風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第30回  瀬戸

『ネームトレイン』 第30回  瀬戸

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下りは最も遅く東京を発ち
上りは最も早く東京に着くので
なかなか昼光で撮る機会のない
ブルートレインだった寝台特急【瀬戸】
※『列車名鑑 特急・瀬戸』より

  寝台特急【瀬戸】 ・・ 1950年10月に初の四国連絡の急行列車として、宇野線直通で東京~宇野の運転を開始したのがルーツで、東京~岡山は東京~広島で運行していた急行【安芸】と併結運転していた。 一方、四国側の連絡列車は、高松桟橋~宇和島に準急〔せと〕が設定された。 準急〔せと〕は、高松桟橋~多度津で土讃本線の窪川行きの〔南風〕を併結していた。

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寝台特急【瀬戸】のヘッドマーク
※『愛称別トレインマーク辞典』より

1951年9月からは単独運転となったが、同年11月から1956年11月までは東京~大阪で、東京~大社を福知山線経由で運転する急行【出雲】に併結されて運転していた。

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東京に最も早く着く瀬戸は
関西に住むワテには
撮影が最もムズいブルトレだった
※ ウィキペディア画像を拝借

登場時は急行【安芸】の分割列車で事実上は名無し列車であったが、1951年12月に【せと】と名付けられ、1956年11月のダイヤ改正で再び【せと】は単独運転となり、列車名は漢字の【瀬戸】に変更した。 1964年10月には寝台急行列車【さぬき】が新設されて四国連絡の2本目の列車としていたが、1968年10月のダイヤ改正で【瀬戸】に統合されて【瀬戸】は2往復になった。

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ブルートレインとしては
【みずほ】の次に消滅したが
夜行列車としては電車寝台として
最後まで残った寝台特急【瀬戸】
※『のりものニュース』より

1972年3月には特急に格上げとなったが1往復に削減され、1988年4月の本四備讃線(瀬戸大橋線)開通後は同線を経由して高松まで延長されて、東京~高松の運転となり四国内直通するに至っている。

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電車化されてトレインネームも
【サンライス瀬戸】と変わってしまった
※ ウィキペディア画像を拝借

そして、1998年7月には285系特急型電車が投入され、電車寝台特急【サンライズ瀬戸】へと愛称を変更し、同時に岡山より伯備線を経由して出雲市まで至る【サンライズ出雲】と併結運転を開始し、現在に至っている。

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寝台特急【瀬戸】の50年
※『鉄道ファン・2022年6月号』より

《列車データ》
運行区間:東京~高松 805.5km(東京~宇野は765.7km)
     ※ 本四備讃線(瀬戸大橋線)が開業する1988年4月10日までは、東京~宇野までの運転
       で、四国へは宇高航路に連絡していた

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瀬戸大橋線が開業して
本州と四国が鉄道で往来できるまでは
宇野で宇高航路に連絡する
四国連絡列車だった寝台特急【瀬戸】
※『のりものニュース』より

運行期間:1950年10月  1日:東京~宇野で、初の宇野線直通列車となる四国連絡の急行列車が運転        
              開始となる
              なお、東京~岡山は急行【安芸】と併結運転だった
     1951年  9月15日:急行【安芸から宇野線直通の列車を分離し、東京~宇野を単独で
              運転する3039・3040列車となるが、この時点では列車番号のみの
              名無し列車であった
          11月25日:3039・3040列車は、東京~大阪で、東京~大社(福知山線経由)
              の急行【出雲】と併結運転となる
          12月 2日:宇野線直通急行の3039・3040列車が【せとと名付けられ、名無
              し列車の状況が解消される
     1956年11月19日:ダイヤ改正により、【せとは単独運転になり、列車名は漢字の
              【瀬戸】になる
     1964年10月 1日:東京~宇野で四国連絡の寝台急行【さぬき】が運転開始
     1968年10月 1日:ヨンサントオのダイヤ改正で次のように変更
               東京駅発着の四国連絡夜行列車の列車名は【瀬戸】に統合され、
              【さぬき】が廃止。 【瀬戸】は2往復になる
               従来の【さぬき】【瀬戸】1号(下り)・2号(上り)とし、
              【瀬戸】【瀬戸】2号(下り)・1号(上り)とした。
               なお、【瀬戸】1号(下り)・2号(上り)の寝台列車指定は変わら
               なかったが、座席車中心の元【さぬき】の【瀬戸】1号・2号にも
               寝台車を連結していた
               また、四国列車の急行【せと】(準急より1966年に急行格上げ)
               は急行【うわじま】に改称

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夜行便もあった当時の四国の花形列車
急行【うわじま】

    1971年      :【瀬戸】1号・2号のB寝台車に、新開発の14系寝台車を試用
               だが、翌年には元の10系客車に戻される

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特急に格上げと同時に
当時最新鋭だった
20系寝台車が投入された
※『全国の列車ガイド・特急【瀬戸】』より

    1972年  3月 15日:【瀬戸】が特急に格上げとなるが、2往復より減便され1往復となる
               使用車両を10系客車から20系客車に変更
               また、このダイヤ改正で四国初の特急【しおかぜ】と【南風】が運転
               を開始し、宇高連絡船を利用して高松で両列車に接続するダイヤ設定
               となった
    1973年10月頃    :【瀬戸】の食堂車営業休止

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寝台特急【あさかぜ】と
共通運用が組まれて
A寝台やラウンジカーなど
車内設備が格段に向上した

    1975年  3月       :【瀬戸】と【あさかぜ】2号(下り)・1号(上り)と共通運用となる
              なお、食堂車は連結していたが、営業は休止していた

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イベント展示の際に
テールを【瀬戸】とした
24形25型寝台客車
※『全国の列車ガイド・特急【瀬戸】』より

    1977年  9月       : B寝台を2段寝台とした24系25形に置き換え、A寝台の連結がなく
              なる
    1988年  4月10日:本四備讃線の開通により、【瀬戸】の運転区間が東京~高松に延長
             となる
             岡山~高松で寝台車の立席特急券利用の『ヒルネ』扱いが開始
    1990年  3月       :A個室寝台『シングルデラックス』車両とシャワー室を備えた
             『ラウンジカー』が連結される
    1998年  7月10日:【瀬戸】が電車化され、【サンライズ瀬戸】として運転開始
             東京~岡山は【サンライズ出雲】と併結運転
             従来の客車【瀬戸】で実施していた岡山~高松の『ヒルネ』扱いを廃止

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【富士】と併合されながらも
最後まで残った【はやぶさ】も
2009年3月のダイヤ改正で
消滅してしまった

    2009年  3月14日:東京発着の客車寝台特急(ブルートレイン)であった【富士・はやぶさ】
             が廃止となり、サンライズ出雲と併せて唯一の東京発着の寝台
             特急列車となる

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客車寝台は全て淘汰され
今や定期の夜行列車自体が
このサンライズ出雲・瀬戸のみ
となってしまった
※ ウィキペディア画像を拝借

    2016年  3月21日:臨時寝台特急【カシオペア】が運行を終了し、サンライズ出雲
             と共にJR線で定期運行を唯一の寝台特急列車となった。
        3月22日:急行【はまなす】の最終運行が終わり、サンライズ出雲と共に
             JR線で唯一の定期運行を行う夜行列車となった

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寝台特急【瀬戸】の絵入りテール
※『愛称別トレインマーク辞典』より

停車駅東京・横浜・熱海・沼津・富士・静岡・(浜松)・〔大阪〕・〔三ノ宮〕・姫路・岡山・
    児島・坂出・高松
  ※( )は下り列車のみ停車、〔 〕は上り列車のみ停車
  ※ 上下列車共に名古屋・米原に、下り列車のみ大阪に運転停車していた

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全区間牽引したEF65-1000番台
※ ウィキペディア画像を拝借

使用車両:運転開始当初は10系客車を使用していたが、1971年に【瀬戸】1号・2号のB寝台車に
     新開発の14系寝台車を試用して、翌年には元の10系客車に戻された
     1972年3月に特急列車化された事により20系客車に変更し、1977年9月に24系25形
     客車に置き換えられるまで使用された

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客車寝台の末期は
24系25形客車が使用された
※ ウィキペディア画像を拝借

     24系25形客車への置き換え以降は開放式B寝台のみのモノクラス編成が続いたが、
     1990年3月10日より車両を共通運用していた【あさかぜ】2号・3号と共に、個室A
     寝台『シングルデラックス』とラウンジカーが連結されていた
     また、機関車は、EF65形1000番台が全区間を牽引した

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唯一の寝台特急【瀬戸】の写真は
小僧が親の目を盗んで
夜中の京都駅に出張って
撮った手ブレ写真だった

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その時に撮った出雲は
よく撮れたけど・・

乗車経験サンライズ瀬戸】を含めてナシ
撮影経験:京都駅で通過する下りを撮った事があるが、手ブレの失敗写真だった


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国防費の捻出の為に政府与党は
増税を検討しているという
だが『検討』とは即ち
増税は確定事項であるという事だろう

その『検討』の内容とは
「どこから取るか」と「どのように取るか」と
「どうすれば選挙での
批判票を抑えられるか」だろう


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国防の強化は必要だしその為の増税も
国を護り国民の命を守る為には
仕方がない事だろう

だが増税を国民に負託する事は
やる事をキチンとやった後に
始めて口にできる事だろうがよ

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そしてやる事をキチンとやって
始めて国民も『増税』を
国を護る為には仕方ない事だと
認める事ができるのだ

それは感染爆発と成りうる事を知りながら
利権の為に東京五輪を開催して
今の経済苦境に陥れた東京五輪推進者共を
極刑により処罰する事である

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次に外国人に対してのナマポは
一切打ち切り対象外国人は
母国へ強制送還する事と
免税店制度など外人への優遇を一切廃する事

けれど外国人ナマポを一切打ち切るだけで
年間180万円×120万人(外人のナマポ数)で
2兆円超えで増税せずとも
増税予定分の財源確保ができるのだ

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そして国防の妨害となる反日外国人を
この国から叩き出す為に
チョンの背乗り天皇・皇室の正体を
チョンと看破して全てチョンに追放する事

同時に防衛機密の漏洩元である
宮内庁を閉鎖して国防の阻害要件を
キチンと排除する事である
これで宮内庁予算というチョンへの
貢に等しい税の無駄遣い共々防ぐ事ができる

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またこれをする事で防衛機密の漏洩は元より
チョンの背乗り天皇をチョンと
看破して追放する事で
チョンの一斉追放の口実が手に入るのだ

しかも皇室が海外(スイス銀行等に)に
貯めこんだ数十兆という国民の税金を
差し押さえて取り戻せるのだ

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要するにすべき事をキチンとやれば
十数年に渡って国防費を賄う事ができ
そしてこの国に巣喰う獅子身中の虫
在日チョンを中心とした反日外国人も
キレイに排除する事が適うのだ






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