風来梨のブログ

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『路線の思い出』  第508回  名寄本線・幸成仮乗降場

『路線の思い出』  第508回  名寄本線・幸成仮乗降場 〔北海道〕

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元祖・物置待合室の幸成仮乗降場

《路線データ》
        営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’83)  
   名寄~遠軽・中湧別~湧別 143.0km         597  /  1246

       廃止転換年月日               転換処置 
         ’89・ 5・ 1               名士バス・北紋バス

廃止時列車本数
   名寄~遠軽 下り7本・上り4本、名寄~興部 上り1本、名寄~紋別 上り3本
   名寄~下川 下り1本《休日運休》、興部~遠軽 上り1本、紋別~遠軽 下り2本・上り5本
   中湧別~遠軽 1往復、中湧別~湧別 2往復

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仮乗降場名は『幸が成る』と
縁起のいい駅名だったのだが

幸成仮乗降場(こうせいかりじょうこうじょう)は、かつて北海道(上川支庁)上川郡下川町一の橋にあった名寄本線の仮乗降場である。 名寄本線の廃線に伴い、1989年5月1日に廃駅(JR北海道への継承後は正駅に昇格)となった。 駅名は、所在地の近辺の地名『幸成』から採られている。

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幸成仮乗降場は
名寄本線の最閑散区間にあった
局設定の仮乗降場である
※ 名寄本線・西興部付近

1956年4月30日に、旧国鉄の旭川鉄道管理局によって設置された名寄本線の仮乗降場で、局設定の判断で設けた仮駅の為に国鉄本社では駅としては認可されておらず、全国時刻表にも掲載されずにいた。
だが、旧国鉄がJR北海道に経営移管された1987年4月1日に、JR北海道が仮乗降場の扱いを廃した事により駅に昇格している。 

廃止時点で1面1線の単式ホームを有する駅で、線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に板張りのホームがあった。 転轍機を持たない棒線駅となっていた。 前述でも記した如く仮乗降場に出自を持つ無人駅で、駅舎は無かったがプレハブの物置を待合所として利用していた。ホームの名寄方にスロープを有し、駅施設外に連絡していた。

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今やバス停ポールを含めて
藪化して原野に還っている
※『mapion.net』より

一部の普通列車は通過していた。 1989年4月30日の路線廃止時の時刻表によると、急行【紋別】からの格下げとなった快速列車〔てしおがわ〕の上下各1本と、早朝深夜の上り2本が通過していた。
路線廃止後に駅施設は全て撤去され、駅跡に鉄道関連の遺構は何も残されていない。 また、放置された後は藪化して、熊笹に覆われた原野と化している。



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今回は取り上げる駅の
現物写真が3枚しかないので
『物置待合室』の話題で

『ヨドコウ』の物置の宣伝から全国的に名が売れた『物置待合室』の駅として知られているのが、宗谷本線の糠南駅だろう。 だが、『物置待合室』の駅としては、今回取り上げる名寄本線の幸成の方が早く『物置待合室』が設置されていたのである。

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糠南の仮乗降場設置時は
掘っ建て小屋の待合室があって
現在のヨドコウの物置は朽ちて
使用不能となった掘っ建て小屋の
代替として設置されたモノであった
※ ウィキペディア画像を拝借

それは、以前の糠南には掘っ建て小屋の待合所が線路側にあって、『物置待合室』はその掘っ建て小屋が朽ちて使用不能となった代替に設置された比較的新しいモノ(新しいといっても1980年代)であるのに対し、幸成の乗降場設置当初は待合室のない板張りホームのみで、1970年代に利用者の要望で待合室が設けられた当初から、物置が待合所として設置されたのである。

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『物置待合室』で名を馳せたのは
元祖『物置待合室』の幸成ではなく
宗谷本線の糠南だった

だが、糠南の『物置待合室』の製造メーカーの『ヨドコウ』が、糠南仮乗降場(幸成と同じくJR北海道への継承と同時に駅昇格)に設置した自社製物置を大々的に宣伝したTVメディアによる広報効果と、その『ヨドコウ』が無償修理など話題性を持ち込んだ事で、全国的に知れ渡る『鉄』の聖地となったのである。

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幌延町内秘境駅めぐりツアーや
『クリスマスパーティ in 糠南』という
イベントも催される幌延町きっての
観光名所となっている糠南駅

糠南は『秘境駅』ブームに乗り、今や観光訪問客が増えるなど所在する幌延町の主要観光地となり、『利用客皆無』として駅廃止を打診したJR北海道に対し、駅の維持費用の全額を幌延町が負担する事で駅存続が決定した経緯がある。

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路線廃止後に駅跡が
原野に還るようでは
往時も話題には上がるまい
※『mapion.net』より

一方の『幸成』は、JR北海道への継承後2年の1989年で所属の名寄本線自体が路線廃止となり、話題にも上らなかったのである。 名寄本線の路線廃止問題に対しての路線存続対策でいっぱいいっぱいとなり、途中の仮乗降場上がりの駅の話題など全くもって上がらなかったのである。

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名寄本線の紋別~下川の区間は
例え第三セクター転換したとしても
「この区間は廃止は止むなし」
と断じられた区間である
※ 上興部にて

特に幸成は、第三セクターによる名寄本線の一部存続案でも「廃止は止むなし」とされた紋別~下川に所在し、例え第三セクターとなって名寄本線の一部が存続したとしても廃止となったであろう、名寄本線で最も閑散した区間だったのである。

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かつては幹線格だった
宗谷本線の『物置待合室』の駅も
今や普通列車が上下各3本停車するのみ
ビールケースの椅子に
心尽くしの座布団代わりのタオルケット

言うなれば、同じく『本線』を名乗ったものの、所属路線が当時は幹線格の『宗谷本線』と廃止対象としてまな板の上に上がった『名寄本線』という所属路線・・、即ち「生まれの不運」が明暗を分けたのである。 まぁ、かつて幹線格だった『宗谷本線』も、今や名寄以北の存廃問題が浮上しているけれど・・。

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仮乗降場ではあったが
『物置待合室』が設置されるなど
正駅だが待合所すら無かった
岐阜橋・矢文より格上だった

さて、駅の思い出は、当時乗降場に興味を抱いていた為に「降りただけ」で、思い出としては無いに等しいのである。

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離農で部落消滅した班渓
駅名標も『仮乗降場仕様』だったよ

それに幸成仮乗降場は、名寄本線に所在した仮乗降場では施設の整った『優等生』で、待合室のなかった班渓、大半の列車が通過した富丘や弘道、そして枝木で駅名を表示していた一本松などより格上で、ともすれば名寄本線の正駅(国鉄本社に認知された駅)だった岐阜橋や矢文より格上感を抱いていたので、追っかける熱もやや冷めていた気がする。

タワケ小僧が命懸けで追っかけた
ローカル鉄道・名寄本線
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氷点下の冷気で
列車の放つ光が星の輝きとなった

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『起』
闇を切り裂く光・・

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 『承』
カクテルライト輝く
上興部駅へ最終列車がやってくる

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『転』
駅舎の温度計は-15℃で
下げ止まっていた
この日の気温は-26℃
猛烈にシバレた夜であった

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『結』
闇にテールランプの光跡を
残して去ってゆく

それゆえに訪れた時の思い入れは乏しく、ホーム上にあった『物置待合室』の乗降場写真を2~3枚撮ったのみである。 名寄本線の思い入れとしては、真冬の駅寝をした西興部や氷点下26度の中撮った『命賭け』の写真の方に大いなる思い入れがある。

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『流氷列車』
もう二度と目にする事のできない
生涯で無二のお宝写真だ

まぁ、思い入れの第一は、もう我が国では目にする事が叶わない沙留の『流氷列車』だけど・・。


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右翼の奴らがパヨク思想の
今の首相の岸田を罵倒し
シナの工作に対して危機感を
持たない国民をマスニダの
情報を鵜呑みにする情弱と罵っている

コレで判った!愛国なんて嘘っぱちで
右翼の連中もパヨク同様に日本を乗っ取り
隷属支配する事だけが目的の
在日チョンの成りすましだって事が

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なぜなら行動様式が
パヨクのそれと全く同じで
自身の思想に合わないなら
在日チョンが日本人を侮辱するのと
同じ口調で徹底的に罵るのである

確かに奴らの言っている事は正しく
現に台湾有事となって
日本が戦時状況に巻き込まれる事は
大いに有り得るのだが

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だが日本人を情弱(無能)やら
思考停止呼ばわりする時点で
コイツ等が日本人でない事が判る
そして日本を思う言葉とは裏腹に
日本を潰す思考も見て取れる

その第一はチョンの背乗りである
天皇に下賜づけという事からも解る
日本人がチョンの背乗りに頭を下げて
跪く事で日本はチョンの隷属となるのだ

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そんな屈辱を強制する時点で
コイツ等は日本人ではない
だから右翼の奴らの考え通りに
天皇が元首となれば態度を180°豹変させて
天皇全体主義による日本の支配に乗り出すだろう

次に利権の為に国民を騙しての東京五輪を開催で
何百万という感染爆発を引き起こし
何万もの国民を殺したにも関わらず
非を全く持って認めずあろう事か
その罪を日本人の若年層に擦りつけた事だ

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奴らはパヨクのソーラ発電パネルによる
熱海の災害を攻撃材料にするし
全く持ってその通りでもあるが
おまエラが東京五輪で日本人を感染爆発で
殺めた数はその何千倍に及ぶだろうがよ?

そしてその罪を日本人に擦りつけて
「東京五輪は感染爆発に関連がない」と嘯き
感染者数の最も多かった
日本人の若年層に罪を擦りつける様は
パヨクのそれを更に上回る悪辣卑劣ぶりなのだ

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そして今日も敵であるパヨクや
考えが合わない日本人を
パヨク呼ばわりして詰り倒しているのだ
その様相はパヨクが右翼に浴びせる
罵倒と全く同じなのである

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だから大元の天皇をチョンと看破して
下チョンに追放しない限り
右翼の奴らが推す保守政治家とやらが
勢力を得ても実権を握った途端に
態度が豹変して日本の乗っ取りを企てるだろう




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