風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『路線の思い出』  第513回  指宿枕崎線・枕崎駅

『路線の思い出』  第513回  指宿枕崎線・枕崎駅 〔鹿児島県〕

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観光目的の思考で設けられた
新築の枕崎駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
         営業区間と営業キロ                    輸送密度 / 営業係数(’15)
       鹿児島中央~枕崎 87.9km             3534  /   232  
運行本数('23
     鹿児島中央〜喜入 20分~30分ヘッド運転
     鹿児島中央〜山川 40分~1時間ヘッド運転(内 特急3往復、快速下り4本・上り3本 含)
     指宿~枕崎       6往復(内1往復は山川発着、3往復は鹿児島中央より直通運転)
     指宿~西頴娃      下り1本・上り2本

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駅舎内はドワーフの部屋のような感じで
常にステレオで音楽が流れていた

枕崎駅(まくらざきえき)は、鹿児島県枕崎市東本町にあるJR九州・指宿枕崎線の駅である。
JRグループでは日本最南端の路線である同線の終着駅であり、駅には『本土最南端の始発・終着駅』の碑が設置されている。 夜間滞泊設定駅である。 2015年の1日平均乗車人員は25人との事である。

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南北の端駅という事で
北海道の稚内と姉妹都市提携を
結んでいるとの事である
※ ウィキペディア画像を拝借

単式ホーム1面1線を有する駅で、無人駅である。 駅舎は市民の寄付によって建設され、中には山幸彦の像、外にはかつお節行商の像がある。 乗車券の券売機は設置されておらず、列車乗車時は整理券を取り、下車時は車内で精算する。

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かつては枕崎市の代表駅として
立派な駅舎があった枕崎駅
※ ウィキペディア画像を拝借

かつては鹿児島交通の枕崎線が乗り入れており、枕崎市の代表駅としての立派な駅舎があった。
ホームは草生した土盛りの島式ホーム1面2線を有し、駅舎側は鹿児島交通・枕崎線、外側を指宿枕崎線が使用していた。

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島式ホームの外側を
駅を間借りしていた国鉄が使用し
駅舎側ホームには駅舎の主で
水害により取り残された
鹿児島交通の気動車が放置されていた
※『旅と鉄道 '83・秋の号』より

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1983年夏の豪雨で流された道床
この豪雨災害で鹿児島交通・枕崎線は
分断されて一部復旧したが
翌1984年3月18日に路線廃止となった
※『旅と鉄道 '83・秋の号』より

鹿児島交通・枕崎線が1983年の夏の水害によって枕崎~加世田が不通となると、枕崎駅に取り残された鹿児島交通のキハ100系1両が放置されて路線廃止後もしばらくそのままだった。 だが、路線廃止から1年後くらいに、車両基地の加世田に戻る事なく駅構内で解体されている。

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家(車両基地)に帰る事なく
放置されたこの地で
解体された鹿児島交通のキハ102
※『旅と鉄道 '83・秋の号』より

前述の通り、先に建設された南薩鉄道(現 鹿児島交通)の駅として開業した事から、鹿児島交通線の路線廃止後も、駅舎や敷地は2006年3月の解体まで一貫して同社が所有管理していた。 国鉄は同社の駅に乗り入れて開業した為、鹿児島交通枕崎線の廃線までは駅施設などの使用料を支払っており、国鉄の駅数にも計上されていなかった。

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その後ホームだけは
国鉄(JR九州)の管理となったが
駅舎は廃止後も鹿児島交通の
バスターミナルとして使われていた
※ ウィキペディア画像を拝借

その後、鹿児島交通・枕崎線の廃線に伴って正式な国鉄の駅となった事から、国鉄はホーム部分のみの管理となったが、駅舎は引き続き鹿児島交通の所有で実質的には駅舎が無い駅となっていた。
このホーム部分のみの管理は、JR九州に引き継がれた後もそのままであった。

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木製ラッチに柱ホーロー板の駅名標・・
古き良き時代の佇まいの
名駅舎だった枕崎駅の旧駅舎
※『旅と鉄道 '83・秋の号』より

駅舎内は引き続いて鹿児島交通のバス部門の職員が配置され、国鉄の社員は配置されずにバスターミナルとしての機能がより強かった。 2006年に再開発事業で駅敷地が地元スーパーマーケットのタイヨーに売却された為、駅舎は解体されて駅自体も鹿児島寄りに約100m移設された。

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旧駅舎の前に建っていた灯台を模した
最南端の終着駅のモニュメントは
跡地に建設された大型スーパーの前で
置き去りとなっている
※ ウィキペディア画像を拝借

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その置き去りとなった姿は
過去に水害で車両基地に戻れず
放置されていた鹿児島交通の
気動車と同じだったよ
※『旅と鉄道 '83・秋の号』より

駅舎跡地には店舗(タイヨー・ミドリ薬品)が建設されたが、旧駅舎の前に設置されていた『日本最南端の終着駅枕崎』と書いた灯台を模したモニュメントはそのまま残されている。 

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旧駅舎の取り壊し後は
鹿児島側に強制退去された上に
既存店舗で駅の位置さえ
判り辛くなっていた
※ ウィキペディア画像を拝借

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アスファルトに『←えき』と書かれた
路地のような通路に入って
右に折れるとようやく駅の明示があった
2013年4月に新駅舎が完成するまで
このような状態が続いた
※ ウィキペディア画像を拝借

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また車止めもご覧の有り様で
駅舎は元より庇すらないホームだけの
坊主駅となっていた
※ ウィキペディア画像を拝借

移設後の駅には駅舎が設けられなかったが、市民の寄付により2013年4月に新たな駅舎が落成している。 この駅舎は、2013年にグッドデザイン賞を受賞している。 この新たに建てられた駅舎の『枕崎駅』の相撲文字は、立行司の第36代木村庄之助(枕崎市出身)のものである。

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本土最南端の駅として
数多の鉄道紀行記事に
取り上げられている枕崎駅
※ ウィキペディア画像を拝借

日本国内における通常の鉄道では日本最南端の終着駅である事から、紀行などをテーマとした多くの作品で取りあげられている。 有名な著書では、『最長片道切符の旅』(宮脇俊三 著)の終着駅として当駅が取り上げられた。



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枕崎駅の駅名標
※ ウィキペディア画像を拝借

日本の鉄道が通る最南端の街・枕崎は、鹿児島交通・枕崎線の廃止後数年たった頃に初めて訪れたが、その時はあいにく『ヤマ期』で、枕崎に訪れた目的も夕日の名所・野間池の『通り道』としてで、『通り道』という事はもちろん車で訪れたのである。

寒ブリと夕日の名所・野間池
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鑑真和尚が上陸したと伝えられる
秋目浦から野間岬を望む

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野間池は火山でできたマール湖で
海とつながって湾となっている
野間池は寒ブリの好漁場で
東シナ海に沈む夕日の絶景が見られる

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野間池で撮った落日

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海を一望できる
『夕日の見える丘』で迎える落日

鉄道は過去のオタな『黒歴史』としての認識で、鉄道には目を背ける傾向にあったのである。 
なので、駅でひと休みする時に旧駅舎を1枚撮っただけと、今思えば勿体ない限りを尽くしていたよ。

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始めて指宿枕崎線に乗ったのは
『ヤマ期』の開聞岳登山の後で
最南端の駅として有名な西大山も
車ででしか訪れた事がなかったよ

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西大山も車では何度も訪れたが
始めて鉄道でこの駅に降りたのは
2022年の枕崎駅前寝の翌朝だよ
この写真も車で訪れて撮ってるしィ

次に訪れた・・というか、鉄道に乗って訪れたのが、【名峰百選】の完全踏破まであと4峰まで迫った1999年の九州旅で、九州に残っていた未踏峰の市房山・開聞岳と登った後に『時間潰し』で枕崎まで乗ったのだが、コレが初めての指宿枕崎線の乗車である。

名峰百選
ブサイクなアリバイ写真だけど
時は『1999年12月31日』の大晦日と
超絶『ミレニアム』だったのよ

ちなみに【名峰百選】の完全制覇は、1999年12月31日に丹沢の最高峰・蛭ヶ岳で『ミレニアム達成』している。 ここで、なぜ『時間潰し』といったのかというと、この時は【名峰百選】の完全踏破を控えた『ヤマ期』の最盛期であり、かつ鉄道は廃止ローカル線の廃止・淘汰と共に過去のオタな『黒歴史』として避けていたからである。

指宿枕崎線
口ては『オタ』と嘯いても
ローカル線『命』だった
濃い過去は消し去る事はできないよ

だが、心で避けようと思っても、廃止ローカル線を半分命賭け(真冬の北海道で駅寝してまで追っかけていた)で追っかけるなど、鉄道にはただならぬ情熱を傾けていた『根』があって、鉄道施設を見つけると「コレだけオタな『黒歴史』から除外」と呟きながら写真を撮っていたのである。

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こんな魅力的な路線を
『私鉄は無視』と決め込む
愚かな思考だった少年時代
※『旅と鉄道 '83・秋の号』より

特に、旧南薩鉄道の鹿児島交通・枕崎線は、路線在りし頃に『国鉄の廃止ローカル線優先主義』&『私鉄はガン無視』の愚かな思考で、訪れる事が可能だったにも関わらず見送った後悔の念もあるので、尚更駅舎だけは撮っていたのである。

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口では「オタな『黒歴史』」と
言いながらかなり未練タラタラ
だった『ヤマ期』のワテ
旧駅舎も撮っていたよ

でも、まだこの時は加世田の『南薩鉄道記念館』も開設前で、廃線跡遺構も駅跡を示す駅名標型のお墓が立つだけの『廃線跡めぐり』にとっては暗黒時代で、まだ『廃線跡めぐり』はメジャーなカテゴリではなかったのである。

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この時は『鉄』より『ヤマ』で
『キハ40』より『菜の花』だったよ

話は横道に逸れたが、『時間潰し』の訳を語るとしよう。 前述でも述べた通り指宿枕崎線は未乗線区ではあったが、オタな『黒歴史』の認識で鉄道を見ていたので完乗する気持ちはなかったのである。
開聞岳の登った帰りに指宿枕崎線に立ち寄ったこの時も、次の韓国岳に登るべく開聞駅(この時は駅舎があったけど、今は駅舎も屋根もない坊主駅となっている)で上りの西鹿児島行きを待っていたのである。

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開聞岳に登った1999年も
まだ旧駅舎が残っていて
鹿児島交通バスのターミナル
として活用されていた
※『旅と鉄道 '83・秋の号』より

だが、西鹿児島行きは3時間後にしかなく、40~50分後に来た枕崎行きで『時間潰し』をしたのである。
この枕崎行きが、枕崎で折り返して西鹿児島〔現在は鹿児島中央〕行きとなる訳である。
だから、先に西鹿児島行きが来ていたなら、開聞~枕崎は未乗のまま立ち去っていたと思う。

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あぁ・・確かに駅舎内は
こんな長椅子が並べてあったよ
撮らなかった事を後で悔いるのは
写真撮りの定だね
※ ウィキペディア画像を拝借

枕崎駅に着いた時は夕暮れ前で、『駅舎ウオッチング』もチラっとしかしなかったよ。 思うと、随分勿体ない事をしているなぁ・・、ワテ。 そうこうして、枕崎の『駅舎ウオッチング』ができたのは、旧駅舎は遠の昔に売却により解体撤去されて、駅跡地にデカいスーパーが建っていて、明らかに観光客向けに建てられた新駅舎での駅寝を目論んた時の事である。

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枕崎で夜間滞泊して
翌朝の始発となる運用である
こんなの撮るのは駅寝目当てで
訪れないと撮るのムリですね

だが、駅寝を目論んだこの駅舎は夜間締め切りとなり、列車が夜間滞泊するのである。
なので、駅寝は諦めざるを得ず、バス停ロータリー前にあるあずま屋にテントを張って駅前バス停寝をする。 従って、『駅舎ウオッチング』写真も、夜明け前に撮ったモノだけだったりする。

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夜明け前の駅看板と車止めは
とても不気味ですね

でも、この枕崎は、駅舎が締め切られて駅寝不能な事以外は恵まれた環境下にあったのである。
それは、駅から徒歩1分で銭湯があり、駅前を通る国道の横断歩道を渡った側にホカ弁屋があり、旧駅跡に建つスーパーは年中無休で開いているようであった。 また、コインランドリーも、スーパーの中にあるようだ。 このように放浪型の旅における『三種の神器』が、12/30という年末でも開いていたのであった。

r513-tabitethu (2)
廃車体が放置されて床から草が生えるなど
幽霊屋敷然となった鹿児島交通時代の枕崎駅
コレは見た記憶があるよ
それが今やウォシュレットトイレに
大店舗スーパーだもんね
時の流れって全てを覆す残酷な力があるね
※『旅と鉄道 '83・秋の号』より

そして、駅跡の再開発事業によってトイレもウォシュレットの暖かい便座の洋式トイレで、駅が締め切られる以外は『致せり尽くせり』なのであった。 だが、枕崎は、暖かい九州最南端の地といえども海沿いにある町で、冬の風は結構強風だったりして、テントがバタついたよ。 そして、バス停のあずま屋でテントを張っている事を見られても、気にもしないハードな心臓(『厚顔無恥』ともいう)も必要だ。

r513 (5)
偶然に乗れた全席指定席の
特急【指宿のたまて箱】号
もしこの列車に乗りたいが為に
予約を入れると旅の行程が縛られて
タダの移動日となってしまう

付け加えると、年末のドサクサに宿の予約が取れるハズもなく、初めから駅寝を決め打ちする必要もある。
宿を取るなら、何か月も前からネット予約しないと無理だろうね。 それに宿を予約すると、旅の行動範囲がギュッと狭まって旅の醍醐味を失うのである。

r513 (3)
もちろんこんな艶めかしい
光を浴びた朝の開聞岳を
魅るのはムリとなる

それはそうだろう。 こんな運行本数の少ない路線で宿を取ったなら、昼間の列車に乗って枕崎に着く必要があって、その日は列車に乗るだけでほとんど旅の行動ができないのだから。


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クドく続く5回目
これらを成立させる手法として
エンジンエレトニクス式の車両を使っての
特急の青森〜札幌運転と
料金不要の夜行快速〔はまなす〕を
復活をさせるのである

また夜行快速〔はまなす〕指定席車は
座席ではなくカーペット車両にするのだ
もちろん余った車両の改造で十分だ

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こうすれば北海道・東日本パスを使って
年末年始・春休み・GW・夏休み
シーズンだけでも
年間100万人単位で押し寄せるよ

そしてオプション券はJR北海道管内だけの
販売にすればこの100万単位の旅の若者は
必ずJR北海道に金を落としてくれるだろう
それも1人頭で2〜3枚は購入するだろうね

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これでシンカンセンの無駄な延伸建設費は
なくなり既存のシンカンセンの赤字も埋める
事ができるし計算上ではシーズンのみの
運行でも4~500億の収益となる
また経費も100億以下に抑えられるだろう

しかも夜行快速〔はまなす〕及び青森〜札幌
直通は先に上げたシーズンのみの運行にして
オフシーズンは中古車両を標準軌に改造して
青森〜函館に全車自由席の電車特急を運転
すれば更なるコストダウンとなる

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それとシンカンセンで廃止となる函館本線の
対象区間は残念だがやむを得ないと思う
路線バスでも撤退するような
利用しかないのだから
続く6回目は貨物対策





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No Subject * by hanagon60
旧枕崎駅、懐かしいです。
私の場合は急行「かいもん」利用(もちろん自由席)して伊集院から鹿児島交通で枕崎乗り継ぎというルートで薩摩半島一周し、当時としては珍しく途中、枕崎から知覧と坊津をバスを使って観光しています。
鹿児島交通の車両と枕崎駅、知覧が鮮烈な印象として残っていて、指宿枕崎線内の事はあまり記憶に残っていないのです。
例によって写真撮ってないのが大後悔なのですが。。

Re: No Subject * by  風来梨
hanagonさん、こんばんは。

鹿児島交通に乗車した事があるとは、何ともうらやましい限りです。
鹿児島交通があった私の現役時代は、九州といえば宮原線で、鹿児島交通は私鉄として敢えて無視する愚行をしてました。
そのツケが、5年ほど後の車で九州をめぐった放浪旅で、吹上浜のユースホステル(五右衛門風呂でした)で南薩線の写真アルバムを見て、あの時無視した愚行を猛烈に後悔した事でしたね。

枕崎から坊津まではバスがありますが、本当に行きたい野間池には何の交通機関もなく、道もクネクネ道で秘境然としてますね。 歳くって足腰が厳しくなったら、寒ブリを食べるべく訪ねるようなゆったりとした旅がしたいものですが、性格上たぶん無理ですね。

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No Subject

旧枕崎駅、懐かしいです。
私の場合は急行「かいもん」利用(もちろん自由席)して伊集院から鹿児島交通で枕崎乗り継ぎというルートで薩摩半島一周し、当時としては珍しく途中、枕崎から知覧と坊津をバスを使って観光しています。
鹿児島交通の車両と枕崎駅、知覧が鮮烈な印象として残っていて、指宿枕崎線内の事はあまり記憶に残っていないのです。
例によって写真撮ってないのが大後悔なのですが。。
2023-01-15 * hanagon60 [ 編集 ]

Re: No Subject

hanagonさん、こんばんは。

鹿児島交通に乗車した事があるとは、何ともうらやましい限りです。
鹿児島交通があった私の現役時代は、九州といえば宮原線で、鹿児島交通は私鉄として敢えて無視する愚行をしてました。
そのツケが、5年ほど後の車で九州をめぐった放浪旅で、吹上浜のユースホステル(五右衛門風呂でした)で南薩線の写真アルバムを見て、あの時無視した愚行を猛烈に後悔した事でしたね。

枕崎から坊津まではバスがありますが、本当に行きたい野間池には何の交通機関もなく、道もクネクネ道で秘境然としてますね。 歳くって足腰が厳しくなったら、寒ブリを食べるべく訪ねるようなゆったりとした旅がしたいものですが、性格上たぶん無理ですね。
2023-01-16 *  風来梨 [ 編集 ]