2022-09-20 (Tue)✎
『ネームトレイン』 第24回 深浦
かつては青森の三八上北
(八戸・三沢・野辺地)より
津軽を結ぶ優等列車があったのだ
※『国鉄・急行列車《東日本編》』廣田尚敬 著より
急行【深浦】 ・・ JR東日本が青森・弘前~深浦を奥羽本線・五能線を経由して運転していた快速列車である。 なお、【深浦】の列車名は、JR移管前の国鉄時代に八戸線の鮫(一時期は陸中八木まで運行していた)から五能線の鯵ヶ沢まで運行していた準急〔岩木〕が急行に格上げされた時につけられたもので、列車名の改称と共に深浦まで運行区間が延長している。 青森から五能線の分岐駅・川部まで急行【むつ】に併結される運用だった。 また、川部から先の五能線区間は快速に格下げとなっていた。
下りの青森~川部は
急行【むつ】に併結されていた
※『ホビコム・列車図鑑』より
急行【深浦】は運行区間により、最短1輌(単行運転)から最長4輌編成(全車普通車自由席)で運行していた。 上り列車は深浦~鯵ヶ沢は単行運転・鯵ヶ沢で3両増結して川部は4輌で、川部~陸中八木は1両を切り離して3輌で運行していた。 なお、深浦駅発で川部で切り離した1輌は黒石行(川部~黒石は普通列車)であった。 下り列車は、陸中八木~青森は3輌、青森~川部は1両増結の上で急行【むつ4号】秋田行に併結されて7輌となり、川部~鯵ヶ沢は4輌、鯵ヶ沢~深浦は単行で運行した。
ほとんど通過駅のない列車で
その存在自体も地域の観光地
深浦海岸同様にマイナーで
知らない人の方が多かったかも
※ ウィキペディア画像を拝借
1982年11月15日のダイヤ改正にて、八戸線・鮫~青森の区間が短縮の上で急行【むつ】との併結を解消し、青森~深浦を運行する快速列車に格下げとなる。 快速列車に格下げの後は五能線区間が順次普通列車化されるなど、ほとんど通過駅のない快速列車となっていた。
やはりこの地域の有名処は
十二湖随一の透き通った
蒼を魅せる青池だろうね
五能線内は各駅停車となるなど、快速列車としてほとんど通過駅がない事(通過駅は奥羽本線の大釈迦と鶴ケ坂の2駅のみ)から、2014年3月15日に〔深浦〕列車名が廃止となり普通列車となる。
廃止(列車名消滅)時点では1往復で、下りは弘前行きと青森行きに川部駅で分割されていた。
上りは青森発のみだった。 また、特に弘前行は、末期には一切通過駅のない快速列車となっていた。
国定公園にも指定された
深浦海岸をゆく快速〔深浦〕
※ ウィキペディア画像を拝借
《列車データ》
運行区間:急行運転時・鮫(陸中八木)~深浦 219.2km(陸中八木まででは250.5km・鮫~
陸中八木は普通列車)
快速格下げ以降・青森・深浦 111.4km・下り弘前行 86.6km(下り深浦発のみ青森行
と弘前行の分割運行を行っていた)
快速格下げ後は五能線内は順次普通列車化されて、廃止直前は五能線内全て普通列車と
なっていた
デビュー当初は【深浦】ではなく
津軽のシンボル的な山・岩木山から
取られた準急〔岩木〕であった
:
白神山地より望む岩木山
運行期間:1965年10月 1日:鰺ヶ沢~青森・鮫を結ぶ準急〔岩木〕の名称が与えられる
なお、準急〔岩木〕は、元は秋田~青森を奥羽本線経由で運転する
準急列車で、この列車は急行に格上げされて急行【むつ】となった
始発着駅を深浦まで延ばした事で
【深浦】の列車名がつけられた
1968年 3月 25日:準急行列車制度廃止に伴い、〔岩木〕が急行列車に昇格となる
また、上り列車の始発駅を鰺ヶ沢から深浦に変更となる
10月 1日:急行【岩木】が急行【深浦】に、列車名が改称となる
1971年10月 1日:この日から観光シーズンに限り、陸奥岩崎駅までの延長運転を実施
1972年 3月15日:急行【深浦】の運転区間を陸中八木まで延長
同時に八戸 (旧・尻内・同年4月1日に八戸に駅名改称)~陸中八木
の八戸線区間が普通列車化される
1974年 7月 :急行【深浦】が陸奥岩崎まで臨時延長運転(深浦~ 陸奥岩崎は普通
列車)され、以後は毎年延長運転が実施される
格落ちの手始めは
深浦~鯵ヶ沢の普通列車化であった
※ ウィキペディア画像を拝借
1975年 3月10日:急行【深浦】の深浦~鯵ヶ沢が普通列車に格下げとなる
1978年 7月 :急行【深浦】の陸奥岩崎までの臨時延長運転が廃止される
(78年7月までは延長区間を快速列車で運転)
10月 2日:急行【深浦】の鰺ヶ沢~川部が普通列車に格下げとなる(下り列車
は五所川原~川部は快速列車)
1982年11月15日:急行【深浦】が快速列車へ格下げとなり、運転区間も深浦~青森に
短縮される
1986年11月 1日:五所川原・弘前~青森を運転の快速列車の名称に〔岩〕〕の名が
採用される
1989年 8月 1日:快速〔深浦〕の青森行に弘前行の編成が併結となる
1993年12月 1日:快速〔岩木〕の名称を〔いわき〕に改め、電車化される
運転区間も秋田・大館・弘前~青森に変更となって五能線乗り入れ
が廃止となる
2002年12月 1日:快速〔いわき〕の愛称が消滅し、無名の快速列車(青森~弘前・
大館)となる
また、同時に快速〔深浦〕下り列車の五所川原~川部が普通列車化
されて、五能線内全てで各駅停車となる
2010年12月 4日:東北新幹線・八戸~新青森の開業(全線開通)に伴い、新青森に
新規停車し、通過駅は大釈迦と鶴ケ坂のみとなる
2014年 3月15日:快速〔深浦〕の運行廃止
現在は観光用車両を導入した
快速〔リゾートしらかみ〕が運行されている
:
《青池》編成らしいが
この車両から青池のイメージは
全く湧いてこないよ
2018年 3月17日:輸送体系変更に伴い、弘前~東能代の上りのみに無愛称の快速列車
が新設される
その停車駅は、弘前~鯵ヶ沢は各駅停車・北金ヶ沢・千畳敷・深浦・
ウェスパ椿山・十二湖・岩館・あきた白神・能代・東能代と最も
まともな快速列車だった
急行【深浦】の停車駅:深浦・追良瀬・北金ヶ沢・鯵ヶ沢・木造・五所川原・陸奥鶴田・板柳・
川部・浪岡・青森・浅虫(現・浅虫温泉)・小湊・野辺地・三沢・
尻内(現・八戸)・八戸(現・本八戸)・小中野・鮫
※ 陸中八木までの延長運転時は、八戸(元 尻内)~陸中八木は普通列車に格下げされていた
※ 1975年 3月10日のダイヤ改正より、深浦~鯵ヶ沢が普通列車に格下げとなる
※ 1978年10月2日のダイヤ改正より、鰺ヶ沢~川部が普通列車に格下げとなる(下り列車
は五所川原~川部は快速列車)
快速となってからの通過駅は
奥羽本線内の2駅のみだった
※ ウィキペディア画像を拝借
快速〔深浦〕の停車駅:深浦~川部の五能線内は各駅に停車、川部・北常盤・浪岡・津軽新城・
新青森・青森
※ 下り青森行に併結された弘前行は全区間で各駅に停車していた
急行から格下げ後は
キハ22やキハ40の
一般型気動車で運行された
使用車両:急行時代はキハ58の急行用気動車で運用され、深浦~鯵ヶ沢を単行運転する深浦発着
車両は使用時期により、キハ11形100番台気動車やキハ20形・キハ22形気動車、運行
末期にはキハ40形500番台気動車も運用されていた。
2両編成なら
快速〔深浦〕の可能性アリ
快速格下げ後はキハ22やキハ40の一般型気動車で運用され、下り列車は4両編成と
なっており、深浦発の2両は弘前行の編成で、鰺ヶ沢で進行方向前側に2両を増結して
いた。 この増結2両が青森行の編成であった。 上り列車は弘前発は設定されなかった
為、青森発の2両編成のみだった。
鉄道から心が離れた頃は
列車は深浦海岸めぐりや
世界遺産の峰・白神山地に
訪れるべくこの地に通ったよ
だから五能線の列車は
駅寝駅に向かう為だけに乗っていたよ
乗車経験:記憶にはないが、五能線に何度も乗っているのでもしかしたら普通列車化した〔深浦〕
には乗った事あるかも。
深浦駅で発車を待つ快速〔深浦〕
※ 確信はないがたぶん快速〔深浦〕
撮影経験:同じく特定して撮った記憶はないが、五能線は何度も撮影経験があり、もしかしたら
普通列車化した〔深浦〕を撮った事あるかも。
前回のバナー下で「数日ネット環境や
デジタルから離れてみてはどうだろう?」
と述べたがワテの銀塩カメラを
ぶら下げての山行は真に
コレに当てはまったりするのですね
なぜならヤマでは山荘周辺以外
スマホさえ通じないのである
だからあらゆる状況で自身の判断やネットに
頼らぬ情報収集力が必要となるのである
また山行似出る前も天気などの急変を想定して
それ相応の下準備をせねばならないし
自分の体力など今置かれた状況で山行を
完遂させるマネジメント力も必要となる
そしコケたりしてケガしても全て自己責任で
コケてケガした身体で山行を完遂させねば
行き倒れとなって帰れないのである
周囲に人がいて救助してもらう事が
なければ死ぬしかないのだ
だからもし事故っても・・というか
2度ほど『オチャメ』をカマしているが
陥った場の状況に応じて冷静な状況分析と
帰還方法の考案や食料や現在持つ装備を的確に
把握して使うマネジメント力が必要となるのだ
もちろん誰にも頼れないし
己の対処力が全てとなる
諦めたり投げ出せば
「偶然発見されて救助」の幸運はあるが
なければ遭難死という結末となる
また救助されるにしても自力で他の登山者に
救助を要請せねばならないのであるし
こういう状況で何より大切なのは
「生きて帰る」という強い意志を持つ事なのだ
だが経験値は上がって他のどのような
困難でも対処できる自信ができる
非日常の体験が生きていく上で大変デカいのだ
もっとも事故らないのが一番なんだけど
まぁヤマでの遭難は極端な例だが
非日常の体験は例え取るに足らない
小さなモノでも歳食ってから会社勤めなど
芳しくない状況を乗り越える武器となる
それにこういう事を問わずとも
趣味で目一杯楽しんで心を穏やかに
する事は生きていく上で
そして日常で遭遇する困難を
乗り越える力となるのだ
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