2023-02-15 (Wed)✎
『ネームトレイン』 第33回 白鳥
45年前に大阪駅で齢10歳の細腕で
大人でも扱えないであろうピントから
撮影条件に至るまで全てがマニュアルの
レンジファインダーカメラでは珠玉の名機
『TOPCON T-35L』で撮ったシロモノ
特急【白鳥】 ・・ JR東日本及びJR西日本が、かつて大阪~青森を日本海側に沿って縦貫運転していた関西発着で青森で青函連絡船に連絡する昼行の北海道連絡を担う特急列車である。
主に〔八甲田丸〕と〔桧山丸〕の
青函を挟んだ名を持つ2隻の船が
夜行便を担っていた
青森で、青函連絡船の深夜便を介して、北海道内の特急【おおぞら】に接続していた。 また、登場時は直江津~上野の便を併結して運行していた。 2001年のダイヤ改正で、新潟を境に運転系統が分断されて廃止となっている。
列車名の由来は
新潟県の瓢湖に渡来する白鳥から
※ 瓢湖は行った事ないので
クッチャロ湖の白鳥おば・・
列車名の由来は、列車の経由地である新潟県水原(現在は阿賀野市)の瓢湖が白鳥の渡来地である事から列車名となったが、1965年に運転系統が独立して大阪~青森の単独運転になってからは、白新線経由となって瓢湖付近は経由しなくなっている。
小僧の駅撮りでは
同年代の同業者が入り放題
1961年10月に運行を開始した特急列車で、大阪~直江津の青森発着編成と上野発着編成を併結した多層建て列車として運行された。 同一ネームの列車が運行される事での混乱を防止する為に、国鉄内部では青森発着編成を【日本海白鳥】、上野発【信越白鳥】として区分していた。 登場時の大阪~青森の所要時間は、16時間を若干切る程であったとの事である。
山崎のサントリーカーブを
ゆく特急【白鳥】
:
運行距離1000kmを超える
ロングラン運行で
国鉄随一の昼行特急列車だった
※ ウィキペディア画像を拝借
また【日本海白鳥】は、大阪~青森で当時は1052.9kmを走るという、昼行特急列車としては日本一の走行距離を有する列車となっていた。 また、大阪発基準で【日本海白鳥】が下り、【信越白鳥】が上り列車となる。 デビュー当初は、【日本海白鳥】・【信越白鳥】共に、キハ82系による気動車列車だった。 1972年の白新線と羽越本線の電化時に、電車に切り替えられている。
小学校も高学年になると
人の少ない新大阪駅で撮ったり
黒点(人間)が入っても目立たぬ
ように工夫も見られるね
1965年10月1日のダイヤ改正で、上野発着の【信越白鳥】を【はくたか】と系統分離した後、青森発着の【白鳥】が単独で運行される事となる。 上越新幹線開業後の一時的には、金沢~青森を運行していた急行【しらゆき】を福井までの延長及び特急格上げする形で福井〜青森で1往復増発されたが、再び大阪〜青森の1往復のみとなっていた。
最後は新潟を境に
大阪~金沢・富山は【雷鳥】・
金沢~新潟は【北越】・
新潟~青森は【いなほ】と
運転系統が分割されて廃止となった
※ 大阪駅にて583系特急【雷鳥】
国鉄分割民営化を経て、2001年3月3日のダイヤ改正により、大阪~金沢・富山は【雷鳥】、金沢~新潟は【北越】、新潟~青森は【いなほ】に系統分割されて廃止となっている。
ボンネット型車両の
絵入りヘッドマーク
※『トレインマーク辞典』より
ボンネット型の485系による
特急【白鳥】
※ ウィキペディア画像を拝借
《列車データ》
運行区間:大阪~青森(白新線経由)1040.0km
※ デビュー当初は、直江津で上野発の【信越白鳥】を併結する多層建て列車であった
※ 1965年のダイヤ改正で、運転系統の独立化で大阪~青森が単独運転となった際に白新線経由
となり、また1975年3月に湖西線経由となる事で運行距離が1052.9kmから1040.0kmに
少し短縮となった
運行期間:1961年10月 1日:キハ82系気動車で大阪~直江津~青森と、上野~直江津の特急【白鳥】の
運行を開始する
同一ネームの列車が運行される事での混乱を防止する為に、国鉄内部では
青森発着編成を【日本海白鳥】、上野発【信越白鳥】として区分していた
当初は新津~新発田を羽越本線の水原経由で運転していた
大阪~青森の所要時間は15時間45分であった
1965年10月 1日:このダイヤ改正により、【信越白鳥】は上野~金沢の【はくたか】として
分離され、【白鳥】は大阪~青森の運行になると同時に、【日本海白鳥】
の呼称の使用を取りやめた
また、新津~新発田は白新線経由となり、新潟への乗り入れを開始した
(当初は新津から直接羽越線本線に入って、新潟を経由していなかった)
全区間の電化完成で
交直流型の485系による
電車運行となった特急【白鳥】
※ 大阪駅にて
1972年10月 2日:白新線と羽越本線の電化完成によって、大阪~青森の全線電化が完成
これによって、【白鳥】は485系電車に置換えられて電車化された
電車化されて、大阪~青森の所要時間が13時間40分と2時間以上短縮
となった
湖から飛び立つ白鳥
※ クッチャロ湖での撮影
1975年 3月10日:山科~近江塩津を前年開業の湖西線経由に変更
これによって、大阪~青森の所要時間は12時間47分となる
上の写真の如く
湖水から飛び立つ白鳥が
ヘッドマークの図案となった
1978年10月 2日:『飛び立つハクチョウ』の絵入りヘッドマークに変更される
一時期は金沢~青森の急行【しらゆき】を
福井まで延長&特急格上げで2往復となったが
【福井白鳥】は当初9両から6両に減車された上に
2年半で運行打ち切りとなって1往復に戻された
※ ウィキペディア画像を拝借
1982年11月15日:金沢~青森の急行【しらゆき】を福井まで延長させた上で特急に格上げ
して、福井~青森で【福井白鳥】を1往復を増発
増発列車は485系9両編成(グリーン車1両連結)で、【白鳥】は計2往復
となる
1984年11月 1日:食堂車の営業を廃止し、編成から外される
1985年 3月14日:福井~青森の【福井白鳥】(1・4号)を【北越】及び【いなほ】の2列車
に系統分割して、再び1往復となる
同時に10両編成と2両短編成化され、翌年には9両編成に短縮される
青森で発車を待つ札幌行きの
夜行急行【はまなす】
※ ウィキペディア画像を拝借
1988年 3月13日:青函トンネル開通に伴うダイヤ改正で、【白鳥】の対北海道接続が
青函連絡船から青森~札幌の夜行急行【はまなす】に変更
1999年 :秋田~青森の車内販売営業の廃止
2001年 3月 3日:このダイヤ改正で、大阪~金沢・富山が【雷鳥】・【サンダーバード】
(後に【サンダーバード】に統一)・金沢~新潟が【北越】・新潟~青森
が【いなほ】となるなど、日本海縦貫線の昼行列車運行系統が新潟で分離
される事となり、【白鳥】は廃止となる
末期はラインの筋がズレた
変な塗装となっていた
:
鉄道車両や自動車を始めとした
近年のデザイン力の低下は
かなり問題だと思うのだが・・
※ ウィキペディア画像を拝借
停車駅:大阪・新大阪・京都・(近江今津)・敦賀・武生・鯖江・福井・芦原温泉・加賀温泉・
小松・松任・金沢・高岡・富山・魚津・糸魚川・直江津・柏崎・長岡・東三条・新津・
新潟・新発田・中条・坂町・村上・あつみ温泉・鶴岡・酒田・象潟・仁賀保・羽後本荘・
秋田・東能代・鷹ノ巣・大館・弘前・青森
※ 表記の停車駅は、2001年の運行終了時のものである
※ 近江今津は上り列車のみ停車
能生騒動を題材にした
ツイッター漫画・その1
※『togetter』より
エピソード:運行開始当初、単線ゆえの列車待ち合わせの為に北陸本線の能生駅(当時は西頸城郡
能生町で現在は糸魚川市)に【白鳥】が運転停車するダイヤが組まれたが、誤って
駅の時刻表や一般の時刻表に、その発車時刻が掲載された
これで、一漁村に所在する能生駅に新しい特急列車が客扱い停車をすると伝わって
しまい、地元はたちまちお祭り騒ぎとなって、運行開始日に大勢の人が【白鳥】を
出迎えたが、停車するだけでドアを開けずにそのまま走り去ってしまい、出迎えた
地元の人々は愕然とした
この騒動は、マスコミによって『国鉄の不祥事』として日本中に報道されて、『能生
(のう)はNO!』などという流行語も生まれたという
北陸トンネル開通記念切手の図案に
創成期の気動車特急【白鳥】号が採用された
※『Yahoo!オークション』より
1962年6月に発行された北陸トンネル開通記念切手の図柄に、トンネルを走行する
【白鳥】の図案が採用された
登場から電車に置換となる1972年までは
羽越本線が非電化だった為に
キハ82が運用に就いていた
※ ウィキペディア画像を拝借
車両は前年の1960年に東北本線特急【はつかり】に投入されたキハ81系の改良型と
なるキハ82系新造車が充当されたが、2年続けて新車が開発された訳は【はつかり】
のキハ81系は国鉄では初の特急形気動車であり、開発期間が短かった事が災いして故障
を頻発させた事から、マスコミに『はつかり、がっかり、事故ばっかり』と揶揄された
全般的にキハ80系列は雪に弱く
北海道に投入されたキハ80の特急【北斗】は
頻繁に故障して寒冷地向けに対処された
キハ56の急行【えりも】に抜かれていたなぁ
※ 写真は特急【はまかぜ】のキハ82でっす
その事から、キハ82系は故障防止の為の入念な試運転などが行われたが、1963年の冬に
襲った『38豪雪』では運行不能となる事態が発生し、マスコミから『瀕死の白鳥』と皮肉
られた事もあった
いつの時代も、『マスニダ』は腐っている事が証明されるエピソードである
国鉄時代の特急列車は
みなカッコいい
※ コリも45年前の大阪駅にて
使用車両:デビュー当初は羽越本線が非電化であった事もあって、【日本海白鳥】・【信越白鳥】共に、
当時新型の特急形気動車であるキハ82系が登用され、グリーン車(当時は1等車)と食堂車
も連結されていた
【日本海白鳥】・【信越白鳥】共に6両編成運行されて、直江津で併結されて12両となって
いた
廃止を控えた末期は露骨なお荷物扱いで
廃車淘汰が進んでいた485系の初期型である
ボンネット車両が使用されていた
※ ウィキペディア画像を拝借
1972年の白新線・羽越本線電化完成に伴い、交直流型の485系電車に置き換えられた
末期は485形でも古参のボンネット型車両が多く運用されていた
北海道ワイド周遊券があった当時は
冬期と学割で4割近くの割引きとなって
廃止ローカル線追っかけ旅には
この切符と特急【白鳥】は必須アイテムだったよ
※『フォートラベル』より
1999年3月までは
青函連絡船の夜行便
※『青函連絡船シリーズ』の
オレンジカードより
1999年3月の青函トンネル開通からは
札幌行きの夜行急行【はまなす】に接続する
関西からの渡道の必須アイテムだった
※ ウィキペディア画像を拝借
乗車経験:何度も全区間で乗車経験があるが、全て下り大阪発の列車で、青森発は乗った事がない
当時は周遊券で特急料金を出せば乗れた為、北海道に渡る際に大変重宝した列車であった
この頃は鉄道ブームで
土日の大阪駅は『撮り鉄』の
カメラ小僧で涌いていたよ
撮影経験:大阪駅と新大阪駅で撮影経験アリ
だってなぁ…長時間労働で得られる
金が大した事なくてそれでいて
可処分所得は下がって更に値上げでしょう?
だから頭を使って別の収入先を考えるんだよ
それに「給料上げろ」っていう奴ほど
働かない役立たずで労使共に辞めて
もらいたいと思う1番手なんだよね
給料上がる奴は実績を提げるか
会社に絶対的に必要とされている奴で
「給料上げろ!」と
言わずとも上げてくれるよ
働いたら負けな
テイストがしてきませんかね
この発言が通用するのは
親が金持ちのニートくらいですね
『働いたら負け』の親父を持った息子が
家の経済的状況から進路に悲観して
首吊らなきゃいいけどね
ある男がワープアは生活保護
受けろって言ってましたけど
その通りだと思いますよ
ほら出た! でも調子に乗ってると
納税者である国民全ての怒りを買って
自発離職は生活保護対象外
(オッサンが真にコレ)とか
強制労働とかになるよ
それに親父がナマポって私学は
絶対に受け入れてくれないし
進学を控えた息子にとって
学費免除の格好の悪さは
首に縄モンのショックとダメージだよ
資産が積み上がっているならまだしも
資産がないのなら生活保護の方が
自由になる金が多いようなんで
ブラック企業で働くだけ損です
悪いけど『メンヘル』とやらで
3ヶ月も休業させてもらって
職場復帰が適うなど地位保全もあった
オッサンの元勤め先は
ブラック企業とは言いません
逆にこんな使えない腐った根性のオッサンを
雇ってた会社が足を引っ張られまくって気の毒です
辞めてもらって清々してると思いますよ
働かないで文句ばかり垂れる奴の給料が
会社にとっても一番ムダなんですよ
それで一旦制度破綻する程の状況に陥る方が
現状打破に向かう変化に
つながるんじゃないかと思う所でして
現状打破して生活保護に触手を
伸ばそうとする人間のクズなオッサン(笑)
息子が進路の事で働かない親父に悲観して
首に縄掛けなければいいけどね
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
私の場合は、ワイド周遊券の有効日数20日をフルに使っても足りない為に、1日で北海道に渡れる【白鳥】には率先して乗ってましたね。 それほどに、廃止ローカル線の追っかけは&『撮り鉄』は、日にちがかかったのですね。 もう、1日1線が当たり前で、名寄本線とか天北線のような長大路線や深名線のように分断された路線は、2~3日かかりましたから。 車があれば効率的に周れたのでしょうが、当時は高校生でしたのでゲンチャリが精いっぱいで・・。
それでも日程が足りず、帰りは『セ・セ・セ・セ青春18』を2枚買って、東北の路線を駅寝しながらジグザグに『乗り鉄&撮り鉄』+歩いて行ける景勝地めぐりをしてましたね。 普通列車だけの旅では、運行本数が少ないので撮り鉄の合間は時間が余り、どっかに立ち寄らねば間が持たなかったからですね。
でも、今は特急も含めて減便となって、鉄道での北海道の旅は限りなく困難となってますね。
私の場合は、ワイド周遊券の有効日数20日をフルに使っても足りない為に、1日で北海道に渡れる【白鳥】には率先して乗ってましたね。 それほどに、廃止ローカル線の追っかけは&『撮り鉄』は、日にちがかかったのですね。 もう、1日1線が当たり前で、名寄本線とか天北線のような長大路線や深名線のように分断された路線は、2~3日かかりましたから。 車があれば効率的に周れたのでしょうが、当時は高校生でしたのでゲンチャリが精いっぱいで・・。
それでも日程が足りず、帰りは『セ・セ・セ・セ青春18』を2枚買って、東北の路線を駅寝しながらジグザグに『乗り鉄&撮り鉄』+歩いて行ける景勝地めぐりをしてましたね。 普通列車だけの旅では、運行本数が少ないので撮り鉄の合間は時間が余り、どっかに立ち寄らねば間が持たなかったからですね。
でも、今は特急も含めて減便となって、鉄道での北海道の旅は限りなく困難となってますね。
当時は貧乏学生だったので、北海道周遊券アプローチでは基本的に特急は使わず急行オンリーだったですねぇ。
今となってはもうちょっと特急や寝台車にも乗っておけばよかったと後悔しています。