2022-09-17 (Sat)✎
『路線の思い出』 第501回 士幌線・十勝三股駅跡 〔北海道〕
夏だけれどこの駅跡での写真は
冬に撮ったのしか
持ってませんので悪しからず
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
帯広~十勝三股 78.3km 359 / 1743
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’87/ 3/23 十勝バス 帯広~十勝三股 4往復《糠平~十勝三股 バス代行運転》
帯広~糠平 1往復
帯広~上士幌 下り1本
萩ヶ岡や清水谷と同じ
造りの駅舎だった十勝三股駅
※ ウィキペディア画像を拝借
十勝三股駅(とかちみつまたえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町字三股にあった国鉄・士幌線の駅である。 北海道内の停車場としては当時最高地点(海抜約661m)に位置し、同線の終着駅であった。
駅舎は西側にあって横に貨物ホームを持ち、島状の単式ホーム1面1線と駅舎とホーム間に貨物線を有した他、駅裏側に2本の副本線とそこから南側の転車台を持つ車庫へ分岐する入出区線があった。
鉄道が通いし頃の十勝三股駅構内
※ ウィキペディア画像を拝借
また、留辺志部(現在の上川駅)方面へ伸ばす予定だった路盤が数百メートル北へ伸びていたが、林業が盛んだった頃は営林署がその周囲にストックヤード(土場)を設け、路盤に軌道を敷設して本線と接続していた。 更にこのストックヤードを挟む形で森林鉄道の軌道が引かれており、ヤードの北で一旦合流した後に1本は音更川上流の御殿大橋付近へ、もう1本は中の川上流へ向かっていた。
林業が廃れて糠平~十勝三股が
ゴーストタウン化した為に
1978年12月からの同区間は
『鉄道代行バス』の運行となった
※『道内時刻表・1983年2月号』より
駅周辺の人口流出が進んでほぼゴーストタウン化した事から、1978年12月25日のダイヤ改正によって糠平~十勝三股の列車の運転を休止し、上士幌タクシーが受託するマイクロバスによる代行輸送となった。
白ナンバーで運行していた
糠平~十勝三股の士幌線代行バス
これは路線廃止ではなく、あくまでも『代行』という扱いであり、1987年3月23日の士幌線全線廃止までは、同区間は名目上では鉄道路線として、また当駅も駅として存続していた。 その為、隣の幌加とともに国鉄の時刻表にも引き続き掲載されていたが、廃止されるまでの間、両駅とも再び列車が発着する事はなく、事実上は廃駅となっていた。
幌加は駅舎が待合室として使用されて
駅前までバスが入っていったが
十勝三股は国道に沿って
バス待合所が建てられて
バスは駅跡前には入らなかった
駅舎及び構内の線路は1998年末まで撤去されずに残されていたが、現在は駅施設は撤去されて、貨物(木材)輸送時代を偲ばせる広い構内跡が原野に回帰しつつ残っている。 周辺には『十勝三股』バス停留所があり、内部に現役時代の駅舎で使われていた拾得物用の黒板が展示されており、またディスカバー・ジャパンの駅スタンプ台が書籍置き場として利用されている。 他には森林鉄道車庫(一部倒壊)・保育所跡・旧郵便局(現、個人宅)・上士幌町立三股小中学校跡地等、往時を偲ばせる遺構が散見される。
現在は駅跡にログハウスの
喫茶店が建つなどタウシュベツ橋梁と共に
東大雪地域の観光地化を推進している
また、バス停の国道を挟んだ正面の位置に、十勝三股の住民が経営するログハウス造りの喫茶店『三股山荘』がある。 店内には十勝三股駅を再現した模型や士幌線営業当時の資料が展示されており、出入口の脇にはレプリカの駅名標とレールが置いてある。 バス代行輸送を担った上士幌タクシーと深い関わりがあり、当時の様々な情報を得る事ができる。
廃止後は糠平地区以外は無人地帯化するなど、沿線の極端な過疎化によって上士幌タクシーの代替バスは年々減便を繰り返し、最終的には1往復となって2003年9月いっぱいで廃止され、同年10月より帯広~糠平~旭川を運行する都市間バスの〔ノースライナーみくに号〕が十勝三股停留所を新設し、幌加温泉入口・糠平方面との乗降を可能として代替している。
白黒反転のサルベージで
何とか掲載レベルに持っていった
残存時の十勝三股駅舎
:
サルベージできたのはコレ1枚
十勝三股の駅跡は、士幌線の現役時代で代行バスとなった頃に訪れているが、夏はフイルム間違いで撮った駅舎の写真のほぼ全てが全滅し、1枚だけ白黒反転化で何とかタングステンの痣(青みがかかった部分)を誤魔化して、掲載可能レベルにするサルベージができたのみだ。 なので、十勝三股の駅舎や駅名標をまともに撮ったのは、冬に訪れた時の数枚だけである。
雪に埋もれたホームに立つ
十勝三股の駅名標
代行バスの運行当時も
使用されない駅舎は
板で完全に封じられていた
もちろんの事であるが、代行バスとなった1978年12月以前はアラフィフとなったこのタワケ(歳はアラフィフを周ったが精神年齢は当時より稚拙になってるよ)も小学生低学年で、さすがに士幌線の現役時代を訪ねるのはムリだったしィ。
北の槍・ニペソツ山
石狩連峰・ブヨ沼ノ頭にて
:
廃止ローカル線の次に熱中したのが
原始の自然を魅せる北海道の山々だった
ニペソツ山の登山口は
十勝三股から林道を9km入った先にあった
しかし、十勝三股自体は、自らが【名峰百選】に選びし名峰・ニペソツ山の《十六ノ沢登山口》へ向かう林道の入口があって、寧ろ路線廃止前よりも多く立ち寄っていたのである。
『白鳥雲』
石狩連峰・ブヨ沼ノ頭にて
:
ルピナスの花に囲まれた
十勝三股駅舎は撮れなかったけれど
お熱となったヤマで白鳥が大空を舞う
奇跡の絶景を魅る事は叶ったよ
だが、士幌線が路線廃止となった後はヤマにお熱となって、鉄道は『オタで忌わしい自身の黒歴史』との負のイメージ(この頃の鉄道趣味はオタクの典型とみられていた)を溜め込んで、残存していた十勝三股の駅舎とルピナスの絶景を、下らない意地を張って撮らず終いとなる勿体ない事をしてしまったよ。
駅跡は原野となり
色とりどりのルピナスが
咲き乱れる楽園となっていた
でも、2度目のニペソツ山を訪れた2000年を周った頃には『黒歴史』の呪縛も薄れて、駅跡めぐりもヤマと並行して細々とするようになっていたよ。 『オタク』と見なされるのを嫌って下らない体裁を繕っていた頃は、『黒歴史』という黒い眼鏡をかけてルピナスの絶景が目に入らなかったけど、黒い色眼鏡を外せばルピナスの絶景が目に入ってくるのだ。
駅舎は取り壊されたが
森林軌道の機関庫跡は
一部倒壊しながらも残存していた
ルピナスの花に囲まれたその遺構は
既に取り壊された十勝三股の駅舎を
髣髴させる雰囲気を醸し出していた
そうなると返す返すも、駅舎の残存していた数年前に色眼鏡をかけていた愚かな自分が悔やまれるのである。
そのキッカケになったのが
日高から大雪に移動中に撮った
石北本線・奥白滝駅跡でのこの1枚
まぁ、そのキッカケは、日高と大雪をハシゴしていた時に移動に要する日を安息日としていたがヒマを持て余して、そのヒマつぶしに『かつて取った杵柄』で鉄道の秘境駅めぐりを思いつき、取り敢えず立ち寄った奥白滝駅跡でルピナスと木造駅舎と列車の絶景をゲットした事である。
ルピナスの花咲く原野と
森林軌道跡の砂利道
※ ウィキペディア画像を拝借
しょうもない体裁を繕って
駅舎を撮らなかった事を悔やみつつ
ルピナスの原野と東大雪の山々を撮る
それで、次の山行のニペソツ山に登る前に立ち寄った十勝三股で、広大な駅跡原野はルピナスの咲き誇る原野として観光地化され始めていたよ。 クドいけど、このルピナスの原野を目にする程に、なぜに駅舎のあった1998年までにこの情景に気がつかなかったのだろう・・と悔やむ気持ちが増大したよ。
倒壊の危機に直面し
補修を加えて保存するべきか?
成すがままにまかせるか?
の両論が巻き起こるタウシュベツ橋梁
そして、年月が流れて『奇跡の体力』を失ってすっかり身体がヘタったアラフォー後半には、この地域を注目させる観光資源が大々的に宣伝されたのである。 この観光資源はもうお分かりだろう。
それは、冬から春にかけてのみ姿を魅せる幻の橋・『タウシュベツ橋梁』である。
最初にタウシュベツを訪れた時は
ほぼ湖中に水没していた
:
これを目にして
リベンジ心に火が点いたよ
この橋を最初に訪ねたのは、夏のダム湖水没時であった。 水没しているこの幻の橋を目にすると、ムラムラとリベンジの心が湧いてきたよ。 なお、この時に、原野と化した十勝三股の駅構内跡を散策している。
冬のタウシュベツは
湖を護る龍の化身そのものだった
そのタウシュベツ橋梁の追っかけの最初は、『橋間のアーチより御来光』と元旦の夜明け前にタウシュベツまで歩いていったのである。
この奇跡の情景を目にした時
無茶・無謀な行いが
「自慢の一つ」となったよ
『カムイミンタラ』(神遊びの庭)たる山々と
湖の守護神となったタウシュベツ橋梁
このタワケは山で鍛えたせいか変な所でぶっ飛んだ度胸があり、普通ならヒグマとの遭遇もあり得る北海道の真冬の夜明け前・・、氷点下20度超の夜明け前にタウシュベツ橋梁まで歩いていこうなんて思いすらしないのであるが、このタワケは思いつくままに行動するのである。
雪面に影を映す神秘的な情景
オーラを放つ遺構より
カムイミンタラの山々を覗く
だが、真冬に2度チャレンジして、元旦はまだ橋は凍った湖にほぼ全て埋まった状態な事を知って、今度は姿を完全に現わす春を目指す事になる。 目論見はバッチリで、オーラを放った幻の橋をゲットできたよ。
この時は雪が残る爽快な
国道の直線に目を奪われたよ
この時もセットで十勝三股を訪れているが、まだ雪が残るルピナスの花以前の時期だし、駅跡原野のバス停前の位置にはロッジ風の喫茶店『三股山荘』が建っているなど、観光地化を推し進めていたよ。
なので、観光客の立ち寄る喫茶店周辺を外すべく駅跡原野を散策して、かつての軌道跡を小川が侵食して流れを作り湿地化するなど、駅跡が自然に回帰している姿をめぐったよ。 それでは、その自然回帰の力をひとつまみ。
原野となった軌道跡は
クッキリとその痕跡を残して
小川が侵食して湿地化した線路跡と
森の奥へ続く森林軌道跡
駅跡原野に
建立されていた鎮魂碑
後は、タウシュベツ橋梁が湖面に映る『眼鏡橋アート』となる6月中旬~7月初旬のみだ。
この頃はルピナスの花も満開となり、かつてしょうもない体裁を取り繕って撮るのを拒んでいた満開のルピナスの駅跡を・・、「駅舎はもうないけれど・・、いつかはリベンジしたい」と願うのである。
デジタルやネットへの過ぎたる依存で
蝕まれつつある現代社会の人間の脳
その影響はキレやすい自己中を生み出したり
社会適応に失敗した自分を顧みず
世間や会社の同僚を逆恨みして
「日本の国や世の中は潰れてしまえ」
などと破滅願望を抱いたり
すぐに「死にたい」と
現実からの逃避願望を奏でるくせに
「ならとっとと死ねよ」というと
会社に飼われた従順な企業の犬に
こんな気持ちは理解できまいと詰る
やる事なす事破滅に向かって一直線で
己の不作為で破滅状況に近づけば
この国は落ちていく一方だと悲観して
世間全体が自身と同じく落ちていく事を望む
でもこういう奴って誰かの助けや支援を
乞わねば成り立たない奴なんだよね
でも支援を受けながら世の中を
「自分をこんなに追い詰めた」と逆恨みする
もう逆恨みの連鎖となってるね
このような負の連鎖にハマって
頭を蝕まれない為にも
原点に帰ってみてはどうだろう?
キレやすく自己中となるなら
社会に適応できず世間を逆恨みするなら
悲観して「死にたい」と現実逃避するなら
一度デジタルから離れてみてはどうだろう?
それは極々簡単な事だ
数日ネット環境やデジタルから離れ
自身の頭を活用するだけでいい
全てにおいてのネット検索をやめて
辞書を引くなり調べるなりして
脳を働かせて想像力や分析力を取り戻す
文を書くのも紙に自筆で書いて
頭を活性化させるのである
ネット情報は所詮他人の提供した情報で
もたらす結果も他人の情報任せとなり
そのうち悪意ある情報に騙されて自滅する
売りたいが為に甘い戯言を羅列する
アフィリエイトはその『悪意』の典型例だ
だから自分で調べて現実を把握して
「コレを成し遂げるには何が必要か?」
と頭を働かせて分析力や判断力を鍛える
そうすればアフィリエイトなどの
売りたいが為のウソは簡単に見抜けるようになる
アフィリエイトなどネット上での
金が絡んだ甘い戯言をウソと見抜くと
「ならどうすればいい?」という帰結となり
それに則して知恵を絞る必要が出る
即ち頭を働かせる好循環となる
『悪意ある情報』を見破る事と
その対処法を考える事で頭が活性化して
イザという時の適応能力や対処能力・
危険予知・回避能力も鍛えられるのである
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんにちは。
私もファースト北海道の時に、痛恨のフィルム間違いで数枚サルベージができただけで、ほぼ全滅とあいなりました。 それは、ISO感度につられて室内用タングステンフィルムを使ってしまって、青みが掛かって全ボツとなったのですね。 それからはリベンジの鬼となり、普通の旅の形から外れて、真冬の駅寝にまで至りましたよ。 でも、このフィルム間違いの大失敗で、リベンジ旅でお宝写真を数多く撮れたので、「失敗は成功の源となりましたね。
私もファースト北海道の時に、痛恨のフィルム間違いで数枚サルベージができただけで、ほぼ全滅とあいなりました。 それは、ISO感度につられて室内用タングステンフィルムを使ってしまって、青みが掛かって全ボツとなったのですね。 それからはリベンジの鬼となり、普通の旅の形から外れて、真冬の駅寝にまで至りましたよ。 でも、このフィルム間違いの大失敗で、リベンジ旅でお宝写真を数多く撮れたので、「失敗は成功の源となりましたね。
その時は糠平で引き返しているのですが、今考えると代行バスにも乗っておくべきだったよなぁと後悔してます。
もっと後悔なのは写真撮っていないって事なんですけど(泣)