2011-10-26 (Wed)✎
『私の訪ねた路線』 第62回 富内線 〔北海道〕
日高町のサボ
列車の写真撮らずに
こんなの撮ってたのね
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83) 廃止年月日 転換処置
鵡川~日高町 82.5km 280 / 2021 ’86/11/ 1 道南バス
廃止時運行本数
鵡川~日高町 4往復 鵡川~富内、1往復 鵡川~振内 1往復
《路線史》
沿線から産出されるクロム鉱や石炭、森林資源開発の為に建設された北海道開拓路線の一つ。
改正鉄道敷設法による建設計画では、根室本線の金山へ接続させる予定であった。 この予定線の後段部分である『日高越え』は、現在の石勝線に受け継がれている。
路線の歴史であるが、北海道鉱業鉄道により1922年から翌年にかけて富内(当時は邊富内)まで開業する。 北海道鉱業鉄道は1924年に社名を北海道鉄道と改称し、札幌までの路線建設(現在の千歳線)を手掛ける。 その後1943年に、北海道鉄道は現在の千歳線と共に戦時買収を受けて国鉄富内線となる。
改正鉄道敷設法による建設計画では、根室本線の金山へ接続させる予定であった。 この予定線の後段部分である『日高越え』は、現在の石勝線に受け継がれている。
路線の歴史であるが、北海道鉱業鉄道により1922年から翌年にかけて富内(当時は邊富内)まで開業する。 北海道鉱業鉄道は1924年に社名を北海道鉄道と改称し、札幌までの路線建設(現在の千歳線)を手掛ける。 その後1943年に、北海道鉄道は現在の千歳線と共に戦時買収を受けて国鉄富内線となる。
鵡川・大漁地蔵堂参の
拝記念スタンプ
その戦時買収時に、日高本線と近接していた沼ノ端~豊城を不要不急線として休止(事実上は廃止)し、豊城~鵡川間に新線を建設して日高本線と接続させた。
一方、富内~日高町の延伸であるが、『日高越え』の目論みをもって建設されたものの、肝心の『日高越え』は占冠経由の現・石勝線ルートに変更され、建設目的を失ったまま建設が続けられる事となる。
一方、富内~日高町の延伸であるが、『日高越え』の目論みをもって建設されたものの、肝心の『日高越え』は占冠経由の現・石勝線ルートに変更され、建設目的を失ったまま建設が続けられる事となる。
1958年に振内まで、1964年には既存区間の日高町までが開業する。
富内線の幻の目的地
日勝峠を示す日高町駅スタンプ
このように建設目的を失ったままに延伸された路線である事と、北海道開拓を担った開拓路線であるという性質から、資源鉱山が閉山となるなど開拓世代が終わると、その存在意義を失う事となる。
また、森林資源の運搬もトラックによる道路輸送に切り替えられ、開拓の為だけに何もない原野に敷設された鉄道の命運は決したのである。
1980年に施行された国鉄再建法では第二次の廃止対象路線に指定される。 1982年に貨物営業も廃止され、手足の全てをもがれた状態のまま、1986年10月の末をもって路線廃止となった。
なお、廃止後の遺構の状況であるが、富内駅は駅舎と構内設備がほぼ廃止時の姿で保存されていたり、振内駅では鉄道記念館として車輌の静態保存に努めるなと、「かつて鉄道が走っていた記憶」を大切にする心意気が感じられて嬉しい。
1980年に施行された国鉄再建法では第二次の廃止対象路線に指定される。 1982年に貨物営業も廃止され、手足の全てをもがれた状態のまま、1986年10月の末をもって路線廃止となった。
なお、廃止後の遺構の状況であるが、富内駅は駅舎と構内設備がほぼ廃止時の姿で保存されていたり、振内駅では鉄道記念館として車輌の静態保存に努めるなと、「かつて鉄道が走っていた記憶」を大切にする心意気が感じられて嬉しい。
富内線由来の硬券
《乗車記》
日高本線の中での主要駅・鵡川が始発駅となる。 1・2番線は日高本線の上下線が使用し、3番線は富内線に供せられていた。 だが、富内線が廃止になって久しい今は、3番線は撤去された上に無人駅となっている。 だが、線内の主要駅との位置づけから、バスターミナルを併設したログハウス状の建屋となっている。
名産・シシャモの図案の
鵡川駅スタンプ
さて、鵡川を出た列車はすぐに日高本線と離れて北上していく。 次の駅は・・と行きたい所だが、この線は“後回し”の感覚があり、写真もロクに撮っていないのである。 また、この路線の通っていた地域には、路線廃止後に頻繁に行くようになったのである。 それは、この路線の途中の振内から、日高山脈最高峰にて名峰百選たる『日高・幌尻岳』の登山ルートが延びているからだ。
山上の楽園
七ッ沼カールの湖沼群と戸蔦別岳
なので沿線の情景は、この山に登るべく訪れた時に車から目にした景色しか覚えがないのである。
従って、車で見た風景の論調になるのは悪しからず・・って事にして頂きたい。 また、富内線関連の掲載できそうな持ち写真が乏しいので、日高・幌尻岳の場違いな写真が掲載される事も悪しからず・・って事で。
場違いなれど綺麗でそ
前置きが長くなったが、次は豊城である。 仮乗降場に有りがちな、バラックの掘っ立て小屋のような待合室のみの棒線駅だ。 豊城から鵡川沿いに進んでいく。 程なく春日に着く。 駅舎はバスの待合所のような造りで、今はその通りにバス待合所となっている。
次の旭岡は列車交換可能駅で、運転要員の配置されていたが、窓口業務なしの無人駅扱いの駅であった。
運転要員とはいえ駅員がいる事で、駅舎もしっかりとした建て付けとなっていた。
次の栄は、雰囲気のある木造駅舎の駅。 待合室には灯油の暖炉型ストーブが置かれていた。
豊田も、栄と同じような雰囲気ある木造駅舎。 次の穂別は穂別町(現 むかわ町)の中心駅で、線内で最も利用客の多い駅だったようである。 また穂別町は、『穂別メロン』の産地である。
花の楽園・七ッ沼カール
ここに行くために
路線廃止後によく通ったのは皮肉である
次の富内は路線名由来の駅で、富内線の創世記である北海道鉄道の終点であった駅だ。 今は駅舎とホーム、そして構内線路が登録有形文化財に指定され、駅舎は綺麗にお色直しを受けて鉄道記念館(ほべつ銀河ステーション)として保存されている。 エピソードとして、この駅の備品が高倉健主演の映画『ぽっぽや』の撮影に貸し出された・・との事である。
さて、豊城からこの富内まで、延々と鵡川の右岸(川の左側)にそって進んできたが、富内を出て程なくの所で川を渡って進路を南方向に取り、胆振・日高国境の分水嶺を越える。 ちなみに富内線は日高支庁内を走る路線と思われがちだが、始発の鵡川町(現 むかわ町)は胆振支庁に在する町であり、日高国道のR274とは、この分水嶺を越えて次の幌毛志まで進んで初めて寄り添うのである。
その幌毛志は、待合室が乗っかるだけの棒線駅。 そして次の振内が、日高支庁管内の平取町の奥側の中心集落であった。 今の振内駅跡は鉄道記念館として整備されている。 お座敷改造の客車が留置され、当時の面影皆無の西洋の教会風の鉄道記念館が威風堂々と建っているのを見るのは、何か切なさを感じるのだが。
次の仁世宇は簡易駅そのままの造りの棒線駅。 この辺りから、前述の日高・幌尻岳へのアブローチ道が日高山脈の方へと続いている。 これよりは、清流・沙流川に沿って進んでいく。 今思えば・・の事で後悔という言葉が当てはまるのだが、この区間で燃えるような秋風景の中を行き交うキハ22で撮ってみたかったなぁ・・との思いが募るのである。
日勝峠と景勝・日高竜門を描く
日高町駅スタンプ
次の岩知志は、岩知志ダムがあるだけの無人荒野。 ダムの完成で集落も消滅したのだろうか、無人地帯であった。 ブロックの殺風景な駅舎はあったが、閑散としていた記憶がある。 次の日高岩内は、厳寒地域の北海道には有るまじき開放型の待合室があるだけの駅。 よほど利用客が想定されなかったのだろう。 終着1つ前の日高三岡も同様の駅であった。 近くには日高・竜門という景勝地があるのだが、富内線に関しては“我感知せず”のようであった。
そして、終着の日高町。 路線史でも述べた通り、森林資源と鉱物資源の輸送に開拓の夢を馳せたが果たせずに、時代の流れに逆らえずに存在意義を失った路線の終着駅の変りようが見て取れる所だ。
平屋建ての長い駅舎と側線抱えた構内配線は、明らかに資源輸送を目論んでのものであっただろうし、廃線後の『道の駅』への転用と、そのテナントの明らかに観光客を意識した出店体系を見るにつれ、こう思わずにはいられないのである。
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No title * by 風来梨
こんばんは。
私は1983年に始めて北海道に訪れた時に往復しただけですね。
1日4往復では、ちょっと撮影はムリでした。
スタンプは、私の友人がスタンプマニアでして、入場券と交換でもらいました。 掲載スタンプの約7割は、この密約によって成り立っています。
記述の通り、廃止になってから幌尻岳の登山で通ったので、廃線跡は良く覚えています。 これらを見て、秋なんか染まっていいだろうなぁ・・、キハ22を絡めて撮りたかったなぁ・・っていつも思っていました。
私は1983年に始めて北海道に訪れた時に往復しただけですね。
1日4往復では、ちょっと撮影はムリでした。
スタンプは、私の友人がスタンプマニアでして、入場券と交換でもらいました。 掲載スタンプの約7割は、この密約によって成り立っています。
記述の通り、廃止になってから幌尻岳の登山で通ったので、廃線跡は良く覚えています。 これらを見て、秋なんか染まっていいだろうなぁ・・、キハ22を絡めて撮りたかったなぁ・・っていつも思っていました。
No title * by タケちゃん
こんばんは。
タイミングを逸してしまいました。
すみません。
富内線は、振内近くの石造りの橋を渡るキハ22の写真を撮った事がありますが、残念ながら夕暮れの露光不足で見るに耐えない結果でした。
今でも、子供を連れて仁世宇の釣り堀に行ったりしていますよ。
国道から見えた、目がくらむような高さの橋梁などが記憶に蘇りました。
私の記事でも、春日駅の画像をアップしています…よろしければ、チラッと
見て下さいね。
タイミングを逸してしまいました。
すみません。
富内線は、振内近くの石造りの橋を渡るキハ22の写真を撮った事がありますが、残念ながら夕暮れの露光不足で見るに耐えない結果でした。
今でも、子供を連れて仁世宇の釣り堀に行ったりしていますよ。
国道から見えた、目がくらむような高さの橋梁などが記憶に蘇りました。
私の記事でも、春日駅の画像をアップしています…よろしければ、チラッと
見て下さいね。
No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
この線は、なぜか目立ちませんでしたよね。 でも、路線のある所は、北海道でも有数の紅葉の美しい所ですね。 そして、ナンチャッテ山ノボラーの私としては、日高・幌尻岳の入口という聖地なのですね。
この路線の事を思い返すと、まず一番にもっと撮っておけば・・とくいが残ります。
※実は、日高町でキハ22を駅撮りしたのですが、フイルムの間違え(知らずに、ISO感度だけで買ってしまったタングステンフイルムを使ってしまった)で、初めての北海道写真は全ボツになっちゃいました。
この線は、なぜか目立ちませんでしたよね。 でも、路線のある所は、北海道でも有数の紅葉の美しい所ですね。 そして、ナンチャッテ山ノボラーの私としては、日高・幌尻岳の入口という聖地なのですね。
この路線の事を思い返すと、まず一番にもっと撮っておけば・・とくいが残ります。
※実は、日高町でキハ22を駅撮りしたのですが、フイルムの間違え(知らずに、ISO感度だけで買ってしまったタングステンフイルムを使ってしまった)で、初めての北海道写真は全ボツになっちゃいました。
真ん中の日高町駅のDJスタンプ以外は持っていません。
「日高町」のサボは貴重ではないでしょうか? 傑作!