風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道  第98回  名鉄・安城支線

廃線鉄道  第98回  名鉄・安城支線 〔愛知県〕

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末期は本線格の西尾線と共に
1500Vに昇圧されて
1500Vの三河鉄道で使われていた
木造車のモ1080が運用に就いていた

名鉄・安城支線(めいてつ・あんじょうしせん)は、かつて愛知県安城市の南安城から国鉄(現・JR東海)の安城までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線で、西尾線の支線である。

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安城支線はJR安城駅の
南東側から分岐していた
駐車場となっているのがホーム跡で
線路跡にはうどん屋の建物と
JRの設備棟が建っている
※ ウィキペディア画像を拝借

現在の西尾線に含まれる新安城~西尾駅間を建設した碧海電気鉄道が、日中戦争時の貨物輸送に供するべく、東海道本線との連絡を図って自社路線の南安城~省線(国鉄を経て現在はJR東海)の安城に支線を建設し、1939年12月25日より貨物営業を開始した路線である。 省線の安城駅に隣接して設置された碧海電気鉄道の貨物駅の名称は、新安城駅であった。

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南安城と安城の配線図
※ ウィキペディア画像を拝借

1944年3月1日に碧海電気鉄道が名鉄に吸収合併されると、この碧海電気鉄道が敷設した区間は全線が碧西線となり、更に1948年5月16日の路線名改定で西尾線に改称すると、南安城~新安城は西尾線の安城支線となった。

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1950年開催の愛知国体で
ソフトボール会場となった安城公園と
背後に建つ安城市役所庁舎
※ ウィキペディア画像を拝借

その後、1950年の第5回国民体育大会(愛知国体)で安城町(現在は市制を施行して安城市)がソフトボールの会場となった事から、同年10月28日から5日間のみ臨時旅客輸送を実施した。 これがきっかけとなり、翌年3月21日より正式に旅客営業を開始する。 旅客営業開始に伴い、新安城は安城に改称されて国鉄との共同使用駅となり、駅業務は国鉄に委託された。

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安城駅で停車中の安城支線電車
『あきひこゆめてつどう』より

しかし、安城支線の旅客需要は通勤・通学輸送が主で昼間は閑散としており、また名鉄も自社線による対名古屋輸送を重視し、同支線による国鉄連絡には消極的であり、列車運行も線内折り返しのみで運行本数も少なかった。 その為、1960年3月27日に西尾線と同時に昇圧こそされたものの、貨物輸送量も減少していた事からバス化の対象となり、翌1961年7月30日に路線廃止となった。

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安城支線の予想路線図
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
廃止区間と路線距離(営業キロ):南安城~安城 1.1 km、軌間:1,067 mm、
電化区間:全線(直流1,500 V)、複線区間:なし(全線単線)
駅数:2駅(起終点駅含む)〔南安城〕・安城

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廃止直前の安城支線を
写した空撮写真
※ ウィキペディア画像を拝借

  名鉄・安城支線 年表
1939年(昭和14年)12月25日:碧海電気鉄道により、南安城駅~新安城が貨物支線として開業する
1944年(昭和19年)  3月  1日:名古屋鉄道が碧海電気鉄道を吸収合併し、碧西線の一部となる
1948年(昭和23年)  5月16日:碧西線が西尾線に改称され、南安城~新安城は西尾線の安城支線と
                なる
1950年(昭和25年)10月28日:愛知国体の観客輸送の為に、同年11月1日まで5日間だけ旅客営業
                を行う
1951年(昭和26年)  3月21日:旅客営業を開始し、新安城を安城に駅名改称して国鉄と共同使用駅
                となる             
1960年(昭和35年)  3月27日:本線の西尾線と共に、架線電圧が1,500 Vに昇圧される
1961年(昭和36年)  7月30日:貨物輸送が減少していた事から路線廃止対象となり、昇圧後1年
                4ヶ月で路線廃止される

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安城支線在時の南安城駅
『名鉄資料館』のウェブより

運行形態1960年1月当時の南安城~安城の所要時間は約4分で、列車は全て線内折返し運転であった
     貨物との混合列車運用も行われていた
     安城支線の運転は西尾乗務区の担当であったが、末期は南安城の構内運転士によって運行
     される事もあった

  安城支線・南安城発安城行きの時刻表
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03
 
28
58
     利用客のほとんどが通勤・通学利用者だった事もあり、始発は7時台・終電は21時前と
     早く、7~9時と17~20時に時間に2~3本の運行があったが、昼間の14時台から16時台
     の3時間は列車の運行がなかった

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戦前に貴賓車として使われ
戦争突入前の1940年に除籍となった
トク2号をデジ551に
改番して使用されていた
※ ウィキペディア画像を拝借

  車両
貨物線として開業した当初は、電気機関車や電車が貨車を牽引していた。 1941年に名鉄が三河鉄道を合併すると、三河鉄道の200形(旧・岡崎電気軌道200形)がモ460形となって碧西線に回され、安城支線で使われる事もあった。

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貴賓車時代のトク2号
※ ウィキペディア画像を拝借

1943年には一度除籍された元貴賓車・トク2号を再整備・復籍したモ40形(1948年にモ85形に改番)が投入されて貨車牽引に用いられた他、旅客営業開始後は安城支線専用車として運用された。
モ85形は混合列車運用もこなし、有蓋車4~5両を牽引していた。 モ85形は1,500 V昇圧時に廃車となり、以後はモ1080形(元・三河鉄道デ100形)などの木造車が投入されていた。

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貨物輸送は600V時は
デキ360形機関車が使用され
※ ウィキペディア画像を拝借

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1500Vへの昇圧以降は
600Vと1500V両用の
デキ370が使用された
※ ウィキペディア画像を拝借

貨物輸送に使用された電気機関車は、600 V時代はデキ360形が使用され、1,500 V昇圧以降ははデキ370形が使用された。

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安城駅跡の敷地は
縦長の駐車場となっている
※『pass case com』より

  路線廃止後
JR安城駅の豊橋側に細い敷地の駐車場があり、これが安城支線の安城駅跡と線路跡である。
線路跡の脇には住宅が建てられ、線路跡はその生活道路となっている。

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緩やかにカーブする
明らかに線路跡と思われる生活道路
※『pass case com』より

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名鉄西尾線の通る土手に沿って
県道を横切ると南安城に着く
左側の道路が安城支線の線路跡
※ ウィキペディア画像を拝借

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高架となった南安城駅の
西寄りに沿う歩道が
安城支線のホーム跡地と思われる
※『pass case com』より

名鉄側の分岐駅であった南安城は現在高架駅となっているが、安城支線の在時は平地の駅であった。



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安城支線廃止後に高架駅となった
安城支線の分岐駅・南安城駅
※ ウィキペディア画像を拝借

南安城駅(みなみあんじょうえき)は、愛知県安城市安城町的場にある名鉄・西尾線の駅である。
名鉄の駅では安城市中心部に最も近い駅で、西尾線の全列車が停車する。 安城学園高校と安城生活福祉高等専修学校の最寄り駅であり、朝夕は高校生で賑わう。 終日有人駅であったが、2007年に管理を西尾駅が行う駅集中管理システムにより無人化されている。 2020年の1日平均乗降人員は4132人で、安城市内中心部にあるJR安城駅の約4~5分の1の利用者数となっている。

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南安城駅の構内配線図
※ ウィキペディア画像を拝借

かつては支線の安城支線が分岐する地上駅であったが、安城支線廃止後の1981年5月に高架駅となっている。 駅構造は6両編成対応の相対式2面2線ホームを持つ高架駅で、2018年にエレベーター設置などバリアフリー化が成されている。

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分岐器がスプリングポイントが
採用されて列車は必ず
左側通行となっている
※ ウィキペディア画像を拝借

分岐器はスプリングポイントで列車は必ず左側通行となっている。 現在は、標準ダイヤで急行と普通がすれ違う。 吉良吉田行きは遅れる事も多く、その際はすれ違う新安城行きにも影響が出る。



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安城市の中心駅となる
JR東海の安城駅
※ ウィキペディア画像を拝借

安城駅(あんじょうえき)は、愛知県安城市御幸本町にあるJR東海・東海道本線の駅である。新幹線三河安城駅・名鉄の新安城駅・北安城駅・南安城駅との区分の為、『JR安城駅』と呼ばれる事が多い。
安城市の中心部に位置する駅で、市の中心的な駅として機能している。 2020年の1日平均乗車人員は9006人との事である。

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JR安城駅の構内配線図
かつて1番線の豊橋側(左側)に
沿う形で安城支線のホームがあった
※ ウィキペディア画像を拝借

島式ホーム1面2線と単式ホーム2面2線を有する駅で、中央に島式ホーム、その外側に単式ホームを1面ずつ置く構造である。 駅舎は橋上駅舎で構内の南側にあり、跨線橋で北口とつなげて南北自由通路としている。 かつては、駅舎西側に有蓋車用の貨物ホームが置かれていた。 また、構内の南東には名古屋鉄道(名鉄)安城支線の安城駅があった。

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安城駅で停車する安城支線電車と
通過する急行【なにわ】号
『あきひこゆめてつどう』より
1961.3.12 倉知満孝氏 撮影

1939年に碧海電気鉄道(現在の名鉄西尾線の一部)が、新安城(貨物駅で後に合わせて安城に駅名改称されている)を開設し、自社の南安城までを結ぶ貨物支線を敷設する。 1944年に碧海電気鉄道と名古屋鉄道の合併によってこの支線は安城支線に改称され、1950年の愛知国体期間中の5日間の旅客営業で好評を得た事から、翌1951年3月21日からは駅名を安城に改称して旅客運転がされていたが、1961年に貨物の減少と名鉄本線からの旅客流失防止の理由で廃止となった。


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ラジオで保育士からの投稿が読まれていた
「子供達の人権を守るために
保育士の人権は蔑ろにされています」と
保育士だってかつての子供だし彼等の人権と
子供の人権のどちらが重いのでもありません

だけど現実には超薄給でパワハラの嵐らしく
他人に保育を任せる環境も
近く破綻するのかもしれません
でもそれで良いと思います

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保育士の待遇を改善するなら最低でも
保育費を今の1.5倍にせねば成り立たないよ
でも払う側は絶対承諾しないよね
このように全ては収入があって
それが元となって給料となってるのだ

だから利益を差し出さない奴が給料上げろと
言っても誰も耳を傾けないんだよ
下手すれば働く同僚からも
和を乱す異端者として爪弾きに遭うよ

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だからこそ副業やアルバイトなど
会社の給料に完全依存しない
方法の模索が必要なんだよ

古くなって硬直化してしまった
システムは一回全部ぶっ壊れた方が
作り直し易いでしょうから

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首でも吊って旅立てばアンタだけ
違うシステムを味わえるよきっと・・
それにコッチも税金に寄生する
害虫が一匹減ってウインウインだよ

そこで一揆ならぬ逃散にて
旧弊を破壊してくのが
これからヤルべき事なのではないでしょうか
みんな辞めちまおう

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お仲間さんは増えないでしょうね
皆家庭があるし他人の施しには
頼らないというプライドもある

自ら税金にタカる『人間のクズ』に墜ちる
奴なんてオッサンを含めた極少数ですよ
こんな税金にタカる寄生虫から
支給認可を取り消して破滅させよう

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税金にタカるクズは自滅させて見せしめに
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