玄関に設けられた屋根付きロータリーにあるバス停で止まり、降り際にバスの運ちゃんが「右に見える坂を上って川を渡るとすぐにある『道の駅』が城への入口で、坂を上がれば『道の駅』が見えますよ」と行き方をアドバイスしてくれた。
道の駅の片隅にある
城の歴史や概要を展示した
資料館で月山富田城の
概要を把握してから登城開始
道の駅にある出雲そば屋の
脇に城の登り口がある
※ ウィキペディア画像を加工
バスの運ちゃんに教えてもらった通りに進むと『道の駅・広瀬富田城』があり、『道の駅』としては店屋はかなり貧弱(雨空だと余計に貧弱)だったが、敷地の端に歴史資料館があって城跡の概要が模型で示されてあって、コレを覚えてから敷地の奥の脇にある細い通路から城跡に登っていく。
城への道を登っていく毎に
広瀬の街並みが視界に入ってくる
雨の中傘をさして、『天空の城』と称される月山富田城の本丸まで約30分で登っていく。
標高差にして約120m位だろうか・・、城への道はつづら折りの階段で整備されてはいるものの、折からの雨と標高差にして120mとは思えない高度差感で結構キツいかも。
登り始めて程なくの所に
尼子復興軍を指揮した
山中鹿之助の銅像がある
城の下にある
千畳平(せんじょうひら)の鳥居
:
ここで戦の前に兵を集め
戦勝を祈願したという
城の建つ山の前に構える
侍所の『花の壇』
城前の曲輪で石垣が建ち
重要な防御地点となった
山中御殿平(さんちゅうごてんひら)
:
石垣の上に館が建てられ
平時は城主の居館となったという
『史跡・富田城跡』の
絵図付きの案内板
:
山中御殿平からいよいよ
城へ急登で登っていく
山中御殿平から
月山富田城・本丸の建つ
月山への登城路を見上げる
なお、途中には、尼子再興軍を指揮した山中鹿之助の銅像や、侍所となった屋敷跡を復元した『花の壇』などの見所がある。
つづら折りの階段で登っていくが
城の往時はただの崖で
攻め手は上から狙い討ちされて
転げ落ちていったのだろう
登り着いた崖の端に建つ
三ノ丸の石垣
登り着いた山の端の三ノ丸跡の石垣の上に上がると、広瀬の街が一望できた。 天気が良ければ、さぞ領主の気分を味わえるだろうね。 続いて二ノ丸を伝って何もない本丸跡へ・・。
本丸のあった区画は奥に勝日高守神社が
あるだけで眺めも今イチで立て看板も
風化して文字が読めなかった
三ノ丸の石垣上に鳥居があり
工夫しようと思ったけど
雨だし何も思い浮かばなかったよ
だが、本丸跡は周りの木が茂って展望的には今イチで、本丸の先は城の守り神となる勝日高守神社が建って行き止まりとなっていた。 本丸からは、二ノ丸と三ノ丸に建つ鳥居や大きく茂った大モミジの樹をアテにした絵が撮れそうだ。
一番のお勧めは二ノ丸だろうか
休憩所があって雨宿りできるし
本丸を囲むように建つ
大モミジの樹もアクセントになるし
奥の薄っすらとした帯は雨雲か?
それとも安来の海の幸を育む中海か?
『天空の城』からの眺めで最も良いと思われるのは、武家屋敷を模造した休憩所のある二ノ丸跡だろう。 ここから北の日本海側を望むと、雨雲の錯覚かもしれないが中海が見えたような気がする。
また、天然の濠となる飯梨川の対岸に、山と川の間に細長く横たわる広瀬の街並みも一望できる。
二ノ丸からは山と川に挟まれた
細長い広瀬の街が見下ろせる
出雲の国の国府として築城され、戦国の世でも一度も落ちた事のない『天空の城』は、その片鱗を想像させるだけで、石垣以外の遺構は全く残ってはいない。 けれど、空想力で満たされる歴史のロマンを感じさせる名城跡だ。
下り始めに望む広瀬の街
:
標高199mの山でこの眺めは
「どんなに広瀬の街の標高が低いんだよ」
って思ってしまうよ
だが、説明版によると、城の建っていた月山の標高が199mで、あのつづら折りの階段での標高差を考えると「広瀬の街の標高は20~30mしかないのか?」と思えたりする。 それほど、城が急な崖上に建っていたという事であろう。
城への道は整備されているとはいえ
かなりの急階段が続くので
雨だと滑りやすく
下りは特に注意が必要だ
本降りの雨という事もあり、傘を差しならなら滑りやすいので緩っくり目に下っていくが、目当ての尼子氏の英傑・尼子経久公の銅像が見当たらない。 てっきり城跡にあると思っていたので「見逃したか」とも思ったが、道の駅でスマホ(城の上では通信不能)で調べると、川の対岸にある公園にあるという。
城跡ではなく対岸の川岸にある
三日月公園にあった
尼子氏随一の英傑・尼子経久公の銅像
なので、尼子経久公の銅像に立ち寄ってから、ウェブサイトで「移設された駅舎が使われている」と記されてあった広瀬バスターミナルまで歩く。
川を渡って市民病院の建つ元駅跡周辺まで戻ると、一畑電鉄が廃止となってから広がった市街地を進んでいく。 途中にスーパーや弁当&洋食屋などがある町の中心部(でも閑散としている)を通って、元役場の跡と思われるボロボロのコンクリート建屋のJA島根で直角に折れる国道432号に入り、格子窓があるような古い町並みの街道を200mばかり伝っていくと、明らかに『出雲広瀬駅』の文字が削り取られた駅舎然とした建物の建つ広瀬バスターミナルに着く。
旧街道のような街並みが並ぶ
広瀬バスターミナル前の国道432号線
※ 安来市のウェブサイト
『安来市広域生活バス(イエローバス)の路線案内』より
このバスターミナルは奥にバス車庫があって、道路に沿った前面は元ガソリンスタンドのような敷地であった。 そして、バスターミナルの前面道路となる国道432号も、昔の街道筋同然の1車線半道路で、寂れきった町を印象づける眺めだったよ。 そして、ネットで「一畑電鉄廃止後に移設された」と囁かれる広瀬ターミナルの営業所の建物には、確かに『出雲広瀬駅』の文字が削り取られた跡がクッキリと残っていた。
何も調べなければ
ワテもこの駅舎が鉄道廃止後に
旧出雲広瀬駅舎を移設した
モノだと思うだろうね
そういった訳で、多くのウェブサイトで「この建物は一畑電鉄廃止後に旧駅から移設されたモノ」と記述されて既成事実化しているが、この建物は一畑電鉄廃止直後に自社バスのターミナルを駅の約1km南の町の中心集落部に設置し、バスターミナルではなく一畑電鉄バスの『出雲広瀬駅』とした事から、営業所の建物にも『出雲広瀬駅』の文字が掲げられたのである。
そして、一畑電鉄バスが広瀬町域からバス路線を撤退させて、ついでに2004年に広瀬町が安来市に合併吸収されて、バスの運行も安来市のコミュニティバスである『イエローバス』となって、駅舎(営業所)の文字が削られたという経緯との事である。
出発時刻前の数分のみ灯の点く小さな窓口
所狭しと貼り付けられたお知らせ紙
地域の穴場紹介と町民の寄贈した町の文庫
この駅には魅惑的なモノがいっぱいつまっていた
でも、経緯がどうであれ、この建物が『出雲広瀬駅跡』である事に変わりはないのである。
建物の中も、昔の駅の雰囲気を持つ窓口や、町民が寄贈した本が並ぶ『町の文庫』のある待合室など、田舎の駅員一人だけ駐在する終点駅の様相を魅せていた。
この『駅』のバスターミナルで40分ほどバスを待って、荒島駅前行きの一畑電鉄広瀬線の代替バスに乗って荒島駅に出る。 荒島駅へのバスはほぼ1時間毎に出ていて、料金は200円と格安だ。
一畑電鉄バスのままだと、恐らく400円以上になっていただろうね。
旧市街地にある小駅だった荒島駅
:
飯梨川に架橋する事ができず
米子への接続を断念し松江を目指すが
国鉄山陰本線がある為にそれも適わず
苦肉の策で松江寄りの小駅で接続する事となり
それが利用客が伸び悩む原因となった
バスは約30分で荒島駅に着く。 荒島駅は町外れにあり、古い店屋の跡が並ぶ旧市街のような所で、魅惑的な木造の駅舎が残るが、駅舎めぐりの趣味でも持ってない限り立ち寄る目的が何もない駅だったよ。
前回(7回目)の続き
:
方法は簡単である
検査員が手心を加えない為に
無記名サンプルで皇室一族のDNA検査を行い
皇室の一匹でもチョンと判明したなら
『日本の仇敵・チョン』としてチョンに追放するのだ
これに伴い日本に巣喰う在日チョンも
『日本の仇敵・チョン』として
日本人成りすましを含めて判明次第
全てチョンへ追放するのである
その上で国交断絶である
これでチョン・シナにタカられる
数兆円がカットできるだろう
それにチョンの背乗り皇族を追放し
宮内庁を閉鎖すると年間2~3千億円が浮く
コレに加えて一族の海外への
資産隠匿も全て差し押さえよう
噂によると数十兆の隠し資産があり
これが本当なら今までのカット策を含めて
年間で4~5兆の税が浮くのだ
年間で4~5兆で全てだと四半世紀を通じて
合算百兆円に達する税が浮き
四半世紀は消費税を5%に据え置く事と
法人税・所得税の軽減ができるのだ
消費税を5%に下げるだけで
世帯の月平均消費額を15万とすると
年間で9万の可処分所得増となる
そして企業に対する法人所得税の税率を
1%下げると企業は途端に可処分所得が
今までより数%跳ね上がって企業が潤い
活動も活発となって給料も上がるのだ
だから自ら働く事を拒否する怠け者は
一連の文に書いているが如く
チョン同様に追い込んで自滅させる事が
この国が栄える必須要素となるのだ
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