風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第26回  近鉄・吉野特急

『ネームトレイン』 第26回  近鉄・吉野特急

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22000系『新エース』の為だけの
近鉄特急のイメージを損なう
惨たらしい新塗装だが
16000系は割と合ってるね
※ ウィキペディア画像を拝借

  近鉄・吉野特急 ・・ 営業路線延長500kmを越える近鉄は創成期に地域の多くの私鉄を合併吸収して成立した経緯があり、軌間1435mmの標準ゲージを中心に1067mmの狭軌、そして現在は経営分離により無くなったが762mmのナローゲージと、3種類の軌間を有していた。

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東武の【リバティ】もそうだけど
最近の車両デザインは前面が
モアイのようにゴツイので
短編成だとブサイクさが際立つね
※ ウィキペディア画像を拝借

その1067mmの狭軌線区でも、特急列車を運行している。 その路線が南大阪線の起点・阿部野橋と、吉野線の終点にて桜で全国に名を馳せた吉野を結ぶ吉野特急である。 南大阪線・吉野線は前述でも述べた通り、前身の旧大阪鉄道が国鉄との貨物連絡の為に、国鉄と同じ1067mmの狭軌を採用した歴史的経緯から、ほかの特急が走る路線の1435mm(標準軌)と異なっていて、直通運転ができず運行系統上は独立している。

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大峰山は女人禁制で
名を馳せた山である

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大峰・弥山での夜明けの絶景

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大峰・八剣山の頂上にある
枯れた立ち木が御来光で輝いた

大阪方面から橿原神宮・飛鳥(明日香)・吉野・大台ケ原・大峰山(大和上市駅または下市口駅下車バス連絡)への観光客輸送と、前述した京橿特急との連絡輸送、そして通勤輸送を担っている。

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16400系とその改良版の
16600系の揃い踏み
でも見た目はバッタ(16400系)と
バカ殿様(16600系)ですね
※ ウィキペディア画像を拝借

吉野線に入らない南大阪線内区間運転の列車も吉野特急と称している。 運転間隔は、概ねラッシュ時は30分間隔、日中は1時間間隔で運行される。

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頂上の枯れ立ち木と
突きさされた錫杖が
信仰の山の神秘さを醸し出す

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大峰・八剣山からは
紀伊山地と果ては熊野灘も見渡せる

吉野特急は桜の名所である吉野を始めに、世界遺産・大峰山の玄関口やいにしえの里・飛鳥などの観光地を結ぶ観光特急の様相が強く、吉野の桜をイメージした【さくらライナー】や観光向けに車内内装をあつらえた観光特急【青の交響曲(シンフォニー)】なども運行している。

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【さくらライナー】は
前面展望など観光的要素を
全面に押し出した特急車両だ
※ ウィキペディア画像を拝借

橿原神宮前~吉野は、吉野線の前身である吉野鉄道が敷設した開業以来の急峻な山岳線であり、急カーブと勾配が連続する単線である事から、その所要時間は同区間の急行の最速列車と比べて大差はない。

また、南大阪線内も、前身の大阪鉄道時代の線形を引き継いでいる為、急カーブが随所に存在する事から最高速度を大阪線・名古屋線系統より10km/h低い110km/hに設定しており、他線区の特急と比べてもかなり表定速度が低くなっている。 この事から近年のダイヤ改正にて、日中の急行は橿原神宮前で運行が打ち切られて吉野への運行は朝夕のみとなり、阿部野橋からの吉野に行くには乗り換えなしの特急利用を前提としたダイヤが組まれている。

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近鉄・吉野特急の花形車両である
26000系【さくらライナー】
※ ウィキペディア画像を拝借

《列車データ》
運行区間:大阪阿部野橋~吉野 64.9km(橿原神宮前・下市口発着の区間列車アリ)
運行開始1965年 3月18日
所要時間大阪阿部野橋~吉野:約1時間15分 (表定速度 51.9km/h)
     大阪阿部野橋~橿原神宮前:約35分 (表定速度 68.1km/h)
     橿原神宮前~吉野:約40分 (表定速度 37.8km/h)
      ※ 吉野線は山岳路線で全線単線の為かなり速度が低い

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12410系のサニーカーに
準拠した16010系
※ ウィキペディア画像を拝借

  吉野特急・沿革
前述の京橿特急と同様の古都観光をコンセプトに設定された系統であり、東海道新幹線の出現によって、都市間連絡から都市対観光地を結ぶ方針に力点を移す過程で設定された系統である。

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吉野特急が運行されるまでは
戦前製の旧型車両を使用した
〔かもしか号〕が運行していた
※『近鉄資料館・鉄路の名優』より

当初は新幹線開業日より運行開始された京橿特急と同時に設定される予定だったが、当時大阪阿部野橋~吉野で運行されていた快速〔かもしか〕(1961年までは不定期特急)のモ5820形では、性能は元より接客設備の面でも有料特急のネットワークに含めるには無理があった事から、翌1965年の16000系の竣工を待った上での運行とした。

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近鉄・吉野特急の歴史は
この16000系の導入から始まった
※ ウィキペディア画像を拝借

こうして、1965年3月18日より1日6往復(うち不定期列車3往復)で運転を開始し、全列車が橿原神宮駅(現・橿原神宮前駅)で京橿特急と連絡する事で特急ネットワーク拡充の一端を担った。

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16000系登場当初は
回転クロスシートだった
※ ウィキペディア画像を拝借

運転開始当初の停車駅は、橿原神宮・下市口・大和上市・吉野神宮の4駅のみであったが、吉野地区への観光客の減少などの代行策として、飛鳥・葛城地区での新たな観光需要の掘り起こしや、通勤需要など日常的利用者の便宜を図って平成に入ってから停車駅が次々と追加され、1999年のダイヤ変更で11駅(2012年のダイヤ変更で一部列車は12駅)となり、特に吉野線内においては半数以上の駅に停車する形態となった。

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【さくらライナー】のデラックス車両
※ ウィキペディア画像を拝借

この為、大阪阿部野橋~吉野の最速列車は、運転開始当初の68分から76分に所要時間が増加している。 この改正を機に、南大阪・吉野線内利用の場合に限り特急料金の距離加算をやめ、一律500円(現在は520円)としている。 改正前は、大阪阿部野橋~吉野の全線を乗車した場合き870円であったが、大幅に値下げされた。

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一般通勤車両をタネ車に
ラウンジカーやサロンカーを
設ける大改造を施した
観光特急【青の交響曲(シンフォニー)
※ ウィキペディア画像を拝借

また、2021年7月より、観光要素をより強くした内装を施した観光特急【青の交響曲(シンフォニー)】の運行を開始した。 運行は毎週水曜の運休日(水曜日が祭日の場合は運転)を除く週6日運転(ただし春休み・夏休み・ゴールデンウィーク・年末年始時は毎日運転)で、大阪阿部野橋~吉野を2往復している。

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ロングシートの一般通勤車両を
よくここまで改造したなぁ
※ ウィキペディア画像を拝借

吉野桜開花期間中(例年4月)は運行体制が変更される。 運行開始当初は、平日は橿原神宮前~吉野のみで臨時運行され、土休日は一部の日のみ早朝時間帯に運行されていた。 2021年は「青の交響曲」は臨時快速急行と同じパターン(古市駅は通過)の臨時ダイヤで1往復運転された。 この為、橿原神宮前で一般特急の待避を行い、大阪阿部野橋~吉野の所要時間は、102~106分と通常の特急よりも26~30分所要時間がかかっている。

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青の交響曲(シンフォニー)ラウンジカー

なお、【青の交響曲(シンフォニー)】の乗車には、特急料金の他に『特別車両料金』が必要である。

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観光特急【青の交響曲(シンフォニー)】の
エンブレム

停車駅:大阪阿部野橋・(古市)・尺土・高田市・橿原神宮前・飛鳥・壺阪山・吉野口・福神・
    下市口・六田・大和上市・吉野神宮・吉野
  ※ 古市は朝のラッシュ時の上り(阿倍野行き)と、夜間の下り(吉野方面行き)の列車が
    停車する
  ※ 青の交響曲(シンフォニー)】は古市通過
  ※ 経営合理化の為、飛鳥・福神・大和上市・吉野神宮・吉野の特急停車駅が無人駅となって
    いる

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新塗装が合っているのは
『新エース』系列だけだね
※ ウィキペディア画像を拝借

使用車両:吉野特急の創成期に導入された16000系を始め、前面形状が12410系と同一の
     16010系、22000形の狭軌版である16400系やその改良版の16600形の汎用特急車
     両の他、26000系【さくらライナー】が使用され、26000系列で運用される列車は
     時刻表にイニシャルのSLを図案化したロゴタイプが掲載されている。

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吉野特急最古参の16000系の
一部は大井川鉄道に譲渡されて
余生を送っている
※ ウィキペディア画像を拝借

     吉野特急では汎用特急車両での運用は2両を基本としているが、朝晩を中心に編成両数
     が増加する。 また、4両固定編成の【さくらライナー】は、平日早朝の通勤輸送時
     に橿原神宮前から大阪阿部野橋で2本連結した8両での運用が実施されている。
     また、青の交響曲(シンフォニー)】は、6200系一般車両を改造した16200系が導入
     されている。

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全長60kmに渡る壮大な
大峰・奥駈縦走路

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最後は落差100mの不動七重ノ滝を経て
国道169号線に出て1日2本のバスを
乗り継いで大和上市駅に向かう

乗車経験:大峰山からの往来で、往路は阿倍野橋~下市口、復路は大和上市~阿倍野で乗車経験アリ
撮影経験:たぶんナシ(ほじくり返すとあるかもしれない)


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・・前回の続き
それでも日本が潰れなかったのは
日本経済が真に強かったからである
そしてその日本からタカった金で
肥え太ったシナは世界覇権の野望を抱く

そう・・秘密裏に『貧者の核』と呼ばれる
生物化学兵器の製造や周辺国の抑圧
海域の専横や日本からタカった金を
元手に公害を出しまくる産業革命を興し

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それで得た巨大な富で後発国に借款して
債務地獄に陥れて債務超過を理由とした
実質隷属支配に乗り出したのだ

そして前述した『貧者の核』と呼ばれる
生物化学兵器が武漢から広まった
『武漢コロナウイルス』災禍である
これで世界中で665万の死者を出し
わが国でも4万を超える死者を出す災禍となったのだ

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要するに戦争終了直後に
チョンの背乗り天皇ヒロヒトを
キチンと処刑・処罰していれば
在日チョンも存在しなかったのだ

タカりの口実も消えてタカられる事で
シナが肥え太る事もなく技術後進国のままで
世界覇権の野望を抱く術もなく
高い確率で武漢コロナウイルスの
開発・製造・拡散はなかっただろう

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だが背乗りで日本への『恨』を抱くヒロヒトは
大戦の全ての罪は旧日本軍と日本を貶めて
謝り倒して日本を『謝罪ATM国家』に貶め
日本が国防の権利を放棄する現憲法の
保持を厳命して国を骨抜きにしたのだ

それに自身を庇って刑に服しだ部下を
アレは儂と関わりのないA級戦犯」と
罵った日本人の皮を被った日本人成りすまし
コレを処罰せずにのさばらせた事が
日本が災禍に遭う原因となったのだ

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そうなのである
チョンの背乗り天皇ヒロヒトを
キチンと処刑・処罰していれば
今の世界中の諸問題や災禍の多くが
勃発する事など無かったのだ






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No Subject * by hanagon60
私にとっての近鉄特急は16000系です。
その昔台高奥地でやらかした時に、迎えにきた家族と吉野神宮駅からこれに乗って帰りました。
自分にとっては日常の平凡に戻れた事を象徴する記念碑的な車両なのです。

Re: No Subject * by  風来梨
hanagonさん、こんにちは or こんばんはの微妙な時間です。

お返事遅れましたが、今まで剱沢の平蔵谷まで紅葉狩りをしに行ってまして。
でも、本当の計画では、2年前の『スーパーオチャメ』のリベンジをするつもりで、アイゼン・渡渉靴完備で挑んだ(さすがに、ヤッちゃった内蔵助谷はやめて、過去に2度・仙人池を加えると通算7度通った事のある剱沢にしましたけど)のですが、体力のヘタレ具合が尋常ではなく、剱沢までしか行けなかったのですね。 朝9時前に室堂を出て、剱沢に着いたのが14時過ぎて、このまま進むと剱沢で真っ暗となって、リベンジが返り討ち確定となって自重しました。

翌日は空身で平蔵谷出合まで下って、紅葉狩りとなった次第です。
でも、装備一式(剱沢~平蔵谷出合までは空身)担いで、登り通算1000m、下り800mは身体が死にました。
8時半に平蔵谷を切り上げて、室堂に着いたのは14:40で、6時間以上かかっちゃいました。 それで、昨日はホテルに泊まろうと富山の町を探し回したが入国解禁となった外人観光客共で予約満杯で、結局城端線の二塚で駅寝となりました。←ここだけかつての行動様式が復活した所です。

なので、城端線撮って帰路に着いて、今帰着しました。

私も、大峰奥駈で前鬼からバスを伝って、大和上市から乗ったのが16000系でした。 もう、特急料金をケチるべく急行を待つ気にはなれませんでしたね。 まぁ、大峰奥駈3泊4日70kmを歩いて、金をケチる余裕はなかったです・・ハイ。


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No Subject

私にとっての近鉄特急は16000系です。
その昔台高奥地でやらかした時に、迎えにきた家族と吉野神宮駅からこれに乗って帰りました。
自分にとっては日常の平凡に戻れた事を象徴する記念碑的な車両なのです。
2022-10-15 * hanagon60 [ 編集 ]

Re: No Subject

hanagonさん、こんにちは or こんばんはの微妙な時間です。

お返事遅れましたが、今まで剱沢の平蔵谷まで紅葉狩りをしに行ってまして。
でも、本当の計画では、2年前の『スーパーオチャメ』のリベンジをするつもりで、アイゼン・渡渉靴完備で挑んだ(さすがに、ヤッちゃった内蔵助谷はやめて、過去に2度・仙人池を加えると通算7度通った事のある剱沢にしましたけど)のですが、体力のヘタレ具合が尋常ではなく、剱沢までしか行けなかったのですね。 朝9時前に室堂を出て、剱沢に着いたのが14時過ぎて、このまま進むと剱沢で真っ暗となって、リベンジが返り討ち確定となって自重しました。

翌日は空身で平蔵谷出合まで下って、紅葉狩りとなった次第です。
でも、装備一式(剱沢~平蔵谷出合までは空身)担いで、登り通算1000m、下り800mは身体が死にました。
8時半に平蔵谷を切り上げて、室堂に着いたのは14:40で、6時間以上かかっちゃいました。 それで、昨日はホテルに泊まろうと富山の町を探し回したが入国解禁となった外人観光客共で予約満杯で、結局城端線の二塚で駅寝となりました。←ここだけかつての行動様式が復活した所です。

なので、城端線撮って帰路に着いて、今帰着しました。

私も、大峰奥駈で前鬼からバスを伝って、大和上市から乗ったのが16000系でした。 もう、特急料金をケチるべく急行を待つ気にはなれませんでしたね。 まぁ、大峰奥駈3泊4日70kmを歩いて、金をケチる余裕はなかったです・・ハイ。

2022-10-16 *  風来梨 [ 編集 ]