2022-10-25 (Tue)✎
廃線鉄道 第92回 常総筑波鉄道・鬼怒川線 〔茨城県〕
砂利運搬の主力機関車だった
ロッド式のDB11型ディーゼル機関車
※『常総産業(元 鬼怒川砂利合資会社)』の
ウェブサイトより
常総筑波鉄道・鬼怒川線(じょうそうつくばてつどう・きぬがわせん)は、かつて茨城県下館市(現・筑西市)の大田郷と同県真壁郡関城町(現・筑西市)の三所を結んでいた常総筑波鉄道(現・関東鉄道)の鉄道路線である。
南部縦貫鉄道で唯一
動態保存車として現存している
DB11型ディーゼル機関車
:
こんなゲテモノでも
整備すれば動くのである
※『南部縦貫鉄道』のウェブサイトより
大田郷から西側の鬼怒川東岸の河原へと延びていた路線で、鬼怒川で採取される砂利の輸送を目的に、鬼怒川砂利合資会社が運営する専用線として1923年に開業した路線である。 その後、1927年に路線の大部分を常総鉄道に買収されて地方鉄道となり、当時の関本町(後の関城町)町内に常総関本駅と三所駅を新設し、全線で旅客営業を開始している。
建設建材として大きな需要のあった河川敷の砂利採取の為
関東を中心に多くの砂利運搬鉄道が敷設されたが
乱獲による河床面の低下から橋梁基礎の露出など
河川災害を引き起こす危険から
現在では砂利採取は禁止となっている
※『三井住友トラスト不動産』より
しかし、元が専用線であるため集落の中心部から離れて敷設された事に加え、戦後になると関本町内で道路が整備されてバス路線が開通すると利用客が激減した。 それに加えて、路線終端部の鬼怒川河川敷の砂利が枯渇した為、1957年7月末を持って常総関本~三所を廃止し、同時に全線の旅客営業も廃止した。
かつて鬼怒川線の砂利運搬も担った
DD502ディーゼル機関車
:
放置して動かせなくなった
機関車を塗装・お色直しして
展示用に売り出し中との事
※ ウィキペディア画像を拝借
その後は、常総関本から約10km離れた鬼怒川上流で採取した砂利をダンプカーで常総関本まで運び、列車に積み換えて輸送する形態を取る貨物線として細々と営業を続けたが、ダンプカーからの砂利の積み替えなどの経費が嵩んで営業成績が振るわず(1962年度の営業係数は660に達していた)、1964年1月16日に全線が廃止となった。
関東鉄道の路線図
※ ウィキペディア画像を拝借
なお、常総筑波鉄道は、鬼怒川線を廃止した翌年の1965年6月1日に鹿島参宮鉄道と対等合併して関東鉄道となっている。
本線格で一部複線区間もある常総線
※ ウィキペディア画像を拝借
関東鉄道成立当時は、本線格の常総線と筑波線(常総筑波鉄道の運営区間)、鉾田線と竜ヶ崎線(鹿島参宮鉄道の運営区間)の4路線・123.1kmで、非電化私鉄路線では最大の路線距離を有していたが、筑波線を筑波鉄道に鉾田線を鹿島鉄道に分社して、本線格の常総線と竜ヶ崎線の2路線・55.6km(常総線・取手~下館 51.1km と 竜ヶ崎線・佐貫~竜ヶ崎 4.5km)となっている。
分社後10年もたずに路線廃止となった
筑波鉄道・筑波線
※ ウィキペディア画像を拝借
2007年に路線廃止となった
鹿島鉄道・鉾田線
※ ウィキペディア画像を拝借
駅舎に王冠が飾ってあった
鹿島鉄道終点の鉾田駅
※ ウィキペディア画像を拝借
また、1979年に筑波鉄道に分社した筑波線(土浦~岩瀬 40.1km)と、鹿島鉄道に分社した鉾田線(石岡~鉾田 26.9km)は、筑波鉄道が1987年4月1日、鹿島鉄道が2007年4月1日にそれぞれ路線廃止となっている。
常総筑波鉄道・鬼怒川線の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
廃止区間と路線距離(営業キロ):大田郷~三所 6.0km(三所~鬼怒川東岸 1.8kmは砂利運搬専用線)
※ 三所より先も砂利運搬専用線として、鬼怒川東岸の河原まで線路が敷設されていた
※ 1957年7月末で常総関本以遠が廃止となり、同時に旅客営業も廃止された
軌間:1067mm、電化区間:ナシ(全線非電化)、
複線区間:ナシ(全線単線)、閉塞方式:スタフ閉塞式、
1923年(大正12年) 8月 1日:鬼怒川砂利の専用線として開通
1927年(昭和 2年) 6月 4日:常総鉄道が買収
7月 1日:地方鉄道の常総鉄道・鬼怒川線として開業し、三所での旅客扱いを
開始
11月 1日:大田郷~三所の間に駅(常総関本)を新設
1945年(昭和20年) 3月20日:常総筑波鉄道の成立により、同社の鬼怒川線となる
1957年(昭和32年) 8月 1日:常総関本~三所(三所~鬼怒川東岸の砂利運搬専用線含む)の路線
と、大田郷~常総関本の旅客営業を廃止
1964年(昭和39年) 1月16日:全線廃止
DB11型ディーゼル機関車の原型は
ロッド式の旧国鉄DB10型
ディーゼル機関車だ
※ ウィキペディア画像を拝借
車両
鬼怒川砂利時代は、伊賀鉄道・伊賀線から譲渡された、1915年大日本軌道製の車軸配置0-4-0(B)形10トン蒸気機関車を使用していた。 同機関車は、常総鉄道に路線が買収された後も鬼怒川砂利の所有であったが、1936年7月に常総鉄道に譲渡されている。 1937年2月まで保有されて廃車となっている。
終始2号機であった。
DB11型で現存しているのは
南部縦貫鉄道でラッセル用モーターカー
として使用された1両のみ
:
南部縦貫鉄道が廃止となった現在も
七戸駅構内の車庫で動態保存されている
※『南部縦貫鉄道』のウェブサイトより
常総鉄道買収時から戦後までは、蒸気機関車5(旧近江鉄道、1896年クック製)及び6(旧国鉄1170形1170、1900年ナスミス・ウィルソン製)を専用機として使用していたが、1953年に蒸気機関車に代えて東急横浜製作所で新製されたディーゼル機関車DB11を専用機として導入した。
廃車後放置されて自走不能となった
DD502型ディーゼル機関車
:
路線末期は本線格の常総線の機関車が
間合い運用で使われていた
※ ウィキペディア画像を拝借
この無煙化により、運転経費はそれまでの10分の1に軽減されている。 だが、DB11は輸送量の減少によって、末期には水海道工場の入換作業用に転用され、常総線のディーゼル機関車が大田郷駅停車中に間合い運用として鬼怒川線を走行するようになっていた。
下館(現 筑西市)都市郊外の駅で
駅の周囲は宅地開発されているが
利用客は少なく数年前より
無人駅となっている大田郷駅
※ ウィキペディア画像を拝借
大田郷駅(おおたごうえき)は、茨城県筑西市玉戸にある関東鉄道常総線の駅である。 かつては、鬼怒川の砂利運搬を担った常総筑波鉄道・鬼怒川線の接続駅であった。 相対式ホーム2面2線の地上駅で無人駅。下館寄りに構内踏切があり、取手方面のホームには待合室がある。 2018年度の1日平均乗車人員は149人との事。
単線区間のため列車交換が行われる。 かつて駅舎は下館方に向かって右側(東側)に建てられていたが、駅西側の宅地開発によって現在の位置に新築移転されている。 宅地開発によって、駅の西側は下館(現在は筑西市)のベットタウンとなっている。
常総関本駅(じょうそうせきもとえき)は、かつて茨城県真壁郡関城町(現在は筑西市)にあった常総筑波鉄道・鬼怒川線の貨物駅である。 開業当初は旅客駅であったが、1957年7月末の三所より鬼怒川東岸まで敷設された砂利運搬専用線を含めた当駅以遠の路線廃止と共に旅客営業も廃止となり、以降は路線廃止時まで貨物駅であった。
三所駅跡に立てられた駅跡説明板
※『筑西市・梨思の会』より
三所駅(さんじょえき)は、かつて茨城県真壁郡関城町(現在は筑西市)にあった常総筑波鉄道・鬼怒川線の駅である。 鬼怒川線は当初鬼怒川の砂利運搬を目的として建設され、当駅の営業時には、鬼怒川河畔まで鬼怒川砂利合資会社(現・常総産業)の専用線があった。
真っ当に働く労働者層を会社の犬と貶し
富裕層・経営者層・成功者層を
逆恨みしてその不幸を願い
それをいつも口にする例のオッサン
その子供が高校の進学を控えて
成績が思わしくない状況となっているという
それを本人があまり勉強をしなかった
「本人の努力不足」の因果応報だからという
でもこのオッサン・・自身を鑑みで
よくもこのセリフが吐けるよな
日頃から世間を恨み会社や同僚・上司を罵り
成功者はみんな敵というこのオッサンの逆恨みを
呪文の如く聞かされる子供の勉強が捗る訳ねえだろ!
親父が無職になり自身の進学費用が
払えない状況に陥りかけている事を
肌でヒシヒシと感じて怯えているよ
これに気付かないならそれこそ知的障害児だよ
ただでさえナーバスになる高校受験期
それは失敗が許されない受験だからだ
それは浪人が許される大学受験と違って
高校浪人は完全に世間からの
落ちこぼれとなるからである
そして困難に対しての耐性がない
今の世代の子供は挫折したら
簡単に首を吊るよ
要するに追い込まれた状況からの
這い上がる術を持たないって言うか
そういう事を思い着いて考える思考もなく
目の前の困難にただ凍ってしまうだけなのだ
学校ではこういう生きる術は
一つを除いて学ぶ事はできない
その学校で手に入る唯一の処世術は
ただ周りに合わせて忠実に従うって事だ
だからその輪から弾かれると
生きていけなくなるのだ
そう猛烈な苛めや自身の存在の全否定である
‥長くなるので次回に続く
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