風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第24回  深浦

『ネームトレイン』 第24回  深浦

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かつては青森の三八上北
(八戸・三沢・野辺地)より
津軽を結ぶ優等列車があったのだ
※『国鉄・急行列車《東日本編》』廣田尚敬 著より

  急行【深浦】 ・・  JR東日本が青森・弘前~深浦を奥羽本線・五能線を経由して運転していた快速列車である。 なお、【深浦】の列車名は、JR移管前の国鉄時代に八戸線の鮫(一時期は陸中八木まで運行していた)から五能線の鯵ヶ沢まで運行していた準急〔岩木〕が急行に格上げされた時につけられたもので、列車名の改称と共に深浦まで運行区間が延長している。 青森から五能線の分岐駅・川部まで急行【むつ】に併結される運用だった。 また、川部から先の五能線区間は快速に格下げとなっていた。

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下りの青森~川部は
急行【むつ】に併結されていた
※『ホビコム・列車図鑑』より

急行【深浦】は運行区間により、最短1輌(単行運転)から最長4輌編成(全車普通車自由席)で運行していた。 上り列車は深浦~鯵ヶ沢は単行運転・鯵ヶ沢で3両増結して川部は4輌で、川部~陸中八木は1両を切り離して3輌で運行していた。 なお、深浦駅発で川部で切り離した1輌は黒石行(川部~黒石は普通列車)であった。 下り列車は、陸中八木~青森は3輌、青森~川部は1両増結の上で急行【むつ4号】秋田行に併結されて7輌となり、川部~鯵ヶ沢は4輌、鯵ヶ沢~深浦は単行で運行した。

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ほとんど通過駅のない列車で
その存在自体も地域の観光地
深浦海岸同様にマイナーで
知らない人の方が多かったかも
※ ウィキペディア画像を拝借

1982年11月15日のダイヤ改正にて、八戸線・鮫~青森の区間が短縮の上で急行【むつ】との併結を解消し、青森~深浦を運行する快速列車に格下げとなる。 快速列車に格下げの後は五能線区間が順次普通列車化されるなど、ほとんど通過駅のない快速列車となっていた。

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やはりこの地域の有名処は
十二湖随一の透き通った
蒼を魅せる青池だろうね

五能線内は各駅停車となるなど、快速列車としてほとんど通過駅がない事(通過駅は奥羽本線の大釈迦と鶴ケ坂の2駅のみ)から、2014年3月15日に〔深浦〕列車名が廃止となり普通列車となる。
廃止(列車名消滅)時点では1往復で、下りは弘前行きと青森行きに川部駅で分割されていた。 
上りは青森発のみだった。 また、特に弘前行は、末期には一切通過駅のない快速列車となっていた。

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国定公園にも指定された
深浦海岸をゆく快速〔深浦〕
※ ウィキペディア画像を拝借

《列車データ》
運行区間:急行運転時・鮫(陸中八木)~深浦 219.2km(陸中八木まででは250.5km・鮫~
     陸中八木は普通列車)
     快速格下げ以降・青森・深浦 111.4km・下り弘前行 86.6km(下り深浦発のみ青森行
     と弘前行の分割運行を行っていた)
     快速格下げ後は五能線内は順次普通列車化されて、廃止直前は五能線内全て普通列車と
     なっていた

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デビュー当初は【深浦】ではなく
津軽のシンボル的な山・岩木山から
取られた準急〔岩木〕であった
白神山地より望む岩木山

運行期間:1965年10月  1日:鰺ヶ沢~青森・鮫を結ぶ準急〔岩木〕の名称が与えられる
                なお、準急〔岩木〕は、元は秋田~青森を奥羽本線経由で運転する
              準急列車で、この列車は急行に格上げされて急行【むつ】となった

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始発着駅を深浦まで延ばした事で
【深浦】の列車名がつけられた

     1968年 3月 25日:準急行列車制度廃止に伴い、〔岩木〕が急行列車に昇格となる
                また、上り列車の始発駅を鰺ヶ沢から深浦に変更となる
           10月  1日:急行【岩木】が急行【深浦】に、列車名が改称となる
     1971年10月  1日:この日から観光シーズンに限り、陸奥岩崎駅までの延長運転を実施
     1972年  3月15日:急行【深浦】の運転区間を陸中八木まで延長
                同時に八戸 (旧・尻内・同年4月1日に八戸に駅名改称)~陸中八木
              の八戸線区間が普通列車化される
     1974年  7月    :急行【深浦】が陸奥岩崎まで臨時延長運転(深浦~ 陸奥岩崎は普通
               列車)され、以後は毎年延長運転が実施される

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格落ちの手始めは
深浦~鯵ヶ沢の普通列車化であった
※ ウィキペディア画像を拝借

     1975年 3月10日:急行【深浦】の深浦~鯵ヶ沢が普通列車に格下げとなる
     1978年  7月      :急行【深浦】の陸奥岩崎までの臨時延長運転が廃止される
              (78年7月までは延長区間を快速列車で運転)
         10月  2日:急行【深浦】の鰺ヶ沢~川部が普通列車に格下げとなる(下り列車
              は五所川原~川部は快速列車)
     1982年11月15日:急行【深浦】が快速列車へ格下げとなり、運転区間も深浦~青森に
              短縮される
     1986年11月  1日:五所川原・弘前~青森を運転の快速列車の名称に〔岩〕〕の名が
               採用される
     1989年  8月  1日:快速〔深浦〕の青森行に弘前行の編成が併結となる
     1993年12月  1日:快速〔岩木〕の名称を〔いわき〕に改め、電車化される
              運転区間も秋田・大館・弘前~青森に変更となって五能線乗り入れ
              が廃止となる
     2002年12月  1日:快速〔いわき〕の愛称が消滅し、無名の快速列車(青森~弘前・
              大館)となる
              また、同時に快速〔深浦〕下り列車の五所川原~川部が普通列車化
              されて、五能線内全てで各駅停車となる
     2010年12月  4日:東北新幹線・八戸~新青森の開業(全線開通)に伴い、新青森に
              新規停車し、通過駅は大釈迦と鶴ケ坂のみとなる
     2014年  3月15日:快速〔深浦〕の運行廃止

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現在は観光用車両を導入した
快速〔リゾートしらかみ〕が運行されている
《青池》編成らしいが
この車両から青池のイメージは
全く湧いてこないよ

     2018年  3月17日:輸送体系変更に伴い、弘前~東能代の上りのみに無愛称の快速列車
              が新設される
                その停車駅は、弘前~鯵ヶ沢は各駅停車・北金ヶ沢・千畳敷・深浦・
              ウェスパ椿山・十二湖・岩館・あきた白神・能代・東能代と最も
              まともな快速列車だった    
急行【深浦】の停車駅深浦・追良瀬・北金ヶ沢・鯵ヶ沢・木造・五所川原・陸奥鶴田・板柳・
           川部・浪岡・青森・浅虫(現・浅虫温泉)・小湊・野辺地・三沢・
           尻内(現・八戸)・八戸(現・本八戸)・小中野・鮫
   ※ 陸中八木までの延長運転時は、八戸(元 尻内)~陸中八木は普通列車に格下げされていた
   ※ 1975年 3月10日のダイヤ改正より、深浦~鯵ヶ沢が普通列車に格下げとなる
   ※ 1978年10月2日のダイヤ改正より、鰺ヶ沢~川部が普通列車に格下げとなる(下り列車
     は五所川原~川部は快速列車)

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快速となってからの通過駅は
奥羽本線内の2駅のみだった
※ ウィキペディア画像を拝借

快速〔深浦〕の停車駅深浦~川部の五能線内は各駅に停車、川部・北常盤・浪岡・津軽新城・
           新青森・青森
   ※ 下り青森行に併結された弘前行は全区間で各駅に停車していた

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急行から格下げ後は
キハ22やキハ40の
一般型気動車で運行された

使用車両:急行時代はキハ58の急行用気動車で運用され、深浦~鯵ヶ沢を単行運転する深浦発着
     車両は使用時期により、キハ11形100番台気動車やキハ20形・キハ22形気動車、運行
     末期にはキハ40形500番台気動車も運用されていた。

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2両編成なら
快速〔深浦〕の可能性アリ

     快速格下げ後はキハ22やキハ40の一般型気動車で運用され、下り列車は4両編成と
     なっており、深浦発の2両は弘前行の編成で、鰺ヶ沢で進行方向前側に2両を増結して
     いた。 この増結2両が青森行の編成であった。 上り列車は弘前発は設定されなかった
     為、青森発の2両編成のみだった。

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鉄道から心が離れた頃は
列車は深浦海岸めぐりや

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世界遺産の峰・白神山地に
訪れるべくこの地に通ったよ

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だから五能線の列車は
駅寝駅に向かう為だけに乗っていたよ

乗車経験:記憶にはないが、五能線に何度も乗っているのでもしかしたら普通列車化した〔深浦〕
     には乗った事あるかも。

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深浦駅で発車を待つ快速〔深浦〕
※ 確信はないがたぶん快速〔深浦〕

撮影経験:同じく特定して撮った記憶はないが、五能線は何度も撮影経験があり、もしかしたら
     普通列車化した〔深浦〕を撮った事あるかも。


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前回のバナー下で「数日ネット環境や
デジタルから離れてみてはどうだろう?」
と述べたがワテの銀塩カメラを
ぶら下げての山行は真に
コレに当てはまったりするのですね

なぜならヤマでは山荘周辺以外
スマホさえ通じないのである
だからあらゆる状況で自身の判断やネットに
頼らぬ情報収集力が必要となるのである

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また山行似出る前も天気などの急変を想定して
それ相応の下準備をせねばならないし
自分の体力など今置かれた状況で山行を
完遂させるマネジメント力も必要となる

そしコケたりしてケガしても全て自己責任で
コケてケガした身体で山行を完遂させねば
行き倒れとなって帰れないのである
周囲に人がいて救助してもらう事が
なければ死ぬしかないのだ

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だからもし事故っても・・というか
2度ほど『オチャメ』をカマしているが
陥った場の状況に応じて冷静な状況分析と
帰還方法の考案や食料や現在持つ装備を的確に
把握して使うマネジメント力が必要となるのだ

もちろん誰にも頼れないし
己の対処力が全てとなる
諦めたり投げ出せば
「偶然発見されて救助」の幸運はあるが
なければ遭難死という結末となる

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また救助されるにしても自力で他の登山者に
救助を要請せねばならないのであるし
こういう状況で何より大切なのは
「生きて帰る」という強い意志を持つ事なのだ

だが経験値は上がって他のどのような
困難でも対処できる自信ができる
非日常の体験が生きていく上で大変デカいのだ
もっとも事故らないのが一番なんだけど

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まぁヤマでの遭難は極端な例だが
非日常の体験は例え取るに足らない
小さなモノでも歳食ってから会社勤めなど
芳しくない状況を乗り越える武器となる

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それにこういう事を問わずとも
趣味で目一杯楽しんで心を穏やかに
する事は生きていく上で
そして日常で遭遇する困難を
乗り越える力となるのだ



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