2022-12-06 (Tue)✎
『日本百景』 秋 第537回 剱沢・秋景 その5 (ハシゴ谷乗越から黒部ダムへ) 〔富山県〕
乗越に向けてハシゴが連なる事から
名づけられた秘境の峠・ハシゴ谷乗越
ハシゴ谷乗越 はしごたにのっこし (中部山岳国立公園)
剱沢最上流部の真砂沢より黒部渓谷の下の廊下に抜けるルート上にある乗越(峠)で、正確には黒部別山の乗越という事となろう。 このルートのレベルは中級者以上向けで、最近は剱沢のスノーブリッジの崩壊で晩夏以降は渡渉が必須となり、真砂沢以降は黒部ダムまでビバーク以外に宿泊の術がなく、幕営装備が必須の上にルート難度も高くなっている。
ハシゴ谷乗越より望む
剱岳東面の1000mを超える大岩盤
だが、黒部渓谷の支流である内蔵助沢の源流部に沿い、内蔵助平から見上げる立山連峰の絶景やわが国では数少ない氷河の内蔵助カールの雪渓を見上げながら進む秘境感と、ハシゴ谷乗越までに至る途中で振り返る剱岳東面の迫力ある眺めを欲しいままにできる。
内蔵助平の紅葉は
秘境中の秘境に展開する
プレミアムな紅葉だ
そして、このルートが最も魅力的となるのが秋の紅葉シーズンだろう。 だが、真砂沢ロッジを始めとしたルート上の山小屋は、紅葉が最盛期となる前に営業を終えて小屋を閉めるので、この山行の全ての事において自力での活路が必要となってくる。
大タテガビンの
3つの大岩盤を染める紅葉
だが、内蔵助沢の途中で望む大タテガビンの大岩盤を紅葉が染める絶景は、今も心から離れない。
歳を取って身体がヘタった今は途中引き返しとなる事もままあるが、今度こそは歩いてみたい秘境中の秘境ルートである。
行程記録 ※ 今回も『行程』と言うには不様過ぎるな・・
《1日目》 富山地鉄・立山駅よりケーブルカーと高原バス利用(1:10)→室堂(3:40)→剱沢
《2日目》 剱沢より剱沢へ紅葉狩り(1:10)→剱沢〔連泊〕
※ 平蔵谷出合まで空身で片道1時間
《3日目》 剱沢(3:50)→真砂沢小屋前
《4日目》 真砂沢小屋前(0:10)→真砂沢出合(1:40)→ハシゴ谷乗越(1:40)→内蔵助平
(2:20)→内蔵助谷出合(1:40)→黒部第四ダムよりトロリーバス利用
(0:15)→扇沢よりバス(0:35)→JR・信濃大町駅
※ 剱沢で引き返した今回の山行と過去の山行をムリヤリ引っ付けた為、日程が1日増えて
マス
※ ムリヤリ『第536回 その4』挿入した為、『第535回 その3』の続きの性格が濃く
なってマス
クマザサをあしらって
剱の八ッ峰を更に魅惑的に
《4日目》 内蔵助谷を越えて黒部ダムへ
昨日の歩行時間は2時間少々で、睡眠時間が13時間。 沢で-イオンをたっぷりと吸い込み、素晴らしい情景に癒され、そして爽やかな朝の情景。 これだけ身体を労われば、《黒部ダム》までの道中をダレる事なく歩ききる程には回復してるだろう。 いや、ちょっと不安かも。 何せ、筋金入りの『ヘタレ』ですさかいに・・。
前回(正確に言うと前々回)に
下ってきた剱沢の大雪渓
昨日夕飯食って寝たのが18時半で、目覚めたのは5時半。 その間の11時間はほぼ爆睡で、朝が明けるまで目覚める事はなかった。 テントから出て鹿島槍や剱の本峰が赤く染まるのを見ながら、昨日の残りのパンを朝飯として食う。 ひと通りの準備をしての出発はAM6時半。
染まる紅葉を独り占めにして
優雅な朝食おば・・
さて、今日はどんな素晴らしい情景を魅せてくれるのだろう。 何はともあれ、一晩お世話になった《真砂沢》に感謝の礼をして、さあ出発だ。
スノーブリッジはあっても
秋はスカスカなので
雪渓を踏み抜くと崩落して
生き埋めとなるだろうね
シーズンが終わってやや荒れ始めてきた登山道を《仙人池》の方向に進む。 石コロが転がる道を10分ほど歩くと、ドでかいスノーブリッジが沢を完全に覆い尽くした所に出る。 そこには看板が立ててあり、そこにはこのように記されてあった。 『真砂沢の橋は外されています 黒四ダムへはこのスノーブリッジを渡る』と。
かつては秋でも剱沢には
巨大なスノーブリッジがあり
渡渉する事なく渡れたのだが
まぁ、結構ぶ厚そうなスノーブリッジで恐怖感はなかったが、『秋の残雪のスノーブリッジを渡れ!』とは、常識で考えたらかなりおっかないのである。 崩落でもしたら、もちろん生き埋めとなって助からないだろうしィ。
この2倍の幅がある剱沢の
本流を渡らねばならない
:
ちなみに写真は仙人池に行く
途中で渡る剱沢の北股沢
このように、これまでの例年では真砂沢付近の剱沢に巨大なスノーブリッジがかかり、沢を渡渉する事なく対岸に渡れたが、近年の地球温暖化が原因と思われる雪渓の早期消失で、小屋の営業期間中は簡易橋が架けられているが、小屋が閉まると簡易橋も撤去されて沢の渡渉が必須となるので念の為。
夜が明けて剱の岩峰を
覆っていた影が
見る見るうちに引いていく
ともかく、真砂沢と合流して沢幅が大きくなった剱沢を渡ると、対岸の土手にはロープが垂れ下がっており、道を示す『道標リボンの花』もチラホラと咲いていた。 これを渡って、この垂れ下がったロープで土手に取り付く。 これが結構な急傾斜で、のっけからふくら脛が爆発しそうになったよ。
この土手をよじ登ると、樹林帯の中を縫うように歩いていく。
沢を渡って土手に上がった所で
仙人池や池ノ平へ続く
紅葉の山なみを望む
やかて《真砂沢》の橋へのアプローチ道分岐へと出るのだが、今現在は橋が外されていて“行き止まり”となるので、橋方向へは進入できぬようにゼブラロープで封じられていた。 そしてクドイ位に、「橋が落とされているので巻き道を使え!」との警告看板が立てられていた。
仙人池方面を彩る紅葉も捨てがたいが
ここは黒部・内蔵助谷の紅葉を取ろう
この分岐を過ぎたあたりから、《黒部》に向けての道程の『瞼』の如く立ちはばかる黒部別山 2353m の山体越えの急登が始まる。
樹木の間から
剱の岩峰が見え隠れする
この登りは「キツくもなく、さりとて緩くもなく」といった案配で、樹林帯の中なれどつづらを切る事なく斜め一直線に登っていく。 足場は大きな岩が埋まる歩き辛い状況だ。 この樹林帯の登りをつめていくと、大きな岩が転がるゴーロ地帯に出る。 振り返ると、樹林の合い間から剱の本峰がデンと立ちはばかっているのが見える。
ゴーロ岩が転がる崩壊地に出ると
前面を阻む樹木も崩壊と共に崩れたのか
視界を阻むものは何もなく
剱岳東面の大岩盤が迫力をもって迫ってくる
ここからは下ってきた剱沢雪渓の全景が見渡せ、剱の東面の大岩盤がそそり立っていて壮観だ。
ここはゴーロ岩に座る事ができる絶好の休憩処で、是非とも『撮影タイム』を取ろう。
それでは、剱岳東面の岩峰の絶景をひとつまみ。
剱の八ッ峰の間に
クレオパトラニードルが姿を魅せる
剱沢雪渓はこの崩壊地から望むのが
もっとも迫力があっていい
剱本峰を剱沢雪渓を
含めて望めるのは
恐らくこの場所だけだろう
ゴーロ地帯を過ぎると、今までとは明らかに植生の異なる潅木の樹林帯に突入する。 この樹林帯に突入すると頭上に青空や光が見え隠れし、これを目にすると否応なしに「もうちょっとだ!」と気がはやる。
だが、ここからがしつこい。 樹林帯の上に出てもその先は尾根上を伝うように続いていて、尾根の段差毎に木製のハシゴが立てかけてあった。 その数は10ヶ所あまり。
たが10ほどあるハシゴの半数以上が
落石などで破壊されて使えなかったよ
たぶん、このハシゴがこの乗越の名称《ハシゴ谷乗越》の所以だろうが、ヘタレたヌワケ(筆者)にとってはあまり有難くない代物であった。 ハシゴを昇る事でかなり高度を稼ぎ、いつのまにか視界から剱本峰が消えて、針葉樹林を針山のように突き出した黒部別山の山体がデンと立ちはばかる情景となる。
針葉樹林で棘っぽい
針山容姿の黒部別山
そして、なかなか尽きる事のない登りが、この針山の方へ向けて続いている。 これを見ると「もしや、この針山を登らなアカンの?」と、少々不安になってくる(ヘタレなのでこのように考えます、ハイ)。
南仙人山とガンドウ尾根は
周囲の山々より標高は低いが
雪を被っていたよ
黒部別山がハッキリと横に見え出すと、ようやく長い登りが終わってクマザサが覆う通路となる。
そして、峠と思しき吊り尾根状の所に出る。 ここで90°左に折れて緩やかに下り出す。
ハシゴ谷乗越までは
立山の方向を向いて進んでいくが
乗越で90度左へ折れて黒部に向かう
たぶんここが《ハシゴ谷乗越》なのだと思うが、それを示す標識が一切見当たらない。 なので、ちょっと日陰になった所で「峠に登りついた」と解釈して休憩を入れる。 ここまで、1時間40分程だった。
登りに関してはコースタイム通りで、まずまずの結果となった。
乗越で90度左へ折れると
鹿島槍や五竜など
後立山の山々が望める
木陰の先に鹿島槍ヶ岳がそびえ、涼風が舞うなかなかの休憩場所だ。 ちょっと呆けていると10分位あっという間に過ぎさり、やや慌て気味に腰を上げる。 この木陰より100mほど歩くと、黒部別山への踏跡と《黒部ダム》への下山路との分岐を示す看板が見えてくる。
ガンドウ尾根の先に望む
後立山の峰々を見ながら
黒部渓谷への下降開始
この分岐を直進すると、先程の針山のような黒部別山への登路となる。 ちょっと行った所に剱本峰を望む展望台があるそうなのだが、この先どれ程時間がかかるか読めないので自重する事にした(「もう登りたくない」との気持ちが勝ったとの説もある)。
ハシゴ谷乗越からの下りは
右手に立山が頂を突き出すのが望める
下山路は右手に折れ、痩せ尾根から斜めを切って急下降していく。 足元は岩がゴロゴロして歩き辛いが、眼下に広がる《内蔵助平》とこれを囲むようにそびえる立山三山の情景が格別だ。
目指す内蔵助平は
あんなに近くに見えるが
降りてみるとかなり遠い
山に囲まれたカール地形のような“うつわ”の中が紅葉で色めき立っている。 これを目にすると、早くその“うつわ”の中に立ちたい・・と心がはやる。
振り返るとかなり
下ってきたのが解る
だが、その思いとは裏腹に、登山道は左端に刻まれた枯れ沢の筋に潜り込んでいく。 つまり、この“うつわ”の外周に切られた枯れ沢を伝っていくのである。
下っていくと角突き出すだけだった
立山が全容を魅せ始めた
立山の山々を
ハシゴ谷からの紅葉で包みこむ
なので、立山三山と《内蔵助カール》(立山と真砂岳との間にあるカールで、ここの雪渓が氷河と認定されている)が魅せる、スラッとした山姿と山肌を彩る紅葉を時折目にする事ができるだけである。
でも、この『時折』も、また格別なんだよな。
道は延々と沢ガレの岩コロが
転がる中を伝っていく
時折魅せる絶景に浸りながらこの枯れ沢の筋を伝っていくが、それにしても長い。 白い大きな岩コロが転がる沢筋を炎天下(昨日も述べたように、今の季節は昼夜の温度差がまた『カクベツ』)に延々と歩かされると、徐々にではあるが干上がってくる。 それに大きな岩コロが転がる河原状の道筋で、ヘタすればつまづいて石を蹴飛ばしたり挫いたりして足が潰れてしまう危険もあるのだ。 気力がドンドン減退していって、注意が散漫となりつまづくといった悪循環に陥りそうな状況の道だ。
『スーパーオチャメ』+道を間違いで
ここでビバークした時は
違う意味でヤバかったけど
※ 『スーパーオチャメ』った
時に撮った写真デス
実際、最後の方はヘタって顔の側面から汗が垂れてきた。 この状況はさすがに「ヤバイ」と思って即座に日陰に入って水を飲んだのだが・・。 それでもつまづいて、膝をシコタマ打ってしまったよ(この時は顔面もヤバかったが、何とか岩に腕を突っ張らせて回避)。 なお、この枯れ沢の筋では、『スーパーオチャメ』の際に道を間違えて途中の平たい大岩の上でテントを張ってビバークしたりするなど、いわくつきの道だったりする。 話はそれたが元に戻すとしよう。
『トマレ! NO!』と
書かれた岩コロの前で
直角に折れて右の土手によじ登る
あまりの長さに「もう、1時間以上河原きをしたか」と思えた頃、河原の真ん中に赤ペンキで『トマレ! NO!』と殴り書きされた大岩が見えてくる。 その横に、赤ペンキで書かれた矢印をわざわざ黄色ペンキで囲んで浮き立たせた道しるべを記した岩があった。 あまりにも目ざといので『いたずら書き』にも見えるが、どうやらいずれも道標のようだ。
氷河が形成した内蔵助平は
真に神の創造し楽園だった
:
肋骨8ハン・右足踝1ハン・・その他で
計13ハンの数え役満の身体で
撮ったにしては上手く撮れてるジャン
※ 『スーパーオチャメ』った
時に撮った写真デス
ちなみに、『トマレ! NO!』の岩を進むと枯れ沢から本流へ落ち込んで行き止まってしまうようである。 正規の道は、先程の『めざとい矢印』に従って右側の土手に這い上がっていくのだが、土手の上に上がって《内蔵助平》の“うつわ”の中に入ると清らかな水のおりなす楽園が広がっていた。
世の中で最も澄みきった沢に思えた
氷河から生まれた沢・内蔵助沢
湧水思しき澄みきってキラキラと輝く水がエメラルドの淵を魅せ、立山の山なみから続くカールの“うつわ”が色とりどりの秋の色彩で彩られていた。 「夏ならばこの“うつわ”が花盛りとなるのだろうなぁ」などと想像しながら歩いていく。 エメラルドに光る沢を簡易ハシゴで渡りると、《内蔵助平》に着く。
内蔵助沢の畔の
カールの織りなす楽園で
しばしひと休み
素晴らしいカールの楽園を魅せる《内蔵助平》だが、この分岐だけは何か荒れ果てたように見えて雰囲気はあまり良くなかった。 ここで時計を見ると、「ギョッ、もう10時過ぎ」。 乗越から河原を伝ってカール地形の底に出るだけで、1時間半もかかってるでやんの。 コースタイム30分オーバーだ。
やはり、いつまでたっても『下りは遅い』という悪癖は直らんな・・。
『スーパーオチャメ』っても
下りが更に遅くなっても
行きたいと欲する
氷河の創造し谷の紅葉へ
紅葉に染まる大タテガビンを
再び味わいに
なお、暴風雨などで沢が荒れると状況は一変するので、『スーパーオチャメ』の時は『トマレ! NO!』の岩道標は既になく、茂みの中に分け入るようになって道が判り辛くなっていたよ。 また、ワテの『やっちゃった』ルートである内蔵助カールから立山連峰への登路への分岐の道標は、朽ちたただの棒切れとなって立っていただけだったよ。
内蔵助谷は難路だが
それを差し引いても余りある
絶景が独り占めできるのだ
とにかく、カール地形の底に着いた。 「乗越からここまでかなりの高低差を下ったから、後はそんなに厳しい下りはないだろう」とこの先の道程を楽観的に考えていたが、それは『甘い考え』であった。
これからが、《黒部渓谷》の《下ノ廊下》に勝るとも劣らない難路だったのである。
最大1500mを超える大岩盤の
大タテガビンの主峰から裾まで全て
黄色の紅葉に染まっていた
ルートは切り立った崖の中腹につけられ、その左手100m下に乗越から歩いてきたあの枯れ沢が今や大きな沢に出世した《内蔵助沢》が寄り添う『へつり道』となるのだ。 しかもその幅はかなり狭く、岩がゴツゴツして歩き辛い。 また、一枚岩の大岩を下ったり、架ける所が乏しいのか、アサッテの方向を向いたハシゴを伝っての岩崖下りを強いられる場面もあった。
秋の黄色を中心に夏の残り香の緑と
大岩盤の白と裾の柿色の紅葉の
絶妙なコラボに魅せられて
少しズームで引っ張って
黄色を目立たせる
地図上でこの区間のコースタイムは『上り2:00、下り1:20』とあったが、到底1:20では行けそうにないよ。 なぜなら、急いてバタバタと下るとつまづいたり、最悪は細い通路を踏み外して沢へ転げ落ちる危険性があるからだ。
上流部は沢との高低差が
それほどでもなく
沢と大タテガビンの紅葉が
同じアングルで撮れる
この区間は足場をよく見て慎重に下っていかねばならない所なのだが、沢を挟んだ対岸にはこれまた絢爛豪華に彩られた《大タテガビン》の屏風絵巻が煌びやかに続き、集中力と視線を奪い去ってしまうのだ。
だが沢は滝を連ねてどんどん下に下がり
気がつけば沢から100m以上離れて
クマザサを踏み抜くと真っ逆さまに
落っこちるデンジャラスルートとなる
だが眼前の大タテガビンの
彩りが鮮やかすぎて
足下がつい疎かになりがちだ
だが、前述のように足場が覚束ない所なのでザックを下ろすスペースはほとんどなく、危険な『へつり道』地帯の通過であるのにカメラを首にぶら下げてザックを背負ったまま、幾度となく立ち止まっては写真を撮るという危険を繰り返す。
紅葉に染まる
大タテガビンの3つの峰
まぁ、すれ違う人がいなくて良かったよって、そういえば《剱沢》で登山者3人グループと遭遇して以来、全く人と遭っていないなぁ。
陽が傾き始めて紅葉が
上流側から徐々に陰り始める
その美しさに虜となり
時間が迫っているのに
枝を影にして撮り続ける
「小屋が閉鎖されただけで、こんなに山は静寂になるものなのか・・」と少し呆れる状況だ。
結局、『山小屋』という手助けがなければ、山には入れないという事だなって思う。 人が自然適応能力を失って久しい(もちろん、ワテも含めて)っていう、“悲しい現実”を思い知らされた感がある。
内蔵助谷の無名滝
10mクラスの段瀑が連なるミニ剱大滝だ
↑
剱大滝は見た事ないけど
さて、この厳しい『へつり道』を2時間ほど行くと、いよいよ出合が近いのか《内蔵助沢》が落差のある瀬滝となり、段をなして瀬を落としていくのが見えてくる。 落差にして、都合50~60mって所だろうか。 もちろん、この瀬滝に名前などあるはずもなく、『《内蔵助沢》の無名滝』としか呼びようがないのである。
内蔵助の無名滝付近では
影が下からも覆ってきたよ
この瀬滝前でひと息着こうと沢に出てみると、ここでようやくまる2日ぶりに人にあったよ。
荷物の大きさから、恐らく《黒部ダム》からの日帰りハイカーだと思われる。 話をしてみるとやはり予想通りで、「下ノ廊下が通行止なのでここに来た」との事であった。
影は一度覆いだすと
あっという間に下部全てを
黒の領域としたよ
ちなみに、嬉しい事にこの方のカメラは、ワテと同じ『canon F-1』だったよ。 まぁ、無限に広がる素晴らしい色を魅せる情景を、『ある・ナシ』だけの限られた集合体である『デジタル』では到底表現しきれないのだから。
そして下半分を影が飲み込んだ
紅葉の撮影は
どうやらこれまでのようだ
ワテが今まで目にした情景を『デジタル』で撮ったとしたなら、「表現しきれない現実を思い知らされる」というもどかしさと悔しさを猛烈に感じる事と思う。 そんな思いを感じる位なら、ワテは写真という世界を見限るだろうね。
黒部渓谷が見えてからが
実に長かったりする
:
ヘタった2度目以降は
黒部渓谷が見えてから降りきるまでに
斜陽が完全に影ってしまう程に時間を食ったよ
さて、『《内蔵助沢》の無名滝』を過ぎたら出合は近いハズなのだが、ここからもエグかった。
高度的に沢に近づいて沢に転げ落ちる心配はなくなったものの、ロープを手繰っての『土砂崖下り3連発』が待ち受けていたのであった。
次回以降は下りに更に時間がかかり
下り3連発ハシゴに着いた時には
もう日が傾いていたよ
でも斜陽に輝く針ノ木岳が
素晴らしくて立ち止まり
更に降りるのが遅くなったりする
手はパンパンに張るわ、屈み腰で腰が疼くわと、かなり肉体的に辛い下りであった。 なお、次に訪れた時は、このロープ下り3連発は土砂崖の崩落が進んでハシゴとなっていたよ。
こりゃぁヘタしたら陽が沈んで
渓谷内でビバークもあり得るかも
『そんな、こんな』で無名滝から出合に出るだけで30分使い、《内蔵助平》から出合で《下ノ廊下》に乗るまで都合2時間20分もかかってしまったよ。 だが、ここからの“本家”『へつり道』の《下ノ廊下》は完全な『安全パイ』で、取り立てて危険な所はなかったよ。 まぁ、『危険なへつり道』の“本家”である《欅平》側の方は、「《黒部別山谷》に残雪があり通行できません」と書かれた看板とゼブラロープで進入が封じられていたが・・。
黒部渓谷の日電歩道に出ると
50mを超える支沢の滝を見ながら
ハイキング気分で歩ける
:
一難路と言わしめる黒部渓谷・下ノ廊下も
内蔵助谷を下ってきたなら
お子様コースに感じるよ
但し時間に追われていなければ・・だけど
後は色めく紅葉と標高差2000m以上で“天を突くが如く”そびえ立つ針ノ木岳を見ながら歩いていくと、巨大な黒い要塞のような《黒部ダム》の堰堤が見えてくる事だろう。 これが見えたら、長い下山行程も終わりで・・はない。 まだ、『最後のお努め』が残っていた。 それは、このダム堰堤の頂上部までのイッキ登りである。
最初の時はヘタレ具合がまだマシで
14時半に到着したが次回以降はヘタれて
最終バスの17時ギリギリの到着で
最後の最後にして黒部ダムの堤体高160mを
荷物一式担いで駆け上がるハメとなったよ
:
17時ギリギリに着くほどヘタっているのに
この堤体高は駆け上がれるのだな
ってツッコミはナシね ❤
下山で気力を使い果たし、そして『終点』のダム堰堤を目にした事で、『ヤル気』が殺がれた後での100mを越える高低差のイッキ登りはかなりコタえるのである。 もちろん、この登りでワテが“生ける屍”となったのは言うまでもない。
感染蔓延の為に延期となった
東京五輪の開催が決定される前の
2020年末の時点での
感染による死亡者数は400人程度だった
年が明けた2021年の1~3月に
世界的な感染に巻き込まれて
『第2波』の到来となり
死者数は4000人近くとなった
要するに東京五輪の開催を決定した
2020年3月末の時点では
『第2波』が猛威をふるっていて
更に状況悪化が懸念される中で
東京五輪の開催はタブー中のタブーだったのだ
世界中の研究機関が開催すれば確実に
感染爆発を招くと警告していたにも関わらず
全く根拠も示さずに『安全安心の東京五輪』と
国民を騙して強引に開催した結果は
東京五輪開催の前後4か月の計8ヶ月での
死者数が17000人(総数で21000人)に及ぶ
国民大虐殺となったのである
だがそうなっても感染爆発の原因が
東京五輪の開催で感染源は参加した外人だという
事実を認めずに感染者の多かった
日本人の若年層を「政府の指示に従わず
街を出歩いた為」と罪を擦りつけたのだ
コレって日本人なら絶対あり得ないでしょ?
また情報操作で批判は全てもみ消したが為に
この感染爆発に対して国民からの
東京五輪開催への批判や疑念の声は
全くといってないがコレもあり得ないでしょ?
万を超える死者を出しているのだから
当然その事が起こった手始めの東京五輪が
批判の的に上がって然るべきなのだ
また状況悪化を防ぐ手立てはそれを引き起こした
奴を厳罰に処す事が手始めとなるのだ
だがこの国家犯罪級の国民虐殺を
処罰せずに見逃したが為に
外人利権にトチ狂った政治屋を騙る
自国民殺しの犯罪者共は
更に感染爆発を広げる犯罪に手を染める
感染拡大と外人の入国規制とは関連が薄いとして
シナ五輪の参加や外人の入国規制の撤廃と
次々に外人をフリーで入国させて
更なる感染爆発を引き起こし
今や死者5万人に迫っているのだ
外人の入国規制を撤廃した途端に
世界最悪の感染拡大状況に陥った事で
さすがに批判をかわし続ける事が
できなくなったのだろう
最近では東京五輪による汚職を摘発して
全く小物の汚職容疑者を人身御供にして
感染爆発となる事を知りながら
東京五輪を開催した真なる罪に
蓋をしてかわそうとしているのだ
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