風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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よも”ヤマ”話  第186話  黒部渓谷 その1

 よも”ヤマ”話  第186話  黒部渓谷 その1 (黒部ダム~十字峡) [長野県] '97・ 10

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色めきづく秋の十字峡
黒部渓谷を代表する景観の一つだ

  黒部渓谷 くろべけいこく (中部山岳国立公園)
富山県黒部市を流れる黒部川の中流から上流にある峡谷(V字谷)である。 飛騨山脈北部を立山連峰と後立山連峰に分断する大規模な峡谷で、国の特別天然記念物(天然保護区域)及び特別名勝に指定されている。 中部山岳国立公園に含まれている。 清津渓谷・大杉谷と共に日本三大渓谷に選定され、また日本の秘境百選の一つにも挙げられている。

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黒部渓谷の深い谷を創造した
黒部川の水の始まりとなる
鷲羽岳の西斜面の小沢

現在では黒部湖を境に、下流側の『下ノ廊下』(しものろうか)と、上流側の『上ノ廊下』(かみのろうか)に分けられる。 上廊下のうち薬師沢小屋から源頭部までは『奥ノ廊下』(おくのろうか)と呼ばれる。 黒部ダムが完成するまでは『下ノ廊下』と『上ノ廊下』の間に『中ノ廊下』(なかのろうか)もあったが、現在は黒部ダムのダム湖である黒部湖の下に沈んでいる。 ここでいう『廊下』とは『絶壁に挟まれた深い谷』を意味する。

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黒部渓谷・下ノ廊下の大観
白竜峡の流れ

一帯は昔より人が踏み入るのを拒む秘境であり、江戸時代でも加賀藩が国境警備と森林管理の為に立ち入りを禁じ、黒部奥山廻りの御用役人が見回っていたに過ぎなかった。 明治時代になると一般に開放され、峡谷を横断する有料道路(立山新道)が開通した他、遠山品右衛門が平の小屋(後に黒部湖造成により水没)を建てるなど人の出入りが増え、多くの登山家たちが黒部を目指すようになった。

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岩壁を削ってつけられた
黒部ダム建設の
調査の為の道『日電歩道』

峡谷では大量の電力を必要とするアルミニウム精錬の為に、水力発電開発が第二次世界大戦前から行われてきた。 先駆けは1920年に人員や資材を運ぶため、黒部川沿いの岩壁を鑿や鏨で削る『水平歩道』の工事に着手する。 この道は『日電歩道』と呼ばれ、黒部ダム建設の調査の用に大いに供した。

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黒部ダム建設の際の苦難は
『黒部の太陽』という映画となって
世に語り継がれた

1956年に着工した黒部ダムは、破水帯から噴き出す水で難工事を極める世代に語り継がれる大工事となったが、ついに1963年に竣工する。 竣工後、日本国内最大級のダムとなった黒部ダムの工事用通路が後に一般に開放されて、峡谷を横切る立山黒部アルペンルートの一部として観光開発されている。
そして『日電歩道』も、登山者に向けて保全整備が施された上で一般開放して人気の峡谷探勝ルートとなっている。

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今やシーズンになると
渓谷内で唯一の宿泊地・阿曽原小屋が
すし詰めとなるほどに
観光登山者がやってくる

交通アクセスが格段に改善した事で、黒部ダム一帯は年間1000万人以上が訪れる観光地に発展した。
また、宇奈月温泉を始め黒薙温泉、鐘釣温泉など温泉地が点在している為、この温泉地をつなぐ黒部峡谷鉄道が観光に一役買っている。 だが、これらの観光地は峡谷全体から見ると極一部であり、現在も人を寄せ付けない断崖絶壁の世界なのが黒部渓谷の真の姿である。



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黒部渓谷・下廊下
(黒部ダム~阿曽原小屋)の行程詳細図

   行程表             駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》JR信濃大町駅よりバス(0:40)→扇沢よりトロリーバス(0:20)→黒部ダム
    (2:20)→新越ノ滝(2:40)→十字峡(1:50)→仙人谷ダム(0:45)→阿曽原温泉
《2日目》阿曽原温泉(2:15)→折尾沢ノ無名滝(2:15)→欅平より渓谷鉄道利用 
    (1:20)→宇奈月温泉駅より鉄道利用(1:30)→JR富山駅

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大タテガビンの岩塔から
沢床まで裕に1500m以上ある
スケールの大きな渓谷へ

 《1日目》 黒部ダムより十字峡を経て阿曽原温泉へ
日本屈指の壮大な渓谷・『黒部渓谷』・・。 この『黒部渓谷』の《下ノ廊下》を流れに沿って歩いてみよう。 通路は、ダム建設の調査道として崖を刳り貫いた旧『日電歩道』を歩いていく。 これは、《黒部ダム》を起点にして《欅平》に至るまでの延長30.5kmの超ロングランコースだ。 それも道のほとんどが断崖を刳り貫いた“へつり”道で、最大200mもの下に流れる黒部渓谷がおりなす断崖の上に着けらた道を、針金を片手に伝っていくのである。 

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沢までの最大行程差200m
歩行距離30km超・・
この壮大なスケールの沢は
気軽に入渓する所ではない

ハイキング気分で気軽に入渓する所ではない。 ともすれば、転落事故も起こりかねない所なのだ。
そして、転落事故は確実に“死”である。 ここは冒頭の紹介でも述べたように、装備と体力と気構えを備えた“登山者”の領域なのである。 その事を踏まえた上で、この壮大な渓谷探勝に挑もうと思う。

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近年トロリーポール集電から
バッテリー搭載の電気バスとなる事から
鉄道廃止届を出して『ただのバス』となった
元『関電トロリーバス』の黒部トンネルバス
※ ウィキペディア画像を拝借

《扇沢》からの『関電トロリーバス』に乗り、20分程で渓谷探勝のスタート地点・《黒部ダム》に着く。 半地下ターミナルとなっているバス乗場からダムサイトに向かう観光客の流れと別れて、“内蔵助出合へ”との指示が掲げてある出口に向かう。 この指示のある出口からは坑道より外に出るが如く、ダムより続く砂利道に直接飛び出る。

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ダムの堤体近くから
ダム下に続く下ノ廊下を望む

この砂利道をダムの真下に向かって、つづら折りに下っていく。 途中に照明の全くない真っ暗なトンネルを通るので、ヘットライトは取り出しやすい所に入れておくとしよう。 下っていくうちに、沢が徐々に近づいてきて傾斜が急になると、《黒部ダム》の巨大なコンクリート壁が現れる。 そのまま沢まで下って、桟橋でダムから放流したての黒部川を渡る。 

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黒部ダム堤体上から
160m下って
ダム直下の河原に出る

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ダム前の沢は細い板で
組んだ桟橋で渡る

これより、旧『日電歩道』と呼ばれる探勝路を歩いていくのだが、これは30kmに渡って延々と渓谷の左岸を伝っていく。 ここから《内蔵助出合》までは、沢の水面ともそう離れぬ高さで伝っていく。

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最初の内は沢の水面と
そう離れぬ高さで伝っていく

《内蔵助出合》の分岐を越えてからが、《黒部渓谷》の本番だ。 なお、この《内蔵助出合》から分岐する登路は、《内蔵助平》を経て剱沢の真砂沢や真砂岳へと行けるが、かなりキツイ上級者向けのルートである。

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ヘツリ道の高度が上がっていくと
岩肌の紅葉が視界に入ってくる

《内蔵助出合》から先の『日電歩道』は、次第に嶮しくヘツってくる探勝路、岩を食む渓流、どこからともなく白布を掛ける無名滝、剱の《大タテガビン》と呼ばれる垂直標高1500m以上の大岩壁と、何もかもがケタ外れの景色が次々と現れて目を楽しませてくれる。

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落差が裕に50mを超えるが
地図には滝の名は載っていない

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真正面に『大タテガビン』の
直陸不動の大岩盤が望める

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この滝には《鳴沢小沢ノ滝》
という名がついているが
小沢の滝などではなく
3段150m以上の滝である

歩き始めて約1時間半で、名称のある最初の景勝地・《鳴沢小沢ノ滝》に着く。 ここから一度沢のそばまで下って、河原の縁を歩いてから再び崖上に斜上して高度を上げていく。 探勝路も鋭い“ヘツリ”となり、高さ1m・道幅70cm位の岩盤を刳り貫いたヘツリ道を針金片手に伝っていく事となる。

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振り返ると針ノ木岳が
黒部渓谷を護る衛士の如く
そびえ立っていた

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大岩盤を4段に分けて
落下する新越ノ滝

程なく、大岩壁を4段に分けて落下する《新越ノ滝》が現れる。 総落差が150mとも200mともいわれる段瀑の滝が川を挟んだコチラ側まで飛沫を飛ばし、轟音をとどろかせながら直接岩を食む渓流に落とす様は迫力満点だ。

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こういう針金片手に屈んで
歩かねばならないヘツリ道では
身長が低かった事に感謝したくなるよ

この先10kmに渡って、針金片手のヘツリ道を歩いていく。 やがて、《別山沢出合》の沢滝を徒渉する。

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前方のガレの間から
流れ込んでいるのが別山沢で
時期が早いと沢の周囲が
スノーブリッジとなっている

この沢は黒部別山の稜線直下から大きな雪渓がでばっていて、早い時期だとこの雪渓が道を覆い隠したり、スノーブリッジを架けていたりして通行困難となる所だ。

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秋本番となると
渓谷は鮮やかに色づき
目を奪われがちだが

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ヘツリ道で足元を疎かにすると
この世とサヨナラともなりかねない

秋本番ともなると、この雪渓も大部分が消えて歩き良くなるが、それでも冷え込みがキツくなると凍結したり降雪したりするので注意が必要だろう。

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沢との高低差がそれなりなのは
別山沢出合あたりで終わり
これよりヘツリ道は高度を上げていく

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そして気がつけば
黒部ダムから10km進んでいて
大タテガビンの岩塔が背後で
逆光にギラリと輝いていた

一度下って沢を渡ってから、針金片手にボルトで刻んだ岩壁を登り返す。 この沢滝を越えても、なお《白竜峡》が続く。

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ヘツリ道は徐々に高度を上げて
下ノ廊下中盤の核心部
白竜峡に入っていく

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この日の天気はほぼ曇天だが
時折陽が射して渓谷の筋を
より深く魅せてくる

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渓谷を撮るには
影で岩の節を
引き立たせるといいね

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最も間近で見られる
タル沢の沢滝

これを針金片手になおもヘツっていくと、《タル沢》の沢滝が落ちるたもとを伝う。
滝のシャワーを浴びてから程なく谷が広がり、さしも長い《白竜峡》も終わりを告げる。 

白竜峡の流れ
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大岩盤がそそり立つ中を
縫うように沢が伝っていく

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対岸の岩盤にある風穴が
冷たい風を吹き出してくる
そして流れも白竜の如く
白く早い流れとなる

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草付きの岩は
紅葉で色づいていた

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地図を見るまでは
ここが『S字峡』だと思っていたよ

この広河原から再び高巻き気味に登っていくと《神潭》というよどんだ淵を通り、黒部別山の裾の樹林帯を巻くように歩いていく。 延々と歩いていくと、やがて《黒部渓谷》のクラスマックス・《十字峡》に差しかかる。

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そろそろ黒部渓谷
随一の景勝に近づいてきた

“幻ノ大滝”・『剱大滝』を擁する《剱沢》が左手より豊富な水を落とす滝を掛け、右手は鹿島槍からの《棒小屋沢》がぴったりと十文字に合流している。 黒部本流の岩を食む流れと《剱沢》の瀑布・・、そして《棒小屋沢》の流れが、それぞれのベクトルで水流を描いて幾何学的な水紋を魅せてくれる。

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ようやく黒部渓谷・下ノ廊下の
中間点である十字峡に辿り着く
十字峡の詳細については
次話を乞う御期待!

まだ宿泊地の《阿曽原温泉》には着いていないが、阿曽原まで進むと掲載写真枚数が多くなるのと、次話の『第187話 その2』との写真掲載枚数に差が生じてアンバランスとなるので、あえてこの《十字峡》で区切るとしよう。

  ※ 続きは、次話の『第187話 黒部渓谷 その2』にて


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前回の続き
なぜなら天皇・皇室は
後に控える創価学会を通じて
下チョンの支配を受けた
下チョンの奴隷同様なのだ

つまり天皇や皇室を通じて
日本の機密がダダ漏れ状態なのである
しかもスパイ防止法の制定で
スパイ行為は一般人なら極刑もあり得るが

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天皇・皇室は治外法権で
日本の国家機密を
幾らチョンに漏らそうが
お咎めナシで罪に問われないのである

日頃からチョンが何かにつけ
日本の国情にイチャモンをつけてくる事に
疑念を抱いた事はないだろうか?
そしてチョンのイチャモンを
つけるべくの反応が早過ぎる事も

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その疑念の答は創価学会を通じて
下チョンの手先が真の姿である天皇や皇室が
皇室自体や宮内庁が知る限りの
日本の機密を下チョンに
流しまくっているからだ

こんな日本の機密の漏えい元を
天皇陛下ぁ~と呼んで下賜づいて
多額の国費(税金)を貢いでいるのだ

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在日チョンの成りすまし右翼は
チョンの背乗りである天皇を国家元首に据えて
その天皇を後ろから意のままに操る
マリオネットにしての
日本の乗っ取りを目論んでいるのだ

だから奴らの意中である
天皇の国家元首就任が為ると
態度を豹変させるよ

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日本をマトモな国にしたいなら
まず機密漏えい元である
チョンの背乗り天皇をチョンと
看破してチョンに追放する事

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こうする事で初めて
外交・国防・国家安全保障など
日本国及び日本人の為の
施政ができるのである







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