風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『路線の思い出』  第518回  大湊線・大湊駅

『路線の思い出』  第518回  大湊線・大湊駅 〔青森県〕

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リニューアルされて
陣屋のような姿となった大湊駅
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
  営業区間と営業キロ       輸送密度(’18)/ 営業係数(’15)       運行本数  
野辺地~大湊 58.4km             598  /  246      9往復〔内 下り2本・上り3本快速〕
   ※ 2020年以降は武漢コロナの影響で輸送密度は半減状態となり、その影響で営業係数も
     3倍以上悪化しているので資料としては使えないと判断して、敢えて2015~18年の実績
     を掲載している。

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隣駅の下北より少し南に位置し
『本州最北端の終着駅』を名乗れず
苦肉の策で『てっぺんの終着駅』
と評した看板が掲げられた大湊駅
※『ユキサキナビ』より

大湊駅(おおみなとえき)は、青森県むつ市大湊新町(しんちょう)にあるJR東日本・大湊線の駅で、大湊線の終着駅である。 緯度で、一つ手前の下北駅より僅かに南に位置する為に本州最北端の駅を名乗る事ができず、『てっぺんの終着駅』という看板が駅玄関に取り付けられている。

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対抗ホームの外側の線路は
剥がされて更地となっている
※ ウィキペディア画像を拝借

頭端式ホーム2面2線を有する終端駅構造の駅で、かつては引き込み線がある2面3線のホームを持っていた。 また、大湊線・大畑線の気動車が配置されていた大湊運転区(その後は大湊線営業所となり、2014年3月15日のダイヤ改正時に廃止)があったが、留置線1本を残して全て撤去されて更地となっている。 但し、当駅での夜間滞泊は設定されている。 2021年度の1日平均乗車人員は74人との事である。

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リニューアル前の大湊駅
この駅舎の時に
降りておくべきだったよ
※ ウィキペディア画像を拝借

現在は青森駅に所在する青森営業統括センターが管理し、JR東日本東北総合サービスが受託する業務委託駅であるが、かつては直営駅で管理駅として起点の野辺地を除く大湊線の各駅を管理していた。
当駅と下北駅で大湊ブロックを構成し、ブロック長が配置されている。 駅舎にはみどりの窓口、タッチパネル式自動券売機1台が設置されている。 以前は売店(KIOSK)も出店していた。

かつてはこの地に大湊海軍航空隊が所在し、当駅の乗降客も多く周辺商店も活気づいていたが、大湊町と田名部町が大湊田名部市(後のむつ市)として合併する際に市役所が田名部地区に設置された事などもあって、以前に比べると利用頻度が低く閑散としている。



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かつて大畑線の発着ホームだった
島式ホーム外側は線路が剥がされて
雪の積もる空地となっていた
※『JR東日本・大湊線』のウェブサイトより

大湊駅を鉄道で訪れたのは大畑線が在りし国鉄時代の事で、大畑線の分岐は次の下北駅であったが、国鉄時代の大畑線の運行列車は全て大湊始発着であった。 なので、大畑線が目的だとしても大湊まで乗らねば、冬ならば『寒い中で待ちぼうけ』となったのである。

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かつては2路線のターミナル駅として
運転区も置かれていた為
駅構内が広かった大湊駅
今は線路を剝がされた
構内跡地に雪が積もるのみ
※『JR東日本・大湊線』のウェブサイトより

かつて大湊駅が櫛型構造の2面3線と受け入れに余裕があったのも、今は無き大畑線の折り返し列車を受け入れる為だったのである。 また、列車番号は別だが、運用の都合で野辺地から大湊で折り返して大畑線に入る列車もあったのである。

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当時輸送密度1500人を超えて
私鉄に譲渡されるなど
「よもや廃止とはなるまい」と
たかを括っていた大畑線
※ ウィキペディア画像を拝借

けれど、廃止対象に上がった当時(1980年末)の大畑線は、輸送密度で今の北海道シンカンセンより多い1570人/日で見込み人員を加えると1804人/日となるなど、もうちょっとで廃止対象除外となる数値の2000人/日を上回りそうな路線であった。 そういった訳で、当時小僧だったワテの大畑線の廃止対象路線としての評価は、『Dランク』の《乗るだけで『撮り鉄』対象外路線》だったのである。

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道路の整備や地域の過疎進行で
今の鉄道は『国鉄再建法』で廃止された
路線より輸送密度が少なく幹線でも
路線廃止の方向へ向かっている
※ 2019年4月に路線廃止となった
石勝線・夕張支線

なお、この数値は『鉄道ジャー◇ル(一部伏字)1981年9月号』記載の『国鉄再建法』による調査データの記載である。 小僧当時は鉄道雑誌はもっぱら立ち読みでほとんど買わなかったけど、特集が『廃止ローカル線』の時は迷わず買っていたよなぁ。

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1983年10月の白糠線を皮切りに
ほぼ全ての対象路線が廃止される
帰結となった『国鉄再建法』
※ 在りし日の白糠線列車 上茶路にて

ついでに、ローカル線の廃止淘汰を法令化した『国鉄再建法』(正式な法令名は長ったらしいので割愛)であるが、同法を速やかに施行する為には反論者が多くならないようにする事が必須だった事から、都市計画施行などで敢えて将来に増えるであろう見込みも算出加算した上で、「見込みを加算してもこんなに悪いのよ!」と理論武装していたのである。 けれど、かなり甘い見込みですなぁ。

けれど、この『見込み加算』の為に九州の漆生線が廃止一次対象から二次に繰り上がったり、松前線で『輸送密度1000人以上かつ、乗客の平均乗車距離が30km以上』を狙ってサクラ乗車が展開されるなど、却って廃止反対運動がヒートアップしたようである。 だが、廃止に向けての趨勢は変える事はできず、廃止対象に上がったほぼ全ての路線が廃止バス転換か第三セクター転換されたのである。

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経営移管で『国鉄再建法』による
廃止は逃れたものの
線路が分断されて大湊の街と共に衰退し
路線廃止となった下北交通・大畑線
※ ウィキペディア画像を拝借

だが、大畑線が下北交通に移管された時に、分岐駅の下北での渡り線が撤去されて大畑線が分断された為に、以降は大畑線の列車が大湊駅に入る事はなく、大湊駅の島式ホーム外側の線路は剥がされて相対式2面2線となっている。 まぁ、線路を分断するようでは、見込み加算など吹っ飛びますねぇ。

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大湊駅にあったかつての大畑線発着ホームは
線路が剥がされて荒れ地となり
柵が施され駅の案内板が建つなど
『なかった事』にされていた
※『JR東日本・大湊線』のウェブサイトより

話は大幅に反れたが、国鉄当時はまだまだ鉄道利用客もそれなりにいて、周遊券など旅人の為の切符が充実しているなど鉄道が旅に使える状況で、「大畑線などは廃止になる事はないだろう」とたかを括っていたのである。 なので、最初に立ち寄った時の大湊駅は、島式ホームを跨いで3番線の大畑線列車に乗り換えただけである。 当時の大湊駅の入場券を持ってないっていう事は、恐らく大湊駅の改札すら出ていなかったのだろう。

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二度目の下北訪問の時は
岬めぐりを優先して大湊にも立ち寄らず
大畑線の『撮り鉄』もしなかった
この時に撮った大間崎の写真は
今イチ過ぎたので
30年後に再度訪れた時の写真で

その後の1987年にも再び大湊線を訪れたが、その時は国鉄分割民営化の数日前で、大畑線も下北交通に移管されて大湊までの直通がなくなっていたのである。 それで、大湊に立ち寄る事なく下北で乗り換えて大畑に行ったけど、廃止ローカル線の淘汰によって『鉄』に見切りをつけ始めていた時期で、廃止線『Dランク』でしかも転換線として残っていた大畑線の『撮り鉄』はせずに、大間崎への『本州の最北端めぐり』を優先したなぁ。

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こんな情景があるって事が判ってたなら
迷わす『撮り鉄』していただろうね
※ 下北交通のウェブサイトより

けれど、転換されて廃止対象から逃れた大畑線が廃止になるとは、この時も露ほども思ってなかったなぁ。 だから大畑線も、無くなってから悔やむ路線の一つとなったよ。 まぁ、今や幹線格だった留萌本線の廃止が確定し、大幹線で北海道の鉄道史そのものの路線である函館本線の山線区間が、シンカンセンの延伸と引き換えに廃止となる事が確定しているしィ。

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この時『撮り鉄』したのは
大湊線の吹越で陸奥湾バックに・・だけ
ついでに宿泊地は吹越駅ですた

そして、廃止路線が『国鉄再建法』の思惑通りにほぼ全て廃止淘汰され、鉄道への情熱を失ってから30年という時が流れ、歳食ってヘタれて冬にヤマに行けなくなった為に、それに似せて冬に雪や凍結で進入禁止となるなど、たどり着くのが困難な景勝地をめぐる旅を企画するようになったのである。
敢えて『オチャメ』との隣り合わせの旅を求めるなど、タワケの変な旅におけるDNAの為せる業ですなぁ。

冬の仏ヶ浦にて
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冬季閉鎖された展望所から見下ろした
仏ヶ浦の岩崖群

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モアイ岩が乱立する
奇怪な情景を魅せる仏ヶ浦

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冬は立ち寄るものなど
誰もいない

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この絶景を享受しているのは
ワテただ一人

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夏の穏やかな海を望むモアイ岩も

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冬は怒涛の洗礼を受けていた

それで、まさかり型の下北半島の刃の部分にある景勝地で、冬季は海岸線が閉鎖となり海上から遊覧船で海上から眺めるのみとなる仏ヶ浦の『モアイ岩』を魅に行く旅を企画したのである。 その時に、下北交通移管後の1987年に乗って以来、廃止になっても振り向く事がなかった大畑線の大畑駅跡のバスターミナルにも立ち寄ったなぁ・・。 もちろん、レンタカーで・・だけど。

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駅の背後にある周囲とは
浮いた3連棟の建物が
JR東日本直営のホテル・フォルクローロ
こんな寂れた所にホテル建てて
持つのかなって思ったけど
でも最安値で1泊6000円とリーズナブルみたい
※『フォルクローロ・大湊』より

その時についでに立ち寄ったのが大湊駅であるが、前述した如く大湊駅の駅舎を目にしたのはこの時が初めてだったのである。 その駅の周囲は、道を挟んだ対面にリカーショップが1軒あるだけで、店屋は全てシャッターの閉まった『店舗跡』となっていた。 その光景は、「ホントにこんな町ハズレにホテル建てて、宿泊客確保できるの? JR東日本さん」と問いたいほどに寂れていたよ。

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下車してから30年後に始めてみた
大湊駅は陣屋(大名の旅籠)
のような豪華な造りだったよ
※『JR東日本・大湊線』のウェブサイトより

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在りし日の国鉄渚滑線
終着・滝ノ上の町も
大湊より活気があったような
武漢コロナ蔓延の影響を受けて
利用客が落ち込んだ2021年の大湊線は
一次廃止対象線として1984年に廃止となった
北海道の渚滑線より輸送密度が低かったりする

そして、『武漢コロナ』蔓延の影響が多分にあるとして掲載はしていないが、JR東日本発表の2021年度の輸送密度は、一次廃止対象路線に指定されて1984年3月末で廃止となった北海道の渚滑線よりも悪かったりして・・。

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高台より望む大湊港
魚介類の水揚げはほとんどなく
街の産業はホテルや物販などサービス業の
比重が大きいという変な港町の大湊
※ ウィキペディア画像を拝借

けれど、大湊って港町なんだよね。 でも、寂れ切ってしまって港は自衛隊の海上基地と化していて、魚介類の水揚げはほとんどないらしい。 そりゃぁ、寂れるわなぁ。 面白い事に、大湊地区は港町であるにも関わらず、第1次産業である水産業よりホテルなど『サービス業』に該当する第3次産業の方が多いんだって。

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むつ市の街の中心駅は
大湊でも下北でもなく
廃止となった大畑線の田名部なのである
なお現在は駅舎が撤去されている
※ ウィキペディア画像を拝借

それにむつ市の街の中心は大湊ではなく、隣の下北でもなく、廃止となった大畑線の途中駅の田名部地区なのである。 レンタカーをここまで飛ばすとガソリンスタンドが立ち並び、行きかう車が渋滞し、コンビニは元よりマクドナルドやミスタードーナツなどの『都会の店舗』が見受けられるなど、しっかりした市街地だったよ。 パチンコ屋もしっかりあったしィ。

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大型駐車場のある
大店舗スーパーもある

もちろん、大型スーパーのユニバース(東北・青森地区のスーパー)があり、かつて旅人の『三種の神器』だったクアハウス・ほか弁・コインランドリーも揃っていて、凄い事にコインランドリーにはエロマンガの単行本がズラリと置いてあったのだ。 ココの所が都市圏と違う所だと思うが、コインランドリーで洗濯の間しっかりと見入ってしまったよ。

・・『駅や鉄道路線の思い出』を題材に始めたこのシリーズも、鉄道や駅に関する話題がほとんど無いようになっているね。 ナンチャッてな『鉄』であるこのタワケに鉄道や駅を題材にした記事を書かせると、このようになるわなぁ。


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案内が必ず付いて回るなど
こんな半分乗っ取られたとしか思えない
状況に貶めた巨悪を断罪せねば
日本の今の状況からの好転は望めないだろう

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その巨悪とはもちろんチョンの背乗りである
天皇と皇室の一族である
チョンそのままのあの面を見て
日本人として下賜づく神経が理解できないよ

そもそも日本が謝って金を出す
『謝罪ATM国家』となり下がったのは
ヒロヒトがチョンが抱く『恨』により
日本を侵略国家という悪者にして謝り倒して
金を出して償う状況に貶めたからである

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そしてそれに乗じたチョンに
「日王ヒロヒトは責任を取るニダ」と
居座られて在日特権の付与など
タカられ放題となったからである

だから終戦時にキチンと戦争犯罪者として
天皇ヒロヒトを絞首刑に処していれば
チョン共の強請りタカりに対して
「おまエラの言う日王ヒロヒトはキチンと処罰した」
と終戦時に一掃できたのである

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終戦時に一掃できてさえいれば
今日の在日チョンも存在せず
反日議員やマスニダなども
存在しなかったのである
次回に続く





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