2023-02-23 (Thu)✎
『路線の思い出』 第517回 宗谷本線、美幸線・美深駅 〔北海道〕
美幸線廃止後に建て直されて
かつてのイメージとは
かけ離れた姿となって愕然としたよ
なので未だに写真は撮らず
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
宗谷本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
旭川~稚内 259.4km 746 / 489
運行本数〔美深駅発着列車〕(’20)
札幌・旭川~稚内 特急【宗谷】・【サロベツ】3往復
名寄~音威子府・稚内 普通 下り4本・上り5本(上下各1本は旭川発着の直通列車)
美幸線
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
美深~仁宇布 21.2km 32 / 4780
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’85/ 9/17 名士バス 4往復
美深駅の旧駅舎
やっぱり鉄道駅はこういうのだよね
※ タングステン写真の
白黒サルベージ化でっす
美深駅(びふかえき)は、北海道中川郡美深町開運町にあるJR北海道・宗谷本線の駅である。
特急【宗谷】・【サロベツ】含む全列車が停車し、かつては『日本一の赤字線&閑散線』と名が知られた美幸線が分岐していた。
他にも同じ図柄で本業の
『美深町交通ターミナル』という
バスターミナル表記のスタンプもある
美幸線が廃止となった2年後の1987年に現駅舎の『美深町交通ターミナル』が完成し、現在は美深町の観光協会が入った合築駅舎となっている。 かつては駅長の置かれた直営駅であったが、現在は美深町に窓口業務委託した簡易委託駅となっている。 また、美深町への窓口業務委託と同時に、『みどりの窓口』が廃止されている。
現在は3番線の線路全て撤去されて
相対式2面2線の駅となっている
現在は相対式ホーム2面2線を持つ駅で、駅舎側が下り音威子府方面・対抗ホームが上り旭川方面となっていて、ホーム間の移動は跨線橋で渡している。 かつては対向ホームが島式の2面3線で、島式ホーム外側の3番線が美幸線の発着ホームだったが、駅舎改築の際に3番線の外にあった側線共々撤去されている。 名寄駅管理の美深町による簡易委託駅であり、窓口では道内の主要駅までの乗車券・特急券指定席券・定期券等を扱っている。
駅の2階にある『美幸線展示室』
に掲示された
さよなら運転列車のステッカー
駅舎は『美深町交通ターミナル』と称し、美深町第3セクター運営の売店と美深町観光協会の運営する観光案内所などが入居している。 また、2階には、かつて分岐していた『美幸線資料室』が併設されている。
どう見てもあの鐘は
美幸線のイメージではないので
在りし日の仁宇布駅ホームの現物で
屋上には廃止された美幸線を偲んで作られた『美幸の鐘』があり、稚内行の特急【宗谷】到着時及び15時に鳴らされる。 なお、『美幸の鐘』は、夜間は緑色にライトアップされる。 2021年の1日平均の乗車人員は42.2人との事で、1980年代の489人の1/10以下となっている。
右に大きく人が入ってしまったので
カッティング&縮小と
縦横の比率合わせで小さな写真に
美深駅に鉄道で降り立ったのは、廃止前に美幸線を追っかけていた1984年3月が最後で、それ以外はレンタカーで立ち寄ったのみである。 そして、その時の平屋建ての旧駅舎しか見覚えが無かったので、上部に塔が建ち鐘がなる今の駅には、かなり違和感を感じた覚えがある。
現在の美深駅の1日の利用者数は
美幸線在りし頃の1/10以下に落ち込み
美幸線の輸送密度に近づく程となっている
だが、利用客数や列車の到着本数は、駅舎の近代化とは相反して双方とも激減しているのである。
こと利用者数はかつての1/10にまで落ち込んでいるのだ。
仁宇布で発車を待つ3番列車
そして、美幸線在りし頃は美幸線の運行本数が4往復と少なかったものの、全ての列車が急行【礼文】・【天北】・【宗谷】を始めとした宗谷本線の上下双方の列車と接続しており、実を言うと美幸線の発車時間にさえ合わせれば、帰りもすぐに乗り換える事ができて、敢えて美深駅で降りずとも往来ができたのである。
美深駅で急行【天北】と交換する急行【礼文】
※『レイルラボ』より
クッチャロ湖畔をゆく
急行【天北】
天塩川に沿って快走する
急行【宗谷】
だが、美幸線を追っかけていた小僧のワテは、必ず美幸線をめぐった後は美深駅で降りていたのである。 それは、駅舎から真っすぐ50m進んで、横断歩道(雪に埋まって判別できないが)で国道40号線を渡った側に銭湯があり、その数件音威子府寄りにコインランドリーがあったのである。 また、少し離れているが、『ほか弁』もあった記憶がある。
今では珍しくもないコインランドリーは、この頃は『ほか弁』と『銭湯』と共に探してもなかなか見つからない旅の『三種の神器』で、中でも駅前徒歩圏内に全部そろってある稀少な駅なのである。
また、今は氾濫しつくしているコンビニはまだまだ少なく、この頃のコンビニは旅での利用想定外の存在で、探す事すらしなかったよ。
もう銭湯を探さずとも
『道の駅・びふか』に
『びふか温泉』があったりして
※『道の駅・びふか』のウェプページより
要するに、駅前徒歩圏内で『三種の神器』の全てが揃う駅として、廃止ローカル線追っかけ小僧の頭にインプットされていた訳である。 ぢ・つ・わ・・、ヤマ期はこの銭湯に駐車場がないので使えず、山の後の風呂はそろそろ出回り始めていた温泉クアハウスを利用していたよ。 だから、美深駅からは遠のいて、美深は国道40号を通り過ぎるダケとなっていたよ。 それにヤマ期は、『鉄』=『忌まわしいオタな黒歴史』の認識で、美深駅もそれとなしに避けていたよ。
無雪期は体験トロッコの駅となる
旧仁宇布駅跡も冬は雪に埋もれていた
トロッコ鉄道の折り返し地点にある
落差50mの高広ノ滝
そして、四半世紀が過ぎて、細々と『鉄』を再開したアラフォーには毎年の如く冬にレンタカーで北海道をめぐっていて、その都度で各地の廃止線跡を訪れるようになったよ。 もちろん、『日本一の赤字線』の美幸線の終着・仁宇布駅跡や、その先の未成線や途中にある高広ノ滝の氷瀑など、何回も訪れるようになったよ。
美幸線の未成線路盤跡を
収用して拡幅した
道道120号・美深中頓別線
美幸線未成線の第2大曲トンネルを
車道に改修した『天の川トンネル』
:
枝幸側は『ひこぼしボータル』
美深側は『おりひめポータル』と呼ばれている
だが、美幸線関連の名所は、美深駅の1kmほど手前で分岐する道道を右折する為に美深駅に立ち寄る必要がなく、また駐車する所がなくて『車では使えない』と認識していたので、敢えて駅に行く事も無かったよ。
アラフォーとなってからの
冬の北海道旅では
根室とクッチャロ湖の
野鳥撮影がメインとなった
冬の空を舞うコハクチョウ
そして、何度か冬に北海道を訪れると、今度はクッチャロ湖のコハクチョウが撮影のターゲットとして挙がってきたのである。 だが、風呂はクッチャロ湖畔に『浜頓別温泉』のクアハウスがあり、国道40号線にそっていると数件のコインランドリーが建っていて、全て車での来客を想定しているので駐車場もあり、コインランドリーを美深に決め打ちする理由もないのである。
『Hot chef』のあるセイコーマートは
全国のコンビニの中で
№1の支持があるんだって
※『北海道Likers』より
それに、北海道には作り立ての美味さのある『Hot chef』あるコンビニのセイコーマートがあって、これも『ほか弁』を必死で探す理由が解消されていたよ。 要するに、あの時に貴重だった『三種の神器』は、それほど重宝する事がなくなっていたのである。
空を踊るようにはばたく
白鳥の群れ
空中で中睦ましい白鳥のつがい
斜光となるとハクチョウの白が
より美しく光り輝く
だから、冬の年末年始に数年連続でクッチャロ湖畔に訪れていたので、『美深駅前は通るものの立ち寄らず』の状態が続いたが、ふと『美幸線資料室』が設置されたという情報を耳にして、建て替えられた駅舎と美幸線関連の展示品見たさに美深駅に立ち寄ったのである。 ちなみに、どんな駅舎に建て替えられたかは興味がなく、調べなかったので、駅舎があんな風になってる事は知らなかったのである。
あの駅舎はイメージが合わず
撮る気がしなかったので
ホームの最も端にあって
駅舎の入らないアングルで駅名標を撮る
・・で、今は駅にはほとんど人が立ち寄らず、駐車場に駐めずともそこらかしこに車が雪の中で路駐していて、車でも気軽に駅探訪できるが、建て替えられた駅を見てものすごい違和感を感じて、「雪降っているしィ、『美幸線資料室』をやめようかなぁ」と思った位である。
『美幸線資料室』は
切符の展示ばかりで
あまり見応えは無かったしィ
時刻表の黒板も展示されてたけど
コッチの方が見やすいので
それに展示されてなかったけど
裏面に時刻表が書かれたこの
乗車証明書の方がプレミア性高いしィ
それにスタンプは
美深駅・仁宇布駅・美深交通ターミナルで
図案が同じの『手抜き』だったしィ
でも、気を取り直して、『美幸線資料室』を見に行ったよ。 でも、切符類は大量に展示されていたものの、往時の写真はほとんどなく、興浜南線の終着駅・雄武の『道の駅・おうむ』の方が規模は小さいが、写真が多くて見応えがあったよ。
『美幸線資料室』は今イチだったので
美幸線の現物写真で
美幸線をゆく美幸線列車
仁宇布駅は廃止時まで駅員配置で
少しでも増収の為に
レンタサイクルも営んでいたよ
『終』と書かれた車止めと
線路さえ敷けば開業できるまでに
工事が完了した路盤
綺麗に除雪されていた
暫定終着駅・仁宇布に
停車中の美幸線列車
美幸線は『初めての夏の北海道』でタングステンフイルムを使う大失敗で、馬鈴薯の白い花と美幸線の写真が青く沈んで、白黒写真に変えるサルベージでも陰った白が黒く映って、黒い斑点状となってサルベージ不能だったよ。 それで、リベンジで撮った仁宇布駅での4枚のみの『持ち弾』しかないんだよね~。
やりくりが大変だぁ。
働いたら負けなテイスト・・
1食200円・・大勝利ジャン!
1日で吉牛の頭の大盛りが食えるジャン!
ペットボトルのお茶買っても
チロルチョコ4つも食えるジャン!
働いて負けた我々は税を払わされ
鰻でもサーロインステーキでも
好きな時に食って血糖値上げまくりだわな
でも胃が弱くなってステーキはキツイよ
でもその大勝利を家族全員にも実行させている
なら奥さんには『三下り半』を突きつけて
子供を連れて実家に戻る事を推奨しますね
この大勝利は育ち盛りの世代には過酷過ぎますしィ
逆にオッサン自身だけの枷なら無意味過ぎますよ
それに今どき子供には万の金出して
学校生活においてコミュニケーションツール
である携帯を持たせないとハミゴ確定で
シカトやイジメの恰好のターゲットとなるわなぁ
このように矛盾極まりない孤高の大勝利なんだよね
そして誰もこの大勝利を称えないし
誰もこれだけは『勝ちたくない』と思う
別名人間のクズという名のウイナーだわ
自由気ままに旅に出るのは時間のムダで
毎日パソコンに向かって経営者や財を成した者を
皆から搾取して富を成す悪党共だと罵り
働く者を搾取され続けても文句1つ言わず従う
奴隷と見下して残業は悪そのもので
金が欲しいと残業を欲しがる奴は浅ましく
会社に良いように使われるだけのバカという
そして自由ままに旅に出るのは
金と時間のムダ使いで家族サービスの為に
車で出かけるような奴が多すぎるから
道が混んで(自身が)嫌な目に合うから
車なんか無くなっまえ!と世間にケンカを売る
経営者の奴隷から抜け出るなら
「賃金が安すぎてやってられるか!」
と仕事を投げ出して「オレがこうなったのは
全て勤め先の経営者や奴隷同然に働く者
だらけのこの国の社会せいだ」と責任転嫁する
日本の衰退を予測してそうなる事を望み
日本の社会が会社経営者を巻き添えにして
滅びる事が労働者の為に必要と言い
それを実現させる為に皆して労働から
会社から『逃散』して自身の要求通りに
賃金を上げない会社はそこで働く従業員共々
人手不足で潰していこうと説く
それがこのオッサンの言う『世の中のリセット』だそうだ
コレは『働いたら負け』を大勝利に導くべく
公的支援をちゅーちゅー吸う事が当然の権利で
働く奴は奴隷として自身に税という名の供物を捧げろ
というこのオッサンのタカり思想で日本が潰れる事を望む
日本人ではないチョンの醜態が垣間見える
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Re: 風来梨様 こんにちは * by 風来梨
railway99さん、こんばんは。
小僧だった私が夢中になった廃止ローカル線も、廃止となって35年も経ってしまいました。 記憶も曖昧となるわけです。 けれど、あの頃は急行列車が行き交い、夜行急行と周遊券で各地を自由に鉄道旅ができるなど、鉄道も鉄道の旅も充実してましたね。
あの頃に鉄道旅ができた事が、私にとって最大の幸運ですね。 この時に多くの『お宝写真』もゲットできましたし。 今の鉄道運行では、鉄道での旅は限りなく難しくなってますから。 ついでに身体もヘタって、かつてのブリバリが利かなくなってしまって・・(悲)
小僧だった私が夢中になった廃止ローカル線も、廃止となって35年も経ってしまいました。 記憶も曖昧となるわけです。 けれど、あの頃は急行列車が行き交い、夜行急行と周遊券で各地を自由に鉄道旅ができるなど、鉄道も鉄道の旅も充実してましたね。
あの頃に鉄道旅ができた事が、私にとって最大の幸運ですね。 この時に多くの『お宝写真』もゲットできましたし。 今の鉄道運行では、鉄道での旅は限りなく難しくなってますから。 ついでに身体もヘタって、かつてのブリバリが利かなくなってしまって・・(悲)
いつも当ブログにお越しくださり本当にありがとうございます。
美幸線、存在したことも存じ上げない無知な私です。
往時の作品群、興味深く拝見しました。
風来梨様の毎回の濃密な記事、昨日のことのような情景の描写、素晴らしいですね。 百戦錬磨の経験をお持ちでないと成しえない「技」だと敬服いたしております。
これだけの思い出、財産をお持ちのこと、羨ましいです。
今は時代も変わり各世の感がありますが、当時苦労された旅の数々、すべてが宝物ですね!ほんと羨ましいです!!(^^)
ナイスです!!