2022-12-04 (Sun)✎
『ネームトレイン』 第29回 かいもん
20系寝台と座席車を連結し
当時販売されていた周遊券で
乗車できるなど鉄道旅の
強い味方だった 急行【かいもん】
※ ユーチューブ画像より
急行【かいもん】 ・・ 北九州方面~西鹿児島(現・鹿児島中央)を結ぶ急行列車として1993年3月18日改正まで活躍した急行【かいもん】。 愛称は薩摩富士としても知られる開聞岳(かいもんだけ)から採られたものだ。
ワテが中坊の頃には既に
オンボロ気動車の代表格となっていた
キハ55が最新鋭とはねぇ
※ 宇和島にて
1959年にキハ55系気動車で準急〔かいもん〕として登場し、1966年のダイヤ改正で急行に格上げされ、475系電車化を経て客車編成の夜行列車を加えて、鹿児島本線の特急【有明】の補完列車としての地位を確立していた。 特急【有明】が登場する1968年10月のダイヤ改正までは、準急ながら寝台特急【はやぶさ】よりも速く、また博多~熊本~西鹿児島を結んぶ列車という事で高い乗車率の列車だったようだ。
博多駅で発車を待つ
夜行急行【かいもん】
:
鉄道が良き時代だったのは
夜行列車が充実していた時だね
※『ホビコム・鉄道図鑑』より
だが、1970年代半ばになってくると、特急【有明】に主役の座を奪われて徐々に数を減らし、1980年10月1日のダイヤ改正以降は、夜行列車1往復が門司港~西鹿児島間に残るのみなって、そのまま1993年3月の列車廃止までと12年以上続く事となった。 夜行急行となった急行【かいもん】は、デビュー当初は寝台車が20系で座席車が12系客車、その後は20系に替わって24系25形が使用され、急行としては比較的に良い車両運用がなされていた。
末期には客車急行も
絵入りテールが
描かれるようになった
※ 友人からの貰い物
1993年3月18日改正で姿を消した急行【かいもん】だが、それは運行廃止による消滅ではなく、特急【ドリームつばめ】への格上げによる愛称消滅であった。 需要があった中での特急格上げといえる。
これは北海道の夜行客車急行【利尻】・【大雪】・【まりも】が気動車特急化された事と同じ流れであろう。 だが、787系電車を運用した為に寝台車がなくなり、特急【ドリームつばめ】は座席車のみの夜行列車となったのである。
急行【かいもん】の絵入りテール
※『テールマーク辞典』より
列車名としての前身は準急〔かいもん〕であったが、夜行列車の急行【かいもん】の前身は、東京〜鹿児島を2日がかりで運転していた急行【さつま】であった。 1956年11月にデビューした急行【さつま】は、2年後の1958年10月のダイヤ改正で門司港〜鹿児島の運転となり、1961年10月のダイヤ改正では再び名古屋~鹿児島の運行となったが、1965年には昼行の列車が電車化されて【はやとも】として分離された。
列車の愛称は
郷土の富士・開聞岳から
※ 長崎鼻より望む開聞岳
その後、昼行の急行【はやとも】は、再び門司港〜鹿児島(門司港発着となった時に急行【はやと】に改称)の運行となっていた。 そして、1968年10月1日改正では重複する列車名の整理が行われ、門司港、博多〜鹿児島、西鹿児島間の急行の列車名は【かいもん】に改称の上で統一されている。
なお、デビュー当時の急行【さつま】は東京を21:45発で大阪は翌8時半、以降は山陽本線を昼行列車として駆け抜けて門司着は20:34で、そこから2日目の夜行列車として翌朝の5:46に到着する超ロングラン列車で、今なら新幹線で新大阪乗り継ぎで7時間弱で行く事ができる西鹿児島まで、2夜を経た都合で32時間もかかっていたのである。
国鉄時代の名門急行だった
急行【かいもん】
※『列車名鑑・かいもん』より
一方、昼行列車に目を向けると、先述で述べた通り1959年9月22日の改正で登場した博多〜西鹿児島の気動車準急だった。 この準急列車はデビュー当初から〔かいもん〕を名乗ったが、この準急列車の登場まで、鹿児島本線全区間をゆく昼行の優等列車は東京発着の急行【さつま】の反対番列車(東京を昼に発車して山陽本線を夜行で走行していた)の急行【霧島】のみと、北九州と鹿児島を結ぶ新たな優等列車の設定が求められていたのである。
そして、その運行ダイヤは、上りが朝の7時に西鹿児島を出て博多着が昼の12時過ぎで、門司港到着が13時半過ぎ、折り返しの下りが門司港を14時半前に出て博多16時着で、それから西鹿児島に向かうが、西鹿児島の到着時刻は21:17と利用者に即した運行ダイヤであった。
キハ55は出自が準急用で角イス座席窓側に
頭あてパッドが備え付けられていたが
パッドのビニールシートが
劣化してササクレ立っていて
頬やコメカミに擦り傷ができた事があるよ
※ 名松線にて
また、博多〜鹿児島は、東京発着の寝台特急【はやぶさ】より約15分速かった。 それは、準急ながら〔かいもん〕は、当時は新鋭気動車だったキハ55形やキロ25形を使用していたのに対し、寝台特急【はやぶさ】は旧態依然の蒸気機関車牽引の客車列車だった事が理由に挙げられる。
かつては西大山の2つ手前で
開聞岳のお膝元の山川まで
博多から急行列車があったんだね
※ 指宿枕崎線の聖地・西大山にて
特急より早く利用に即した運行ダイヤの準急〔かいもん〕は人気を呼び、1960年6月のダイヤ改正では1往復が増発され、増発便は指宿線(現・指宿枕崎線)の山川まで延長運転された。 ダイヤは下りの〔第1かいもん〕が博多7:10→山川13:30、上りの〔第2かいもん〕が山川15:38→博多22:08で、下りの博多〜八代間は肥薩線・吉都線経由で宮崎まで運転された〔第1えびの〕を併結していた。
この〔第1・2かいもん〕は、列車名の由来通りに開聞岳のお膝元をから発着する列車だった。
鹿児島本線の全線電化で
1往復が電車化されている
※『国鉄・急行列車』より
1966年のダイヤ改正で急行に格上げされた【かいもん】は、夜行1往復と昼行2往復の計3往復が運行されたが、翌年に昼行1往復が途中まで電化していた熊本止めの特急【有明】に格上げとなり昼夜1往復づつとなるなど紆余曲折したが、1968年10月の列車名の統一で再び昼行2往復となる。 また、鹿児島本線が全線電化された1970年10月の改正からは、昼行列車は急行型交直両用電車の457系よる電車急行が走るようになった。
最盛期の1973年には、急行【えびの】を併結した気動車急行も含めて下り5本・上り4本となっていた。 山陽新幹線が九州まで達した1975年3月10日のダイヤ改正では、九州内の各優等列車は小倉と博多で新幹線と接続する連絡態勢が強化されて、鹿児島本線では特急【有明】が10往復に増発されている。
シンカンセンの開業は博多までで良かったよ
料金が倍となりみんな高速バスに逃げたね
:
鉄道旅を好む者にとっては
今は鹿児島が遠い遠い場所となっちまったよ
※『列車名鑑・かいもん』より
一方、急行【かいもん】は、急行型交直両用電車457系の本州直通運用がなくなった事によって昼行は全列車電車に切り替えられた他、博多〜熊本間では僚友の急行【ぎんなん】が下り9本・上り8本設定され、相互に補完する形が採られた。 昭和50年代に入ると、寝台特急の14系・24系・24系25型への置換えが進み、20系の急行転用が開始された。
九州内の夜行急行も例外ではなく、1978年3月18日のダイヤ改正で【かいもん】と日豊本線経由の【日南】の寝台車が20系に置き換えられ、座席車は12系に体質改善された。 1980年10月1日のダイヤ改正からは、赤字経営が深刻となった国鉄は初めての減量ダイヤに取り組む事となり、各地でローカル急行の廃止などを進めた。
博多駅に停車中の
電車急行【かいもん】と
古き良き時代の
『パタパタ式列車案内板』
※『列車名鑑・かいもん』より
その極端な例が九州であり、この日の改正では鹿児島本線の昼行電車急行が全廃されて、全て特急【有明】への格上げとなった。 これにより昼行急行の【かいもん】と【ぎんなん】が一挙に廃止となり、急行【かいもん】は夜行1往復のみとなった。
最後まで残った
夜行急行【かいもん】も
特急格上げによって消滅した
:
そして今はシンカンセンの
西鹿児島開業により八代~川内は
特急の運行は元よりJRからも手が離れ
第三セクターとなっている
※『ホビコム・鉄道図鑑』より
その残る夜行急行【かいもん】は、1986年11月1日改正で寝台車が24系25型にグレードアップされるなどしたが、JR移行後は九州内で客車列車の合理化が推進された事によって、1993年3月18日改正で787系による特急【ドリームつばめ】に格上げされて、【かいもん】のトレインネームは消滅したのである。
その特急【ドリームつばめ】も、九州新幹線の新八代〜鹿児島中央が開業した2004年3月13日改正で廃止となっている。
グリーン車は元より
軽食用の食堂車までつないでいた
国鉄黄金期の急行列車だった
昼行の急行【かいもん】
※『ホビコム・鉄道図鑑』より
《列車データ》
運行区間:門司港・博多~西鹿児島・鹿児島 445.3km
※ 1960年6月1日~1970年9月30日 うち1往復が西鹿児島より指宿枕崎線の山川まて
延長運転された(門司港~西鹿児島~山川 234.1km)
運行期間:1959年 9月22日:準急〔かいもん〕として、門司港~鹿児島で運行開始
使用車両は当時最新鋭だったキハ55系の4両編成だった
1960年 6月 1日:1往復増発の上で、増発の1往復は指宿枕崎線の山川まで延長運転
となる
1966年 3月 5日:急行に格上げされる。
1967年10月 1日:特急【有明】の運行が開始され、2往復のうち1往復が特急【有明】
に格上げされて1往復となる
1968年10月 1日:列車名の統一により、鹿児島本線の西鹿児島発着の急行列車は全て
【かいもん】となる
また、夜行の急行【はやと】(前身は東京発着で2夜運行の急行
【さつま】)も改称されて急行【かいもん】となった他、博多~
八代で急行【えびの】を併結する列車1往復もある昼夜3往復体制
となる
1970年10月 1日:鹿児島本線全線電化開業により、昼行1往復が急行型交直両用電車
457系使用の電車運行となる
また、昼行の急行【かいもん】は、全て博多~西鹿児島の運行となる
1973年10月 1日:急行【えびの】を併結した気動車急行も含めて下り5本・上り4本と
なる
1975年 3月10日:山陽新幹線の博多開業によるダイヤ改正で、昼行の急行【かいもん】
のうちの1往復が457系に置き換えられて電車化される
1978年 3月18日:寝台車が20系・座席車は12系に置き換え
1980年10月 1日:昼行の急行【かいもん】が廃止されて、夜行の1往復のみに
1986年11月 1日:寝台車が24系25型に置き換えられてグレードアップする
1993年 3月18日:特急【ドリームつばめ】に格上げされて、急行【かいもん】は消滅
停車駅:門司港・門司・小倉・戸畑・八幡・黒崎・折尾・博多・(二日市)・鳥栖・久留米・
(羽犬塚)・(瀬高)・大牟田・〔長洲〕・(玉名)・熊本・(宇土)・八代・(日奈久)・
(佐敷)・水俣・出水・阿久根・川内・串木野・(湯之元)・伊集院・西鹿児島
※ ()のついた駅名は夜行の【かいもん】は通過
※ 羽犬塚・瀬高・長洲・宇土は、昼行の【かいもん】も一部通過
昼行の急行【かいもん】に使用された
急行型交直両用電車457系
※『列車名鑑・かいもん』より
使用車両:準急として運行開始当時はキハ55が使用され、後に急行用気動車のキハ58形に置き換え
られた
また、1970年10月1日の鹿児島本線全線電化で、急行型交直両用電車457系の使用が
された
夜行列車は、デビュー当時は10系寝台と旧型客車であったが、1978年3月のダイヤ改正
より20系寝台車と12系客車に置き換えられ、1986年11月のダイヤ改正よりは24系25型
に置き換えとなった
九州の夜行列車は
普通列車〔ながさき〕・急行【日南】
ついでに急行【かいもん】の
後釜である特急【ドリームつばめ】まで
全部乗った事あるよ
※ 友人からの貰い受け写真
乗車経験:国鉄時代に、門司港~西鹿児島で乗車経験アリ
急行【かいもん】は未撮だが
開聞岳と指宿枕崎線は撮った事あるよ
撮影経験:ナシ・国鉄時代は牽引する機関車にヘッドマークの取り付けがなかった為、またテール
幕も『急行』幕で、撮っても何の列車か判らなかったので撮る気が起きなかったよ
環境負荷の拡大や緊張が続く海外情勢を踏まえ
環境税やら国防費を捻出する為の
増税が指南されているが
国や国土の自然を守る為の増税は致し方ない
だが増税の前にする事があるだろう?
国内が経済苦境で給与が上がらぬまま
国民が物価高など生活苦となっているのに
その状況を引き起こした奴らが
処罰されぬまま居座るのは許せないのだ
それは環境に対してはその設置によって
地盤が脆弱となって土砂崩壊災害を引き起こす
ソーラーパネルに対して
製造元を含めて懲罰税を科す事だ
そして気象災害の原因となった大気温暖化の
主原因である火力発電への依存を抑え
現状では最も環境への負荷が少ない
原発の再稼働による切り替えが必要だろう
また自然界の種の保存に対して
脅威となる犬連れ登山などの
個人による自然破壊行為も
100万を超える罰金刑や懲役など
再発阻止に向けて厳罰に処すべきだ
次に国防費を増税するとかいう前に
東京五輪を開催して感染爆発を引き起こし
国民を万単位で殺害し日本の経済を傾けた
東京五輪の開催を推進した政治屋共を
極刑により処罰する事が先だろ?
その日本を感染爆発災禍に陥れた
東京五輪に参加したアスリート共への
強化費支援も今後一切で差し止めだし
強化費自体も武漢コロナが
世界的に終息するまで凍結だろう
それは当然である
日本の国民が経済的にも生活の上でも
感染爆発災禍で苦しんでいるのに
その国民の血税で感染爆発災禍を招いた
奴らを支援する事は断じて許せないのだ
また稀代の悪法である免税店を撤廃するなど
入国外人への優遇を一切取りやめて
日本人の払った税は日本人の為に
使う施策が必要なのだ
そして国防力を整備するなら
国防を阻害する在日チョンや
シナの息のかかった工作員を追放せねば
国防の整備・増強など『絵にかいた餅』なのだ
そして全ては機密の漏洩元でありながら
治外法権で機密漏洩の罪を問われない
チョンの背乗り天皇・皇室・宮内庁を閉鎖せねば
スパイ防止法を制定しても
筒抜けのザル法で意味を為さない
チョンの背乗り天皇・皇室をチョンと看破して
チョンに追放し宮内庁を閉鎖する事で
機密の漏洩は阻止されるしチョンの為に
無駄な血税が使われる事もなくなり
皇室が海外に隠す百兆単位の金も差し押さえが適う
また天皇・皇室をチョンと看破し追放する事で
国内に巣食う在日チョンやシナの工作員の
一斉追放への道筋も適うのだ
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