2023-01-03 (Tue)✎
岬めぐり・・ 野付崎
2023年の謹賀新年のキハ40に続く新年の記事1発目は、季節記事の『岬めぐり』おば・・。
夏と連続で北海道にするのは避けたい思ったが、尻屋崎を『日本百景』の通常記事でつい最近に掲載したので、冬の情景を魅せる岬は北海道しかなかったしィ。
野付崎灯台
:
強い光力の灯台ではないものの
国後島との最狭部にある為に
国後島に光が届くという
※ ウィキペディア画像を拝借
野付崎 のつけさき (野付風連道立自然公園)
北海道標津郡標津町及び野付郡別海町にある細長い半島の先にある岬で、別名・竜神崎とも呼ばれる。
また、半島一帯は野付風蓮道立自然公園に属している。 岬の属する野付半島は延長28kmにわたる砂嘴であり、規模としては日本最大である。 また、野付半島・野付湾は、湿地の保全に関するラムサール条約に登録されている。
野付半島のランドサット衛星写真
※ ウィキペディア画像を拝借
『野付』の名はアイヌ語で下顎を意味する『ノッケウ』に由来し、砂州の形状をクジラの下顎になぞらえて付けられたものと考えられている。 だが、クジラの下顎というよりオキアミや小海老に形が近いだろう。
半島の付け根にあたる部分が標津町に属し、その先の大部分が別海町に属する。 半島付け根付近には民家が存在するものの、別海町に属する先端部に民家はほとんどなく、野付半島ネイチャーセンターと、漁業関連や土木・建設関連の資材置き場が存在するのみである。
野付湾の干潟から望む
野付半島ネイチャーセンター
※『NAVITIME』より
野付半島ネイチャーセンターは、トドワラへの遊歩道入口にあたる半島先端部に位置し、専門員が常駐し野付半島周辺の動植物や地理、歴史を解説展示(常設)している他、動植物観察会等の各種イベントを実施している。 食堂や売店も併設している。
野付半島は寒冷地域特有の穏やかな春季と秋季の短さが目立つ気候で、夏は概して霧が多く、7月上旬ですら日中の気温が11℃という時もあるほどに寒冷な地域である。 一方で冬季の降雪量はそれほど多くはなく、風量が多いものの晴天にも恵まれる。 流氷も接岸する事がある。
野付半島は猛禽類の王者
オオワシの生息地だ
:
目一杯トリミングしたので
ブレブレ写真だわ
砂嘴によって囲まれた湾部は野付湾と呼ばれ、干潟やアマモ場が分布している。 そこには多様な底生生物(甲殻類や貝類など)が生息しており、またそれらを餌とするキアシシギやオオハクチョウ・コクガン・タンチョウ・ベニマシコ・オオジュリンなどの渡り鳥も数多く飛来する。
干潟は野鳥の餌となる
小エビや貝類などが豊富で
多くの渡り鳥が飛来し
また渡り鳥や湿地に潜む小動物を捕らえて
食する猛禽類の野鳥も多く生息する
その数は毎年2万羽以上にもなるという。 冬には知床半島同様、オオワシやオジロワシが集結する。
その為に、2005年11月1日に国指定の野付半島・野付湾鳥獣保護区(集団渡来地)に指定され、その1週間後の11月8日にラムサール条約登録湿地にも登録されている。
夏の野付崎はエゾカンゾウの花が
咲き乱れる原生花園となる
※ スンマセン
別の所で撮ったモノです
夏季と秋季には数多くの花々が見られ、歩行路を飾る事から通称『フラワーロード』とも呼ばれる。
また、トドワラ(トドマツの立枯れ)やサンゴ草も分布し、独特の風景を保持している。
エゾシカ
:
※ スンマセン
別の所で撮ったモノです
陸生の動物ではオコジョ・イイズナ・ヤチネズミ・キタキツネ・エゾシカなどの哺乳類が棲息する。
その他、数多くのチョウ類やトンボ類、固有種では千島列島南部・根室半島・野付半島にのみ生息するノサップマルハナバチも見られる。 海生動物ではゴマフアザラシが湾内の砂州で休息し、観光船から観察できる。 ミンククジラ・カマイルカ・ネズミイルカなどの鯨類も半島周辺に現れる。 時にはシャチが現れ、シロイルカの確認例もある。
ナラワラはまだまだ多くが
立存している
2022年6月に環境省は、野付半島と風蓮湖・根室半島周辺を国定公園の新規指定候補地として選定し、既存の野付風蓮道立自然公園を拡大する形で2030年までに国定公園指定を目指すとしている。
だが、近年は砂州からの砂の流出が激しく、また地球温暖化による海面上昇の影響により砂州が年々狭まり、道路近辺まで海面が押し寄せてきている。 最近は低気圧・地震・高潮等気象条件により立ち入り禁止になる事も増えており、将来は近いうちに砂州および道路が海水により切断され半島ではなく島となり、野付半島自体が消失する事が危惧されている。
野付半島の詳細図
行程表
根室市厚床より車利用(1:20)→尾岱沼(1:20)→野付半島ネイチャーセンター
ネイチャーセンターが開館していれば野付・トドワラ散策・往復で所要1時間半~2時間
野付半島ネイチャーセンター(0:20)→野付崎灯台の灯台前まで徒歩約10分
野付崎灯台(0:30)→野鳥飛来地(0:30)→標津町市街
約35年前の立在していたトドワラ
野付半島へは、『オホーツク縦貫鉄道の夢・再び』と称して、かつて鉄道が敷かれたり敷設計画があった所をなぞって、根室から稚内への旅をした時に立ち寄ったのである。 だが、当初は立ち寄る予定はなかったのである。 それは、『オホーツク縦貫鉄道』の通った跡地を忠実に辿ると、野付半島は通らないからである。 だが、前日に春国岱と温根沼で野鳥の楽園を目にしてから、旅の計画が変わったのである。
旅の予定は『通らずの橋』
根北線の第一幾品川橋梁を
訪ねる計画だった
※ 春に撮った写真です
翌日は、天気があまり思わしくなく小吹雪の状態だった。 当初立てた計画では根室の道の駅から厚床に出て、このまま標津線の厚床線の跡に沿った道を通って中標津に出て、標津から根北線の越川に向かうべく根北峠を越える予定であったが、別海にあった道路表示板で根北峠が冬季は通行止と表示されていて根北峠は通れない事が判ったのである。
原野のオアシス・中標津
原野から空港やら百貨店やらがある
街に飛び出すギャップが凄かった
この通行止が判った事で、このまま標津線の跡に沿った道を通って中標津に出ても、根室標津を往復して標茶に戻るだけで旅としてはあまり面白みがないので、厚床線跡はパスして国道244号をオホーツク海沿いに標津まで北上する事にしたのである。
この国道を北上すると、ハクチョウ飛来地の尾岱沼や野鳥の楽園・野付半島をめぐる事ができる。
小吹雪の悪天の中で雪に埋もれた廃線跡をめぐるより、春国岱や温根沼で魅せられた野鳥の楽園を追っかける方が旅も充実する事だろう。 だが、尾岱沼は氷結して真っ白けでハクチョウの姿もなく、そのまま通り過ぎる。
もしかしたらオジロワシかも
でもやっぱりオオワシかな?
そして、オジロワシの聖地といわれる野付崎に向かう。 野付崎は野付トドワラがあり、もう30年以上も前の高校生の時以来、久々に訪れる地である。 その時はユースホステルのツアーに参加して、チャーターしたワンボックスで尾岱沼・野付トドワラ・開陽台と目まぐるしく周っただけだったので、野鳥の楽園など知る由もなかったのである。 まぁ、この時はローカル線=鉄道命だったけど‥ね。
オホーツク沿岸を北上していくうちに、空模様は幾分マシとなって、雪も小降りとなってきた。
だが、海沿いという事もあって、風はすごぶる強い。 やがて、半島の付け根まで出て、半島内にある『野付半島ネイチャーセンター』の看板の指し示す通りにV字格で右折する。
半島の付け根にある
野付の最終集落
半島の付け根の分岐にある集落が、野付半島の最終集落のようだ。 右折してしばらく行くと、野付半島で最も細く消滅危機があるという所を台形のような陸橋で越える。 これは、砂嘴から砂が流失して道路の敷地も海に埋まるのを防ぐべく、また砂嘴の負担を軽減すべく半分海に飛び出るようなルート取りで陸橋を設けているようだ。
砂嘴はエビのような形なので
半島の最も狭い部分の
台形の橋が望める
やがて、休業中で遊歩道も雪に埋もれているネイチャーセンターを過ぎたあたりから、ナラワラが見えてきた。 ナラワラは健在で結構よく見えるが、その奥のトドワラは風骸化が進行して、近年には倒壊・消滅する危機があるという。
ナラワラは数多く立存している
干潟は半分凍っていた
ナラワラも海際は
倒壊しているモノが見られた
なお、トドワラの見学はネイチャーセンターを介してでしか入れないし、真冬は通路が雪で埋まって通れないので、今回は見送りで写真は今から35年前のユースホステルのツアーで訪れた時のトドワラおば・・。 この時は、トドワラもまだ立ち残っていましたね。
35年前はまだ
トドワラも立存していた
ナラワラは『ワラ』とは
言えないほどに林立していたよ
35年前からトドワラは
あと10数年で全て
倒壊するだろうと言われていた
トドワラ・ナラワラを見学したなら、次は岬灯台に向かうとしよう。 ネイチャーセンターを過ぎてしばらく進むと道路はダートとなる。 雪が風で飛ばされてダート路の地床が見えていた。 ダート道を1kmほど奥に進むと、岬灯台というにはお粗末な野付崎灯台が現れる。
風も強かったし
灯台もそそらなかったので
灯台前には行かずに
車の傍で望遠で撮ったのみ
今まで目にした岬灯台はどれも感動を呼ぶほどに立派だったので、この灯台はかなり見すぼらしいモノに見えたよ。 風が吹きずさんでいた事もあったし、灯台前に行く事はやめておいたよ。
今度こそオジロワシ・・かな?
灯台を見た後は、砂嘴の中ほどにある葦の湿地帯に向かう。 目的は、もちろんオジロワシやオオワシなどの野鳥の撮影だ。 でも、この時は、まだ野鳥撮影のコツを全く分かっておらず、黒い点となったり飛ぶ鳥が流れたりして、ロクな写真が撮れなかったよ。
オオワシが数羽佇んでいた
だから渡り鳥は一切寄りつかない
オオワシがウミウのように
皆して同じ向きで
同じポーズを取っていたよ
オオワシの飛空戦
トリミングすればブレブレ写真に
なる事は解っているのに
それどころかトリミングしなくても
ブレブレ写真で
今回の野鳥撮影は完全な失敗で
リベンジに向けて
強い志を持つ事ができますた
これで野鳥撮影というリベンジ項目が、また一つできたよ。 野鳥撮影を楽しんだ後に野付半島を後にして、『オホーツク縦貫鉄道の夢の跡』を追う。 ちなみに、冬季の根北峠は閉鎖となるが、摩周湖の美幌峠を通る国道243号線は常時除雪されて、冬には釧路と網走を結ぶ唯一の道路となるみたい。
美幌峠のドライブインも開いてたよ。 ここで遅めの朝昼飯(そういえば朝から何も食ってなかった)でラーメンを食したよ。
波打ち際でたたずむオオワシの姿は
真に哀愁漂う中年のオッサンだわ
北海道シンカンセンの札幌延伸と
不要となった在来線の淘汰で
JR北海道は立ち直れる
札幌延伸で函館~札幌で
最も優位に立てるので
利用シェアを大幅に取り戻せる
東京からも5時間を切りシェアを取り戻せると
夢物語を語るアホウがいたよ
でも北海道シンカンセンは存在自体が
鉄道全てを食いつぶす
ステージ4のガン細胞そのもので
札幌延伸で更に赤字が嵩み
北海道の鉄道全体が立ち行かなくなるよ
それは函館~札幌は
シンカンセンを延伸せずとも
今の在来線の特急【北斗】で
ほぼ全てのシェアを保持しているのだ
それを乗換えを要して
値段が1.5倍となるシンカンセンとなると
値段や乗換えに嫌悪感を抱いた乗客が
乗り換え不要で料金が1/3の
高速バスに乗り換える事も考えられる
それにシンカンセンの札幌延伸で
今まで独占していた
函館から室蘭本線の主要都市への需要の
ほとんどを失う事となるだろう
いわゆる「中の抜け落ち」である
それは函館~千歳・苫小牧・室蘭などである
むしろそれは札幌~函館よりも
大きなウェイトを占めるのだ
2回の乗り換えを要し
乗換えのロスで時間短縮効果が殆どなく
なおかつ料金が1.3倍上がる
負のスパイラルでほぼ全てを失うのである
なぜなら長距離利用客にとっての乗換えは
旅行ケースなど大きな荷物を抱えて
座席を確保せねばならないなど
大きな負担となり特に子供連れは
尋常ならざる大きな負担となるのだ
それを新函館北斗と長万部で2回食らえば
40~50分のロスと座席確保の労苦という
大きな負担を生じるのである
自由席利用なら特に・・である
比較して函館から室蘭本線の主要都市まで
乗換えなしで料金が1/3なら
所要時間で1時間半延びる事は
大した問題にはならないだろう
そして大きな荷物も
バスのトランクルームに預ければ
荷物を気にする必要もない
これらの事から札幌延伸で更に乗客を失う
魔のスパイラルに陥りかねないのだ
:
長くなるので次回に続く
次は延伸の建設費6000億の事を主題に
- 関連記事
-
- 岬めぐり・・ 野付崎
- 岬めぐり・・ 積丹岬・神威岬
- 岬めぐり・・ 経ヶ岬
- 岬めぐり・・ 禄剛崎
- 岬めぐり・・ 大間崎
- 岬めぐり・・ 足摺岬
スポンサーサイト
Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
野付半島は私も学生時代というか、高1の春にYHのツアーで行ったきりでした。
その時はトドワラもほとんどが立存していましたが、あと10数年で全て倒れるとガイドさんがアナウンスしてた事をハッキリと覚えています。 30年以上経った数年前に訪れた時は、冬季で閉鎖されていて確認できませんでしたが、全てが倒壊している『トドワラ跡』となっているようです。
30年以上前のその時は開陽台を周って中標津で解散し、標津線で標茶に出ましたけど、今はあの大平原に鉄道路線があった事は「ちょっと考えられない」事なのでしょうね。
あの頃の旅は、旅を全く知らなかった分、全てにおいて輝いた体験となりましたね。
野付半島は私も学生時代というか、高1の春にYHのツアーで行ったきりでした。
その時はトドワラもほとんどが立存していましたが、あと10数年で全て倒れるとガイドさんがアナウンスしてた事をハッキリと覚えています。 30年以上経った数年前に訪れた時は、冬季で閉鎖されていて確認できませんでしたが、全てが倒壊している『トドワラ跡』となっているようです。
30年以上前のその時は開陽台を周って中標津で解散し、標津線で標茶に出ましたけど、今はあの大平原に鉄道路線があった事は「ちょっと考えられない」事なのでしょうね。
あの頃の旅は、旅を全く知らなかった分、全てにおいて輝いた体験となりましたね。
付け根からトドワラまで歩こうかと思ったのですが流石に遠すぎてヒッチハイクでトドワラまで乗せてもらいました。まだトドワラも立派なものもあったと記憶します。
帰りもヒッチハイクで。今ではちょっと考えられないです。
その野付半島も消滅の危機さえあるとは隔世の感があります。