風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第27回  いなわしろ

『ネームトレイン』 第27回  いなわしろ

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分割併合を繰り返し
普通列車への格下げもあり
車両や号数によっても行先が違う
難解な列車だった急行【いなわしろ】
※『国鉄・急行列車《東日本編》』
廣田尚敬 著より

  急行【いなわしろ】 ・・準急〔あいづ〕として1959年に仙台~喜多方で運行を開始したのが成り立ちである。 1965年に只見線に入り会津川口(1967年から季節列車として只見駅まで延長)・会津線の会津田島・磐越西線の喜多方の3方向からの列車を会津若松で併結して仙台へ向かう運転形態となり、1966年には急行へ格上げされた。 また、1968年からは今まで名乗っていた【あいづ】の愛称が、上野~会津若松の特急に使用される事となり、【いなわしろ】と改称された。

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急行【いなわしろ】サボ
『列車名鑑・急行【いなわしろ】』より

この列車の特色は、気動車の利点を生かして多層階建て列車として運用した事にある。 キハ55系等のほか、会津線系統直通には、本来は普通列車用だが単行運転可能なキハ52形等が充当された。
この為、会津線の会津田島行き及び只見線の越後川口行きの列車は、キハ52形気動車の単行であった。 当時の鉄道関係書籍では、「たった1両の急行」として珍重されていた節もある。 

この急行運用の為、当時の国鉄は一般形気動車の首都圏色化(俗にいうタラコ色)を進めながらも、急行【いなわしろ】の運用を受け持った小牛田機関区所属のキハ52 126~128・143には、識別の為に敢えて朱色とクリーム色の旧国鉄標準色で残していたと言う話も上がっている。

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急行【いなわしろ】の運行廃止後に
米子運転区に転出して
木次線で運用され旧国鉄色の
名物車両となっていたキハ52 128
『キハ52 128 の思い出』より

急行【いなわしろ】の運行廃止後のこれらツートン塗装のキハ52は、いずれも盛岡転属後まで旧国鉄標準色を維持していた(キハ52 128については1983年に事故車の補充で米子に転出し、転出後は最後の旧国鉄標準色車として一種のイベント車的な存在になり、JR西日本に引き継ぎ後も2000年に廃車になるまで、この塗装を維持したまま木次線などで使用された)。 キハ23形気動車も、只見線内単行運転の急行【いなわしろ】の季節列車として補完的に使われていた。

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磐越西線のエリート急行【あがの】に
併結された只見線入線の一般気動車使用の
遜色単行急行【いなわしろ】
※『国鉄・急行列車《東日本編》』
廣田尚敬 著より

なお、併結運用の列車は会津若松~仙台が急行【あがの】で、会津線と只見線からの【いなわしろ】を併結していた。 喜多方発の【いなわしろ】は会津若松で会津線と只見線からの【いなわしろ】を併結して郡山へ向かい、郡山~仙台を磐越東線直通の急行【いわき】に併結されていた。

沿線は豪雪地帯のため、冬期間は併結相手が遅延して何時間も来ない事もあったが、主要道の除雪もままならない時代だった事から、地域住民の貴重な足として運行され続けた。 1982年に、東北新幹線開業に伴う大規模ダイヤ改正で廃止となった。

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急行【あがの】の先頭に
増結されて発車を待つ
会津川口からの急行【いなわしろ】
※『鉄道ピクトリアル '80年3月号』より

 下り・急行【いなわしろ2号】
会津川口発の下り急行【いなわしろ2号】(当時は上下で号数が分かれていなかった)は、会津若松で新潟から来た急行【あがの1号】と併結し、さらに郡山で水戸始発の急行【いわき51号】と併結して仙台に向かっていた。 この時点で、先頭から【あがの1号】【いなわしろ2号】【いわき51号】となるが、福島で【いなわしろ2号】と【いわき51号】が切り離され、【あがの1号】は単独で終点の仙台駅へと向かていた。

多層階建ての列車の宿命として、複雑な運転系統に伴う運用上の錯綜があった。ここではその例として、1968年(昭和43年)10月ダイヤ改正時の上下の「いなわしろ2号」の場合を挙げる。

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郡山から磐越東線と真逆の進路を取る
急行【いわき】とも併結していた
※『国鉄・急行列車《東日本編》』
廣田尚敬 著より

 上り・急行【いなわしろ2号】
上りの急行【いなわしろ2号】は仙台始発であるが、始発時点で水戸行きの【いわき2号】と併結していた。 福島駅で【いわき2号】の福島始発列車を増結して、郡山で【いわき2号】と別れて磐越西線に入り、会津若松で会津線の会津田島行き・只見線の会津川口(只見)行き、喜多方行きの3つの列車に分割されて、それぞれの終点に向かっていた。

【いなわしろ】・【あがの】・【いわき】と行き先が異なる上、それぞれ連結する相手の号便が異なっていて、多層階になった後も福島で分割・併合するなどした為に、時刻表の表記も各駅の乗車案内も難解を極めていた。 また、乗客自身も、乗っている号車が目的地にたどり着くかの確認を取る事に苦労したといわれている。 

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急行【あがの】に連れられて
仙台に到着した急行【いなわしろ】
『列車名鑑・急行【いなわしろ】』より

《列車データ》
運行区間:仙台・福島~会津若松(磐越西線)・会津田島(会津線)・会津川口(只見線)
     仙台~喜多方 206.3km、仙台~会津田島 234.8km、仙台~会津川口 250.5km
     ※ 下りの【いなわしろ】は福島で運転が打ち切られて切り離されていた
     ※ 只見線に入っていた【いなわしろ】は、季節運行で只見まで延長運転されていた
運行期間:1959年  9月22日:郡山~盛岡で運行されていた準急〔あぶくま〕より分割されて磐越
              西線に入っていた列車を準急〔ばんだい〕に格上げし、同時に仙台
              方面から磐越西線に乗入れる準急〔あがの〕及び準急〔あいづ〕
              を新設する
              〔ばんだい〕は上野~喜多方で1往復、〔あがの〕は仙台~新潟で
              2往復、〔あいづ〕は仙台~喜多方で1往復の運行となるが、準急
              〔あいづ〕が急行【いなわしろ】の前身となる
     1965年10月  1日:只見線・会津川口行きの併結運行を開始
     1966年  3月  5日:急行へ格上げられて急行【あいづ】となる
     1967年 期日不詳:季節運行で会津川口より只見まで延長運転(冬季以外は只見まて
              運行)
     1968年10月  1日:上野~会津若松の特急【やまばと】を特急【あいづ】に名称を変更
              し、上野~山形運行の特急【やまばと】と分離して全区間での単独
              運転を開始したのに伴い、急行【あいづ】を名乗っていた仙台発着
              の急行列車の愛称を【いなわしろ】に変更する
     1982年11月15日:東北新幹線開業によるダイヤ改正で、上野より磐越西線経由で新潟
              まで運行していた急行【いいで】と共に急行【いなわしろ】も廃止
              となる
運行本数:上下2づつ運行されていたようだが、うち1往復は季節運行であったり、行先や分割方向
     に統一性がないなど2往復運行とはいい難いものがあった

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会津若松で喜多方・只見・会津田島に
3分割される急行【いなわしろ】
※『JTB時刻表 1981年3月号』より

廃止時停車駅(福島~喜多方・会津川口・只見)が急行区間、仙台~福島は普通列車)
福島・松川・二本松・本宮・郡山・磐梯熱海・川桁・猪苗代・会津若松・喜多方

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急行【いなわしろ】の
只見線と会津線の時刻表
※『国鉄時刻表・1974年11月号』より

  只見線内
会津若松・西若松・会津本郷・会津高田・新鶴・会津坂下・会津柳津・滝谷・会津宮下・
会津川口・只見
  会津線内(1987年7月16日に会津鉄道に経営移管)
〔会津若松〕・〔西若松〕・上三依(現在は芦ノ牧温泉)・湯野上(現在は湯之上温泉)・
楢原(現在は会津下郷)・会津長野・会津田島

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西若松で会津線・会津田島から
やってくる相棒を待つ
只見線・只見発の急行【いなわしろ】
※『キハ52 126』より

使用車両:キハ52の3両編成で会津若松で喜多方行き・只見線方面・会津線方面に3分割されていた
     また、上下列車とも喜多方又は会津若松でキハ58形を使用した急行【あがの】や、
     郡山から急行【いわき】に併結されて福島・仙台に向かっていた
     末期は仙台~福島は普通列車となって、福島で強制的に仙台まで行く急行から分割され
     て、福島~仙台は普通列車として運行していた

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急行【いなわしろ】は
東北新幹線の開業で廃止となったから
当時のワテはまだ中坊で
追っかける事も乗る事も適わなかったよ
※『急行 いなわしろ』より

乗車経験と撮影経験:共にナシ


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アメ株をやってる例のオッサンが
日本の資産をアメ資産に移すよう
力説してるけどそのうち利上げを
繰り返したアメ経済は予告も兆候もなく
いきなり破綻してアメ株は紙切れになるよ

今でアメは3回連続で0.75%の利上げを
繰り返して2.25%の長期金利となっている
つまり日本で1000万円預けても年利で
2〜3000円利息がつく位だがアメなら
年利にして225000円ついてくる

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常套的に考えたらオッサンの言う通りだが
その1000万当たりで225000円の金は誰が出す
のか?と考えたら日本人(このオッサンは在日ぽい
けど)と考え方が全く違う外国に資産を移すのは
財産を全て失いかねない自殺行為だよ

それはこの1000万当たり225000円を支払う
のはアメリカ人の債務者全員である
つまり住宅ローンを抱えているアメリカ人は
有無を言わさず借金1000万当たり
225000円支払い増となるのだ

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恐らく住宅ローンの残債は
大抵2〜3000万なので年間で
45万〜70万近く債務負担が増えるのだ
なお円をドルに直すのは面倒臭いのでパスです

こんな状態ならいつ何時破綻者が出るか
しれたものではないのだし1人コケると
数珠つなぎにコケていくよ

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それよりもっと怖いのがアメ企業だよ
企業っていうのは常に資金繰りで金融機関から
金を借りて操業しているしその額は億単位で
下手すれば10億単位なのである

則ち2.25%の金利が上がった事で1億円の借入なら
225万・10億なら2250万の経費増となるのだ
逆に今回のアメ政府の金利引上げは「インフレに
よる物価暴騰を抑える為」と言ってるが好景気では
なく寧ろ武漢コロナの影響が残る不況状態なのだ

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要するに不況なのに物価が上がる
『スタグフレーション』状況で
その『スタグフレーション』に陥った原因も
武漢コロナの世界的な蔓延による材料・部品不足で
生産調整をせざるを得ない状況なのである
長くなるので次回に続く





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