2023-02-20 (Mon)✎
『日本百景』 冬 第544回 オホーツク・流氷(根室標津沖) 〔北海道〕
敷き詰められた流氷源による光の悪戯
『四角い太陽』
オホーツク海の流氷
日本では、北海道の北東に位置するオホーツク海の流氷が有名である。 紋別市にある北海道立オホーツク流氷科学センターによると、オホーツク海北岸付近で寒風により海水が凍っては流される事を繰り返し、東樺太海流に乗って北海道へ南下してくる。 オホーツク海は北半球における流氷の南限との事である。
『流氷初日』を迎えた
オホーツク海の空撮写真
※『産経ニュース』より
北海道沿岸から流氷が確認できたそのシーズンの最初の日を『流氷初日』という。 この『流氷初日』は、平年では北海道のオホーツク海沿岸で1月中旬から下旬頃であり、その後の1月下旬から2月上旬頃にかけて接岸する。 接岸した初日を『流氷接岸初日』といい、海上自衛隊八戸航空基地に所属する哨戒機が空中から流氷を発見・観測し、報道されるのが1960年から恒例となっている。
海上に解け残った氷塊が
浮かぶようになれば『海明け』となる
※ 88年能取岬にて撮影
風向きによって流氷はさらに南下を続け、太平洋側に位置する釧路市に接岸する事もある。
春が近づき、沿岸から見渡せる海域に占める流氷の割合が5割以下となり、かつ船舶の航行が可能になると『海明け』が宣言される。 また、沿岸から最後に流氷が見られた日を『流氷終日』という。
流氷原を漂うキタキツネ
※ 映画『キタキツネ物語』の
リニューアル版より
オホーツク海のアザラシの中には天敵の少ない流氷の上で子育てをするものもいる。
オジロワシなどの鳥類、キタキツネなども流氷に乗ってシベリアから北海道東部までやってくる。
流氷を砕きながら進む
砕氷船『おーろら』号
※『じゃらん』より
流氷は、オホーツク海沿岸地域の観光資源ともなっている。 網走市の流氷観光砕氷船 『おーろら』や、紋別市の流氷砕氷船『ガリンコ号II』に乗っての流氷鑑賞でも知られている。
オホーツク海に最も近い駅
北浜で停車する〔流氷ノロッコ〕号
※ ウィキペディア画像を拝借
また、JR北海道の釧網本線では、流氷を眺める列車として網走~知床斜里に〔流氷ノロッコ〕というトロッコ列車を運行していた。 この列車は、かつては吹きさらしの展望車両を設置して、釧網本線のオホーツク沿岸の区間で列車からゆっくり流氷を眺めつつ酷寒体験も行えるというものであった。
〔流氷ノロッコ〕号を引き継いだ
〔流氷物語〕はキハ54の気動車運行で
もちろん乗った事がない
:
だけどホンモノの
『流氷列車』は乗った事がある
※ 1988年の名寄本線・沙留にて
2017年からは後継列車として〔流氷物語〕が運行されており、オホーツク海を望む展望台がある北浜駅と道の駅が併設された浜小清水で長時間停車して、海辺に降りての観光が楽しめる。
根室標津・野付半島の周辺位置図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
JR標茶駅よりバス(2:10)→旧国鉄根室標津駅前より海岸まで徒歩約15分
『四角い太陽』が
円に戻るまでの感動のひととき
もう、あの感動の流氷原と国後島、そして凍った海水面からの冷気による屈折現象から望める『四角い太陽』を望んでから35年の時が流れたよ。 この時の目的は、二次廃止対象路線に指定されたが、長大路線という事で承認が保留された標津線の「廃止ローカル線おっかけ」で、真っすぐに一つの事しか追えない高校なりたての小僧のクオリティゆえに、恥ずかしながらこの感動の情景を望むまで流氷は眼中になかったのである。
もちろん、オオワシやオジロワシといった野鳥類にも全く目をくれず、ひたすら標津線のアップダウンのみを追い求めていたのである。 だが、高校入りたての小僧という事で、まだアウトローの道・・、いわゆる『ロクデナシ道』には片足のくるぶし程度しかハマっておらず(この歳にしてもうその兆候があるのかよ、このタワケガキは・・)、当時宿泊費が最も安いユース・ホステルに宿泊しての旅だった。
標津町YH
※『ユースホステル・ガイドブック 1983年度版』より
:
20年ほど前に閉館し建物は撤去され
根室標津駅同様に空地となっているとの事
だが、ユース・ホステルに泊って、その予定が狂ったのである。 それはユース・ホステルの宿泊者は大学生以上でワテだけが高校の1年坊だった訳で、大モテとなってチヤホヤされまくったのである。
予定では立派な駅舎だった
根室標津から標津線の始発に乗り
上に掲載したような『撮り鉄』を
する予定だったのだが・・
※ ウィキペディア画像を拝借
現在の根室標津駅は
YH同様に駅舎は撤去されて
観光資源としてターンテーブル
のみが残されている
※『拝啓、旅人様』より
・・で、本来なら標津線の始発に乗って標津線の『撮り鉄』に向かう所を、1日をかけて標津町の見どころをめぐって連泊するユース・ホステルのツァーに参加させられてしまったのである。
このツァーも、ある事の為に標津線の始発に乗るのと同じ位の早朝に開始となるのである。
まぁ、開始といっても、朝食前に丘の上に建つユース・ホステル(この時宿泊した標津町ユース・ホステルは解体されてもう存在しない)から徒歩で丘を下る事7~8分で海岸線に出て、流氷と朝日を望むだけなのであるが、この日は天気が良くて感動の日の出情景を魅せてくれたのである。
丘に建つユースから海岸線に下ると
そこには奇跡の情景が広がっていた
海氷で冷やされた冷気と
大気の冷気がぶつかって現れる
光の悪戯『四角い太陽』
やがて『四角い太陽』の軌跡は終わり
円となって陽が昇っていく
完全に円に戻ると
いっとき暗くなる
そしていつもの日の出情景となる
それは、朝日が敷き詰められた流氷の氷から上がる冷気で屈折現象を起こし、流氷原から『四角い太陽』として昇ったのである。 いわゆる、一種の『毛嵐』現象による光の悪戯である。 これを見た時、標津線は先延ばしにする事を決めたよ。
今にも渡っていけそうな
流氷原に浮かぶ
『近くて遠い島』国後島
その他にも、朝の光でピンク色に染まった流氷原に浮かぶ「近くて遠い我が国の領土」の国後島が茫洋と浮かび、情感を更に引き立ててくれた。 それは、この標津に立ち寄る前に納沙布岬で魅せられた流氷と、『北方四島・領土館』で感じた「北方四島返還の思い」が頭を過って、なおさら感傷的な眺めであった。
納沙布岬で北方四島返還への
強い想いに触れた後だったので
なおさら感傷的になる
小僧の『廃止ローカル線・撮り鉄』でいっぱいいっぱいの旅の行程表では、流氷を魅るのは納沙布岬と、『撮り鉄』のアテとして撮影を目論んでいた名寄本線と興浜南線と北線の流氷で、根室標津は全く眼中になかったのである。
興浜南線沿岸の流氷は
海べりに流氷が僅かに残る
『海明け』状況であった
最も流氷が残っていたのが
日ノ出岬付近だった
でも、名寄本線の沙留は流氷が沖に流されて消えていたし、興浜南線・日の出岬は海岸べりに残っていたが、北線の北見神威岬も完全に沖に消えていたし・・である。
興浜北線は流氷が全く残らず
:
これが興浜北線との
最後の機会になったので
余計に悔しく思う
『撮り鉄』の観点からすると、先に興浜北線を攻めるべきでしたね。 いや、流氷が稚内まで北上するのは稀なので、北線を先に攻めてもハズしたら『一兎も得ず』となってたかもね。 だから、これでいいのだ。 そして、言葉に表せない感動を魅せてくれたので、ユースのツァーに参加したのは幸運だったよ。
1980年代は
まだ林立していたトドワラ
この後、ユースに戻って朝食を取ってから、野付トドワラ・尾岱沼・開陽台と標津の名所をユースのチャーターしたワンボックス車で周り、午後3時ごろに中標津駅に着いて解散となるが、午後3時に下ろされても次の宿泊地への移動が手一杯で、ほぼ確実に標津町ユースに連泊となる訳である。
尾岱沼のハクチョウ
:
この時はさすがに
頭の中にテイクオフは無かったよ
・・で、そのままワンボックス車に乗ってユースに戻り、ユースの天気予報(これによって明日のツァー決行か否かが決められる)で「朝方は雪が降って日の出が拝めそうにない」という事で、明日は標津線の始発に乗って『標津線の撮り鉄』を1日遅れで再開する事にしたよ。
1日4往復で撮るのがムズい
『厚床線』は次回回しとなって
次は異常暖冬で春の原野を行く情景に・・
この事で延びた1日を修正せねばならなくなったので、2日かけて『撮り鉄』する予定だった標津線を1日に短縮して、『厚床線』は次回回しとなったよ。 でも、次回に訪れた’86年~’87年は暖冬だったので、『厚床線』は春の原野をゆく写真となっちまったよ。
そういえば流氷は
20年以上魅ていないなぁ
でも2月中旬の北海道は
隠居しなきゃ行けないわ
※ ウィキペディア画像を拝借
疑問に思うんだけど例のオッサンは
ホントにITのエンジニアなの?
もし社会の役に立つ一線級のITエンジニアなら
人手不足な現状では会社も給料を上げる
なりして引き留めようとするだろうよ
それにエンジニアにしてはいい年こいて
社会の事を知らなすぎるよ
仕事において自分の言いたい放題なら
まずエンジニアの仕事はできないと思うけど
顧客の要求を汲み取ってシステムに
反映させる事がエンジニアの仕事でしょ?
なら自身に相反する事を全否定してては
エンジニアとして対応不能だよ
それにこのオッサンの望む給与額って
いくらなの? 年収700万? 800万?
何の実績もなく何の肩書もないアラフィフの
オッサンを周囲より高い給料で雇う
企業なんてある訳ないでしょうが!
だからこのオッサンが心を改めない限り
雇ってくれる企業なんて無いし
世間をナメきって起業しても即死確実だわ
それに雇ってくれる企業がなければ
1年で失業保険が切られてナマポ確実だわな
あぁ・・最終兵器としてアメ株があったね
でも上がったとして年にいくらの利益が出るの?
良くて年で数万円の利益でその逆も有り得るしィ
そんなの生活の足しにもならない事
位は小学生でも解ると思うよ
これほど無知なのが「仕事が嫌だ」で
勤め先を辞めて安定した収入を放棄したら
破滅しかないって事だよ
そして不平不満を羅列して世間を恨む様は
回転ずし屋の事件の小僧の親と同じだね
広まっている噂によれば
あの醜態を撮ったのはこのアホガキの親父で
この親父もナマポらしいよ
つまり公的支援を受けながら世の中に対して
唾を吐いて難癖をつけまくっている訳だ
穿った見方の説なのだけど
このナマポの親子は株の仕手屋に
5万円位で回転寿司屋の評判を落とすように
持ちかけられてあのような騒ぎを起こし
仕手屋はその回転寿司屋の株を事前に空売りして
一連の騒ぎで暴落した回転寿司屋の株を
買い戻して大儲けって筋書きもあったりする
後は実行犯のこのナマポ親子が
世間から叩きまくられるって寸法だ
この親子の行く末は当然最低数百万の
損害賠償を請求されて身の破滅だよ
世の中の恨み辛みをあのような形でしか
表す事ができない哀れさはこのオッサンに
相通じるモノがあると思うけど
それに『初期経費ゼロで起業』という
考えずとも嘘だと解るウェブの煽りに
ハシャぐこのオッサンも回転寿司屋の
ナマポ親子と同じ香りがするよね
日本の世の中を恨み憎んでいるしィ
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