風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『路線の思い出』  第504回  三江線・石見川本駅

『路線の思い出』  第504回  三江線・石見川本駅 〔島根県〕

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沿線最大の駅で廃止まで
沿線唯一の有人駅として存在した駅だが
店屋などは川向こうの隣駅・因原にあって
何もない駅だった石見川本駅

《路線データ》
       営業区間と営業キロ       輸送密度 / 営業係数(’16)    
      江津~三次 108.1km        46  /   1109
         廃止年月日             転換処置
          ’18/4/1      備北交通・大和観光・邑南町営・石見交通
                        など区間によって分担

運行本数(’17)
             江津~三次   下り2本・上り1本
             江津~石見川本 上り1本
             江津~浜原   3往復
             石見川本~三次 上り1本
             浜原~三次   2往復
             口羽~三次   1往復
      ※ 廃止日までの残り2週間は昼間便の浜原~口羽の通し運行を実施した
             江津~三次   下り4本・上り3本
             江津~石見川本 上り1本
             石見川本~三次 上り1本 
             江津~浜原   1往復
             浜原~三次   1往復

石見川本駅(いわみかわもとえき)は、島根県邑智郡川本町大字川本弓市にあったJR西日本・三江線の駅である。 三江線の廃止に伴い、2018年4月1日に廃駅となった。 2面2線の相対式ホームを持ち、交換設備を有する駅であった。 上りホーム側に駅舎があり、下りホームへは江津方の跨線橋で連絡していた。 下りホームの外側には、保線車両留置のための側線が数本あった。

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石見川本行きの列車が到着して
きっぷの回収と検札をすると
窓口が閉められた為に
窓口が開いてる所を見た事がない
※ ウィキペディア画像を拝借

浜田鉄道部管理でジェイアール西日本米子メンテックが駅業務を受託する業務委託駅で、みどりの窓口はなく、7時から17時35分までに限りPOS端末による発券を行っていた。 以前は自動券売機が設置されていたが、2004年7月をもって使用が中止された。

その為、係員不在時間帯には他の無人駅同様に、降車駅(降車駅が無人駅の場合は整理券対応の車内清算)で運賃を精算する事になっていた。 7時20分から12時10分の間、当駅の係員は三江線内の各無人駅の清掃に従事する為に不在となる。 2017年の一日平均の乗車人員は18人との事。

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石見川本駅に置いてあった時刻表
年を通じて浜原~口羽の最閑散区間を
明るい時間帯に通る列車は
三次10時発の石見川本行きしかない

以前は土曜以外に夜間滞泊があって、1987年4月の時点では平日夜間に江津~石見川本間を往復する区間運行の列車があった。 廃止直前のダイヤでは、上りのみ当駅止まりと始発の列車があった。

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12:18に到着した列車は
13:45までの約1時間半
車内締め切りとなって放置される
※ ウィキペディア画像を拝借

この列車は三次からの昼間時間帯運行の唯一の列車で、行先が当駅までの運行便であった。
この列車が当駅に終着駅として到着すると乗客を全て降ろし扉を施錠して、江津発の下り列車の到着時間までホームで留置した後、改めて上下列車交換の上て当駅発の江津行の列車となっていた。

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撤去された川戸駅の交換設備
1999年の設備撤去で路線廃止まで
石見川本より先は20年近くも
列車交換が不能となっていた

これは1999年に当駅より江津寄りの因原・川平・川戸3駅の交換設備が撤去された為、それ以降は当駅から江津までに交換可能な駅がなく、江津からの下り列車が当駅に到着するまでの長時間の「列車の交換待ち」が発生した為の運用である。



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駅廃止後に信用金庫の壁に
設置された国鉄様式の駅名標
石見川本駅の思い出は
列車で三江線をめぐるなら
必ず遭遇するのがこの駅での
1時間半の無駄な時間潰しだ
※ ウィキペディア画像を拝借

『三江線の最後の一年』の作成で、三江線を追いかけた時には三次を10時に発車する路線唯一の昼運行の列車は、乗るにも撮るにも必須の列車だった。 この列車の行先は前項の駅紹介欄でも記した通り、三次発の石見川本行きで江津までの全線通し列車ではなかった。

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山に囲まれた江ノ川流域の地は
10月も下旬となると列車到着前の
16時半には陽が山に隠れて
今イチ紅葉は彩りを失ったよ

でも、冬ともなると、日が上がっている内に口羽から浜原の最閑散区間を通る列車はこの列車だけで、後は朝と暮れてからの運行で『撮り鉄』思考で考えれば、この10時発の石見川本行き上り列車をどこで撮るかが撮影旅計画の肝となったのである。

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南線区間の長谷では
江ノ川支流の川にかかる橋を
見上げるアングルで
江ノ川沿いはすぐに崖が迫り
俯瞰できるような足場がないよ

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潮で江ノ川に映る水鏡と

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だが紅葉は川の対岸の方が
色づいていたよ

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実る稲穂とのコラボも狙ったが
空が影って沈んだ写真となったよ

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列車到着直前に陽が沈んで
慌てて少し+側に
露出補正して誤魔化したよ

なので、三江線を訪れる度に撮影地を全て変えて、旅のメイン行事にしていたよ。 口羽までの南線区間に出張って、元乗降場だった長谷で江ノ川支流の川に架けられた鉄橋を袂から狙ったり、閑散区間の口羽~浜原では川の畔に駅がある潮で川向こうから狙ったり、石見都賀の近くで秋口の実った稲穂をアテに撮ったり、春になれば桜が満開となる石見松原や桜の他に菜の花も満開となる沢谷で狙ったり、春夏秋冬いずれの季節でも絵になる乙原で撮ったりしたよ。

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廃止直後の石見川本駅
この駅で1時間半の列車待ちという
無駄な時間が発生した事で
追っかけ旅もこの駅を境に
南北に分ける旅行程となったよ
※ ウィキペディア画像を拝借

要するに、三江線を追っかける旅では、路線の性格や運行本数的には口羽と浜原を境に3区間に分けて狙うのがセオリーだろうけど、この唯一の昼行列車に追っかけ旅がコントロールされて、石見川本を境に2区間に分かれる旅行程となる事が多かったよ。

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廃止前年の秋までは
『三江線・最後の四季』として
順調に製作していたのだが
冬の運休で冬に1枚も撮れずコケたよ

だが、廃止された年の冬は1日限り降った大雪で線路内に倒木などの被害が出て、三江線は1月~2月の間で浜原~江津が運休となり、最後の年は列車が走らずに三江線の冬の情景を追う事は出来なかったよ。

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江平駅の最寄りにある稲滝
けれど滝への道は苔生した廃道だった
冬季に訪れた時は
石見川本以南は運休中で
製作方針を滝めぐりとしたよ

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岩瀧寺ノ滝
ダムの建設で消えゆく運命の滝

運行していた北川区間の川平から
20kmほど離れた滝めぐり

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権現瀧
滝探勝路はかなり荒れている
雪もないのに大雪の為に
石見川本以南運休で三江線を
撮りにきたのに滝を撮ってたよ

その時は、運行していた石見川本~江津を集中的に攻めるのと、訪ねる事が出来なかった駅めぐりを重点に、ちょっと鉄道追っかけ旅から視点を変えて、江ノ川を挟んだ急峻な地形をゆく三江線沿線には滝が多い事に着目して、沿線の見どころとして名瀑の紹介も載せる事ができたよ。

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沿線の滝で最も有名なのが
百名滝にも指定された常清滝

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観光客を呼ぶべく整備されている滝が
鹿賀駅から3km奥にある観音滝

だけど、当初も目論んだ『三江線・最後の四季』は冬が抜けて、お題を『最後の一年』としなければならなくなった悔しさは残るよ。

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石見川本駅を語る写真がないので
春の写真で誤魔化す
潮にて

さて、その三次を10時に出る石見川本行きの唯一の昼行列車だが、三江線を訪れる者の思考は皆同じというか、特に乗り鉄さんはこの列車に乗る以外に行程が組めない為に、廃線が近づいた3月で、しかも2月下旬まで運休だった為か、この列車だけは連日『鉄』で満員だったよ。 平日でも立ちの乗客が出る位だったし、三江線では破格の3両編成だったしィ。

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このタワケ・・
記事文章の間を全て
春の写真で埋める気だな
沢谷にて

だが、この列車が石見川本に着いたら、追っかけ鉄には重い時間帯が訪れる。 石見川本で運行を打ち切られた列車は、後に江津行きの別列車として仕立てられるが、江津からの列車が石見川本に到着するまでの1時間半以上の時間を列車から追い出されるのである。 要するに、沿線の合理化と人員カットで川戸・因原の交換設備が撤去されて、江津~石見川本が1閉塞区間となって、列車の行き違いができなくなっていたのである。

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乙原は満開の桜だったが
撮り鉄たちは潮や川戸などの
有名撮影地に散って最終日でも
思ったより撮り鉄は少なかったよ

駅の周囲に何かあればこの長い交換列車待ちも苦にならないが、石見川本は役場の所在する川本町の中心駅であるのだが、この町は江ノ川に隔てられた狭い土地に開けた町で、町の中心部への大型車の進入が難しい”せせこましい”街なみなのである。 従って観光バスも入れず、観光的にもパッとしなかった町なのである。 現在は周辺に世界遺産となった『石見銀山』という観光アイテムができたけど、川本町はアクセス拠点とはなってないのだよね。

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おかげで後追いも
黒点(人影)を入れずに
撮る事ができますた

その”せせこましい”街なみは、町の中心地であるのにコンビニが1件も見当たらなかった事や、町の中央をゆく主要道の県道40号が町内の主要部であっても大型車同士の離合が困難な『1.5車線』道路で、駅から500m浜原寄りの踏切の先は、竹と木路原の間で乗用車の離合も厄介な狭隘道路区間となる。

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三江線最終日・・
地元の人も訪れた撮り鉄も
皆で列車を見送っていた
石見松原にて

この”せせこましい”町と駅の印象と、竹から前駅の木路原の間を併走する県道40号が片側通行を余儀なくされる狭隘道路区間で、この1時間半以上の待ち時間は、飯屋はおろかコンビニさえないほぼ無人駅(石見川本は一応業務委託駅だけど、窓口は列車の発車時刻前まで閉っている)では、途方もなく長い時間なのだ。
なお、駅から3~400m離れた所に農協のスーパーはあるけど、列車に乗ってきた『鉄』が農協スーパーを見つけるのは困難だろうね。

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町中の奥まった町外れにあった駅には
かつては車は滅多にやってこなかったが
駅舎後に信用金庫が入って
町の機能の中心となって路線バスも
入るようになったようだ
※ ウィキペディア画像を拝借

またバスも、せせこましい町の奥まった所にある駅には立ち寄らず、駅より150m離れた石見川本の町立病院前にバス停が設けられ、バスも川を渡って江津市・桜江町(川戸方面)に向かっていて、駅には『鉄』以外の車は滅多にやってこない。

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隣駅・因原の裏手には
道の駅とコンビニとレストランなどがあり
旅の要望を満たす事ができる
※『懐かしの国・石見』より

実は石見川本駅は近くに町役場や病院などの官公庁があるだけで、コンビニや店屋などの町の機能は隣駅で、国道261号線が合流する因原で、この国道から浜田自動車道で山陰の浜田や山陽の広島に抜けられるのである。 従って、因原駅の周辺には道の駅とコンビニがあり、団地などの集合住宅や個人商店もチラホラとある町の居住区となっているよ。

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今や探勝不能となった
龍頭ノ滝
石見川本駅以上に
気象災害で探勝路が完全崩壊した
この滝に立ち寄る人は皆無だろう

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国の名勝に指定された千丈渓も
気象災害で探勝路の橋が流されるなど
探勝不能となってたよ

このように、車で三江線周辺を周る『撮り鉄』は、三江線を乗る必要のないので何もない石見川本には寄り付かないし、『鉄』も強制的な列車待ちという手持無沙汰な待ち時間を強いられるだけで、もし直通列車であったならせいぜいスタンプを押して入場券を買うだけの価値しかない駅だろうね。

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信楽焼きの瓶にぬるいお湯が注がれる
野趣味溢れる温泉の湯谷温泉
ワテが知る川本町唯一の観光スポットだ
※ 川本町の観光ウェブサイトより

なので、最後は川本町の名所おば・・。 駅から7kmほど離れているので車は必要だけど、信楽焼の瓶に源泉掛け流しの湯が注がれる野趣味に溢れた湯谷温泉がある。

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路線在りし頃の因原駅は
スーパーカブが置かれるなど
雰囲気満点の駅だった

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路線往時より駅務室には
地元の運送業者が入っている

また、隣の因原駅も地元運送業者の営業所として現存していて、駅舎の雰囲気を残す三江線の遺構となっているが、私有地となった為に立ち寄れるかどうかは不明である。


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次の日本の失敗は党所属の議員に
日本に巣喰うチョンの日本人成りすましが
半数近くいる売国反日政党・ミンスに
日本の政治を3年間乗っ取られた事だ

これによって日本の政治は壊滅寸前の
ダメージを受けて日本のみ
世界から取り残されかけて
不況のどん底に叩き落されて
失業者が大量発生したのだ

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それはチョン経済の好況を造り出す為
1ドル70円台の円高を放置し
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壊滅的なダメージを受けたのだ

日本の日経平均株価は7000円台まで落ち
下請けを中心にかなり多くの企業が倒産し
失業者が6%に迫る勢いに増えたのだ

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それに耐えきれなくなった下請け企業が
連鎖倒産に陥ってより失業率の増加につながり
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