風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  路線の思い出 >  『路線の思い出』  第512回  白糠線・北進駅跡原野

『路線の思い出』  第512回  白糠線・北進駅跡原野

『路線の思い出』  第512回  白糠線・北進駅跡原野 〔北海道〕

r512-t.jpg
かつて必死になって追いかけた
路線の終着駅の跡は
跡形が全くない雪の原野となっていた

北進駅(ほくしんえき)は、かつて北海道白糠郡白糠町上茶路にあった国鉄・白糠線の駅である。
白糠線の廃線に伴い、1983年10月23日に廃駅となった。 同線の終着駅であったが、片面ホームと線路一本で駅舎もないという、延伸を目的に持った途中駅然とした構造の駅だった。

r512-2 (2)
お別れ運転の準備がされていた
路線廃止10日前の北進駅

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する駅で、同線の終端駅であった。 ホームは線路の西側(北進方面に向かって左手側)に存在した。 開業時からの無人駅で駅舎はないが、ホーム北側の出入口から少し離れた場所に待合室を有した。 1981年度の1日乗降客数は4人との事。 周辺の人口も僅かで、列車本数も1日3往復であった為、若干学生の利用があるだけだったといわれている。

r512-kamicyaro (2)
岩盤の崩落で坑口が埋まった
上茶路炭鉱の通洞坑口

r512-tanken.jpg
かつては坑口から続くこのアーチ枠の中を
石炭を満載したトロッコが
石炭を運び出していた
年間10万トンを超える出炭に支えられ
閉山までのたった4年であるが
白糠線は優良路線となっていたのである
※『上茶路炭鉱の探検・奥の細道』より

1964年に白糠~上茶路で営業を開始し、年間10万トン以上と好調だった石炭輸送に支えられ、足寄・上士幌を経由して根室本線のバイパス線構想をぶち上げるなど強気の延伸構想を抱いた白糠線は、1970年に当駅までの工事を完成させていた。 だが、当駅までの延伸工事が完成した年の初めの2月に、主要貨物であった雄別炭鉱・上茶路鉱が閉山となり、同時に運ぶべき貨客のない原野をゆく路線に転落していた。

r512-kamicyaro (3)
板で塞がれた上茶路炭鉱の坑口と
掘り出した石炭を運び出すトロッコの
レールを護るアーチ枠
※『北海道の炭鉱坑口』より

沿線にあった炭鉱の閉山で居住者は相次いで離村し、全くもって利用客が見込めない事は明白で、国鉄は開業を渋っていた。 そんな中、時の運輸大臣の後押しもあり、1972年にようやく開業にこぎつけた経緯がある。 このような訳で、北進から更に延伸して池北線の足寄までつなぐ延伸計画は白紙となり、1972年度から建設予算がゼロとなって工事は凍結されて未成に終わっている。

白糠線
炭鉱が閉山となった後に
この駅に人が集まったのは
路線廃止前の1~2週間前から
路線廃止までの間だけだった

その後、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)が1980年に施行され、それに基づいて白糠線が特定地方交通線の第一次廃止対象線として指定され、地元も諦めムードが漂いそれほどの反対もなく1983年10月23日に路線廃止となり、地方閑散路線廃止の最初の事例となった。 国鉄再建法による路線廃止の最初の事例になった事もあり、営業期間は僅か11年と短命であった。

r512-2 (4)
僅か11年の短い生涯だった
北へ進む願いを込めた駅・北進駅

建設工事実施計画認可時点の仮称は釧路二股(くしろふたまた)であり、もとの地名は茶路川の分岐に由来する三股(現在の同地の地名は二股)であったが、今後も更に北方に進み開拓と発展を願って、駅名は『北進』と命名された。

r512-3 (4)
雪解け時に再訪した北進駅跡

路線廃止後に、2両の編成に満たない長さの棒線ホームは撤去されて細長い空地になっており、原野化が進行して自然に回帰している。 また2001年時点では、駅跡の近くに『第二十三茶路川橋梁』などが残存している。 橋上は轍は見られるが、この先の路盤跡が藪化するなど自然回帰している為、車の通行は不可能と思われる。



r512-4.jpg
上茶路駅で駅の依託員さんが
車に乗って売りに来ていた
『上茶路から北進ゆき』の硬券乗車券
学生の本文をかなぐり捨てて
平日に廃止となった白糠線を
追っかける旅に出たあの頃

上茶路と同様、廃止後に最初に訪れた時は、駅跡の位置が判らずに見逃していた『我が青春のローカル線』白糠線の北進駅跡。 当然、鉄道の遺構は何も残っておらず、また筆者の『鉄道好き』としての資質も、『我が青春のローカル線』と熱中して追いかけていた路線の廃線跡を見つけられずに素通りするなど、『鉄』として破門レベルのナンチャって『○鉄』なのである。

img737.jpg
この生涯のお宝写真である流氷列車も
暖冬で流氷が接岸する事ないなど
何度も流氷に振られて確か4度目の
廃止の前年にようやく本願成就したのだ
そして名寄本線廃止の年(1989年)は
流氷が接岸する事がなく終わり
文字通りこの時が流氷列車が撮れる
最後の年となったのだ

でも、シクじった事に対してのリベンジ心は、唯一褒められる(のか?)強い願望と根性で、ヤマでも滝でも写真撮影でも、どんな事をしようが歳月をかけようがリベンジを成就しているのである。
成就せずに放り投げるのは、若き日の勉学と現在の仕事くらいである。←トコトン腐っているな、このタワケ・・

r512-dd665.jpg
上茶路なんか国道を挟んだ
逆の位置にあったとの間違った記憶で
反対側を車で走り回ったり
するなど4度も見落としている

そこで、この北進駅跡も2回発見できずに通り過ぎて、3度目に訪れた冬にようやく発見できたのである。 それは、『かつての北進駅は、砂利道をつづらに降りた先にあった』という事を思い出した為である。
路線在りし頃の北進は紛いなりにも集落地を形成していて、この先でダートとなって行き止まりだった道道(現在は全線が舗装されて、本別峠を越えて本別までつながる国道392号線となっている)沿いに二股の集落があり、小中学校や郵便局、何でも雑貨屋の商店もあった。

r512-dd665-f.jpg
道道665号・上茶路停車場線の
終点付近に上茶路炭鉱があった
※『北海道道665号・上茶路停車場線』より

だが、今はこれらの全てが廃業や閉鎖・閉校となり、道路沿いの建物は廃屋かそれを利用した農機具倉庫と化していて、集落は国道から地名の由来となった左股・右股へと抜ける町道(現在は道道143号線で、最奥の右俣にある農場が1件のみで以降の集落は消滅して原野となっている)との分岐点に数件固まって存在するのみである。 民家が5~6軒ほどの集落に過ぎない。

r512-kamicyaro (1)
板で塞がれた上茶路炭鉱の坑口
開坑から閉山までの僅か
4年間だけではあったが
白糠線の存在意義を伝える遺構
※『北海道の炭鉱坑口』より

民家は、国道沿いからこの場所に移動したのだろう。 要するに、何度も北進駅跡を見落としたのは、集落が移転して少し様相が変わった為に判り辛かったからだと思う。 この分岐から右股への道を100mほど行くと、右に除雪されてない脇道があった。 この脇道前の除雪車転回場にレンタカーを止めて、この雪の吹き溜まりとなった脇道をラッセルで下っていく。

ズボズホハマるラッセルで、つづら折りとなった坂道を150mほど下ると、原野となって久しい北進駅跡地があった。 ホームが設置されて列車が来た時でも原野同然だった北進駅跡は、原野を凌駕した輪廻転生の理を現す光景が広がっていた。

r512-2 (1)
雪原をズボズボと歩き周って
かつてはこうだったと
ここに待合室があったなどと
思い返してみたりもした

もう、線路跡もホームがあった後も待合室があった所も雪で真っ平に埋まり、丈の半分までが雪下に埋まった樹々の上半分が枯れ枝となって乱立している、真に『輪廻転生』の『転』の部分をひたすらに推し進めている最中だった。 これが『転』から『生』に変わると、完全なる自然回帰となるのだろうね。
この何もない情景に、かつて必死になって追いかけていたモノがあったと思うと、胸がジーンとなったよ。 この光景を目にして、氷点下十数℃の寒さのせいもあったけど瞼が熱くなったよ。

r512 (2)
思いが募って真っすぐに延びる
線路跡の雪原を歩きだし
途中で北進駅跡を振り返る

思わず、白糠線の線路があったと思われる真っすぐな雪面跡を白糠方向へ向けて歩いてみる。 
歩いていくと降雪で薄っすらと消えかけた轍が現れ、「こんな雪に埋もれた原野の状況でも車が通るんだな」と思ったよ。 だが、これは思い違いだったようだ。

r512-2 (3)
振り返り見た情景は
北進駅から少し藪の中を歩いて撮った
この写真と同じ場所だったのだ

r512-3 (3)
雪解け時に同じ場所から
白糠方向を望む

これに沿って歩いていくと、ラッセルは必須だがそれほどズボズボとはハマらない。 恐らくこれは、今の季節に車が通ったのではなく、雪のない季節に通った車の轍に雪が冠雪した時に、周囲との雪の根付き具合の違いから車が通った後のような轍の雪紋が雪面に現れるからだろう。

r512 (1)
『第二十三茶路川橋梁』で
前進を諦め引き返す
なぜなら橋の中ほどで
右側の欄干が雪で埋まり
転落の危険性があるからだ

そして、やってきたのは、白糠線の遺構として残る『第二十三茶路川橋梁』で、白糠線が根室本線のバイパス線として、特急の通過も想定した高規格で建設された証であるコンクリート陸橋の頑丈な橋梁だ。

r512-3 (2)
雪が消えると十分に車が通れる
車道橋となるが周囲は原野で
この橋を渡る目的が見いだせない

r512-3 (1)
次に架かる橋を渡ると
線路跡は藪化して通れなくなり
右に延びる川岸の踏み跡を伝って
国道に戻る他に進路はなくなる

なので、路線が廃止となった後にレールを撤去するだけで車道橋に転用できるのだ。 だが、周囲にこの橋と路盤跡を道路として通るべくの『需要』となるものが全くない文字通りの『原野』なのだ。

白糠線・上茶路
自然回帰の力は凄ましい
樹々がホームのコンクリートを突き破り
あるいは包み囲んで同化して
樹々自身のコロニーと化していくのだから

だから、この構造物が朽ち果てるまでのあと100年ほどは『転』がつづくだろうね。 でも、自然の回帰の力は凄ましいよ。 樹々の根がコンクリートの駅ホームを包み込み、あるいは突き破って同化しつつある上茶路駅ホームを垣間見て改めて感じたよ。


にほんブログ村 鉄道ブログ 廃線・未成線へ
経営者層に搾取されるばかりやら
搾取されるままに従う労働者と
世間全てを詰る寄生虫のオッサン
でも搾取以前に会社が利益を上げねば
給料は上がらないよ

でも搾取されるままなのも
給料が上がらないのも
仕事に腹が立つのも
会社利益に貢献するどころか
足を引っ張ったからでしょ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
そして己が税金が元手の公的給付に
チュウチュウと寄生する寄生虫なのに
家庭を持ち戦略的に子供を作れだの
子に金(=力)をどれだけ遺せるかなどと
寝言をホザいてるけどホント頭大丈夫?

仕事が嫌だ!経営者に薄給で
使われるのが嫌だ!と逃げた奴は
子供どころかテメエが
生きていくだけでも手一杯で
子に金など残せる訳ねえだろうがよ

にほんブログ村 鉄道ブログ 廃線・未成線へ
それにこれから高校・大学と進学する子は
仕事が嫌だと無職になった親父を見て
どう思うか考えてみるといい

到底進学なんかできそうにないと
涙目になっているよ
それに今の子は防御力がないから
少しのイジメや挫折で
簡単に首に縄をかけるよ

にほんブログ村 鉄道ブログへ
もうスマホを持ってないだけで
イジメのターゲットになり得るのだから
親父が仕事が嫌で無職になって授業料
(公立高校でも年に10数万要る)
が払えず学費免除となると

すぐに校内中に知れ渡り
ロクデナシな親の子として奇異な目で見られるよ
そして今の子はそういう状況に
耐える精神をもってないよ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
これは同じく親父が働かず
学費免除を受けたワテ自身の体験に
基づくから本当だよ
まぁワテは図太く「学校なんかクソ食らえ」
の精神だったので屁でもなかったけど

でもワテはあくまでも特殊で
しかも昔は学費も払えない親の子と
他人の家庭環境に口を挟む奴はいなかったが
今は仲間内からハグレる行いや状況は
途端にイジメやシカトのターゲットだよ

PVアクセスランキング にほんブログ村
だから結婚するのも子供を作るのも
己の全てを犠牲にしても
我が子の為に働き続ける事を
覚悟できる奴以外はダメなんだよね
それは自身ではなく子供に害が及ぶ事だから






関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可