2023-01-01 (Sun)✎
もうこの歳になると、正月は休みである喜びの他は「また歳を食ってしまった」という嘆きしかないんだよね~。 でも、取り敢えず、「明けましておめでとうございます」の略して「明けおめ」でございます。 本年もこのブログを見捨てないよう、宜しなにお願い致します。
それで、謹賀新年記事は『anniversary 40万アクセス』の続きで、キハ40形気動車の国鉄時代編をお届けしようと思います。 ちなみに、この記事がアップとなる元旦は、根室の道の駅で車寝してると思います。
走行性能への批判はあったが
鄙には惜しい朱色の美人の
キハ40形気動車
宮原線・麻生釣にて
国鉄キハ40系気動車は、1977年から1982年にかけて国鉄が製造したディーゼル機関搭載の気動車である。 なお、同一の設計思想により製造された片運転台式の中間寄り扉設置のキハ47形、同じく片運転台式で寒冷地仕様のデッキ付きのキハ48や、これらの改造により発生した派生形式も含める事にする。
桜満開の駅風景を魅せた粕淵駅
:
花見のできた駅・粕淵も
三江線の廃止によりもう存在しない
この形式は1977年から1982年にかけて計888両が製造され、日本全国各地に投入された。
最初の投入は、1977年2月の北海道用の二重窓を装備したキハ40形及び、福知山地区の山陰本線京都口用のキハ47形であった。 なお、キハ48形の投入は1979年からである。
美濃太田駅で発車を待つ越美南線列車
:
越美南線のような勾配のある線区では
非力ゆえに単行運転ができず
キハ58などの2エンジン車と
組んでの運行となっていた
電車に近い車体構造の気動車で、当時の在来気動車に比べて客室設備の改善や走行機器の刷新などが図られている。 一方、在来の気動車よりエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、運動性能はあまり向上していない。
本系列の主力形式は、客用の片引き戸を車端部2か所に設置した両運転台で単行運転が可能なキハ40形と、キハ40と主要設備は同じで片運転台式のキハ48形と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別され、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いと便所の有無によって番台区分されている。
恐らく興浜北線と共に最も
復活して欲しい路線・興浜南線をゆく
元沢木(仮)付近にて
開発の経緯
1950年代中期に量産された国鉄初期の液体式気動車であるキハ10系は、1970年代後半に入ると老朽化が目立つようになる。 キハ10系はエンジンの非力さを軽量化で補う方針であったが、当時の技術との兼ね合いもあって同時期の客車や電車よりも車体断面が小さく、接客設備や台車も簡素なものとなっていた。
春爛漫の江ノ川に沿って行き交う
三江線のキハ40のラッビング列車
明塚~粕淵にて
その為に、1970年代に入ると早くも時代遅れを臭わせる陳腐化が顕著となり、特に座席と台車設計の不備による乗り心地の悪さが問題となっていた。 キハ10系は台車の心皿荷重上限が小さく、重量増となる座席の交換や、ロングシート化による定員増が困難(定員増は荷重増につながる)で、交換用台車の新製などの改造予算確保より新車製造予算の確保が優先され、1970年代後半まで抜本的な対策が講じられなかった。
人影稀な不毛の地でも
極少数の交通弱者たる利用者の為に
正確な時刻で列車を運行する
優しさと力強さが当時の鉄道にはあった
標津線・奥行臼~厚床にて
一方で、1970年代の国鉄は労使紛争が激しく、組合側は労働環境の改善を強く要求していた。その一環として、国鉄車両にも安全対策や整備性の改善が求められ、国鉄ではこの時期に1950年代から1960年代にかけて設計された量産形式を基本に随所を改良したマイナーチェンジ車を製造し続けていた。
本系列もその方針の下にキハ10系のほか、1950年代後半に製造されたキハ55系とキハ20系の老朽化も視野に入れ、それらの代替用として開発された経緯がある。
朝霧をついて日に3本の
一番列車がやってきた
宮原線・麻生釣付近にて
本系列は1974年に開発されたキハ66系をベースにしており、車体や制御回路・変速機・ブレーキ方式などの基本構造は同系を踏襲しているが、搭載機関は同系搭載の12気筒から基本設計を共通化しつつ6気筒として出力を半分に落とし、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計としている。
氷点下26度という猛烈にシバレた夜
空気中の水蒸気も凍り
駅の灯がカクテルライトの如く輝いていた
上興部駅にて
また、国鉄時代には全国で大規模な車両の配置転換を行っていた事から、暖房やラジエーターなど酷寒地向けを基本として設計された箇所が多く、温暖地で寒地向け車両が使用される場合は過剰装備となっている。 なお、本系列ではそれまでの気動車のように、北海道向け車両を別形式とせず、同一形式内での番台区分としたのも特徴である。
終着の北見相生駅にて
折り返し発車までのひと時を憩う
キハ40形単行気動車
構造・外観
全長21.3 m(車体長20.8 m)、幅2.9 mで既存の急行形気動車同等の大型車体である。
前面の形状はキハ66系を踏襲し、踏切事故対策としての高運転台化や床下前面へのスカートの装着がされている。 運転台窓は運転席からの視認性に配慮して、側面部に回り込んだパノラミックウィンドウとなり、前照灯は上部左右にシールドビームが2灯、尾灯も左右に在来形気動車よりも高い位置に2灯が設置され、貫通路上には列車種別表示器が設けられている。
冬の丘陵越えは
雪を巻き上げながら
上り下りしていた
標津線・泉川~光進にて
寒地形・暖地形の窓枠は、外はめ式のアルミ合金製2段ユニット窓として工数を削減している。
一方、酷寒地形は小型の1段上昇窓で、内窓を組み合わせた二重窓構造として、冬季の車内保温を図っている。 また、キハ40形・キハ48形の寒地・酷寒地形は、客室と出入り台の間に仕切り扉を設けたデッキ付きにして、寒冷時の保温を図っている。 なお、製造当初の車体塗装は、『首都圏色』と呼ばれる朱色5号一色のいわゆる『タラコ色』塗装であった。
列車交換を終えて名寄へと向かう
夕暮れ時の名寄本線単行列車
:
学校や仕事からの帰宅ラッシュの
時間帯だというのに単行列車で事足りる
輸送量でしかなかった名寄本線の山線区間
上興部にて
設備
キハ40形・キハ48形は車体両端2か所に1 m幅の片開き扉、キハ47形はやや車中央寄り2か所に1.3 m幅の両開き扉を設けており、いずれもステップ付の半自動扉である。 当時の在来車(主にキハ20系列)のような半自動式用ではなく、自動に切り替え可能な半自動動作としており、人力での開閉はやや重かった。 その為、デッキ付きのキハ40や48など寒地向けの形式では、降雪時の重い扉の手動開閉は乗客の負担が大きい為に、自動開閉に動作変更されている。
三江線では国鉄時代には珍しく
ラッピング塗装された
キハ40が入線していた
明塚~粕淵で江ノ川を渡る三江線列車
座席はボックスシートを基本として、ドア付近のみロングシートを配したセミクロスシートとしている。 ボックスシートはシートピッチをキハ58系までの急行形車両と同等の1,470 mmとし、一般形気動車としては初めて人間工学を採り入れた新形状のものとした。
桜満開の粕淵にて
:
JR西日本のキハ130形のように
今の新造車はトイレも端折られて
乗客の不興を買い後付けでトイレを設けた
ケースもあるのでキハ40の設備は
今の車両より遥かに秀でているといえよう
便所はキハ40形は出入り台側から内開き扉、キハ47形・キハ48形は側面の客室通路側引き戸から出入りする方式とし、水タンクは屋根上搭載の重力給水式として、ポンプや空気配管を不要としている。
汚物処理装置は搭載を考慮してスペースを確保する準備が施されていたが、当初は地方路線の汚物処理施設整備が進んでおらず、全車が従来通りの垂れ流し式であった。
喘ぎ喘ぎ登ったピークの駅・麻生釣で
必ず一息着いていた宮原線列車
動力機関
従来のDMH17系機関に代えて、DMF15HSA形(連続定格出力220 PS / 1,600 rpm・連続定格出力時燃料消費率185 g/PS/h・最大出力250 PS/2000 rpm)を搭載している。 この機関は水平シリンダー形の予燃焼室式直列6気筒機関であり、TB11B形排気タービン過給器を装備している。 このエンジンの定格時燃料消費率は、旧来のDMH17系と比べても改善されておらず、後にJR東海がカミンズ社製の直噴式エンジンに機関換装を行った際には、燃費が30%近く改善したという。
クッチャロ湖畔を行く
天北線の花形列車・急行【天北】
:
エンジン換装で出力を1.5倍増強して
車内改装で急行仕様に就いた車両もあった
液体変速機・減速機
液体変速機はキハ65形・キハ66系に搭載されたDW9形をベースにとして、急行・特急運用向けに中高速での伸びを重視したもので、発進時の伸びは考慮されておらず重くなった車体と相俟って、発車時の鈍重さは激音で唸っているもののトロトロとしか発進できず、キハ40の非力に対する批判の矢面となっている。
花見のできた駅・三江線粕淵にて
台車
酷寒地形・寒地形は空気ばね台車を採用していた。 一方、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルばね式の台車を装着していた。 枕ばねを横剛性の高いダイアフラム型空気ばねとして揺れ枕吊りを廃止した事や、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、コイルばね台車を装着する一般的な急行形気動車(キハ58系列)より優れた乗り心地となっていた。
自然豊かな地をゆくローカル線は
それほど夏は暑くなく窓を開ければ凌げるが
冬は極寒の豪雪地帯が大半で
暖房装置は必須となる
名松線・伊勢鎌倉~伊勢八知にて
冷暖房装置
暖房はキハ20系の後期製造車やキハ45系の温水暖房式から、一部のバスでも採用されている温風暖房式となった。 これは機関冷却水を床下の熱交換器に通し、ここに外気および室内空気を通して温風として車内に循環させる方式である。
一方、冷房装置は製造時には設置されず、準備工事も見送られた。 当時は地方路線の冷房化は時期尚早であると判断された他、車両重量が大型化や事故対策などで増加した為に満足できる走行性能が得られず、その為に自重増となる発電セットの搭載や、機関出力を低下させる直結式冷房装置の搭載が困難であった事も理由に挙げられる。
非力な性能ゆえに山岳区間では
2エンジン車のキハ58と
組んで運行されていた
越美南線・北濃付近にて
車両性能に対する批判など
本系列の大型化した車体や追加装備は重量増加の原因となり、主機関の出力が低い事と併せて著しく非力で走行性能が低かった事から、この低性能やそれを招いた国鉄の開発姿勢に対して、有識者から多くの批判があった。
後ろにつないだ2エンジンのキハ55と
自重でほぼ同じの36~37 tと
秀でた車両装備の代償は
重さからくる低い走行性能だった
名松線・伊勢奥津にて
それは、1機関搭載の従来型と比較すると、キハ10型が28~32 t、同様の構成のキハ45形が33.0 tであるのに対し、酷寒地向けのキハ40で36.8~37.6 tと1割~2割の自重アップとなった。 これに対して搭載された機関の連続定格出力は220 PSで、単位重量あたりの出力ではキハ10系とキハ20系の1機関搭載車よりもやや劣る数値となったのである。 この為、新型車両でありながら走行性能は低く、地方線区のダイヤ改善にも支障を来していた。
低い出力で本線運行に就くべく
2エンジンの旧来車と
ゴチャ混ぜの編成で運行していた
西佐川~佐川にて
この為、電化区間へ乗り入れる場合は、電車に比べ甚だしく加速力が劣る為に足並みが揃わず、ダイヤ作成の弊害となった他、平坦な非電化線区においても機関2基搭載車基準のダイヤでは運行できず、本形式が運用に入る列車は別途遅いダイヤを設定しなければならないなど、スピードアップの阻害要因となっていた。
ローカル線の光と影
宮原線・宝泉寺~麻生釣にて
:
「鄙には惜しい美人」と
例えられる姿は『光』を表し
その鈍重な走行性能は
『影』と捉える事ができるだろう
低出力による加速力自体の低さに加え、変速機の特性上で低速域の引張力が小さい為、起動はキハ20などと比べても甚だ鈍重で加速も悪く、前述でも記した通り「起動時に激音を上げているのにトロトロとしか発進できない」=旧世代のキハ20系列より性能が悪いと揶揄されていた。
雪原の中を単行気動車がたどる
:
北海道開拓の使命を終えると
人口希薄地帯をゆく閑散線区として
淘汰される運命にあった北海道開拓路線
布川~北見相生にて
相生線〔北海道〕 美幌~北見相生 36.8km 1985年4月1日路線廃止
阿寒に向かって延びていた北海道開拓路線で、利用客の流れが始発駅の美幌ではなく、この地域の主要都市・北見であった事で利用客が伸びずに路線廃止となった。 また、阿寒湖に行くにも、北見相生駅からバスに乗り継いで約1時間を要した。
流氷漂うオホーツクの絶景をゆく
沢木~元沢木(仮)にて
興浜南線〔北海道〕 興部~雄武 19.9km 1985年7月15日路線廃止
『オホーツク縦貫鉄道』構想の一翼を担った路線で、興浜北線の北見枝幸とつなぐ計画だった。
オホーツク海岸沿いをゆき、冬季の流氷が漂着する車窓は圧巻だった。
有人駅で減築される前の
国鉄札沼線の終着駅・新十津川にて
:
当時は日に6往復あったが
まさか1日1往復となり路線廃止となるとは
思いもしなかった事である
札沼線〔北海道〕 桑園~石狩沼田 111.4kmであったが、1972年6月19日に新十津川~石狩沼田の34.9km、2020年5月7日に北海道医療大学~新十津川 47.6km(実質はコロナ感染拡大の影響で4月17日を最後に運行休止)が路線廃止となり、現在は電化区間となった桑園~北海道医療大学のみが残る。
2020年5月に廃止となった北海道医療大学~新十津川は非電化区間で、特に途中の浦臼から新十津川は1日1往復のみの運行として有名だった。
阿蘇5岳の烏帽子岳と杵島岳が背景の
絶景を行く高森線列車
中松付近にて
高森線〔熊本県〕 立野~高森 17.7km 1986年4月1日に南阿蘇鉄道に経営移管
2016年4月に発生した熊本地震での被災で、立野~中松が以降不通となっていたが、2023年夏に全線復旧予定。 車窓より阿蘇五岳が望める。
ぎっしりと敷きつまった流氷原という
オホーツクの絶景を行く
沙留付近にて
名寄本線〔北海道〕 名寄~遠軽・中湧別~湧別 143.0km 1989年5月1日路線廃止
国鉄再建法施行による廃止路線の中で、唯一本線を名乗っていた。 元々は石北峠を避けて網走に至る本線として名寄・北見の双方から建設された路線で、オホーツク沿岸で両端の網走・稚内に次ぐ都市・紋別市を通り、『オホーツク縦貫鉄道』構想の主翼を担っていた路線である。 オホーツク海岸沿いをゆき、冬季の流氷が漂着する車窓は圧巻だった。
現在で言う『丹波路快速』の
キハ47・4連の快速列車
特急及び長距離列車の発着ホーム
大阪駅11番線にて
福知山線〔兵庫県・京都府〕 尼崎~福知山 106.5km
非電化当時から、全列車が大阪駅へと乗り入れていた。 1986年11月1日に福知山線全線の電化が完成し、線内運行の気動車列車は電車に切り替えられた。
かつて炭鉱貨物のヤードであった
駅の敷地が雪に埋もれて
万字炭山にて
万字線〔北海道〕 志文~万字炭山 23.8km 1985年4月1日路線廃止
終点の万字炭山は、閉山となって捨てられた出炭施設の残骸が茫洋と佇み、周囲は廃屋となった炭鉱住宅がの廃墟が建つ重苦しい雰囲気だった。
典型的な何もない
田舎町を行き交った矢部線
山内駅付近にて
矢部線〔福岡県〕 羽犬塚~黒木 19.7km 1985年4月1日路線廃止
延伸予定の矢部村から路線名がつけられ、最終的には熊本県の宮原線・肥後小国までの建設計画もあったという。
春まだ浅い
奥美濃の最奥地・北濃に到着した
キハ48とキハ58の2連
越美南線〔岐阜県〕 美濃太田~北濃 72.2km 1986年12月1日に長良川鉄道に経営移管
路線名通りに福井から九頭竜湖まで延びる越美北線とつなぐ計画があったが、成し遂げられずに第三セクター・長良川鉄道に経営移管された。
興浜北線のリベンジではキハ22の運行で
キハ40は夏のフイルム間違いの
失敗旅で撮った写真の
白黒サルベージ写真しかない
三江線〔広島県・島根県〕 三次~江津 108.1km 2018年4月1日路線廃止
江ノ川沿いを行く路線で陰陽連絡路線の期待を持って建設されたが、川に沿って蛇行する為に直線距離の1.8倍を擁し、到底陰陽連絡路線の機能は果たせなかった。 沿線は江ノ川流域の閑村地帯で、岩手県の岩泉線が路線廃止となってからは、82人/日と日本一輸送密度の低い路線となっていた。
国鉄当時は終点だった美濃神海駅で
折り返し発車を待つ樽見線列車
樽見線〔岐阜県〕 大垣~美濃神海 24.0km 1984年10月6日に樽見鉄道に経営移管
セメント輸送があった事から西濃鉄道が主要株主となって第三セクター鉄道として引き継いだ路線である。 移管初期は好調なセメント輸送に支えられて悲願であった路線名の樽見までの延伸も適ったが、セメント輸送の陸送(トラック輸送)化により経営はかなり苦しくなっている模様。
木造駅舎だった
かつての新吉野駅舎が写った
貴重な写真です
根室本線〔北海道〕 滝川~根室 446.8km
1981年10月の石勝線の開通で、札幌への優等列車は石勝線経由に切り替えられ、滝川~新得は普通列車のみの閑散区間に転落した。 また、2016年夏の台風災害で不通となった東鹿越~新得は、鉄道復旧を断念して路線廃止となる事で地元自治体が合意したようである。
幾春別川に沿ってゆく幌内線列車
唐松~弥生にて
:
並行する路線バスが30分に1本あって
撮影が楽だった廃止ローカル線の幌内線
幌内線〔北海道〕 岩見沢~幾春別 18.1km
三笠~幌内(貨物専用支線)2.7km 1987年7月13日路線廃止
運炭路線として建設され、一時期は日本一の黒字線となった事もあった。 幌内(貨)駅跡は、三笠鉄道記念館として鉄道公園整備されている。
若狭湾に注ぐ寸前の由良川河口に架かる
由良川橋梁を渡る宮津線列車
丹後神崎~丹後由良にて
宮津線〔京都府・兵庫県〕 西舞鶴~豊岡 84.0km 1990年4月1日に北近畿タンゴ鉄道に経営移管
天橋ノ立を擁する観光路線として、北近畿タンゴ鉄道主導で宮福線(宮津~福知山)が電化開業されて、大阪から直通する電車特急が運行されている。 だが、既存の宮津線区間は利用客が減少気味で、宮福線の利益で成り立っているようである。 現在は高速バスを本業とするWILLERグループが経営権を買い取り、宮福線も含めて同社運営の『京都丹後鉄道』となっている。
観光資源を多く抱えながらも
過疎地域ゆえに利用者の増加につながらず
減便されて更に輸送密度が悪化する
悪循環に陥って廃止となった湧網線
仁倉付近にて
湧網線〔北海道〕 中湧別~網走 89.8km 1987年3月20日路線廃止
サロマ湖沿いをゆく風光明媚な路線で、網走から紋別に行くには石北本線の特急に乗って遠軽経由で行くよりも30分ほど早く着けたが、いかんせん運行本数が5往復と少なすぎた。 JR移管10日前に、追い立てられるように路線廃止となった。
旅客が増えたのではなく
車両基地の直方に回送する為に
増結されて4連となった上山田線列車
臼井~大隈にて
上山田線〔福岡県〕 飯塚~豊前川崎 25.9km 1988年9月1日路線廃止
運炭路線の主線区として建設された路線で、開業時は現在の筑豊本線が原田に延伸するまでは『筑豊本線』の一部となっていた。 だが、エネルギー革命による石炭産業の斜陽化によりこの上山田線も凋落するが、それでも飯塚~上山田は筑豊地域のベットタウンとしてそれなりに輸送実績があった。
だが、いわゆる『油須原線』構想で延伸された上山田~豊前川崎は、石炭輸送が打ち切られてからの開業で、石炭輸送の実績は一切なく朝夕のみ4往復で輸送密度は当時『日本一の赤字線』であった白糠線以下という惨状で、これに巻き込まれて第二次廃止対象線に指定されて全線廃止となった。
国鉄時代の山陰本線は
普通列車でも気動車の長大編成で
壮観な眺めだったよ
保津峡をゆく山陰本線の普通列車
山陰本線〔京都府~山口県〕 京都~幡生・長門市~仙崎 677.6km
現在もキハ40が主力として活躍しているが、京都口や米子口で電化されて、キハ40の活躍域は閑散区である出雲市~下関が中心となっている。
氷結したクッチャロ湖畔を行く
天北線の単行列車
山軽~安別(仮)
天北線〔北海道〕 音威子府~南稚内 148.9km 1989年5月1日路線廃止
北海道の風景の原点ともいえる広大な原野をゆく路線で、札幌からの直通急行【天北】も運転されていた。 音威子府~稚内で言えば、輸送密度は路線廃止時でも宗谷本線の幌延経由より多かった。
廃止路線の中でもひと際目立たず
ひっそりと冬休み明けの1月10日に
路線廃止となった宮之城線
薩摩大口にて
宮之城線〔鹿児島県〕 薩摩大口~川内 66.1km 1987年1月10日路線廃止
廃止路線の中でも影が薄く、ひっそりと廃止された路線である。 途中の薩摩永野はスイッチバック駅であるが、所在地は平地でスイッチバックの必要はなく、またスイッチバックの向きは肥薩線の栗野の方を向いていて、肥薩線の矢岳越えを避ける為に鹿児島本線を栗野から川内経由のルートで引っ張る計画の一環とされる。 また、この永野付近には薩摩藩時代から金山があり、採掘された金の輸送の為との説もある。
米坂線の撮影名所
荒川渓谷を渡る米坂線のキハ40
羽前沼沢~伊佐領にて
米坂線〔山形県・新潟県〕 米沢~坂町 90.7km
かつては羽越連絡の中心で、仙台~新潟を結ぶ急行【あさひ】(上越新幹線に譲って急行【べにばな】に改称)も運行されたが、鉄道の地盤沈下で見る影もない閑散線区となった。 現在は2022年夏の大雨災害により落橋などの甚大な被害を受け、特に採算の悪い今泉~坂町は復旧の断念と路線廃止も俎上しているという。
地形に逆らわず
アップダウンを繰り返して
丘を越えていた標津線列車
泉川~光進にて
標津線〔北海道〕 標茶~根室市別・中標津~厚床 11km 1989年4月30日路線廃止
根釧原野をゆく代表的な北海道開拓路線で、沿線は広大な酪農地帯が広がる。 広大な丘陵となった酪農地帯を、地形に逆らわず緩やかに上下しながら国境の町・標津まで向かっていた。
根釧原野の不毛の大地にも
春の足音が聞こえてきた
奥行臼~別海にて
根室からの開拓路線で当時の開拓地の中心となった別海町を含む厚床~中標津の厚床線と、釧路から開拓を進めた本線格の西春別線との『T字型』に形成された路線であった。 開業当時は、別海町を含んだ厚床線が本線格だったという。 中標津は根室地域の空港があり、百貨店などの大店舗があるなど、原野からいきなりオアシスの如く街が出現する情景となる。
佐川町の役場付近をゆく
土讃本線の普通列車
西佐川~佐川にて
土讃本線〔香川県~高知県〕 多度津~窪川 198.9km
かつては四国の大動脈だったこの路線も、地域過疎の進行により特急列車以外の利用客はジリ貧となって、普通列車は利用に堪えないまでに減便されている。
涌蓋山を背景に
美しいアーチを描く
廣平橋梁をゆく宮原線列車
麻生釣~北里にて
宮原線〔大分県・熊本県〕 恵良~肥後小国 26.6km 1984年12月1日路線廃止
高原地帯を伝い素晴らしい車窓風景を魅せ、宝泉寺温泉・筋湯・麻生釣高原など観光資源も豊富だったのだが、沿線は“九州のチベット”と称される程の人口稀薄地域であり、地元の人でさえこの路線の名称を“みやはら線”と誤読するほどの認知でしかなかった。 路線廃止後に造形が美しいアーチ陸橋群が、国の文化遺産として登録された。
トンネルを抜け鳴子峡を渡る
陸羽東線列車
鳴子(現 鳴子温泉)~中山平(現 中山平温泉)にて
:
今やこの区間はJR東日本で
営業成績ワーストとなっている
陸羽東線〔宮城県・山形県〕 小牛田~新庄 94.1km
現在は全てキハ110形に置き換えられている。 鳴子温泉を境に山形県側は閑散線区となっており、JR東日本の発表では鳴子温泉~最上が管轄線区で最も営業係数の悪い(20000円を突破したともいわれている)線区となっている。
美しい白樺林の中を行く
士幌線列車
士幌線〔北海道〕 帯広~十勝三股 78.3km 1987年3月23日路線廃止
東大雪の懐を奥へと向かう路線で、路線建設の目的は森林資源輸送だった。 だが、林業の衰退と共に東大雪の奥地はゴーストタウン化し、1978年12月25日より利用客が数人となった糠平~十勝三股は全国初の試みとして列車代行バス運転がなされた。 また、ダムの建設で湖の底に没した旧線のタウシュベツ橋梁は、ダム渇水期に姿を現す『幻の橋』としてローマ神殿のような崇高な姿を魅せる。
災害で長期運休の後
奇跡的に復旧を遂げた名松線
:
だが復旧と同時にキハ40は置き換えられて
同じ年にJR東海からは完全に姿を消した
名松線〔三重県〕 松阪~伊勢奥津 43.5km
路線名は名張と松阪を結ぶ路線とされていたが、建設時に地元の有力者によって名張とは真逆の方向である伊勢奥津に、地元の有力者の地盤という理由で強引に捻じ曲げられた経緯がある。 典型的な『我田引水』の例である。 2009年の台風による被害で家城~伊勢奥津が長らく不通となっていたが、2016年3月16日に奇跡的に復旧した。
穏やかな山里をゆく若桜線列車
八東~丹比にて
若桜線〔鳥取県〕 郡家~若桜 19.2m 1987年10月14日に若桜鉄道に経営移管
氷ノ山の麓にある若桜までの路線で、のどかな山里の沿線風景が広がる。
最終日が近づくにつれ
何もない原野だった北進駅に
お名残り乗車や追っかけにやってきた
鉄道マニアの車が多数やってきた
白糠線〔北海道〕 白糠~北進 33.1km 1983年10月23日路線廃止
沿線の森林資源と雄別炭鉱などからの石炭輸送を目的に建設された路線で、池北線の足寄までの建設計画があり、果ては根室本線のバイパス路線として上士幌を経由して新得に至る計画や、相生線の北見相生とをつなげて釧路~網走の阿寒本線構想も存在した。 こんな強気な路線建設構想を出せたのも、1970年2月に上茶路炭鉱が閉山となって石炭輸送が皆無となるまでの白糠線は、年間10数万トンの石炭を運ぶ優良路線で、現在は居住者が1件のみの上茶路も遊郭やパチンコ屋・映画館が立ち並ぶほどに栄えたという。
炭鉱の閉山により人口1万人を超え
遊郭まであった炭鉱街・上茶路の駅は
自然の力によって回帰していた
白糠線・上茶路駅跡
だが、炭鉱の閉山により上茶路からの離村が相次ぎ、上茶路~北進が延伸開業する際に赤字必死と開業を渋った国鉄当局を運輸大臣権限で開業させた経緯がある。 それゆえに終点の北進は途中駅然とした原野の中に設けられ、駅名も字名は『二股』だが北に延びる願いを込めて『北進』としたエピソードが語られている。 だが、『北進』を念じた願いも虚しく、朝・午後・夕方の3往復のみの運行で、輸送密度123人/日で営業係数3077の『日本一の赤字線』に陥っていた。
朱鞠内での接続は全く考慮されておらず
全線通しの乗車は至難の業だった深名線
朱鞠内付近にて
深名線〔北海道〕 深川~名寄 121.km 1995年9月4日路線廃止
営業区間は深川~名寄だが、朱鞠内を境に全く異なる目的で建設された路線である。 深川~朱鞠内は、雨竜川の水運に頼っていた木材輸送と朱鞠内ダムの建設資材運搬が目的であった。 一方の朱鞠内~名寄は羽幌・築別炭鉱からの運炭が目的で、開業当初は『名雨線』と名乗り、築別炭砿のある羽幌までの『名羽線』の先行開業区間であった。
だが、ダムの完成と木材輸送の陸送(トラック輸送)への切り替え、そしてエネルギー革命による築別炭砿の閉山により、路線構想は完全に頓挫する。 だが、沿線は国内でも指折りの過疎地域で道路整備も遅れたままとなり、『日本一の赤字線』になりながらも『代替道路未整備』の理由で、国道275号線の整備完了や北母子里と名寄を結ぶ名母トンネルの開通(1992年開通)後の1995年9月3日まで存続した。
始めはキハ40の性能諸元の丸写しであったが、訳の分からん形式や構造のウンチクが並んで記事として面白くないモノとなったので、性能諸元は程々に国鉄時代に撮ったキハ40の雄姿を路線別に路線紹介を交えての内容に変えますた。 だが結局は、文を短くまとめる能力に欠けた筆者ゆえに、謹賀新年の挨拶の内容とはかけ離れた記事内容になっちまったよ。 こんなのですが、このブログを見捨てないように今年も宜しくネ。
去年は出だしから前半は
まぁまぁ良い年だった
去年の正月の旅は
『旅のサプライズ』があったし
数年ぶりに初日の出も望めたしィ
5月の旅も霧氷から『日本百景』未訪地の
須佐フォルンフェルスにも行けたし
念願の惣郷川橋梁の夕日も撮れたし
6月のミヤマキリシマでは九重・三俣山の北峰で
楽しい『オチャメ』ありの充実した山行だったし
副業もトラブルなく6月までは
外人の入国規制があったので
感染者数も落ち着いて
経済に復調傾向が見られたのである
でも7月山行で『残念』の禁断症状が出て
グロッキーなほどにバテてツキが逃げてったよ
その頃に外人の入国制限撤廃が実施となり
感染やその死者がどんどん増えて
再び経済不況&物価高
そして9~11月に所有物件で
水道の配管劣化の水漏れが頻発して
ため込んだ金を60万も使っちまったよ
感染爆発と共にスタグフレーションが悪化して
残業がなくなるなど手取りが本業の残業代分減ったよ
それに加えてせっかく金利を上げない
良策を示していた日銀が
振れ幅の緩和という金利上昇に走ったよ
円安による物価高の対策というが
給料も上がらないのに金利が上がるのは
実質増税と変わらないし
金利上昇で経費が嵩む企業は
更なるコストダウンを迫られるよ
更なるコストダウンとは
残業の取りやめや従業員の福利厚生カットだ
でもアメリカやイギリスを見ろよ
金利をバカ上げして物価上昇が抑えられたか?
イギリスなんか暴動寸前だよ
我慢していた日本の3倍の物価上昇と
株価下落による経済指標の下落だ
たぶんアメは次に金利上昇すると
今年の末か来年あたりに
いきなり経済恐慌となるよ
だって物価上昇でも金利が上がって
値下げできないし賃金上昇を叫ぶ
労働者の突き上げも日本の比じゃないからね
アメ経済の売り上げはタダ落ちらしいし
金利破綻でリーマン並みの不況となるかもよ
まぁのっけから暗い話となり
感染爆発の感染源である外人の入国規制を
せねば感染が収まる訳もないが
悲観してばかりでは始まらないので
取り敢えず『明けましておめでとうございます』
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No Subject * by 根室大喜
あけおめ
No Subject * by hanagon60
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
新年早々大作ですね。懐かしい路線のオンパレードで感慨に浸っています。
今年もよろしくお願いします。
新年早々大作ですね。懐かしい路線のオンパレードで感慨に浸っています。
Re: No Subject * by 風来梨
朝弁さん、明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
四季折々の津軽の写真と歳時記を楽しみにしております。
本年も宜しくお願い致します。
四季折々の津軽の写真と歳時記を楽しみにしております。
Re: No Subject * by 風来梨
根室大喜さん、あけおめ、ことよろです。
根室の温根沼では、タンチョウのツガイが
おりましたが、飛びたたずに佇んでるだけでした。
白鳥さんも水面に頭を突っ込んで餌食うが身繕い
ばかりでテイクオフはなかったのは残念。
また来るとします。
根室の銭湯は宝湯で決まりですね。 大晦日も開いてるしィ。
根室の温根沼では、タンチョウのツガイが
おりましたが、飛びたたずに佇んでるだけでした。
白鳥さんも水面に頭を突っ込んで餌食うが身繕い
ばかりでテイクオフはなかったのは残念。
また来るとします。
根室の銭湯は宝湯で決まりですね。 大晦日も開いてるしィ。
Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
ぢ・つ・わ・・、この記事は『anniversary40万』の
『その2』記事でして、連続して掲載するとあまりにもクド過ぎたので謹賀新年記事にまわした次第ですね。
だから、ほとんど新年を祝う記事内容でないのがコンセプトとなっております、ハイ。
本年も宜しくお願い致します。
ぢ・つ・わ・・、この記事は『anniversary40万』の
『その2』記事でして、連続して掲載するとあまりにもクド過ぎたので謹賀新年記事にまわした次第ですね。
だから、ほとんど新年を祝う記事内容でないのがコンセプトとなっております、ハイ。
新年おめでとうございます。 * by きゃみ
新年おめでとうございます。
冬の深名線を訪問した時のことを思い出しました・・・。
冬の深名線を訪問した時のことを思い出しました・・・。
Re: 新年おめでとうございます。 * by 風来梨
きゃみさん、明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
あの頃の鉄道旅を・・、ローカル線の追っかけ旅がしたいなぁと思い返して頂けるなら嬉しい限りですね。
只今、茅沼でタンチョウさんと対峙してますが、時折歩き回るだけで、寝そべるのもいてなかなかいい表情はしてくれませんね。 朝の飛来シーンは魅れましたが。
なので、昼は標茶で風呂&待機で、夕暮れ(と言っても午後3時前で3時50分には日没)勝負です。
明日は、留萌本線で別の勝負です。
本年も宜しくお願い致します。
あの頃の鉄道旅を・・、ローカル線の追っかけ旅がしたいなぁと思い返して頂けるなら嬉しい限りですね。
只今、茅沼でタンチョウさんと対峙してますが、時折歩き回るだけで、寝そべるのもいてなかなかいい表情はしてくれませんね。 朝の飛来シーンは魅れましたが。
なので、昼は標茶で風呂&待機で、夕暮れ(と言っても午後3時前で3時50分には日没)勝負です。
明日は、留萌本線で別の勝負です。
今年もよろしくお願いいたします
雪も少なく
まったりとしたお正月です