2022-11-26 (Sat)✎
『路線の思い出』 第509回 土讃本線・新改駅 〔高知県〕
数年前の停車列車5往復・トイレ有の
乗車人員ゼロ駅は駅車寝&駅テント寝に
とっては二ッ星クラス(洋式トイレで
出口扉アリなら三ッ星クラス)だったが
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
多度津~窪川 198.9km 2928 / 164
運行本数(’15)
阿波池田~高知
阿波池田~高知 特急【しまんと】・【南風】・【あしずり】 上下とも毎時1~2本
阿波池田~大歩危 普通 上下とも2本づつ
阿波池田~高知・須崎 普通 上下とも6本づつ(土佐山田~高知の区間運転は、阿波池田から
の直通列車を含めて上下ともに概ね毎時1本)
※ 新改駅停車列車は上下ともに3本のみの停車で、普通列車の半数が通過する
山峡の利用ゼロの秘境駅
新改駅(しんがいえき)は、高知県香美市土佐山田町東川に所在する、四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅である。 スイッチバック式駅となっていて、通過する列車は駅に立ち寄る事なく直進する。
標高274 m。 通年営業しているJR四国管内の駅では、最も発着数の少ない駅となっている。
新改駅スイッチバックの配線図
※ ウィキペディア画像を拝借
下り列車は急な下り勾配が続く本線から1線が左側に分岐して水平の引上線に入り、そこで進行方向を変え本線を横切って1面1線のホームに入る。発車時は再び進行方向を変え、本線へ進む。上り列車は上り勾配の本線から左側に分岐して水平のホームに入り、発車時は後進し本線を横切って引上線に入ったのち改めて前進する。
高知側にスイッチバック引き込み線と
シザーズキロッシングポイントがある
通過列車は減速ナシに直進通過し
当駅停車列車のみスイッチパックを使用する
※ ウィキペディア画像を拝借
土讃線では、この駅と坪尻駅がスイッチバック式駅となっている。 だが、新改駅は坪尻駅と違ってホームが本線に沿っていない為、本線から駅が見辛く、通過列車ではそれとなしに駅を通過している。
トイレは封鎖されており、使用できなくなっている。
スイッチバックの引き込み線は
1日3往復の使用しかないゆえに
線路が草生してきている
※ ウィキペディア画像を拝借
ホームおよび引上線の終端側には後方の信号の中継信号が設けられ、車掌が乗務している場合は最後尾に乗った車掌と連絡をとりつつ後進する。ワンマン運転の場合は、運転士は進行方向を変えるごとに前方となる運転台へ移動する。 なお、車掌が乗務していても、ワンマン運転時と同様に、運転士が進行方向を変えるごとに前方となる運転台へ移動する場合もある。 2022年3月12日のダイヤ改正からは、当面の間車掌がいる2両編成でも運転士が運転席を入れ替えている。
ホームは半両分のみかさ上げされており、上下列車とも高松方(上り方)のドアで乗降両方を取り扱う。
なお、2両編成の場合は、高知方(下り方)の車両の高松方のドアのみで乗降扱いをしている。
駅舎は開業以来の物をリニューアルして使用している。 1970年10月に無人駅となったが、その後しばらくは駅前の商店で乗車券を発売する簡易委託駅だった。 だが、1987年頃に居住者の離村に伴って商店が閉店した事で、乗車券販売委託も廃止となっている。 土佐山田町東川および平山地区の通学生と高齢者が主体であるが、2019年度の1日平均乗降人員は0人である。
大概のコミュニティバスは
1ボックス車による運行だ
※ 香美市営バスのウェブサイトより
新改地区は新改駅より約5 kmほど下流に位置しており、当地区住民はかつては土佐電鉄バスを利用していたが、2005年9月30日をもって新改線の路線バスは廃止された。 その代替として、2009年4月1日より所属自治体の香美市によるコミュニティバスが繁藤地区(繁藤駅)と土佐山田駅の間で一年間の試験運行を開始し、翌年以降も『香美市営バス』として運行を継続している。
当駅の最寄は、平山地区内に所在する朝倉商店前にある『平山』停留所である。 バスの停留所へは、当駅より徒歩約20分の所にある。 2020年2月13日現在の運行ダイヤでは、平日のみ1日4.5往復運行されている。
当駅の所在する東川地区の周辺は、三方が急峻な山に閉ざされている為に一見は何も見当たらないが、駅前の高知県道253号新改停車場線を道なりに1 km下ると、香美市土佐山田町平山の集落へ至る。
その平山地区の入口には『休場ダム』があり、ダムから平山親水公園の周辺にかけて春には約600本のソメイヨシノが咲き誇り市内でも知る人ぞ知る桜の名所となっている。
新改駅の駅名標
:
両隣の駅は交換設備のある
それなりの駅でこの利用ゼロ駅は
交換設備としての意義もなく
ただ駅詣での『鉄』の為の駅となっているね
※ ウィキペディア画像を拝借
坪尻で特急待避待ちの普通列車
:
四国でもう一つの
スイッチバック駅の坪尻は
ポスターなどで取り上げられて注目されたが
新改は何も無さ過ぎて注目されず
今では四国一の秘境駅の地位を同じスイッチバック駅の坪尻と争う位置づけにあるが、終戦直前の1944年には山に囲まれたこの地は天然の要害として、また本土決戦準備の為の後方連絡線の要所として重視され、軍事要塞化がなされていた。
終戦直前は空襲を避けた旧日本軍の
四国統括司令部が疎開し要塞化した為
8ヶ月ほど新改が四国の中心となっていた
※ ウィキペディア画像を拝借
これは、この駅の出自である新改信号場周辺が山に囲まれた天然の要塞であるという利点から、1944年末頃に四国軍管区司令部などの軍事重要施設が新改に疎開し、終戦までの約8ヶ月余りの期間で図らずも新改停車場が高知県の中心地と化していたのである。
要するに、旧日本軍の軍事要塞駅だったのですね。 なお、終戦後の1947年6月に、信号所から駅へと昇格している。 そらそうだわなぁ。 軍司令部の置かれた軍事要塞に、一般住民が使う一般駅があってはならんわなぁ。
舗装はされているが
右に分かれた駅までの道は
この先は駅まで離合不能の狭隘道路だ
:
だが新改駅への案内看板は
主要駅なみの表示だったりする
※『停車場線探索』より
だが現在は、狭隘道路の高知県道253号新改停車場線が駅まで通じるだけで、駅付近に居住していた全ての住民がが離村して約1km下方の平山集落まで無人の山野となっている。 そして御多分に漏れず、平山集落も限界集落に指定されているようだ。 そして、少しでも集落を維持しようと、豊かな周囲の自然を体験学習するべく、廃校となった小学校校舎を利用しての宿泊施設の地域交流施設『ほっと平山』を開設している。
秘境駅度で新改と坪尻を比べると
『撮り鉄&乗り鉄』は新改で
車での駅訪問なら
駅への道がない坪尻が上だな
さて、この駅に立ち寄ったのは、もちろん車で・・ある。 まぁ、1日3本の鉄道でやってくるのは限りなく不可能で、しかも午前中の列車の運行は7:00発り阿波池田発の下り1本のみで、上り列車は13:53発の琴平行きまでなく、朝の列車での新改の下車は事実上不可能だろう。
同じスイッチバック駅の秘境駅でも
坪尻は3往復半あって国道から
俯瞰撮影もできて『撮り鉄』は容易だ
敢えて言うなら、15:28着の下り高知行きで下車して、1時間ちょっと滞在の後に16:40発の琴平行きで引き戻す以外に陽のある内に下車する事は不可能だろう。 最も、15:28着の下り高知行きは新改で5分停車するので、5分の滞在で乗ってきた列車で立ち去るのが、この駅の基本の駅めぐり手法だろうね。
それか、車だろうね。
野次馬根性+駅寝地探しで
訪れただけなので三脚もなく
フイルムカメラが使えずスマホで撮る
でも、ワテはこの駅にやってきた目的は、駅の野次馬が4割でホントの理由は駅前で車を止めて、誰もおらず車も通らない静かな環境で車寝する事だったのである。 けれど、普通の人だったらかなりビビッて寝れる状態ではないだろうね。 まぁ、駅に連なる高知県道253号新改停車場線は、舗装はされているが見事なほどに人家共にない山道の嶮道(県道)だったよ。
車で駅めぐりをする奴が増えているせいか駅への案内は多くあったが、駅前まで街灯は皆無でついでに人家の灯も皆無だったよ。 そして、駅直前の簡易舗装区間は180°ターンの大切り返しが必要で、1ボックス車は厳しいかもしれないね。 レンタカーは安い小型車を借りてて良かったよ。
廃校となった小学校を使用した
体験学習&宿泊施設『ほっと平山』
※『ほっと平山』のウェブサイトより
そして、駅への案内標と同じ位に目立つ位置に、先程に述べた地域交流・体験宿泊施設の『ほっと平山』の案内道標があったよ。 まぁ、ワテは車切り返しがメンドイので、切り返しの所に車を止めて、駅まで150mほどを歩いていったよ。
宿泊室は教室に畳を敷いた
広い客室のようである
:
コレの劣化バージョンが
祖母傾山・上畑の『やまびこ荘』だね
※『ほっと平山』のウェブサイトより
これで『駅車寝』ができそうな駅(テントも持っていたので、駅テント寝も可能)だったなら車を駅前に進めて駅前に止めて駅車寝をして、翌朝のホームに入線してくる始発を撮って引き上げようと考えていた。
駅は夜もいい感じで
列車が来れば雰囲気だったのだか
ともすれば、「朝の1往復に乗って繁藤か土佐山田で折り返してもいいかなぁ」などと、バラ色に膿んだ『○鉄』計画を即興で立てていたのであるが、駅の時刻表を見てムリと判ったよ。 それは下りが朝7時と15時台・19時台の3本、上りに至っては始発が午後の14時前と16時台・18時台の3本で、コリは1日1往復で名を馳せた札沼線の浦臼~新十津川よりも乗り辛いのである。 まぁ、新十津川は路線バスが毎時1本くらいあって、いくらでも逃げ道はあったけど。
駅舎内はフラットないいテント場だったし
出入口扉はないが四国という事で
寒くも無さそうだし・・の判定2ッ星だっが
※『ユキサキナビ』より
この駅時刻表を目にして、「朝の7時の下り撮影だけかな」と諦めて、次なるアイテムの確認に向かう。 それはトイレである。 駅舎はテントを張れる位のスペースがあり、誰も利用してないせいかややカビ臭かったが、車寝なら車を止めるスペースが3~4台分あり十分条件は揃っていたが、トイレが閉鎖されていたのである。 これで、「この駅での車寝はムリ」と諦めて引き返したよ。
惜しむべきは脇にある
トイレの扉に『使用不可』の
トイレ閉鎖の貼り板があった事
:
コレでこの地での
宿泊を諦めて撤退したよ
※『ユキサキナビ』より
この駅に立ち寄る前に参考にした駅めぐりのブログさんでは、和式ボットン便所があるって記してあったので小に使えたらそれで十分だし、「イザ!」という大も和式ボットン便所があれば何とかなる。
だが、トイレが無いのは、さすがに「使えない」のである。 でも、JR四国は普通列車にトイレがついてないなど、トイレをかなり軽視してるよな。 まぁ、「乗客のいない列車にトイレなどつける必要ナシ」という運営方針なのだろうかねぇ。
そもそも中津渓谷・雨竜ノ滝は
四国カルストへの途中にあるので
新改とは真逆の方向にあったりして
:
となると新改に
訪れた目的は野次馬だね
結局、駅寝駅探しは夜の時点で振り出しに戻るという悪い流れとなり、次に訪れる中津渓谷・雨竜ノ滝に近づくように高知方向へ車を進めるが、高知を過ぎて伊野に至るまで駅車寝に適した駅が全くない。
午前様寸前に着いたこの日の宿泊地・日下は
「駅寝の神様が宿る」三ッ星駅だった
:
着いたのが午前様寸前だったので
テントは設営せず車寝したよ
日下駅は『駅降り鉄』さんにも
好評な駅の造りであった
※ ウィキペディア画像を拝借
車の通行量が多くて喧しかったり、駐車スベースがなかったりで、新改から50km近く離れた日下まで駅車寝駅探しで『流した』よ。 結局、トイレがあり駐車スペースがあり、そして国道から中に入って車の騒音が小さいなど、駅車寝に適した無人駅・日下に着いたのはあと数分で午前様って時間だったよ。
日下駅は知る人ぞ知る
桜の名所駅だそうだ
※ ウィキペディア画像を拝借
そして、もう一つのオチは、この日下から1kmほど先に、『村の駅・ひだか』(日下駅は高知県高岡郡日高村という村に所在している)という、道の駅同様のウォシュレットトイレ施設があった事ですね。
ホント、「何してんだろ?」と思うよ。
アメにしろ日本にしろ
民主党を名乗るリベラルや
パヨク思想の奴が政権を握ると
必ず国の経済が不況に陥るね
今の岸田もパヨク思考の政治屋だから
外人重視の政策で日本の経済状況は
芳しくない方向で彷徨っている
まぁ日本の経済が宜しくない真の原因は
東京五輪開催による感染爆発災禍だけどね
アメも民主党が政権を握ってからの
経済政策はムチャクチャで
ハイパーインフレに陥り
経済に疎くパヨク思考のバイデンは
物価高にバカの1つ覚えのように
金利を上げ続けて
アメ経済を滅ぼそうとしているよ
こんな経済失政を続ければ
そのうちに大不況となるよ
それでもアメの中間選挙で
さほど民主党が沈まなかったのは
アメ社会もヒスパニック系移民という
外人勢力がアメ社会で政権を揺るがす
程の力を得ているからだろうね
比べると遥かにマシだが
日本における在日チョンやチョンの
日本人成りすましと同様の
国を毀損する勢力って訳だ
本当だったらトランプさんの
主張通りに異敵は国から叩き出さねば
国が毀損していくがままとなるのは
日本に巣食う在日チョンによる反日棄損で
痛い程に証明しているのである
日本も安倍氏は前半まだ良かったが
東京五輪の招致が決まってから
途端におかしくなった
それは東京五輪を開催させたいあまり
武漢コロナの発生源であるシナに忖度して
諸外国がシナの入国を制限し始める中で
最後までシナの入国を許したのだ
また日本の国民に対して
消費税を上げたのに
外国人には免税店などで優遇するなど
パヨクな政策を取り始めたのだ
それで日本の有権者の信を失い
政権を追われ遂には
命さえも奪われてしまったのである
シナにすりよらねは・・
いや東京五輪の招致に失敗して
他国で開催となったなら
あの暗殺事件は起こるべくのない
事だったと言えるだろう
:
長くなるので次回に続く
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