風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『路線の思い出』  第514回  大井川鉄道井川線・接阻峡温泉駅

『路線の思い出』  第514回  大井川鉄道井川線・接阻峡温泉駅 〔静岡県〕

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接阻峡温泉駅
恐らく観光客以外の
乗り降りはないであろう

《路線データ》
井川線
       営業区間と営業キロ               運行本数(’23)   
      千頭~井川 25.5km           千頭~井川    4往復
                           千頭~接岨峡温泉 1往復

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完全観光向けだけど
趣のある駅舎の接阻峡温泉駅

接岨峡温泉駅(せっそきょうおんせんえき)は静岡県榛原郡川根本町犬間にある、大井川鐵道井川線の駅である。 駅構造は島式1面2線のホームを持ち、構内の千頭寄りには車庫がある。 この車庫は、かつて車両の夜間滞泊が行われた際に使用されていた。 旧川根長島駅開業当時は相対式1面2線と待機線1線があった。

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山峡の狭い場所に設けられ
幅の狭い島式ホーム

付近には接岨峡温泉の集落(長島集落)が点在する。 かつてこの集落は現在地より低い谷底に位置していたが、長島ダム建設に伴い元の場所が水没する事になったため、駅付近に移動してきたものである。
これを契機に駅名も従来の川根長島駅から接岨峡温泉駅に改称している。

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降りるのはアプト式鉄道
目当ての観光客ばかりで
温泉の湯治客はいないといっていい
※『ユキサキナビ』より

なお、駅名の由来となった長島集落の住民の多くは長嶋姓である。 また大井川の対岸にある梅地集落の住民の多くは筑地姓で、これは室町時代の守護大名筑地氏の末裔との事である。



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以前は南アルプスの登山基地
椹島に向かう手段の一つで
登山バスの予約が取れなかった時の
代替手段でしかなかった井川線

この駅は以前にも取り上げた事がある。 だが、以前にこの駅に降りた時は歳喰ってヘタレが顕著となるも完全健康体で、初めてこの駅に降りた理由も南アルプス登山で登山基地の椹島に行く為で、この時は接阻峡温泉~井川は豪雨による土砂崩れで不通となっていて、井川までタクシーに乗り、井川から南アルプスから下ってきた登山者の為の温泉施設のある『白樺荘』までコミュニティバスに乗って、そこから山装備一式担いで6キロ歩いてたりもしたのだ。

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11/5で最も秋色着いていたのがコレ
という位に秋の訪れが遅かった

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列車がなければ尾盛の駅が
最も秋を感じられたな

次に『撮り鉄』で訪れた秋も、紅葉にはまだ早ぎて(だが、標高600mで11月初旬で紅葉がないとはどんなけ遅いんだよ)再度リベンジする事が確定しているが、この時も秘境駅・尾盛にも立ち寄り、閑蔵で担いできたテントを地べたに張って泊まるなど、アブノーマルぶりを発揮していたのである。

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これほどの事をしでかすと
トラウマとなってヤマに
登れなくなるハズなのだが・・

だが、2020年はワテ自身にとって天中殺のような年だった。 それは、夏に親父が逝ってほぼ天涯孤独になるわ、『スーパーオチャメ』で都合13ハンの数え役満を食らってクタバリかけるわ、スーパーオチャメ』で入院の際の全身CTスキャンで喉に4cm大の『残念』が見つかるわ、スーパーオチャメ』と残念の手術入院で4週間勤めを休んだので非正規に格下げられるわ(でも、ブラック企業だわ・・この会社)と散々だったのである。

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『オチャメ』って骨折箇所を
特定するCTスキャンで
骨折より『残念』なのが見つかったよ

でも、持ち前の『嫌な事はすぐに忘れる』or『初めからなかった事にする』という、獰猛な『忘却力』でリカバーしたのである。←『残念』は元より、親父が逝った事さえなかった事にするのだな、このクソタワケは・・

まぁ、オチャメって右足を含む骨9本が折れていたので、登山用の杖をついて歩いていたけど、勤め先を休業してた期間中は杖をつきながら自転車も乗りまわしていたよ。 そして、この年のクリスマスに行った『残念』の摘出手術前には、「手術が終わった3日後に退院で退院後は年末年始だから、退院したらテント担いで山陰の惣郷川橋梁に『撮り鉄』小旅行をしようか」などと、『残念』をとことんナメていたのである。

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真剣に『残念』の術後すぐに
駅寝『撮り鉄』旅を
しようとしていたタワケ
この無念は次の年末年始に
リベンジできたよ

これで出かけて旅先でぶっ倒れていたら、一族で『村八分』確定だろうね。 倒れなくても、『常識知らず』のレッテルを貼られて、同じく『村八分』だろうね。 だが、現実は旅に出るどころではなく、術後は熱が出てシンドくて立ち上がるのもやっとこさだったのである。 年始休みが明けて出勤するまでには回復したが、それでも常時フラフラで、身体を切るとタダではすまなかったのである。 そして、そのフラフラな状況が1か月続いたのである。 なので、出勤時以外は常に杖をついて歩いていたよ。

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さすがに南アルプスの懐なら
雪があると思ったのと

話は大きく逸れたが、このフラフラな状況に「このままではマズい」と思ったのである。
だが、ジョギングなどの鍛錬はムリだし、元よりジョギングなどは全くやる気がしないしィ。
まぁ、普段からジョギングをして体力を維持する殊勝な心掛けの持ち主なら、『無訓練登山』を繰り返して、挙句の果てには『プチ』を含めて両手に迫る数の『ソー○ンフラグ』が立つ『オチャメ』の体験談を、自慢げにブチかますようなトウヘンボクにはなってないだろうしィ。

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関ノ沢橋梁なら3度目で
状況は知り尽くしているし
大阪からの小旅行もできるしィ
という事でノミネート

といった訳で、体力をつけるべく『雪道を歩く』を題材にした週末小旅行をする事にしたのである。
でも、この身体でヤマは論外だし、雪といっても豪雪地帯も論外なのである。 そして、『軽く汗をかく』程度の雪道を遊ぶとしたら、あまり雪の積もらない所での『撮り鉄』小旅行って事となる。

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だが雪は全くなく
防寒着が暑いくらいの陽気だったよ

そこでノミネートしたのが、大井川鉄道・井川線の関ノ沢橋梁である。 大井川鉄道なら大阪からそんなに離れてないので、1泊2日で十分帰れるしぃ。 また、アプローチは静岡行きの夜行バスに乗れば、初日は天竜浜名湖鉄道のユリカモメとコラボ旅ができるしィ。 だけど、いつものようにテント担いで天竜浜名湖鉄道の無人駅で駅寝なんて論外で、大人しく掛川のビジホに泊まったよ。 掛川は観光地的には何もないので、飛び込みでも3000円の格安ビジホに泊まれたよ。

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閑蔵駅
健康体の時はこの駅でテント張って
野宿もしたし閑蔵~接阻峡温泉で
ショートカットの国道を
歩いて列車に勝ったしね

そして、翌日に掛川から金谷に出て、大井川鉄道を乗り継いで閑蔵に出る。 でも、予測に反して雪は全く無かったよ。 それでも、関ノ沢橋梁の展望所まで3kmほど歩くので『リハビリにはなる』と、杖をついて歩きだす。

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1月の末なのに接阻峡渓谷は
全く氷がなく小春日和を
通り越して春の情景だったよ

関ノ沢橋梁までの道は、雪は全くなく小春日和で歩いていくと防寒着が要らない位だったが、道は以前より崩れていたのである。 全部で3ヶ所の小さな法面崩壊(土砂崩れという程には酷くない)があり、普通の身体ならなんて事ない岩と土砂の盛り上がりだが、術後で杖をついてヨロヨロの身体では結構エラかったよ。

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状況としてはこんな感じ
これほど大規模ではなかったけど
※ 別の地域の林道の
土砂崩れ現場写真を拝借

崩れて2~3m程の高さに積み重なった岩土砂を、杖を突きながら這うように昇り降りせねばならないのである。 雪はなかったけど、結果的にはこれは雪道を歩くよりややキツい理想的な負荷のリハビリとなったよ。

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標高1990mの風イラズも
節に雪が乗るだけだったよ

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ヤマでコレだから
標高600m程の関ノ沢橋梁は
春の情景だったよ

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雪があると思って来たので
雪がないとアングルが思い描けず
渓流をムリヤリ入れたりしたけど

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この年は雪がない年と諦めて
雪のある年に改めて
リベンジすべきだろうね

そうこうして着いた関ノ沢橋梁でも、風イラズ(背後の山の名前)に少し雪が乗るだけで、南アルプス山域の冬とは到底思えない情景が広がっていたよ。 関ノ沢橋梁で閑蔵で11時台に交換する上下列車2本を撮って関ノ沢橋梁を後にして、接阻峡温泉まで歩く。

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以前通った時は道路が崩壊して
仮歩道となっていたが
完全に復旧されていたよ
関ノ沢橋梁まで
車で行く奴多いのだろうね

だが、関ノ沢橋梁からの林道の接阻峡温泉駅側は舗装されていて、秋のシーズンなどは車で来る事ができるようである。 この前の夏に崩壊していた箇所もしっかり復旧していて、何事もなかったようになっていたよ。 どうやら、接阻峡温泉駅側のみ整備して観光客に開放して、閑蔵側は荒れるまま放置のようである。

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接阻峡温泉は湯治場としては今イチで
この地で秘湯の温泉といえば
寸又峡温泉なのだろうね

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接阻峡温泉の共同風呂
※ 接阻峡温泉のウェブサイトより

関ノ沢橋梁の展望台からは下りで、杖をつきながら歩くと結構早く歩けて30分チョイで温泉会館前に出る。 だが、温泉に入ると、もう13時前となっていた。 温泉会館を出て杖をつきながら歩いていくと、バスが横を通り過ぎる。

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閑蔵から千頭まで直行するバス
列車より1時間近く早い
でも冷たい・・
※ 大井川鉄道のウェブサイトより

このバスは閑蔵から千頭への直通バスで、このバスに乗れば列車よりも1時間近く早く千頭に着くのである。 杖を振り回して『乗りたい』意思を示してバスを追って駆けるが、バスは無視して通り去ったよ。
けれど、ガンの手術明けで走っちゃダメだわ。

だが、このバスが通り過ぎたという事は、5分くらい後が列車の出発時間なのである。 列車の時刻は、関ノ沢橋梁の展望所に掲げてあった通過時刻目安をおぼろげに憶えただけで、列車の発車時刻は把握してなかったので、「これを逃せば数時間列車はない」と必死に走ったよ。

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列車は乗る意思を見せたら
大概は待ってくれるんだよね
本数の少ない路線では
学生の利用客が乗っているか
出席を取るが如く確認してから
発車するんだよね
※ ウィキペディア画像を拝借

約300mほどだったけど、病み上がりのリハビリの身で、普段は忌み嫌って全くしない『ジョギング』以上に走ってしまったよ。 それでも間に合わず、杖を振り回すと今度は車掌が気づいてくれたようで、1~2分待ってくれたよ。 何度か経験あるけど、バスはバス停以外は絶対に止まって乗せてはくれないが、鉄道は大概待ってくれるんだよね。

列車に乗り込んで改めてスマホで時刻表を見ると、この列車を逃すと15:26まで2時間以上の待ちなんだよね。 まぁ、15:26でも帰れるけど、自宅に戻り着くのが夜の11時前になるから、術後の弱った身体ではこの列車で戻って19時頃の余裕のある時間に帰宅する方がいいだろうしィ。

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この年の年末年始は
テント装備一式担いで
駅寝『撮り鉄』旅ができるまで
復活したんだよね

・・で、このリハビリ小旅行が効を奏したかどうかは解らないが、春のGWには無人小屋泊まりでヤマに行けるまで回復し、その後も九州・九重くらいの標高差の少ない山域ならテント山行も行けるようになり、年末年始は野宿駅寝旅ができるようになったよ。 やっぱり、リハビリは大切ですねぇ。


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前回の続き
だが整備シンカンセンは違うのである
その必要性を求められる事もなく
ただ政治屋の利権の為だけにムダな税金を
投入して建設されるのである
言わば開業した時点で『赤字を産む轍』なのだ

そもそもシンカンセンは
在来線と共存ができる程の
輸送量がある地域でのみ
求められる鉄道形式であり

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もう勝負が決まっている旅客機など
他の交通機関に対抗すべく
利用客に多大な料金負担を強いてまで
建設するべき鉄道路線ではないのだ

またシンカンセンの沿線に住む沿線住民も
今まであった路線と引き換えにしても
値上げ必至のシンカンセンを
建設して欲しいとは思わないだろうし

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沿線住民ではない国民にとっても
恐らく利用する事がないで
あろう整備シンカンセン

そんな必要のないモノに何千億という
税金を投入して建設・開業した
シンカンセンは完成後も大赤字の補填で
更なる税金の投入が必要となるのだ

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給料も上がらず苦しい生活を強いられる
国民の全てにとってこんな
税金のムダ使いはあってはならぬ事で
整備シンカンセンの建設は早急に凍結して
税金のムダ使いを解消して欲しいモノである
たぶん次回が
整備シンカンセン編の最終回です






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