2022-12-21 (Wed)✎
廃線鉄道 第95回 柚木線 〔長崎県〕
肥前池野~柚木をゆく
キハ02型レールバス
※『追憶・日鉄池野鉱出水事故の手記』より
柚木線(ゆのきせん)は、かつて長崎県佐世保市の左石から同市の柚木までを結んでいた国鉄の鉄道路線である。 佐世保軽便鉄道(1918年創立、1921年に佐世保鉄道と改称)の路線として1920年に開業した路線で、1936年に買収・国有化され、国有化の際に軌間を762mmから1,067mmに改軌されている。
途中には肥前池野駅があった。 現在、肥前池野駅跡地には公民館、柚木駅跡地には公営団地がある。
北松炭鉱の炭鉱街
※『佐世保・北松炭鉱』より
当路線の建設目的は、沿線の炭鉱から掘り出された石炭を柚木線を通して左石経由で、需要のあった北九州方面や積出港である相浦港方面へと輸送する為であった。 この為、戦前には炭鉱鉄道として国策に乗っ取り国有化され、鉄道省(国鉄)の松浦線と直通するべく1067mmへの改軌も行われた。
同じく国鉄・松浦線の運炭支線として
建設され柚木線廃止の2年後に
『赤字83線』で廃止となった臼ノ浦線
※『九州の運炭鉄道史』より
国鉄松浦線には、その支線として当路線の他にも臼ノ浦線・世知原線と3つの支線が存在したが、いずれも沿線の炭鉱からの石炭輸送を目的に、佐世保鉄道が軌間762mmの軽便鉄道として敷設し他路線で、後に当支線を含む3支線とも国有化されている。
炭鉱が閉山となり
貨物の需要が無くなると
レールバスで運べるほどの
旅客しかない閑散線となった
※『佐々機関区・キハ02』より
また、山を越えた所に位置する佐世保線の三河内まで延伸する計画があったが、太平洋戦争の激化により頓挫している。 現在は、トンネルを通じて道路(長崎県道53号・柚木三河内線)で三川内方面と繋がっており、伊万里方面にも国道498号線でつながっている。
客車と並べると如何にも小さな
レールバスで間に合う程に
利用客が少なかった
戦後に入って高度成長期に入ると、エネルギー革命が起こって炭鉱の閉山が相次ぎ、貨物輸送が激減して1962年に貨物取り扱いが廃止となり、旅客もレールバスであるキハ02形が投入される程度の需要しかなかった。 しかも、廃止直前は朝夕に各2往復のみの運転であった。 1967年7月の水害で不通となったが、復旧される事なく同年8月31日限りで廃止された。
マイクロバス並みの大きさの
レールバスは増結しても
定員は100人ほどであろうし
機械式でクラッチをつなぐ運転士が2名いる
※『無題ドキュメント』より
廃線跡は、自転車歩行者専用道路として整備されている。 なお肥前池野駅跡ホーム上には、当時廃止記念として佐世保市に寄贈され図書館として使用されたキハ02の9号車が置かれていたが、1983年頃に撤去された。 なお、最後まであった柚木炭鉱は、1972年まで操業している。 また、佐世保鉄道が柚木線と同じく敷設した臼ノ浦線と世知原線は、赤字83線に指定されて1971年に廃止となっている。
国鉄柚木線の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
廃止区間と路線距離(営業キロ):左石~柚木 3.9km、軌間:1067mm、
電化区間:ナシ(全線非電化)、複線区間:ナシ(全線単線)、閉塞方式:タブレット閉塞式、
駅数:3駅(起終点駅含む)〔左石〕・肥前池野・柚木
※ 左石駅は、国鉄松浦線から第三セクターの松浦鉄道に経営移管されて、同線の所属駅と
なっている
※ 肥前池野~柚木には、1936年まで高尾駅(左石起点2.6km)があった
運炭貨物が無くなった柚木線では
バス用のエンジンで
定員50人ほどのレールバスが投入された
※『無題ドキュメント』より
国鉄柚木線 年表
1920年(大正 9年) 3月27日:佐世保軽便鉄道により、相浦(現在も松浦鉄道に存在する駅)~
大野(現在松浦鉄道・左石)~柚木が開業する
軌間は762mm
5月19日:重石(後の肥前池野)~柚木に途中駅の高尾を開業
1923年(大正12年)12月26日:佐世保鉄道に社名変更
1929年(昭和 4年) 4月20日:大野を左石に改称
1935年(昭和10年)12月 9日:重石を肥前池野に改称届出
1936年(昭和11年)10月 1日:佐世保鉄道全線が買収され国有化、支線含め松浦線となる
国有化と同時に高尾を廃止
1943年(昭和18年) 8月30日:全線の軌間を762mmから1,067mmに改軌
1945年(昭和20年) 3月 1日:左石~柚木を松浦線から分離し、柚木線となる
1962年(昭和37年) 3月10日:貨物営業廃止
1967年(昭和42年) 7月 9日:水害で全線不通となる
9月 1日:左石~柚木の全線廃止
末期はレールバスで細々と
1日4往復運行の閑散路線だった
※『気動車のページ』より
運行本数 左石~柚木 4往復
1966年10月1日改正の柚木線時刻表
21D | 723D | 725D | 727D | 列車番号 | 722D | 724D | 726D | 728D |
616 | 648 | 1701 | 1814 | 左石 | 637 | 747 | 1758 | 1835 |
620 | 652 | 1706 | 1818 | 肥前池野 | 634 | 744 | 1755 | 1832 |
625 | 657 | 1710 | 1823 | 柚木 | 630 | 740 | 1751 | 1828 |
左石駅(ひだりいしえき)は、長崎県佐世保市田原町にある松浦鉄道・西九州線の駅で、かつての国鉄・松浦線時代には柚木線(1967年9月1日廃止)が分岐していた。
構内は広くホームは
千鳥状に配置されている
※ ウィキペディア画像を拝借
相対式2面2線ホームの駅で、2つのホームは千鳥状に大きくずれており、駅舎は佐世保市役所の大野支所側(佐々・伊万里方面行きホーム側)にある。 佐世保西高校側(佐世保方面行き)ホーム上には木造の屋根があり、両ホーム間は構内踏切で連絡している。 松浦鉄道転換後に、佐世保西高校側にも出入口が開設されている。
無人駅であるが、松浦鉄道への転換までは有人駅であった。 手書きの乗車券のほか、指定券も発券していた。 現在、定期券や回数券は、徒歩約3分の所にある西肥バスの大野待合所で発売している。
千鳥配置された対向ホームへは
構内踏切でつながっている
※ ウィキペディア画像を拝借
国鉄・松浦線時代は、松浦鉄道への転換時までタブレット(通票・金属製で円盤)による閉塞システム(通表閉塞方式)が使用されていた。 急行【平戸】は通過していたので、運転助手が通過しながらタブレット(タブレットキャリアー・輪になっている入れ物に収めた状態)を受け渡していた。 信号機は腕木式であったが、黄色い矢羽の場内用(駅に入る前に設置してある)通過信号が無かったので、ホームにある渦巻き状のキャリアー受けの支柱に緑の手旗を横に挿して代用していた。
現在、旧駅員室は食堂になっている。 また、待合室の一部を改装してたこ焼き屋『駅たこ』が営業している他、大野商工振興会が駅舎の一部を事務所として使用している。
肥前池野駅(ひぜんいけのえき)は、かつて長崎県佐世保市大野町にあった国鉄・柚木線の駅である。
柚木線は1967年7月に水害で壊滅的な被害を受け、もはや復活させるほどの重要性も無かった事から、同年9月1日付でそのまま廃止され、当駅も同時に廃止となった。
現在の駅跡は公民館・公園などになっている。 1968年1月6日に廃止を記念してキハ02-9号車が佐世保市に寄贈の上、ホーム上に据え付けられ図書館となっていたが、1983年(昭和58年)頃には解体撤去された模様である。
廃止直後の柚木駅
※『佐世保形便鉄道・柚木駅跡』より
主張の成否はさておき
自身の主張に沿わぬ者や無視する者を
国賊と罵っているが
国賊はおまエラ自身だろうがよ
世界の研究機関で「この状況で開催すれば
必ず感染爆発に至る」と警告を受けながら
外人利権や競技場施設のハコモノ利権の為に
国民の9割の反対の声を握り潰し
『安心・安全の東京五輪』と国民を騙して
東京五輪を開催して感染爆発を引き起こし
国民を万単位で殺害した
おまエラ自体が真なる国賊だ
しかも事が起こっても
東京五輪開催が感染爆発の原因であり
それに参加した外人共こそ
感染源であるのが明確なのに
その罪を認めずあろう事か
東京五輪開催による感染爆発で
最も感染者が増えた日本人の若年層に
『政府の指示に従わず街に出歩いた』と
感染源の罪を擦りつけたのである
そして尚もスポーツ利権や外人利権の為に
更に外人を呼び再び感染爆発を
引き起こしたのだ
シナ五輪の時も参加者の強化の為に
外人指導者スタッフを無制限に入国させ
それで第6派の感染爆発を引き起こし
日に10万の感染者と200人の
死者を出したというのに
シナ五輪から4ヶ月経って
感染状況が小康状態になった途端に
外人の入国制限を撤廃し
また感染爆発を引き起こす
そう・・今の第8派なんて言葉はウソで
真実は外人利権に目のくらんだ政治屋が
旅行業の救済を口実に
外人の入国制限を撤廃した事による
政治屋の利権の身代わりの感染爆発なのだ
そして旅行業が今日の苦難に至ったのも
東京五輪の開催から始まった
感染爆発が引き金となったのだから
東京五輪さえ中止にしておけば
その後のシナ五輪も不参加にしておけば
そして外人を感染源と特定して対処すれば
こんな事にはならなかったのである
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