風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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名峰百選の山々 第38回  剱岳 その1 紅葉めぐり act 2

名峰百選の山々 第38回  『52 剱岳 その1 紅葉めぐり act 2』 富山県 
立山山系(中部山岳国立公園) 2998m コース難度 ★★★★  体力度 ★★★
 

今回歩いた絢爛豪華な秋ルート 行程図
 
   行程表               駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 富山地鉄・立山駅よりケーブルカーと高原バス利用(1:10)→室堂(2:40)→剱沢
《2日目》 剱沢(2:20)→真砂沢小屋前
《3日目》 真砂沢小屋前(1:40)→ハシゴ谷乗越(1:40)→内蔵助平(2:20)→内蔵助谷出合
     (1:40)→黒部第四ダムよりトロリーバス利用(0:15)→扇沢よりバス 
     (0:35)→JR・信濃大町駅
  ※ 『名峰百選 第37回 剱岳 その1 紅葉めぐり act 1』《1・2日目》行程からの続き
 

朝日に染まる剱の上に月一つ

  《3日目》 内蔵助谷を越えて黒部ダムへ・・
テントから出て鹿島槍や剱の本峰が赤く染まるのを見ながら、昨日の残りのパンを朝飯として食う。
ひと通りの準備をしての出発はAM6時半。 さて、今日はどんな素晴らしい情景を魅せてくれるのか。
何はともあれ、一晩お世話になった《真砂沢》に感謝の礼をして、さあ出発だ。
 

かぎろいの空に
後立山の盟主が浮き立つ
 
シーズンが終わってやや荒れ始めてきた登山道を《仙人池》の方向に進む。 石コロが転がる道を10分ほど歩くと、ドでかいスノーブリッジが沢を完全に覆い尽くした所に出る。 そこには看板が立ててあり、そこにはこのように記されてあった。 『真砂沢の橋は外されています 黒四ダムへはこのスノーブリッジを渡る』と。
 

一見何でもないように見えますが
崩れたら生き埋め確実の
“スノーブリッジ”です
 
まぁ、結構ぶ厚そうなスノーブリッジで恐怖感はなかったが、『秋の残雪のスノーブリッジを渡れ!』とは常識で考えたらかなりおっかないのである。 崩落でもしたら、もちろん生き埋めとなって助からないだろうし。

このスノーブリッジを渡った対岸の土手にはロープが垂れ下がっており、道を示す『道標リボンの花』もチラホラと咲いていた。 これを渡って、この垂れ下がったロープで土手に取り付く。 急傾斜のこの土手をよじ登ると、樹林帯の中を縫うように歩いていく。

やかて《真砂沢》の橋へのアプローチ道分岐へと出るのだが、今現在は橋が外されていて“行き止まり”となるので、橋方向へは進入できぬようにゼブラロープで封じられていた。 
そしてクドイ位に、「橋が落とされているので巻き道を使え!」との警告看板が立てられていた。 この分岐を過ぎたあたりから、《黒部》に向けての道程の『瞼』の如く立ちはばかる黒部別山 2353メートル の山体越えの急登が始まる。

この登りは「キツくもなく、さりとて緩くもなく」といった案配で、樹林帯の中なれどつづらを切る事なく斜め一直線に登っていく。 足場は大きな岩が埋まる歩き辛い状況だ。 振り返ると、樹林の合い間から剱の本峰がデンと立ちはばかっているのが見える。

この樹林帯の登りをつめていくと大きな岩が転がるゴーロ地帯を跨いで、今までとは明らかに植生の異なる潅木の樹林帯に突入する。 この樹林帯に突入すると頭上に青空や光が見え隠れし、これを目にすると否応なしに「もうちょっとだ!」と気がはやる。 だが、ここからがしつこい。 
樹林帯の上に出てもその先は尾根上を伝うように続いていて、尾根の段差毎に木製のハシゴが立てかけてあった。 その数10ヶ所あまり。

たぶん、このハシゴがこの乗越の名称《ハシゴ谷乗越》の所以だろう。 ハシゴを昇る事でかなり高度を稼ぎ、いつのまにか視界から剱本峰が消えて、針葉樹林を針山のように突き出した黒部別山の山体がデンと立ちはばかる情景となる。 そして、なかなか尽きる事のない登りが、この針山の方へ向けて続いている。

黒部別山がハッキリと横に見え出すと、ようやく長い登りが終わってクマザサが覆う通路となる。
そして、峠と思しき吊り尾根状の所に出る。 ここで90°左に折れて緩やかに下り出す。
たぶんここが《ハシゴ谷乗越》なのだ・・と思うが、それを示す標識が一切見当たらない。 
なので、ちょっと日陰になった所で“峠に登りついた”と解釈して休憩を入れる。 ここまで、1時間40分程だった。 登りに関してはコースタイム通りで、まずまずの結果となった。
 

涼風が舞う峠で鹿島槍の双耳峰を
見ながらの贅沢な一服だった

木陰の先に鹿島槍ヶ岳がそびえ、涼風が舞うなかなかの休憩場所だ。 この木陰より100mほど歩くと、黒部別山への踏跡と《黒部ダム》への下山路との分岐を示す看板が見えてくる。 この分岐を直進すると、先程の針山のような黒部別山への登路となる。 ちょっと行った所に剱本峰を望む展望台があるそうなのだが、この先どれ程時間がかかるか読めないので自重する事にした。
 

峠を越えると今度は
立山が織り成す
秋景色へと誘われる

下山路は右手に折れ、痩せ尾根から斜めを切って急下降していく。 足元は岩がゴロゴロして歩き辛いが、眼下に広がる《内蔵助平》とこれを囲むようにそびえる立山三山の情景が格別だ。 
山に囲まれたカール地形のような“うつわ”の中が紅葉で色めき立っている。 これを目にすると、早くその“うつわ”の中に立ちたい・・と心がはやる。
 

ルートはゴロゴロとした巨岩が
転がる枯れ沢だった
 
だが、その思いとは裏腹に、登山道は左端に刻まれた枯れ沢の筋に潜り込んでいく。 つまり、この“うつわ”の外周に切られた枯れ沢を伝っていくのである。 従って、立山三山と《内蔵助カール》が魅せる、スラッとした山姿と山肌を彩る紅葉を時折目にする事ができるだけである。
 

秋色が立山三山と
カールを染め上げて
 
折魅せる絶景に浸りながらこの枯れ沢の筋を伝っていくが、それにしても長い。 白い大きな岩コロが転がる沢筋を炎天下に延々と歩かされると、徐々にではあるが干上がってくる。 それに大きな岩コロが転がる河原状の道筋で、ヘタすればつまづいて石を蹴飛ばしたり挫いたりして足が潰れてしまう危険もあるのだ。 実際、最後の方はヘタって顔の側面から汗が垂れてきた。
 

秋に色めく樹々を織り交ぜて
秋を演出してみた
 
あまりの長さに「もう、1時間以上河原きをしたか」と思えた頃、河原の真ん中に赤ペンキで『トマレ! NO!』と殴り書きされた大岩が見えてくる。 その横に、赤ペンキで書かれた矢印をわざわざ黄色ペンキで囲んで浮き立たせた道しるべを記した岩があった。 あまりにも目ざといので『いたずら書き』にも見えるが、どうやらいずれも道標のようだ。 ちなみに、『トマレ! NO!』の岩を進むと枯れ沢から本流へ落ち込んでしまうようである。

正規の道は“めざとい矢印”に従って右側の土手に這い上がっていくのだが、土手の上に上がって《内蔵助平》の“うつわ”の中に入ると清らかな水のおりなす楽園が広がっていた。
 

エメラルドに輝く清水の沢を渡る
頼りない橋だけどあって良かったよ

キラキラと輝く水がエメラルドの淵を魅せ、立山の山なみから続くカールの“うつわ”が色とりどりの秋の色彩で彩られていた。 「夏ならばこの“うつわ”が花盛りとなるのだろうな」などと想像しながら歩いていく。 
エメラルドに光る沢を簡易ハシゴで渡りると、《内蔵助平》の分岐に着く。 素晴らしいカールの楽園を魅せる《内蔵助平》だが、この分岐だけは何か荒れ果てたように見えて雰囲気はあまり良くなかったが。

とにかく、カール地形の底に着いた。 「乗越からここまでかなりの高低差を下ったから、後はそんなに厳しい下りはないだろう」とこの先の道程を楽観的に考えていたが、それは『甘い考え』であった。
これからが、《黒部渓谷》の《下ノ廊下》に勝るとも劣らない難路だったのである。
 

黒部別山の南峰は
最も秋色に染まっていた
 
ルートは切り立った崖の中腹につけられ、その左手100m下に乗越から歩いてきたあの枯れ沢が今や大きな沢に出世した《内蔵助沢》が寄り添う『へつり道』となるのだ。 しかもその幅はかなり狭く、岩がゴツゴツして歩き辛い。 また、一枚岩の大岩を下ったり、架ける所に乏しいのか、アサッテの方向を向いたハシゴを伝っての岩崖下りを強いられる場面もあった。
 

立山の秋色は
淡い山吹色が主役のようだ
 
地図上でこの区間のコースタイムは『上り2:00、下り1:20』とあったが、到底1:20では行けそうにない。 なぜなら、急いてバタバタと下るとつまづいたり、最悪は細い通路を踏み外して沢へ転げ落ちる危険性があるからだ。 この区間は足場をよく見て慎重に下っていかねばならない所なのだが、沢を挟んだ対岸にはこれまた絢爛豪華に彩られた《大タテガビン》の屏風絵巻が煌びやかに続き、集中力と視線を奪い去ってしまうのだ。
 

大タテガビンの三兄弟も
淡い山吹色からほのかな紅色まで
思い思いの衣を纏っていた
 
だが、前述のように足場が覚束ない所なのでザックを下ろすスペースはほとんどなく、危険な『へつり道』地帯の通過であるのにカメラを首にぶら下げてザックを背負ったまま、幾度となく立ち止まっては写真を撮るという危険を繰り返す。 まぁ、すれ違う人がいなくて良かったよ・・って、そういえば《2日目》の《剱沢》で登山者3人グループと遭遇して以来、全く人と遭っていないなぁ。
 

崖上の細い獣道で
身動きが取れない身に
この錦絵巻は酷なのかも
 
「小屋が閉鎖されただけで、こんなに山は静寂になるものなのか」と少し呆れる状況だ。
結局、『山小屋』という手助けがなければ、(多くの人の思考としては)山は入れないという事だなって思う。 人が自然適応能力を失って久しい(もちろん、私も含めて)っていう“悲しい現実”を思い知らされた感がある。

さて、この厳しい『へつり道』を2時間ほど行くと、いよいよ出合が近いのか《内蔵助沢》が落差のある瀬滝となり、段をなして瀬を落としていくのが見えてくる。 落差にして、都合50~60mって所だろうか。
もちろん、この瀬滝に名前などあるはずもなく、『《内蔵助沢》の無名滝』としか呼びようがないのである。
 

幾重にも段を重ねる
内蔵助沢の無名滝
 
この瀬滝前でひと息着こうと沢に出てみると、ここでようやく26時間ぶりに人にあったよ。 
荷物の大きさから、恐らく《黒部渓谷》からの日帰りハイカーだと思われる。 話をしてみるとやはり予想通りで、「下ノ廊下が通行止なのでここに来た」との事であった。 
 

黒部渓谷・下ノ廊下が見えてきた
・・がここからが長かった
 
さて、『《内蔵助沢》の無名滝』を過ぎたら出合は近いハズなのだが、ここからもエグかった。
高度的に沢に近づいて“沢に転げ落ちる”心配はなくなったものの、ロープを手繰っての『土砂崖下り3連発』が待ち受けていたのであった。 手はパンパンに張るわ、屈み腰で腰が疼くわと、かなり肉体的に辛い下りであった。

そんな、こんなで無名滝から出合に出るだけで30分使い、《内蔵助平》から出合で《下ノ廊下》に乗るまで都合2時間20分もかかってしまった。 だが、ここからの“本家”『へつり道』の《下ノ廊下》は完全な“安全パイ”で、取り立てて危険な所はなかった。 まぁ、『危険なへつり道』の“本家”である《欅平》側の方は、「通行できません」と書かれた看板とゼブラロープで進入が封じられていたが。
 

黒部渓谷に掛かる無名滝
裕に70~80メートルの落差があった
 
後は色めく紅葉と標高差2000m以上で“天を突くが如く”そびえ立つ針ノ木岳を見ながら歩いていくと、巨大な黒い要塞のような《黒部ダム》の堰堤が見えてくる事だろう。 これが見えたら、長い下山行程も終わりで・・はない。
 

針ノ木の尖峰が見え出すと
ゴールも近い
 
まだ、“最後のお努め”が残っていた。 それは、このダム堰堤の頂上部までのイッキ登りである。
下山で気力を使い果たし、そして『終点』のダム堰堤を目にした事で“ヤル気”が殺がれた後での100mを越える高低差のイッキ登りは、かなりコタえるのである。
 

剱の谷を彩る絢爛絵巻よ
次も是非・・
 
    ※ 詳細はメインサイト撮影旅行記より『剱の谷へ紅葉狩り』を御覧下さい。




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