2022-12-17 (Sat)✎
ついに超えちゃいましたよ、40万アクセス・・。 ホント、アクセス数だけはすごいぇ。
でも、コメ数や拍手数は1/100にも満たない3000台・・。 拍手なんか、5か月前『anniversary 35万アクセス&3000拍手』でやっと日本の中央高地の値に達したのである。 その5か月でアクセス数は5万に達したのに、拍手数は閑散線の輸送密度並みの230台で『拍手数/アクセス数』は200倍を超えたよ。
もう、16頭立ての馬単並みの確率となったよ。
でも、このブログの唯一の『褒め処』であるアクセス数の達成を一人寂しく祝いましょ。
そうでもないと、このブログを称える事が不可能となるから。 では、祝いのネタは、御想像通り国鉄型気動車のキハ40形気動車という事で。
路線廃止となった江差線をゆく
キハ40形2連
国鉄キハ40系気動車は、1977年から1982年にかけて国鉄が製造したディーゼル機関搭載の気動車である。 なお、同一の設計思想により製造された片運転台式の中間寄り扉設置のキハ47形、同じく片運転台式で寒冷地仕様のデッキ付きのキハ48や、これらの改造により発生した派生形式も含める事にする。
新十津川に停車中の
札沼線の1日1往復の列車
この形式は1977年から1982年にかけて計888両が製造され、日本全国各地に投入された。
最初の投入は、1977年2月の北海道用の二重窓を装備したキハ40形及び、福知山地区の山陰本線京都口用のキハ47形であった。 なお、キハ48形の投入は1979年からである。
九州北部豪雨災害により被災し
路線廃止とBRT化が決定した
日田彦山線をゆくキハ47の2連
電車に近い車体構造の気動車で、当時の在来気動車に比べて客室設備の改善や走行機器の刷新などが図られている。 一方、在来の気動車よりエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、運動性能はあまり向上していない。
大雪山をバックにゆく
キハ40の単行列車
:
キハ40の利点は利用客の少ない
閑散線区での単行運転と
ラッシュ時の増結ができる事である
本系列の主力形式は、客用の片引き戸を車端部2か所に設置した両運転台で単行運転が可能なキハ40形と、キハ40と主要設備は同じで片運転台式のキハ48形と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別され、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いと便所の有無によって番台区分されている。
2015年1月の高波による路盤流失により
長期運休のまま復旧される事なく
路線廃止となった日高本線をゆくキハ40
:
美しく心に残る鉄道情景が
また一つ消えていった
国鉄分割民営化後は事故廃車となった1両を除く887両がJR各社へ承継され、使用線区の事情に応じた改造を施されている。 その際に形式や車両機番に若干の変更が生じている。 また、1990年代以降は、観光列車やジョイフルトレインに改造された車両も登場するようになった。
かつては黒ダイヤ(石炭)輸送で
全国有数の黒字線だった
夕張支線(JR石勝線の支線)も
石炭産業の終焉と共に廃れて
路線も廃止となり今や日本一の人口最小の市に
2000年代後半以降は、新型気動車への置き換えや地方線区の廃止に伴い廃車が行われ、JR東海では2016年に全車廃車となった。 それ以外のJR各社でも置き換えが進められ、一部の車両は私鉄・第三セクター会社や日本国外への譲渡も行われている。
駅廃止で信号所となった
奥白滝を通過する2連のキハ40
:
本線と名乗るも山間の閑散線区の
上川~白滝で1日1往復の最小運行で
全国的に名が売れた石北本線
JR北海道
JR北海道には、キハ40形100番台150両とキハ48形7両(300番台4両・1300番台3両)の計157両が承継された。 全車が二重窓装備の酷寒地形で、キハ47形は国鉄時代から配置されていない。
クッチャロ湖畔をゆく急行【天北】
:
急行用にエンジン換装及び
車内改装が施され
稚内方面への花形列車となった
キハ40改造のキハ400型
JR北海道に継承されたほぼ全ての車両には、ワンマン運転対応・機関換装・冷房装置搭載などの線区の事情に応じた改造が実施された。 急行【宗谷】や【天北】などの急行用に、出力アップ改造及び車内改装されたキハ400形・キハ480形もあった。
雪を蹴って進む
夕張支線のキハ40・2連
なお、老朽化した本形式の置き換えとし、て2017年度にローカル線用一般形気動車のH100形の量産先行車の製作に着手し、2019年度以降順次置き換えていく方針が発表された。 なお、H100形は2020年3月から営業運転を開始しており、本形式の淘汰が進められている。
路線建設時のタコ部屋労働や
人柱で犠牲となった霊が漂うという
縄紋トンネルをゆくキハ40の単行
JR北海道での運用
電化区間の割合が低く、輸送量の少ない区間が多数存在する北海道では、多くの区間で本形式が普通列車の主力として使用されている。 キハ54形など、他形式を常用する区間でも臨時の運用に用いる例や、電化区間でありながら輸送量が低い為に単行運用など短編成運転使用が求められる函館本線・室蘭本線でも普通列車の主力として使用されていた。
1日1往復で利用者は
鉄道趣味の者ばかりだった
札沼線の始発で最終列車
電化区間でも普通列車の主力として運用された理由は、JR北海道がワンマン運転可能かつ2両以下の短編成に対応できる電車を保有していない為で、電化の有無にかかわらず気動車を運用する事で、運用コストの低減を図っている。
銀山の峠越えをする
2連のキハ40形
函館本線(函館~長万部、札幌~旭川)
普通列車も、電車運用が主力の札幌圏での運用は極少数である。 長万部~小樽の通称『山線』では本形式が主力運用であったが、2005年度から冬期の運用の一部をキハ150形100番台に振り替えられていた。
雪の峠を登りきって
銀山に到着する
非力だけどカッコいい
美人な容姿のキハ40を見ると
今の車両デザインが如何に
ブサイクなのを強く感じるよ
これは、急勾配が多数ある同区間での降雪による遅延を防ぐ為である。 その後、2020年3月のダイヤ改正で、H100形が導入された事により運用消滅となった。
室蘭本線で撮ったモノがないので
夕張の町に向かうキハ40単行おば・・
室蘭本線
2021年3月のダイヤ改正でH100形に置き換えられ、東室蘭~長万部の運用から撤退している。
雪を蹴る夕張支線のキハ40
石炭産業の終焉でシナ利権にトチ狂った
夕張市長(現 北海道知事)により
鉄道を捨てかつて炭鉱で栄えた街も
シナ資本に安い金で売り渡し
衰退しきりの町・夕張
観光でしかやっていけない町なのに
産業遺産の三弦橋をダム湖に沈めたり
ドル箱のスキー場をシナ資本に売り渡したり
壊れた風呂窯の修理代すら出さずに
温泉を廃業させたりと散々な街・夕張
千歳線 及び 石勝線(千歳~南千歳~新夕張)
全て石勝線との直通列車で、2019年4月に廃止となった夕張支線の全列車も担当していた。
厚賀川の橋梁を渡る
:
この区間も長期運休の上
復旧する事なく2021年4月に
路線廃止となった
日高本線で残存できた区間をゆく
:
勇払湿原をゆくキハ40
日高本線
全列車を日高線塗装の本形式が担当していたが、2015年1月の高波災害で同線区の大半を占める鵡川~様似が不通となり、そのまま復旧が成されずに2021年3月末をもって正式に廃止となった。
この日は毛嵐の立つ寒くも
美しすぎる朝の情景だった
この素晴らしき情景は
もう二度と撮れないのか・・
もう撮れなくなった今
この3枚の組み写真は
生涯のお宝写真の1つとなった
鵡川~様似という日高本線の大部分の
被災運休(2021年路線廃止)を受け
余剰となり日高色のまま
石勝線に転出したキハ40形
その為、日高本線に投入された本形式が、日高色の塗装そのままに石勝線などに振り分けられている。
背後に大雪山がそびえる絶景なるも
ホームだけの停留所に
停車するキハ40単行
背後に大雪の山
一直線の道路と駅横の踏切
そしてホームだけの停留所
典型的な北海道の鉄道情景だ
宗谷本線(旭川~音威子府)
普通列車の主力として運用されている。 また、2013年8月~2014年7月の間は運休していた特急【サロベツ】の代替として、旭川~稚内で臨時快速として毎日運行していた。
眼鏡橋をゆく只見線3連のキハ40
:
岩泉線が廃止となり
只見線が古き良き鉄道情景を魅せる
最後の路線となった
JR東日本
JR東日本には、キハ40形は117両(500番台92両・1000番台7両・2000番台18両)・キハ47形28両(0番台3両・500番台12両・1000番台2両・1500番台11両)・キハ48形74両(500番台41両・1500番台33両)の計219両が承継された。
雪深い東北の春遠からじ
只見線・上条付近にて
民営化後に投入された高出力車キハ100系・110系導入により、収容力は大きいが機関出力の小さいキハ40系気動車は、比較的平坦でワンマン運転に適さない線区に配置されている。 他社に比べて数は少ないが、線区の事情に応じたワンマン運転対応工事や座席の変更の他、冷房装置の搭載、機関の直噴化改造や換装も実施されている。 また、ラッシュ時運用の対策として、ロングシート化やデッキとの仕切り撤去を施された車両もある。
これより春遠き雪深い
秘境・只見へ
只見線・越後須原付近にて
また、改造されずに垂れ流し式のままだった車両のトイレの撤去が行われ、トイレ付車両と組んでの運用となっていた。 また、ジョイフルトレイン・観光列車への改造が行われた車両もある。 また、会津鉄道に譲渡の上で展望気動車〔風覧望(ふうらんぼう〕〕(AT-400形401)に改造され、本系列初の譲渡例となった事例もある。
紅葉に彩られた中をゆく
只見線・大白川~只見にて
同形式の廃車の波は2005年辺りより始まり、2006年4月までに計15両が余剰により廃車となっている。 また、東日本大震災による津波により、同形式数両が被災して廃車となっている。
全国で桜が満開が報じられる頃でも
まだ雪の下から道の一部が現れたに
過ぎない雪深き越後の里
只見線・大白川~入広瀬
現状では、製造から40年が経過して老朽化が顕著になった事事から、2017年から新型車両の導入で本格的な淘汰が進められ、ジョイフルトレイン以外の車両は2021年3月をもって全車運用を終了している。
冬の波高き
深浦海岸をゆく
弘前管内では、津軽線が2016年3月25日で運用から外され、五能線は2021年3月12日を以って全運用を終了した。 五能線で運用されていたキハ40の内の3両は小湊鉄道へ譲渡された。 奥羽本線(秋田~東能代、弘前~青森)と男鹿線も、五能線と併せて運用を終了している。
八戸管内のキハ40も撮ってないので
同じく海沿いをゆく
江差線の上ノ国~江差の写真おば・・
八戸管内では大湊線・八戸線・東北本線(八戸~青森)で、キハ40形20両とキハ48形6両が配属されて、普通列車を中心に快速・臨時列車まで幅広く運用されていた。 だが、2000年辺りからキハ100形への置き換えが始まり、置き換えがほぼ完了した2010年以降はキハ100形の検査時や多客期(大型連休・盆・年末年始など)のみの運用となっていた。
ジョイフルトレインなど
ワテの撮影対象にないので
石北本線・白滝のキハ40おば・・
最後は、2018年3月キハE130系500番台の導入により定期運用から外れた。 また、ジョイフルトレインに改造された『リゾートうみねこ』は、キハ40が運用終了となった2018年3月以降も継続して使用されていたが、これも2020年に引退となった。
盛岡管内で撮ったのは
キハ58とキハ52しかないので
秋の只見線・只見川第三橋梁にて
盛岡管内では、キハ48形8両と釜石線向けのキハ40形2両が配置された。 だが、1991年にキハ110形が配置されると、他区へ転属となった。 花輪線では老朽化したキハ52・キハ28等の置換用として入線していた。 しかし、1両当たりの出力が小さいた為に、1984年から1986年にかけて、従来の気動車と入れ替わる形で一部の運用から離脱している。 また、田沢湖線は極一部入線したが、1982年11月の田沢湖線の電化に伴い運用から外れている。
釜石管内の釜石線・山田線も
山間急勾配区間で
キハ40の投入がなく似たような線区の
只見線・田子倉湖付近で代用
釜石管内の釜石線・山田線では、勾配が長距離に渡って続く両線には新製配置されていない。
キハ28・キハ22の検査代走として本形式が八戸から貸し出されたが、これも1991年に定期運用から外されている。
一ノ関管内も盛岡管内と
同様に山岳区間なので
只見線の峠越え区間の
大白川~只見で代用
一ノ関管内では、主力は2機エンジン搭載のキハ58や52が主力で、同形式の配属は他の運転所から転出したキハ40形3両とキハ48形8両に留まるが、1991年に新形式のキハ100形0番台に置き換わって運用を終了している。 また、北上線での運用はほとんどなかった模様。
大船渡線は既存区間は夜で
残りはBRTでしか乗車した事ないし
盛線は転換後の乗車で撮影機会ナシ
なので札沼線の秘境駅・豊ヶ岡の写真で
大船渡線・盛線では、普通列車を中心に1991年まで従来の気動車に混ざって運用されていたが、同年3月にキハ100形が投入されると一部の運用が置き換わる。 同年11月30日付で最後まで残ったキハ48形4両が八戸へ転出する事で運用を終了した。
小牛田管内も持ち合わせがないので
只見線の豪雪地帯・会津檜原で代用
小牛田管内では、宮城県を中心に幅広い運用を受け持つ為、キハ40形21両・キハ48形21両を受け継いでいる。 1990年からは、宇都宮・水戸・高崎の三支所キハ40形2000番台10両も配置された。
石巻線も蓬トッピング(キハ110形)に
置き換えられた後の乗車で
夕張支線のキハ40単行で代用
石巻線・陸羽東線では運用を共通化し全線で使用していたが、1998年のキハ110系投入とワンマン運転開始に伴って運用区間を大幅に縮小し、2015年3月に運用終了した。
陸羽東線のこの区間は
今やJR東日本では最も
閑散区間となってるらしい
鳴子(現 鳴子温泉)~中山平(現 中山平温泉)にて
陸羽西線と陸羽東線は、1978年の同形式の新製当初から快速・普通列車を中心に全線で運用していた。 だが、キハ110系200番台の増備によって、1998年に運用終了している。
キハ110に置き換えられた
1991~1993年頃は
雪といえば雪山で鉄道とは疎遠で
写真がないので石北本線の白滝の写真で
山形・新庄管内ではキハ40形5両・キハ48形23両が投入され、1991年及び1993年に行われた他線区でのキハ110形への置き換えに伴い、新庄に盛岡以南の全ての同形式が移管された。
左沢線も水色トッピング
しか乗った事ないので
只見線の有名撮影地の
只見川第一橋梁の冬景で
左沢線では、1993年のキハ100形導入に伴う運用離脱と併せて、八戸・小牛田・会津若松・秋田にそれぞれ転属となった。 また、長井線では国鉄時代からキハ22・キハ58と組んで運用入りしていたが、長井線の第三セクターの山形鉄道へ移管によって同線から撤退した。
ようやく春の兆しを魅せた
魚沼郷をゆく只見線列車
郡山及び会津若松管内では、磐越東線向けにキハ40形7両・キハ48形6両が所属していた。
だが、1991年2月のキハ110系の導入により、1993年までに定期運用から離脱した。
以降は臨時〔漫〕〕などによる不定期便のみの運行だった。
そして只見線・只見川第一橋梁の
キメ写真の紅葉情景おば・・
磐越西線及び只見線にキハ40系が投入されたのは1980年からで、キハ52形・キハ55系・キハ58系など他形式と併せての運用で、只見線・磐越西線・磐越東線のキハ100系の置き換えが行われた。
かつては急行【奥只見】も停車した駅
田子倉も利用者ゼロ駅として駅廃止に
:
御存知だとは思いますが
シェルター内に田子倉駅跡がありマス
1982年11月15日の上越新幹線開業により、急行【奥只見】と只見線の普通列車の各1往復が上越新幹線停車駅となった浦佐への乗り入れを開始している。 只見線普通列車では、郵便・荷物合造車キハユニ26形との併結運用も存在したが、郵便・荷物輸送の廃止に伴って1984年度までに消滅した。
波間川ダム湖で氷結した氷が
流れ出して滞留していた
浅き春の大白川郷
只見線列車の浦佐乗り入れは、1988年3月のダイヤ改正で廃止となっている。 1990年代以降は、仙台支社管内の塗装色でいわゆる『只見線色』となった白地に緑の濃淡帯の塗装に塗り替えられている。
長い冬がようやく終わろうとする
4月の初めの1シーン
只見線・大白川~入広瀬にて
1993年12月のキハ110形置き換えに伴って、新庄・郡山・小牛田などから転出となったキハ40形が、只見線に転入している。 これによってキハ52形が他区所へ転出し、以後は2エンジン車のキハ58系との併結で運用されていた。
雪深い会越国境では並行する国道も
1年の約半分が通行止めとなり
その間は只見線が
唯一国境を越える手段となる
1999年には、陸羽東線・陸羽西線からキハ40系が転入してキハ58系と置き換えられ、只見線普通列車はキハ40系に統一されている。
何とか蓬トッピング(キハ110形)の
置き換え前にキハ40での
絶景をゲットする事ができたよ
:
田子倉付近で
冠雪の名峰・浅草岳と
只見線におけるキハ40形の淘汰は2019年より始まる。 先ずは、会津若松へキハE120系が転入したのに伴い、会津若松のキハ40系は2020年3月に定期運用を離脱する。 運用を離脱したキハ40形2両は、小湊鐵道に譲渡されている。 また、新潟支所管内(小出~只見)のキハ40系も、キハ110系導入に併せて2020年7月に運用を離脱した。 これによってキハ40系は、只見線の定期運用から完全に撤退した。
この1週間前まで上流にある
破間川ダム湖は氷結していた
その残骸が川に浮かぶ氷片である
只見線・越後須原付近にて
関東地区の高崎管内では、足尾線と八高線を受け持った。 高崎地区用にキハ40形5両が配属され、主に足尾線で運用された他、キハ35系が主体の八高線で運用される事もあった。 だが、足尾線は1989年にわたらせ渓谷鐵道へ転換され、八高線でも1991年までにキハ40系が撤退した為に、高崎地区でのキハ40系の運用はなくなった。
「冬来たりなば春遠からじ」
という有名な句を思い描くシーン
只見線・大白川~入広瀬にて
水戸及び水郡線管内では、キハ40形10両がご当地色へ塗り変えられ使用されていた。 水郡線では、普通列車を中心にキハ28・58系やキハ45系と組んで運用していたが、1990年にキハ40形7両が転入増備された。 だが、1991年よりキハ110系への置き換えが始まり、1993年10月に新潟からキハ110系が転入した為、同年12月から定期運用から撤退となる。 その後は他所から3両の転入があって細々と運用されたが、1999年3月に定期運用から完全撤退した。
烏山線に入っていた
魔改造でオールロングシートとなった
キハ40を見た衝撃は
氷点下16度の駅寝の苦難より強し
宇都宮管内の烏山線では、キハ40形8両がオリジナルの烏山線色に塗装されて投入されていた。
この後、鉄道ファン向けにツートンの旧国鉄一般気動車色や旧国鉄首都圏色(いわゆるタラコ色)に塗り分けられた車両もあった。
キハ40の旧国鉄色塗装は
あんまり似合わないよね
ツートンならJR北海道の
ライトグリーンと白がいい
札沼線・新十津川~下徳富にて
淘汰は2014年から始まる。 それは烏山線に蓄電池駆動電車であるEV-E301形電車が導入され、3年後の2017年3月に烏山線でのキハ40形の運用は終了した。 なお、1両が錦川鉄道に譲渡されている。
また、3両が那須烏山市で静態保存となっている。
飯山線はあまりいいのが
撮れなかったので
豪雪つながりで夕張支線の
キハ40単行おば・・
長野・飯山線管内ではキハ40形7両とキハ48形2両が配備され、キハ28形・58形やキハ52形などと共通運用が行われた。 だが、キハ110形の投入によって全車他区所に転出している。
最も早くキハ40が淘汰された
JR東海でキハ40は撮れないよ
:
なので宗谷本線の大雪バックで代用
JR東海
JR東海には、キハ40形14両(500番台2両・2000番台12両)、キハ47形5両(0番台2両・1000番台3両)、キハ48形40両(0番台3両・500番台18両・1000番台2両・1500番台17両)の計59両が承継された。 冷房装置の搭載は1988年に試験的に実施した後、1990年度からは床下搭載型の冷房装置が採用され、1991年度に全車の改造を完了した。
JR東海の管内で撮った事の
あるキハ40系列は
転換前の越美南線位かな
車体の塗色は1990年頃まで国鉄色である首都圏色(朱色5号)であったが、1990年頃から順次アイボリー地に湘南色(緑とオレンジ)のラインを入れたJR東海色に塗り替えられた。 なお5両は、旧国鉄一般形気動車標準色風の塗色になった。 最終配置はキハ40 6309のみ美濃太田車両区で、残りの4両は伊勢車両区である。
そういえば国鉄時代の
樽見線でも撮ってたよ
機関換装は1989年以降に少数に実施した後、1997年度からは本格的に実施され、1999年度までに全車の施工を完了した。なお、機関換装にあわせて全車を改番している。 ワンマン運転対応は1991年より実施され、翌年には武豊線のワンマン化に伴いキハ48形にも実施され、その後ワンマン運転線区の拡大により全所属車の半数以上が改造されたが、キハ47形はワンマン運転対応されなかった。
越美南線の美濃太田にて
:
これ以上使うと次に差し障るので
これにて越美南線は打ち止め
2015年の武豊線直流電化に伴い、同線のキハ25形およびキハ75形を「主に高山線・太多線に転用する」と発表され、順次置き換えられた。 その後、2014年から2015年度にかけてキハ25形の2次車52両を投入し、太多線の運用は2015年3月に、高山本線の運用も2015年6月で終了した。 また、伊勢管内でも一時使用されたが、キハ75などに置き換えられて運用廃止となっている。
JR北海道からもキハ40が
ミャンマーに譲渡されたつながりで
札沼線・豊ヶ丘のキハ40単行おば・・
JR東海全体では、2016年3月26日のダイヤ改正にて運用が終了し、2016年3月30日をもって全廃となった。 置き換えられた車両は、ミャンマー国鉄へ譲渡された。
中国・山陰地方に多くの閑散線を
抱えるJR西日本は
現在もキハ40が主力として活躍している
JR西日本
JR西日本には、キハ40形63両(すべて2000番台)、キハ47形189両(0番台108両・500番台3両・1000番台75両・1500番台3両)、キハ48形5両(0番台3両・1000番台2両)の計257両が承継された。
これはJR旅客鉄道会社の中で最大である。
この日の北陸は大雪で
気温も-8度と低かった
城端線・二塚にて
廃車はキハ48形の3両のみで、2018年現在でも254両が所属している。 JR西日本が保有する一般形気動車の半分以上が本系列で占められているが、現在も置き換え計画はなく、後継のキハ120形とともに中国・北陸地方の非電化区間の主力として活躍している。
丹波路快速の前身ですね
福知山線電化前の大阪駅にて
形式と番台の変更を伴う改造は、キハ40形・キハ47形の座席のロングシート化による改番とキハ47形の両運転台化によるキハ41形への改形式、イベント用列車への改造に伴うもののみであるが、1989年度からキハ40形の全車とキハ47形の大半にワンマン運転対応化改造が実施されている。 また、全車両に体質改善工事が施工された為、外観に変化が見られる。
野花が咲き乱れる
春爛漫の惣郷川橋梁にて
また、広島支社(下関総合車両所)配属の車両については側面中央上部にLED式の行先表示器の増設が行われ、板式の行先標の使用を終了している。 民営化に前後して様々な地域色が登場したが、2009年からは塗装工程の簡略化の為に朱色5号への塗装変更が進められ、一般車の地域色は見られなくなった。
近年では、岡山地区の車両を中心に、前照灯のLED化改造が実施されている。
北海道と違って北陸の雪は
土砂降りの雪だったよ
城端線・二塚にて
投入線区は北陸地区の城端線・氷見線では主力として、七尾線では観光車両〔花嫁のれん〕に改造された車両が金沢~津幡で運用されている。
豪雪の荒天だったけど
屋根付き跨線橋から撮ったので
雪は被ってません
城端線・二塚にて
関西・中国地区は、山陰本線(和田山~西出雲、益田~下関)・播但線(寺前~和田山の妃殿下区間)・京都丹後鉄道宮豊線への乗り入れ・姫新線(津山~新見)・因美線(鳥取~津山)・津山線・吉備線・境線・芸備線(三次~広島)・岩徳線・山口線でキハ120などと共に普通列車の主力として運用に就いている。
日本海に沈む夕日の絶景と
山陰本線・惣郷川橋梁にて
また、呉線では観光改造された〔瀬戸内マリンビュー〕が運行している。 若桜鉄道線でも鳥取からの直通列車の一部で運用されていたが、2020年3月に同社保有の車両で統一されて運用を終了している。
四国での撮り鉄は
坪尻と沈下橋以外は
中坊の時しか
撮った事なかったりして
JR四国
JR四国には、キハ40形(2000番台)11両とキハ47形42両(0番台19両・500番台5両・1000番台13両・1500番台5両)の計53両が承継された。 JR四国では、観光列車〔伊予灘ものがたり〕用改造車を除いて形式と番号の変更を伴う改造や機関換装は実施されていないが、接客設備の改善として1988年に53両全車に対し、屋根上搭載型冷房装置の設置を施している。
北海道なら腐るほどあるのだけど
なので宗谷本線の北永山おば・・
1989年にキハ40形全車に対してワンマン運転対応設備の設置、トイレの撤去、旧トイレ部分への他の側窓と同型の2段ユニット窓の新設と屋上水タンクの撤去、1993年までにキハ47形のトイレ下に汚物処理装置の取り付けが実施されている。
北海道は腐るほどあるけど
四国に冬の豪雪写真は
さすがにムリなので
夏に撮った石北本線・奥白滝ので
四国地区では、高徳本線・鳴門線・牟岐線(徳島 - 桑野)・徳島本線(徳島~穴吹)で運行されていたが、1500形の投入によって2009年10月より淘汰が開始される。 2010年3月までに徳島のキハ47形10両が廃車となり、2011年には同6両も廃車となった。 また、2両がJR九州に譲渡されている。
四国はヘッドマーク付きの
キハ58急行ならあるけど
中坊の当時は新車のキハ47には
あまり目を向けなかったよな
なので代替えは若桜線のキハ40で
牟岐線の阿南以南や鳴門線では車種独占となっていたが、2010年頃以降は新型車両の導入やホーム嵩上げの進行によって運用が減っている。 キハ47形はワンマン設備がない事から優先的に廃車となり、現在は朝夕の通勤時間帯中心の運用である。 牟岐線の阿南~海部では、2019年3月を最後に乗り入れを終了したが、2022年の改正で阿南~桑野の運用が復活した。 また、2011年3月~2019年3月までは、阿佐海岸鉄道阿佐東線でも運用されていた。
次の代替えは山陰本線の保津峡で
普通でも9両編成だったよ
この当時は・・
松山管内では2012年より淘汰が始まり、2012年にキハ47形3両、2013年にはキハ47形3両・2014年には同2両が廃車となった。 2016年3月25日のダイヤ改正翌日には、松山管内の同系列は観光列車〔伊予灘ものがたり〕用改造車・キロ47形2両を除いて、全車徳島に転属となった。
JR四国はラッピングが好きだったよね
という訳で代替えの3つ目は
三江線のキハ40ラッピング車で
2016年3月25日までは、予讃線全線と内子線並びに予讃線(内子回り)でも運用されていた。
翌26日からは、同区間を走行する本系列は〔伊予灘ものがたり〕に使用されるキロ47形のみであったが、2021年度末で運用終了となったため、松山口からは完全に撤退している。
四国の最後は中坊に撮った
キハ40とバス窓キハ55の混結で
最終的な淘汰の波は2016年3月となる。 2016年から2022年4月までにキハ47形9両が追加で廃車となり、現時点では徳島運転所にキハ40形(2000番台)9両とキハ47形11両(0番台10両・1000番台1両)の計20両のみが残っている。
JR九州も比較的に
キハ40系列が活躍している
JR九州
JR九州には、キハ40形2000番台36両と、キハ47形0番台61両、500番台2両、1000番台41両、1500番台2両の計106両、合わせて142両が承継された。 2012年にJR四国で廃車となったキハ47形2両(0番台1両・1500番台1両)を譲り受けている。 廃車は1993年の日豊本線竜ヶ水駅の土石流災害で被災したキハ40形2両のみだったが、2019年より置き換えが開始され、新型車両の導入により改番していない車両の廃車が進んでいる。 2020年時点で132両を所有し、九州島内各地で運用している。
九州でよくみられる眼鏡橋をゆく
日田彦山線のキハ47
本系列に対して初めて冷房改造が行われたのが九州であった。 民営化後も1987年から1989年にかけて、全車に対して冷房改造が実施された。 国鉄時代はバス用の装置を転用したサブエンジン式の冷房装置を、民営化後はその改良版を搭載している。 現在は屋根上の通風器が撤去されている。 ワンマン改造は大多数に対し施行済みであるが、線区の事情に応じて内容が異なる。 また、機関出力向上は1990年から数種の方法で行われており、それぞれ新形式または新番台区分となった。
眼鏡橋の鉄道橋梁は
宮原線の眼鏡橋と同じく
廃止となってから
重要文化財となるのだろう
筑豊・直方・日田・香椎管内では、直方運用(筑豊本線の折尾~若松 他)は2017年3月に、香椎線では2019年3月に、それぞれBEC819系電車(蓄電併用式電車)に置き換えられて運用を終了した。
九州豪雨災害で大きな被害を受けた
東峰村の中心駅・大行司に
到着したキハ47
現在の同形式の運用は、日田彦山線・後藤寺線(午前中の普通列車数往復と快速列車)・筑豊本線(桂川~原田)・日豊本線(小倉~城野の日田彦山線直通列車)・久大本線の日田彦山線直通列車(九州北部豪雨災害の被災により、日田彦山線の添田以南の廃止が決定)となっている。
キハ40を改造した観光列車の
一番の成功例が肥薩線の
〔いさぶろう〕〔しんぺい〕だろう
佐賀・唐津地区では、キハ125形との混結で運用される場合がある。 長崎本線の唐津線直通列車及び唐津線・筑肥線(山本~伊万里)で運用されている。
『真なる幸の駅』&スイッチバック駅として
観光列車の目玉となっている
真幸駅に停車する〔いさぶろう〕
長崎地区ではキハ66系やキハ200系に置き換えられ(その後これらの形式はYC1系に置き換えられた)、キハ40系の運用はキロシ47形〔或る列車〕(臨時列車扱い)のみとなっていた。 だが、2022年9月23日の西九州新幹線開業以降、長崎本線の再非電化に伴い、長崎本線 (江北~長崎)・佐世保線 (江北~早岐)で運行再開している。
阿蘇外輪山をバックにゆく
豊肥本線のキハ47
熊本・鹿児島地区では、鹿児島本線(熊本~八代の肥薩線・三角線直通列車・豊肥本線(熊本~豊後竹田)・三角線で運用している。
今や名物となっていた肥薩線・大畑の
スイッチバック&ループをゆく
キハ40改造の観光列車〔いさぶろう〕
肥薩線では、観光向けに改造された車両を運用している。 なお、普通・快速列車から肥薩線内は特急に格上げされている。
かつては温泉地で
『男はつらいよ』のロケ地にもなった
久大本線・湯平にて
大分管内では、YC1系の長崎地区投入に伴うキハ200系の転属に伴い、2021年3月に運用を終了している。 それまでは、久大本線(日田・庄内~大分)・豊肥本線(大分~豊後荻)で運用していた。
肥薩線の『矢岳越え』は超閑散線区に落ちていたが
山岳路線である為スイッチバックやループがあり
車窓風景豊かな観光路線として
キハ40改造の観光列車
〔いさぶろう〕〔しんぺい〕が投入された
鹿児島管内では、鹿児島本線(鹿児島中央~鹿児島)・日豊本線(宮崎~都城の吉都線直通列車と国分~鹿児島)・肥薩線(吉都線直通列車含む普通列車)・指宿枕崎線(普通列車と特急【指宿のたまて箱】改造車)・吉都線(肥薩線・日豊本線直通列車を含む)が運用されている。
アドバルーンと
吉都線のキハ40単行列車
宮崎管内では、日豊本線(宮崎~西都城)・吉都線・日南線で運用されている。
タダの黒潰れの駄作が
彼の珠玉の名演技によって
最高の物語に仕上げてくれた
:
他社譲渡車両は全く撮ってないので
日高本線の節婦の浜の名シーンおば・・
廃車後の他鉄道事業者への譲渡も行われている。
会津鉄道に雰囲気が似ている路線として
日田彦山線の県境区間を挙げたけど
その日田彦山線は災害により
運休から路線廃止とBRTバス化へ
会津鉄道
2002年からJR東日本会津若松運輸区で余剰となっていたキハ40の1両を、日本宝くじ協会の寄贈による〔宝くじ号〕として会津鉄道が譲り受け、新潟トランシスで改造したもので、AT-400形 AT-401として2003年4月に使用開始された。 同車両はハイデッキ構造の展望車に改造され、〔風覧望(ふうらんぼう)〕の愛称でトロッコ車のAT-351との2両編成で、『お座トロ展望列車』として行楽期を中心に運転されている。
JR東日本所有時に冷房装置(AU26J-A×2)の搭載、屋根上水タンクの撤去などなされているほか、下回りはほぼJR東日本仕様のキハ40形500番台に準ずるが、機関はカミンズ製NH14R形(300 PS / 2,000 rpm、JR東日本DMF14HZ形と同等品)に換装され出力アップしている。 なお、機関本来の出力は350 PSだが、液体式変速機がDW9形のままである為に300 PSで使用している。
道南いさりび鉄道の写真は
撮ってないので
道南いさりび鉄道として存続できなかった
江差線の終着・江差駅で
発車を待つのキハ40おば・・
道南いさりび鉄道
2016年3月26日の北海道新幹線開業に伴い、江差線より転換された道南いさりび鉄道では、開業時にJR北海道からキハ40形1700番台9両が譲渡され、同社オリジナル塗装への変更が行われて運用に就いている。 うち2両は貸切列車としても用いられる〔ながまれ号〕用に塗装変更と内装の改造が行われた。
『青春18きっぷ』のポスターにもなった
大畑の『ループ&スイッチバック』を
登っていく観光列車〔いさぶろう〕
:
もう代替え理由が思い浮かばないよ
全く関係ないし
錦川鉄道
2017年3月に烏山線での運用が終了したキハ40形1000番台の1両を錦川鉄道が譲り受け、内装をレトロ調に改装し、同年9月16日に錦川清流線で運行を開始している。 外装はJRマークを始め、烏山線時代のものを引き継いでいる。 同社のワンマン運転の規則上、本形式で唯一サイドミラーを装着している。
アドバルーンと列車は
なかなか一致しなかったよ
:
小湊鉄道の代替えは
吉都線のキハ47で
小湊鐡道
同社の主力車種であるキハ200形は、ほとんどが冷房化されているものの、駆動用機関であるDMH17Cが製造中止になって久しい事、さらに初期車が2021年には車齢60年に達する事から、状態の悪い車両を新たに投入する車両に置き換え、状態の良い車両を今後も継続使用する事とした。
小湊鉄道の出した
4つの条件に合ったのは
只見線のキハ40だった
全車を一気に置き換えない事からキハ200形と総括制御可能な事に加え、下記の4つを条件に候補車が検討され、最終的に4条件すべてを満たす車両が存在し、置き換えの決まっていたJR東日本のキハ40形2000番台を導入する事となった。
4つの条件に近いモノとして
JR北海道のキハ40も含まれるね
その条件は、両運転台車である事、保守性の観点からキハ200形と同じくDT22系台車を装着している事、同様に保守性の観点からエンジンが補修部品の流通が少ない原型のDMF15系列ではなく、新しい高出力型に更新されている事、サブエンジン式ではなく機関直結式の冷房装置を装備している事の4つである。
4つの条件にマッチした
只見線で使われた
キハ40を譲り受けた
只見線・只見川第一橋梁にて
まず、2020年3月に只見線での運用が終了したキハ40形のうち、上記の4条件を満たしている2両のキハ40を東北色のまま2020年5月19日に譲り受ける。 導入に際しては、キハ40という形式はそのままで機番のみ改番し、列車無線・車体色の再塗装・社名ロゴの交換が実施され、キハ40 1については再塗装に際して東北色の色分けラインを踏襲しつつ小湊鉄道標準色に塗り替えられている。
温暖な地以外の関連はないけど
貼る所がここしかないので
指宿枕崎線のキハ40おば
また、JR時代の改造で車体中央側面窓下部の方向幕の有無、出入扉の開閉用押しボタンの有無、クロスシートの配置などに違いがあったが、小湊鉄道入線後もそのままである。 トイレについては、小湊鉄道に汚物処理装置の抜き取り設備がない為に使用せず締め切られている。
小湊鉄道は譲渡元の塗装を
そのまま使うから
日高色が実現すれば
『撮り鉄』が殺到するだろうね
更に、秋田管内で2021年3月で定期運用から離脱していた上記4条件を満たすキハ40形3両を譲り受けて、JR東日本時代から譲渡された際の塗装と同じ色に再塗装されている。 なお、小湊鉄道に譲渡された5両のキハ40は、同社への搬入順に1~5に改番されている。
花の町・加西市をゆく
北条鉄道の代替えは
三江線の桜とキハ40で
北条鉄道
列車行き違い設備新設に伴う予備車の不足を解消する為に、2021年3月12日をもって運用終了したJR東日本の秋田管内で廃車となったキハ40の内の1両を譲り受けた。 だが、第三セクター経営で資本力の乏しい同社は、同車両の購入に向けてクラウドファンディングを活用し、目標額300万円だったが最終的に1300万円を集めた。 購入車両は秋田よりフェリーで搬送され、陸路で北条鉄道に搬入されている。
到着後に同社運用向けの諸改造を終えて、2022年3月16日に運用開始となっている。
路線廃止区間の節婦の浜をゆく
日高色のキハ40
:
ミャンマーへはJR北海道のキハ40が
譲渡されたという事なので
ミャンマー国鉄
JR北海道から譲渡されたキハ40系のうち、キハ40形330番台2両とキハ48形1330番台3両が2014年8月24日からヤンゴン市内の路線で運行されている。 5両編成で冷房も使用している。 また、JR東海は、2015年3月27日にミャンマー鉄道省へのキハ40系12両の譲渡 を、同年7月22日に41両の譲渡を発表した。
ミャンマーに到着後に順次改造工事を実施し、2015年7月以降、順次ヤンゴン市内の路線で運行を開始している。
JR東日本は2015年7月17日、7月下旬からミャンマー国鉄への車両譲渡と、車両保守に関する技術支援を実施すると発表した。 対象はキハ40形13両・キハ48形6両の合計19両で、第一陣の6両は同年8月にヤンゴンに到着し、9月末から同市内で運行されている。
キハ40という車両が多岐に渡り過ぎたのと、全国各地で活躍してたが為に巨大な記事になっちまったよ。 でも、まだ『国鉄編』もあったりして。 だけど、連続して続けると身が持たない(この記事の作成で都合22時間かかった)し、何より粘着質を通り越したクドさで更に人気を落とすかもね。
なので、『国鉄編』はまたの機会に・・。
Yahoo!ブログが廃止となり
FC2に移転したのが2019年4月21日
その時のアクセス数は
15万ちょうどだった
Yahoo!ではここまで到達するのに
9年ちょっとかかったが
FC2では3年8ヶ月で
25万のアクセスがあったよ
でも拍手やコメントは平均値で
Yahoo!を下回ったりして・・
だがこの3年8ヶ月に公私共に
いろいろあったなぁ
これで入院した際に
甲状腺に『残念』が見つかって
身体を切ってヘタレが急速に進行したし
『スーパーオチャメ』と『残念』で
1か月近く会社を休んだので
クビを通告されて「それでもいいよ」というと
手のひらを反して「会社規則で非正規に
落ちるけど雇い直してあげる」だとさ
まぁそれで元の鞘に納めたのは
ワテが小市民たる所以かな
その後収益物件を買って
副業デビューもしたなぁ
ヤマもかつてのパワーには遠く及ばないが
年に5~6度はテント担いで行ってるなぁ
相変わらず根性が腐った
『無訓練&下調べナシ』の
ナンチャって登山だけど・・ね
そして2021年には史上最悪の
日本政府による国民虐殺行為ともいえる
東京五輪が開催され国内経済は
大混乱となったしィ
幸いワテはまだ感染してないけど
周りでは知り合いがポロポロ死んでるよ
それに副業で別収入がなければ
今頃コロナ不況でカツカツだったよな
非正規に落とされたしィ
露助のウクライナ侵攻で
建材の値段が上がる『ウッドショック』や
物価高騰があったけど
副業の収入が増えてまずまずのワテでした
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- あけましておめでとうございます
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Re: おめでとうございます! * by 風来梨
takatakaさん、有難うございます。
アクセス数だけすざましい伸びがありますが、
閲覧者交流がほとんどないですね。
キハ40・・。 ずっと新型車の認識でいたのが、もう誕生から40年経ってしまったのですね。 歳取る訳ですね(悲)。 かつて日髙本線の塩害で10年しか持たなかったキハ130に代わって主力となった時は「丈夫な車両だなぁ」と思っていましたが、とうとう置き換えの時がせまり来ましたね。
でも、今の車両は40年も持たないでしょうね。
そして今のブサイクな車両に比べて『美人』な容姿、
間違いなく『レジェンド』な名車ですね。
アクセス数だけすざましい伸びがありますが、
閲覧者交流がほとんどないですね。
キハ40・・。 ずっと新型車の認識でいたのが、もう誕生から40年経ってしまったのですね。 歳取る訳ですね(悲)。 かつて日髙本線の塩害で10年しか持たなかったキハ130に代わって主力となった時は「丈夫な車両だなぁ」と思っていましたが、とうとう置き換えの時がせまり来ましたね。
でも、今の車両は40年も持たないでしょうね。
そして今のブサイクな車両に比べて『美人』な容姿、
間違いなく『レジェンド』な名車ですね。
大変ご無沙汰しております。
40万アクセスおめでとうございます!
キハ40の貴重なお写真、じっくり拝見させて頂きました。