風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道  第88回  鹿児島交通・知覧線

廃線鉄道  第88回  鹿児島交通・知覧線 〔鹿児島県〕

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1980年台後半まで現存していた
知覧線の終着駅・知覧の駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借

鹿児島交通・知覧線(かごしまこうつう・ちらんせん)は、かつて鹿児島県日置郡金峰町(現・南さつま市)の阿多から、同県川辺郡知覧町(現・南九州市)の知覧までを結んでいた鉄道路線である。
1965年7月3日の豪雨水害の為に全線不通となり、4ヶ月後の11月15日に復旧される事なく不通のまま路線廃止となった。

1950年台の路線最盛期は、加世田~知覧で枕崎線直通列車が5往復、阿多~知覧に4往復の旅客列車と貨物列車が設定され、途中の薩摩川辺駅で列車交換を行うダイヤが組まれていた。 だが、乗客の減少と合理化により、1961年10月1日のダイヤ改正から1965年の廃線時までは、加世田~知覧に2往復の旅客列車と1往復の貨物列車が運行されるだけの閑散路線となっていた。 なお、枕崎線直通列車は、阿多駅で進行方向を変えて運転していた。

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阿多駅構内で分岐していた
知覧線の線路
草が生えている方が
廃止直後の知覧線の線路
※『1960年代の回想』より

薩南中央鉄道がこの線を建設した時の当初の計画では、加世田を起点とする計画であった。 
だが、当時の加世田駅は南薩鉄道の終点駅で、知覧・川辺・枕崎方面からの旅客・貨物が離合集散する拠点となり、周辺の旅館・商店・馬車業者などが大変潤っていた。

一方の阿多は、加世田の1つ北の隣駅で距離も2.3kmしかなく、蒸気鉄道の駅間距離としてはかなり短いものであった。 国鉄による南薩鉄道の買収が噂されていた事もあり、国有鉄道の標準駅間距離が5~7km程度である事から、阿多周辺の住民は買収後に阿多の駅が廃止されてしまうのではないかと恐れていた。
また、終着駅としてのメリットを失いたくない加世田の住民による反対もあった。

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分岐駅として
機能していた頃の阿多駅
※『1960年代の回想』より

それらの事から阿多を分岐駅にする事で、将来の駅廃止を確実に阻止したいという阿多の住民と加世田の住民の意思の両方を叶える手法として、知覧線の分岐駅が阿多になったとされる。だが、別の説として、加世田から知覧方面へ直接向かおうとすると万之瀬川を渡る必要があり、阿多駅で分岐するのであればその必要がない(枕崎線は阿多~加世田で万之瀬川を渡っている)ので、架橋を避ける為であったとの説も挙げられてる。

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鹿児島交通・知覧線の予想路線図
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
路線廃止区間と路線距離(営業キロ):阿多~知覧 16.3 km 、軌間:1067mm、
電化区間:ナシ(全線非電化)、複線区間:ナシ、閉塞方式:不詳(恐らく通標閉塞)
駅数:11駅(起点駅含む)〔阿多〕・東阿多・花瀬・薩摩白川・田部田・薩摩川辺・野間・東川辺・
              小野・城ヶ崎・知覧 
  ※ 起点駅の阿多は知覧線廃止後も鹿児島交通・枕崎線の所属駅として存続したが、1983年
    6月21日の豪雨災害で枕崎線も全線不通となり、その翌月(7月1日)日置~加世田が復旧
    して阿多も復活したが、翌年1984年3月18日に枕崎線全線廃止に伴い駅廃止となった
  ※ 知覧線列車はスイッチバックで阿多駅に発着していた
  ※ 薩摩川辺に列車交換設備があり、最盛期はこの駅で上下列車が交換するのが知覧線の基本
    ダイヤであった
廃止時の運行本数:廃止を控えた末期は旅客列車が1日2往復、貨物列車が1往復だった
         1950年台の路線最盛期は、旅客混合列車が加世田直通5往復・阿多止が4往復
         の計9往復が運行されていた

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知覧線も廃止となり
棒線駅化された晩年の阿多駅
※ 阿多駅跡の駅跡説明板の写真より

   鹿児島交通・知覧線 年表
1922年(大正11年)  5月30日鉄道免許状下付(日置郡阿多村大字宮崎~川辺郡知覧村
                大字九日田)
1923年(大正12年)  7月22日薩南中央鉄道株式会社設立
1924年(大正13年)  6月  9日鉄道免許状下付(川辺郡知覧村-指宿郡頴娃村)
1927年(昭和  2年)  6月  1日阿多 - 薩摩川辺間開業
1928年(昭和  3年)  7月31日鉄道免許失効(川辺郡知覧村~指宿郡頴娃村 指定ノ期限内ニ工事
                施工ノ認可申請ヲ為サザルタメ)
           9月  1日新田(後の東阿多)開業
1930年(昭和  5年)11月15日薩摩川辺 - 知覧間開業
1933年(昭和  8年)10月15日ガソリン動力併用実施
1943年(昭和18年)  4月  2日南薩鉄道が薩南中央鉄道を吸収合併し、同社の知覧線とする
1964年(昭和39年)  9月  1日南薩鉄道が三州自動車と合併し、鹿児島交通に社名変更
1965年(昭和40年)  7月  3日水害のため全線不通となる
           11月15日:正式に阿多 - 知覧が廃止となる

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東阿多駅跡に立つ駅跡標
※ ウィキペディア画像を拝借

  輸送・収支実績
戦前の最盛期(1937年)には、年間163000人、貨物19050トンを記録していた。

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バス専業会社となった
鹿児島交通の知覧バスターミナルと
なった知覧駅跡の敷地

  廃線跡
一部の駅跡に案内板が立てられてるのみで、ほとんどが道路や住宅地、バス転回場などに転用されている。

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阿多駅跡に立てられた
阿多駅跡の説明板

  阿多駅跡 所在地鹿児島県日置郡金峰町宮崎(現・南さつま市金峰町宮崎)
最盛期は知覧線の起点駅や貨物取り扱いの拠点の一つとして栄え、有人駅で本屋ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の2面3線構造で2本の側線を持ち、貨物列車の入換も行われている大きな駅だった。
蒸気機関車の機関庫もあったという。 だが、晩年は1面1線のみの無人駅だった。 駅跡はマンションと道路に転用されてほとんど跡形は分からないが、駅跡を示す看板が設置されている。 なお、周辺の道床跡は判別が可能である。



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付近にある歴史遺構・高札橋の
小公園となった東駅跡
駐車場が整備され
橋への遊歩道には
枕木が敷かれている

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明らかに線路跡が農道で
駅のホーム跡地が
駐車場っぽいですね

  東阿多駅跡 所在地鹿児島県日置郡金峰町宮崎(現・南さつま市金峰町宮崎)
片面ホーム1面1線で、ホーム上に待合室があったようである。 ホーム脇にトイレもあったようである。 江戸時代に架けられた『高札橋』を案内する小公園となって、橋までの遊歩道に枕木が埋め込まれている。

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高札橋の説明板



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道路のバイバス化で
盛土の下に埋まった駅跡

  花瀬駅跡 所在地鹿児島県日置郡金峰町花瀬(現・南さつま市金峰町花瀬)
片面ホーム1面1線で、ホームの阿多寄りに待合室とトイレがあったようである。 また、給水塔があったとの事。 駅跡は、鹿児島県道297号線に転用されて跡形は全くない。



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薩摩白川駅跡にある
駅跡説明板

 薩摩白川駅跡 所在地鹿児島県日置郡金峰町白川(現・南さつま市金峰町白川)
島式ホーム1面2線を有する交換可能駅で、駅舎側の線路から貨物側線が分かれて貨物ホームにつながっていた。 駅舎を構えた有人駅のようであった。 駅跡は盛り土に埋められており、その中にプラットホームが残っているとの事。 数年前までは廃止後に撤去されたレールが山積みにされて保管されていたが、盗難に遭ったようで現在は残っていない。

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バス停には『白川駅』と書かれた
バス停ポールが立っている

駅跡付近にはバス停があり、鹿児島〜大坂〜加世田線と加世田・中津野循環線が運行していて、正式なバス停名は白川であるがバス停の標柱には『白川駅』と表示されている。



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空き地となった
田部田駅と線路跡

  田部田駅跡 所在地鹿児島県川辺郡川辺町田部田(現・南九州市川辺町田部田)
片面ホーム1面1線で、ホーム上に待合室があったようである。 トイレはなかったようである。
駅前に公民館が建てられた住宅地となっている。 駅跡は空き地として残り、続く線路跡は草生したまま放置されて行き止まりの札が立てられている。



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草や苔が生い茂る
廃墟となった駅前倉庫跡

 薩摩川辺駅跡 所在地鹿児島県川辺郡川辺町平川(現・南九州市川辺町平川)
島式ホーム1面2線と島式ホームの半分の長さの貨物ホームがあり、駅舎は貨物ホームの横にあった。
ホーム上に待合室もあったようである。 旧川辺町の中心駅で、列車交換設備を備えた駅だった。

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草や苔が生い茂る廃墟の裏側は
芝生が広がる園地となっていた

駅跡は住宅地に転用されたが、駅前に残る倉庫の廃墟とその前の芝の空き地が、駅の操車場跡だった事を髣髴させる。



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町道と農道の交差点に駅があった

  野間駅跡 所在地:鹿児島県川辺郡川辺町野間(現・南九州市川辺町野間)
片面ホーム1面1線で、待合所もトイレもなかったようである。 田んぼに沿った農道との十字路に駅があった。 現在は道路と農道に転用されている。



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住宅街に至る枝道が線路跡で
駐車場辺りが駅跡だった

  東川辺駅跡 所在地:鹿児島県川辺郡川辺町両添(現・南九州市川辺町両添)
片面ホーム1面1線で、ホームの阿多寄りに待合室とトイレがあったようである。 駅跡は住宅地と農道となっている。 線路跡も農道として続き、田畑が途切れた所で途絶えている。



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法面の上が駅跡で
空き地は民家の跡地との事

  小野駅跡 所在地:鹿児島県川辺郡川辺町小野(現・南九州市川辺町小野)
片面ホーム1面1線で、待合所もトイレもなかったようである。 集落を下に見る高台に駅があったが、崖崩れ防止の法面工事を施した道路となっている。



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駅跡にはドライブインが入っている

  城ヶ崎駅跡 所在地:鹿児島県川辺郡知覧町大字郡(現・南九州市知覧町郡)
片面ホーム1面1線で、待合所もトイレもなかったようである。 駅跡はドライブインとなっている。



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知覧駅の駅名標
駅名標は現在加世田の
南薩鉄道記念館に保管されている

  知覧駅跡 所在地:鹿児島県川辺郡知覧町大字郡(現・南九州市知覧町郡)
片面ホーム1面1線と島式ホーム2面の2面3線で、片面ホームには待合所が設けられ、通常の旅客ホームはこのホームだったようである。 駅舎も片面ホームの阿多寄りにあった。 また、島式ホーム外側には車両ピット(整備場)を備えていて、3線はその先で1線に合わさって車止めとなっていた。

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広かった知覧駅跡の敷地は
大型バスの停留と転回が自在の
営業所兼バスターミナルとなっている

知覧線の終着駅で、知覧の街の西端に近い場所に位置していた。 路線廃止後、駅の跡地は代替路線をはじめとするバスターミナルに転用され、現在も使用されている。

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だがバス乗場は
簡素なモノだった

1980年代後半までは当時の駅舎や駅名標も残存していたが、いずれも老朽化のために撤去されている(駅名標は鹿児島交通加世田営業所に保管されている)。


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前回『南ア・鋸岳』の続き
でも安いよね・・コイツの解決方法
大手電機企業だから生涯賃金は一生ヒラでも
40年で3億近くはあるだろうね
それが解決金の2000万程度で片付くなんて

ワテならこの上司の発言を録音して
労働基準監督署等に「恐れながら」と訴え出て
この上司を侮辱と自殺教唆の罪で追い詰めて
たんまりと慰謝料を請求するよ
もうこの上司を自殺に追い込む気で・・ね

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まぁこの上司もこの会社では
居場所がなくなって秘密裏に
自ら辞職するように仕向けられるだろうね
要するにトカゲの尻尾切りだわな
会社に解決金の損を負わせたのだから

でも親方・弟子職人の間柄では
こんなやり取りは日常茶飯事で
時には半殺しに近い暴行も受けるだろうよ

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でもこういう奴らは覚悟があって
その世界の事も理解しているので
ほとんど事件とはならない

ワテが持って欲しいのはこのような
置かれた場で対処できる対応力なんだよ
これは学校では教えてくれないし
失敗を繰り返し時には会社をケンカで
辞めたりして身に着いていくモノなんだよね

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だから困った時は悲観にくれるのではなく
「他に何か手はないか?」
「この状況を切り抜ける方法はないか?
って考える力が必要なのである

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給料が下がり誇っていた優秀な学歴を失っても
一度退いて「会社を辞めて責任の軽い
バイトになる」など再起する為の
時を稼ぐ発想力が必要なのだ





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