風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第31回  ちくま

『ネームトレイン』 第31回  ちくま

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急行【ちくま】
JR東海の特急【しなの】の
間合い車両が充てられていた
※ ウィキペディア画像を拝借

  急行【ちくま】 ・・ ちくまは、かつて大阪駅 - 長野駅間を、東海道本線・中央本線・篠ノ井線・信越本線を経由して運行していた準急・急行列車である。 晩年は、夜行列車として運転されていた。
列車名は、長野県松本を中心とする地方名『筑摩』が由来だが、ひらがな表記とした為に、甲武信岳が水源で奥信濃から越後に入り信濃川となって日本海に注ぐ『千曲(川)』が、同音という事で由来と誤解される事がある。

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末期のJR東海383形は
列車名表示枠が小さく
絵柄が何の図案か不明瞭な
急行【ちくま】の表示幕
※ ウィキペディア画像を拝借

1959年に準急列車として運転を開始して以降、定期列車として2003年まで運転した。 運賃面で有利な近畿地方と長野県を結ぶ夜行高速バスの増加など輸送情勢の変化に伴い、2003年10月1日のダイヤ改正以降は、行楽シーズンのみ運行される臨時列車に変更された。 なお、2005年10月8日以降は運転されていない。

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登場当初は旧型客車の
10系寝台車が連結された
※ ウィキペディア画像を拝借

前述の如く、大阪~長野を運行していた急行列車で、1959年12月に準急〔ちくま〕として登場した際には、大阪発長野行きが夜行列車で長野発大阪行きが昼行列車という凸凹な設定で、旧型客車による運転だった。

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キハ57が少数グループに留まった為
キハ58も投入されていた
※ 花輪線のキハ58

それから2年弱経過した1961年10月ダイヤ改正からは、キハ57形気動車による急行に格上げされた。
急行に格上げされてからも昼夜凸凹設定が続いたが、1966年3月25日のダイヤ改正で昼行1往復・夜行1往復に増便となって、昼夜凸凹設定が解消されている。

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当時新型車であった20系寝台
3両を含む10両編成は
寝台特急に匹敵する破格な運用だった
※『列車名鑑』より

そんな気動車急行時代に転機が訪れたのが、1978年10月のいわゆる『ゴーサントウ』の改正で、中央西線の電化から5年以上を経たこの年に、昼行に165系電車で夜行は20系寝台+12系客車が投入されて、最も華やかな時期を迎えた。

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残り1往復の昼行列車は
湘南型の急行車両165系が使用された
※『ホビコム』より

B寝台車3両を含む10両編成は、当時の客車急行の中では破格の車両編成だった。 しかし、1986年に夜行の1往復のみに減便され、車両も14系寝台+12系客車を使用する形に改められた。

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1990年代に入ると
車両のグレードアップで
14系15形客車が投入された
※『ホビコム』より

さらに後には14系15形客車も使用された。 寝台車両連結の客車定期列車としての最終形となったのは1997年10月で、この年のダイヤ改正以降は 特急【しなの】との共通運用化で383系を使用するようになった為、当然ながら寝台車両の連結は終了した。 また、編成の長さも、寝台3両を含む8両編成から6両に短縮されている。

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臨時列車は元祖振り子式の381形の
ワイドビュ前面改造車両を使っていた
※ ウィキペディア画像を拝借

その後、2003年10月改正で臨時列車化となり、2005年10月8日以降は運転されておらず事実上廃止となった。 臨時列車時に運用された車両は、元祖『振り子式車両』の381系だった。

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岩のオブジェを魅せる燕岳
燕・常念や後立山連峰
そして上高地からの槍穂高といった
北アルプスの山々に登る勤労登山者の
強い味方な列車だったのだが・・

この急行【ちくま】は、松本・長野方面の直通利用者だけでなく、塩尻で下車して上諏訪や茅野・富士見方面への中央東線へと向かう利用者も多くいた。 また、関西圏からの貴重な座席夜行列車という事で、北アルプス・大糸線方面の山への『ヤマ屋』(本格的な装備を担いで登る登山者)さんの御用達列車となっていた。

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車両横に表示される
列車名【ちくま】のレプリカ

《列車データ》
運行区間:大阪~長野 441.2km ※ 1959年12月の準急としての搭乗時より、1966年3月25日
                  のダイヤ改正で昼夜各1往復に増便されるまで、大阪発が夜行
                  長野発が昼行の凸凹運行となっていた

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登場時は旧型客車を
仕立てた準急列車だった
※ ウィキペディア画像を拝借

運行期間:1959年12月13日:大阪~長野で準急〔ちくま〕が運転開始
              運転当初は、長野行きが夜行列車、大阪行きが昼行列車であった
     1961年10月 1日 :サンロクトオのダイヤ改正に伴い、急行【ちくま】に格上げ
                だが、長野行きが夜行列車、大阪行きが昼行列車の設定はそのままで
                あった
       1966年  3月29日:ダイヤ改正に伴い、急行【ちくま】が1往復増便となり、昼夜各1往復
                の2往復となる

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臨時急行【くろよん】の名前の由来は
黒部渓谷にある黒部川第四発電所の
通称『くろよん』だったりする
※ 黒部渓谷にある黒部川第四発電所

       1966年 7月   大糸線直通の臨時急行【くろよん】と、大阪~松本で併結運転を実施
               臨時急行【くろよん】は、大阪発は夜行・大阪行きは昼行で運行された
       1968年10月 1日:ヨンサントオのダイヤ改正に伴い、1966年10月1日から運行していた
               大阪~日光の団体専用列車であった信州日光観光〕の大阪~長野の
               区間が分離されて、急行【彩雲】(さいうん)となっていたが、この
                 急行【彩雲】が急行【ちくま】に統合され、季節列車を含めて、
               急行【ちくま】は夜行列車1.5往復と昼行列車1.5往復の変則3往復と
               なる
               なお、この急行【彩雲】も、長野行きが夜行列車・大阪行きが昼行
               列車という変則的な運行ダイヤであった
      1971年 4月   : 昼行1往復が特急【しなの】に格上げとなり、夜行1.5往復・昼行0.5
               往復の2往復となる

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20系寝台は小僧の頃
何枚か撮ってたりしてた
※ 山崎のサントリーカーブにて

     1978年10月 2日:  急行【ちくま】の定期夜行列車が20系寝台+12系座席車に置き換え
              られる
              なお、季節列車の1往復(大阪発夜行・大阪行昼行)は電車で運転
              されるようになり、急行【くろよん】の併結列車は、定期運行の急行
               【ちくま】から電車化された季節列車の急行【ちくま】に変更となり
               【くろよん】の大阪行も設定される
              なお、臨時の急行【ちくま】は、湘南型の167系で運行された

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ワてが鉄道旅をしていた時に
急行の座席車の代表格だった
オール直角椅子の12系客車
※ ウィキペディア画像を拝借

      1986年11月 1日:急行【ちくま】の定期夜行列車が、12系客車及び14系寝台車化される
              急行【くろよん】併結の季節列車の急行【ちくま】が臨時列車化

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車両のグレードアップ化で
寝台特急にも使用されている
14系15形寝台車が投入された
※ ウィキペディア画像を拝借

      1994年12月 3日:急行【ちくま】の寝台車が、14系15形寝台車に置き換えとなる
              B寝台が2段寝台にグレードアップとなる
      1997年10月 1日:急行【ちくま】の定期夜行列車にJR東海の383系電車(ワイドビュー
              電車)が投入され、エル特急【しなの】と共通使用となり、寝台車の
              連結が終了となった
      2003年10月 1日:ダイヤ改正により、急行【ちくま】の定期夜行列車が臨時列車に変更
              されて、臨時列車は『元祖振り子式車両』の381系電車で運転される

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2003年に臨時列車化され
その2年後の2005年の臨時運転以降は
このトレインネームは運行される
事がなく現在に至っている
※ ウィキペディア画像を拝借

     2005年      : 長野発は1月3日の列車、大阪発は10月7日の列車(いずれも始発駅基
              準)をもって、当該年度の運転が終了し、以降は運転されていない
              2004~2005年にかけての冬の臨時列車は、上下とも運行された
              2005年の春以降は大阪発のみの運転となり、秋で運転が終了した        

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12系客車を使用した
急行【ちくま】

停車駅:大阪・新大阪・京都・大津・米原・大垣・岐阜・名古屋・〔千草〕・〔多治見〕・
    木曽福島・塩尻・松本・聖高原・篠ノ井・長野
  ※〔〕は下りのみ停車で、上下とも中津川で運転停車していた

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四国に渡って急行【いよ】の
運用に就いていたキハ57
この形式は碓氷峠のアプト式区間を
牽引を受けて走行可能にするべく
ブレーキ装置のみ車止めテコでなく
ディスクブレーキにしたもので
基本性能はキハ58と何ら変わらない
※ ウィキペディア画像を拝借

使用車両:キハ57系気動車 - 1961年~1963年9月の運用で、急行【志賀】・【丸池】・
             【とがくし】との共通による広域運用だった
     キハ58系気動車 - 1963年10月~1978年10月の運用で、キハ57系の各形式も編成に
              組み込まれる事があった
     スハ43系など + 10系寝台車(臨時列車及び準急時代)
     12系客車 + 20系寝台車 - 1978年10月~1986年10月の運用
     12系客車 + 14系寝台車(後に14形15形寝台) - 1986年10月~1997年9月の運用

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客車急行時代の中央西線の牽引機は
JR貨物から借り受けたEF64だった
※ ウィキペディア画像を拝借

中央西線・篠ノ井線内の牽引機はJR貨物愛知機関区所属のEF64、東海道線内の牽引機はJR東日本田端機関区所属のEF65だった。

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リバイバル運転がされた
湘南型急行用167系による急行【ちくま】
※『鉄道ファン』より

     165系電車 - 臨時列車として運用
     167系電車 - 臨時列車として運用

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末期は特急【しなの】そのままの
グリーン車も連結された車内設備で
列車名幕だけ【ちくま】変えて使用していた
※ ウィキペディア画像を拝借

     383系電車 - 1997年10月1日~2003年9月30日の運用
     381系電車 - 2003年10月1日~2005年10月7日の臨時列車時代に運用

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この【しなの】用の車両は
もう30年選手なんだね
※『急行ちくま号・乗車レポート』より

乗車経験大阪発の下りで大阪~松本で乗車(主に大糸線沿線にある後立山連峰登山の際に利用)
撮影経験:ナシ


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前回の続き
また東京から札幌まで5時間を
僅かに切る最速便も運行されて
航空機からのシェア奪還も視野と
脳ミソが膿んだ事をのたまっているが

シンカンセン通しでの東京〜札幌の
運賃・料金は35000円前後となるだろうし
コレは旅客機の通常価格の
40000円弱とそれほど変わらないのだ

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それに旅客機の早割や格安航空会社を使うと
2万そこそこでコレは例え5時間を切っても
倍以上の所要時間がかかって
料金が旅客機の1.5倍の「遅くてより高い」
現状の立ち位置は変わらないのだ

現実には札幌延伸で今の年間200億の赤字が
300億に増えて建設費の償還や利子を含めると
年間で400億の赤字を生み出す
真にステージ4で死亡確定の
ガン細胞となるだろうね

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こんな金をドブに棄てるような事に
税金を使うなら一刻も早く延伸建設を凍結して
既存の区間もシンカンセンを新青森で打ち切り
快速と特急の2本立てに戻せばいい

青森〜木古内が三線軌条なのを利用して、
特急は青森から室蘭本線経由で札幌直通の
設定にするのもアリだがトンネル区間での
気動車の排ガス問題をクリアする必要はあるね

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一例として定期電車特急に
連結して牽引させるとか
これは三線軌条の狭軌を通らねばならないので
狭軌用の車両を保有しておく必要はある

それかディーゼルハイブリット車を
導入して青森~函館のみ
エンジンによる発電を停止して
パンタグラフを上げて電車運行にするとか

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そして延伸建設でドブに捨てるも同然の
7000〜8000億という金は増税が取り沙汰
されている国防費にまわせばいいのだ
続きは
赤字を生み出す轍となったシンカンセンを
止めて赤字が増えるのを阻止した上で
低コストで成り立つ増収策の考察おば




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