2022-12-16 (Fri)✎
『路線の思い出』 第511回 鶴見線・浅野駅 〔神奈川県〕
戦前に我が国随一の
新興財閥が設けた駅だった浅野駅
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
鶴見~扇町・浅野~海芝浦・武蔵白石~大川 9.7km 13942 / 133
運行本数 (’19)
扇町方面 平日ラッシュ時6分毎、日中20分毎、土・休日ラッシュ時8分毎、日中30分毎
(浜川崎・弁天島への区間運行含む)
海芝浦方面 平日ラッシュ時15~30毎、日中1時間毎
土・休日ラッシュ時30分毎、日中は1~2時間毎
大川方面 朝夕のみの運行で日中は運行ナシ、平日9往復、土・休日3往復
急カーブして分岐する
海芝浦支線ホームの端より駅を望む
浅野駅(あさのえき)は、神奈川県横浜市鶴見区末広町二丁目にあるJR東日本・鶴見線の駅である。
JRの特定都区市内制度における『横浜市内』の駅である。 ちなみに、武蔵白石以遠の駅は川崎市に所在するが、鶴見線内は全て『横浜市内』の駅の扱いとなっている。 駅名は、鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道の設立者で、浅野財閥の創設者でもある浅野総一郎に因んで名付けられた。
駅に進入する直前で分岐する
本線と海芝浦支線の線路
※ ウィキペディア画像を拝借
鶴見と扇町を結ぶ本線から、海芝浦方面へ向かう支線(海芝浦支線)が当駅で分岐していて、扇町方面と海芝浦方面の線路が鶴見側の駅ホーム直前で分岐している。 扇町方面の本線は島式ホーム1面2線、海芝浦方面は相対式ホーム2面2線の駅構造となっている。
海芝浦支線の下りホームは
海芝浦支線が当駅で急カーブして
分岐している為にホーム幅の広い
三角形ホームとなっている
駅全体の構造を見ると海芝浦支線が
当駅で急カーブして分岐する為に
海芝浦支線下りが使用する
島式ホームがやけに大きい
※ ウィキペディア画像を拝借
扇町(本線下り)方面のホームはそれほど広くないが、海芝浦方面の下りホームは海芝浦支線が駅構内で大きくカーブしている為に本線とはY字分岐となり、ホーム幅が非常に広い。 弁天橋寄りには本線に隣接して非電化の側線があり、不定期に運行される新芝浦(東芝京浜事業所)発着の貨物列車がここで機回し作業を行う。
JR東日本の労組があるのに
無人駅な浅野駅
※ ウィキペディア画像を拝借
両線のホームの間に駅舎がある。 この駅舎にはJR東日本労働組合横浜地方本部が入居しているが、JR東日本としては他の鶴見線のほとんどの駅と同様に無人駅である。 簡易Suica改札機設置駅で、駅舎は海芝浦支線の下りホーム(3番線)につながっている。 また、ホーム間は、全て構内踏切でつながっている。 便所は駅舎に設置されており(券売機の裏手)、男女別で浄化槽による水洗式である。
国鉄時代には3番線ホームに鳥小屋が設けられていた。 また周辺の工場勤務者の退勤時刻ごろに合わせて短時間営業する売店がラッチ外に設けられていたが、1990年頃に廃止されている。 2008年度の1日平均乗車人員は894人との事であるが、無人駅の為に2009年度以降の乗車人員は公表していない。
廃止となった専用線まで含めた
鶴見線の路線全容図
※ ウィキペディア画像を拝借
なぜ、今回この駅を取り上げたかというと、前回の『廃線鉄道』で取り上げた『留萠鉄道』で、路線運営の主軸となった雨竜炭鉱の経営者が、この駅の駅名に刻まれた浅野財閥の当主・浅野総一郎だった事である。
閉山によって
廃墟となりつつある雨竜炭鉱
※ 『炭鉄港(文化庁・日本遺産)』より
『留萠鉄道』での雨竜炭鉱は、当初浅野財閥が開設した為に『浅野炭鉱』(1952年に古河鉱業・現在は古河機械金属に譲渡)とも呼ばれていて、空知管内の国内主力炭鉱に成長したが、1960年代前半に起こった石炭から石油に代替となるエネルギー革命により石炭産業が斜陽化し、1968年11月に閉山した炭鉱である。
雨竜炭鉱の出炭施設の残骸が
ホロピリ湖の畔に廃墟となって残る
画像を目にして絆されたよ
※『ユーチューブ』より
閉山後にダムが建設されて、かつて人口が数千人いたという炭鉱街と共にダム湖の底に沈み、出炭施設の残骸がギリシャの神殿のように湖畔に佇んでいるユーチューブの画像を目にして絆されたのである。
この路線は浅野財閥の本業である
セメントなどの建材や
原料の石灰石の運搬の為に
敷設された鉄道路線であった
※ 扇町横の貨物側線にて
そして、この鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道も、この浅野財閥の当主・浅野総一郎の肝入りで敷設された貨物路線だったのである。 この浅野財閥の本業は建材業で、現在は『浅野セメント→太平洋セメント』を主軸としたセメント業最大手である。 即ち、本業のセメント貨物や港からの石灰石の受け入れの為に敷設されたのが、鶴見線の前身ある鶴見臨港鉄道だったのである。
旭運河
この地域にあった数多くの運河も
鉄道輸送の大きな力となった
※ ウィキペディア画像を拝借
そして、この浅野駅に興味を持って調べると、鶴見駅の全駅が財閥などと縁つながりがある事が解ったのである。 国道駅は御存知の如く、京浜国道(現在は国道15号線だが、路線敷設当時は国道1号線だった)が駅名の由来で、次の鶴見小野はこの地の大地主・小野高義からである。
浅野駅は、この記事の如く浅野財閥の当主にて、鶴見線の前身の鶴見臨港鉄道を敷設した浅野総一郎が駅名の由来となっている。 浅野駅の次の安善駅は、鶴見臨港鉄道の敷設に融資の面で尽力した安田財閥の当主・安田善次郎り苗字と名を1文字づつ取って駅名としたのである。
大川支線にも近代車両が入った為
武蔵白石のカーブ途中に
ホームを設ける事が不能となった為
分岐駅を安善に変更した経緯がある
※ 大川駅にて
なお、この安田財閥は今のみずほ銀行で、同郷出身の浅野総一郎を大々的に支援し、『浅野セメント(現 太平洋セメント)』や『日本鋼管(現 JFEスチール)』などの我が国を代表する建材企業の育ての親ともいえるのが、この安田善次郎である。
以前は武蔵白石が大川支線の分岐駅で
旧型国電が大川駅までの
僅か1.6kmを1日数回往復していた
※ ウィキペディア画像を拝借
武蔵白石も、日本鋼管の創業者である白石元治郎が駅名の由来で、この白石元治郎は浅野財閥当主の浅野総一郎の娘婿にあたり、白石元治郎が創設した日本鋼管は浅野財閥の派生会社といえる。
浅野財閥の家紋『扇』
松ノ廊下の刃傷沙汰で切腹した
内匠頭さん家の家紋
『違い鷹ノ羽』とは異なりマス
昭和駅は付近に昭和肥料(現在の昭和電工)の工場があった事に由来し、本線の終点・扇町駅は、浅野財閥の家紋である『扇』から取られたものである。 新芝浦や海芝浦も東芝の前身・芝浦製作所が駅名の由来で、大川も浅野財閥系の子会社で、後に王子製紙となった富士製紙を立ち上げて『製紙王』と呼ばれた大川平三郎の名が宛がわれたとの事である。
大川の駅名は王子製紙の前身会社を創設し
『製紙王』と呼ばれた大川平三郎から
取られたものなんだって
そう・・、この鶴見線沿線は、戦前の日本の新興財閥(三井・三菱・住友といったのを除いた財閥)がひしめく資産高随一の土地だったのね・・という事で。
パヨクも右翼も共通している
事であるが奴らは絶対に
過ちを認めないし謝罪もしない
例え人を殺めても『相手が悪い』
『殺される方が悪い』
『従わないからこうなる』
と全て相手が極悪人となる
そう・・例え『殺されても』である
だからいつも敵対相手の人格さえ
認めない悪口が続くのだ
それがこの国の首相であっても・・である
ワテも今の首相の岸田を
あまり評価はしていない
でもこの国の首相としての
扶持は認めている
だが右翼・パヨクとも
全く自身の主張と合わない岸田首相を
『早く▽ね』と罵倒したり
政権崩壊を心待ちにしたり
国賊扱いにしたりと度が過ぎていて
パヨク思考の者・岸田政権を支持する者・
政治への無関心から
自らの主張を無視する国民も
同じくバカだの情弱だの思考停止だのと
言葉の限り侮辱する
そして自らがしでかした多大な罪
パヨクならチョンへの忖度など度重なる売国行為
右翼なら感染爆発に巻き込んで
万を超える国民を殺害した東京五輪開催の罪を
絶対に認めないし謝罪もしない
それどころか感染爆発が起こったのは
(感染者数が多かった)日本人の若年層の責任
と罪を擦りつけたりまでしたのだ
万を超える国民を殺して平然といられる奴ら
これらを見るにつけ
「到底思考が日本人ではないなぁ」
と思ってしまうよ
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
私の鶴見線どの出会いはもっと遅く、『E電』が入線してからですね。 なので、駅めぐりが主目的でしたね。
そして、旧型電車は近鉄伊賀線以外は無視で、小野田線の長門本山の旧型電車も乗っただけでした。 返す返すもったいねー。
鉄道を追いかけていた小僧の時は、廃止線しか撮る対象には上がらなかったですね。
私の鶴見線どの出会いはもっと遅く、『E電』が入線してからですね。 なので、駅めぐりが主目的でしたね。
そして、旧型電車は近鉄伊賀線以外は無視で、小野田線の長門本山の旧型電車も乗っただけでした。 返す返すもったいねー。
鉄道を追いかけていた小僧の時は、廃止線しか撮る対象には上がらなかったですね。
関東赴任中にもっと行っておけばよかったと今更ながら後悔です💦
昔の武蔵白石駅に停まるクモハ12の写真は珍しく持っているのです(笑)
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-123.html