2022-08-28 (Sun)✎
『ネームトレイン』 第22回 津軽
14系のオール座席車となった
急行【津軽】
※ ウィキペディア画像を拝借
急行【津軽】 ・・ 急行【津軽】は、大正時代の1922年3月に上野~青森を東北本線・奥羽本線経由で結ぶ夜行急行列車が、夜行普通列車とともに新設されたのが起源である。 だが、大正時代のこちらには詳しいデータが見つからない事などから、敢えて取り上げない事にしよう。
我々が鉄道の列車名として認知できる【津軽】という列車名は、1954年10月に上野~青森を上越線・羽越本線経由で結ぶ臨時の夜行急行列車につけられたモノだろう。 その2年後の1956年11月には、東北本線・奥羽本線の定期夜行急行【鳥海】の運行区間を青森駅まで延長させて、この列車の列車名を【鳥海】から【津軽】に代えて定期列車化している。 その後は4半世紀に渡って、東北本線・奥羽本線を経由して上野~青森を結ぶ夜行急行列車として運行される事となる。
寝台車両を連結した
正統な急行【津軽】
※ JR東日本のオレンジカードより
【津軽】が定期列車となった1950年~1960年代は、東北地方から東京方面への出稼ぎや集団就職が盛んに行われていた時代であり、これら出稼ぎ者や集団就職者のうちの奥羽本線沿線(山形県・秋田県・青森県西部の地域)の人々にとっては、急行【津軽】が東京に出る為の唯一の優等列車であった。
集団就職列車や長距離普通列車によって上京した人々にとっては、急行【津軽】で・・、特に一等寝台車(のちのA寝台車)に乗って帰郷する事がいつしか成功の象徴として語られ、急行【津軽】はマスコミなどからは『出世列車』と呼ばれる事となった。
大阪からは日本海側ロングランの特急【白鳥】
東京からは夜行急行【津軽】・【八甲田】・【十和田】
自由席ならワイド周遊券で乗れる
これらの列車があった頃の鉄道は
旅の若者で混み合い輝いていた
また、かつては特定の地域が乗り放題で利用できるワイド周遊券が発売されていて、この切符で【津軽】を始めとした東京~青森を夜行で結ぶ急行列車の自由席を利用できたので、鉄道旅を志す若者を中心としたフリー旅行客に、北海道からの行き帰りによく利用された列車であった。
運行廃止が近づくと
急行【津軽】で使用された車両を
デザインにしたオレンジカードが
多数売り出された
※ JR東日本のオレンジカードより
急行【津軽】は1965年10月に2往復となったが、1982年11月の東北新幹線本格開業に伴って、1往復が特急【あけぼの】に格上げされて1往復となり、1993年12月には臨時列車化されて、その臨時運行も1998年1月の年始運転をもって打ち切られて運行廃止となった。
急行【なつかしの津軽】
※ JR東日本ニュースリリースより
その後、 2001年12月29日~30日(下り)・2002年1月3日~4日(上り)にかけて、【なつかしの津軽】として東北本線・陸羽東線・奥羽本線経由の上野~青森で14系客車(座席車6両)を使用したリバイバル運行が行われ、2019年7月27日~28日には、秋田~青森でED75形700番台と12系客車6両を使用した急行【津軽】がリバイバル運行された。
EF58が牽引していた
時期もあったようだ
※『国鉄急行列車・東日本編』
廣田尚敬 著 より
《列車データ》
運行区間:上野~青森 753.7km 登場時は上越線・新潟経由であったが、2年後の定期列車化
に伴って、東北本線・奥羽本線経由の列車となった
運行期間:1954年10月 1日:上野より上越線経由の青森行の臨時列車として登場する
1956年11月19日:経由線区が東北本線・奥羽本線に変更されて定期列車化される
1965年10月 1日:秋田発着の急行【おが】1往復が青森まで区間延長となり、急行
【津軽】に編入されて2往復となる
1978年10月 2日:旧型客車編成より、12系客車中心の編成に変更
1982年11月15日:同年6月23日に大宮~盛岡を暫定開業していた東北新幹線が11月
15日のダイヤ改正で本開業した事で、2往復運行だった急行
【津軽】の1往復が特急【あけぼの】に格上げされて1往復運行になる
また、寝台車両が20系客車に変更される
1983年 7月 1日:使用車両を全編成14系座席客車に変更し、寝台車の連結が終了となる
1990年 9月 :運転経路が仙山線経由に変更され、使用車両も583系電車に変更
される
485系も末期は
『急行』や『快速』のみの表示で
短編成化されて使われてたよなぁ
※ ウィキペディア画像を拝借
1992年 7月 :使用車両を485系電車に変更
1993年12月 1日:定期運行終了し、臨時列車化
1998年 1月 :同年の年始運転をもって運行を打ち切られて廃止となる
2001年12月29日:臨時急行【なつかしの津軽】として、年末に下り青森行き、新年の
1月3日に上り上野行きが、陸羽東線経由で14系客車(座席車)を
使用してリバイバル運転された
2019年 7月27日:翌7月28日の2日間、秋田~青森でED75形700番台と12系客車
を使用した急行【津軽】がリバイバル運行された
停車駅:上野・赤羽・大宮・小山・宇都宮・西那須野・黒磯・白河・郡山・二本松・福島・米沢・
上ノ山(現 かみのやま温泉)・山形・天童・神町・東根・新庄・真室川・院内・横堀・
湯沢・十文字・横手・飯詰・大曲・秋田・大久保・八郎潟・森岳・東能代・二ツ井・
鷹ノ巣・大館・碇ヶ関・大鰐(現 大鰐温泉)・弘前・青森
全国で余剰となり始めた583系が
使用された事もあった
:
その後は魔改造で『食パン』に
※ ウィキペディア画像を拝借
使用車両:スハ43系客車:運行開始時期不明~1982年11月
10系客車 :1956年11月~1982年11月
12系客車 :1978年10月~1982年11月・2019年 7月(リバイバル運行)
20系客車 :1982年11月~1983年 6月
14系客車 :1983年 7月~1990年 8月・
2001年12月~2002年 1月(リバイバル運行)
583系電車 :1990年 9月~1992年 6月~1993年10月~1998年 1月
485系電車 :1992年 7月~1993年 9月
乗車した当時のターゲットは
廃止ローカル線とキハ22だったので
客車急行は眼中になかったよ
乗車経験:弘前~上野で乗車経験アリ(五能線に乗った帰路に乗車)
撮影経験:上野と青森で撮った列車名サボのみアリ
全般を述べたらワテは
IT全盛の時代に着いていけてない
超ローテクでPC知識は全くないし
キーボードもひらがな打ちで
『炎の人差し指』1本で操作している
おかげで人差し指1本でも
かなり早く打てるよ
でも横文字は外人嫌いの生理的拒絶もあって
ローマ字打ちはキーボードの
探し打ちとなってベタ遅となる
スマホに関してはようやく
『あ・か・さ・た・な・・』の
スマホ式2回入力に慣れてきたけど
スマホ自体が性に合わないね
スマホみたいにボタンが
『◀ ◎ ■』の3つしかないのに
デスクトップパソコンと同じ様な
要求を満たせる訳がないのだし
だからゲームなんかしてる奴の
指の動かし方は未だに理解できないよ
文字などの入力操作に関してはスマホより
ガラケーの方が使いやすかったよ
だけど使用デバイスの半数以上が
デスクトップではなくタップ中心の
スマホかタブレットになってきている
要するに写真における画質や楽しみである
フイルム写真からただ無機質な
写真の製造あるのみの
デジタルカメラに変わったのと同じだ
それによって人間のある一部の能力しか
使われなくなってくるのだ
だから自身が扱えるネットの情報が
全てとなって他の手法を試したり
考えなくなってくる
こうして分析力・考察力・
想像力・判断力といった大切な能力を
使わずに枯渇させて全ての
事への対応力を無くすのだ
その結果すぐ諦める・すぐキレる・
すぐに悲観的になり絶望する
すぐに成功者を悪者にしての愚痴をこぼす
簡単にアフィリエイトなどに騙されるなど
破滅に向かって一直線となるのだ
だからワテはローテクとバカにされても
今以上にIT技術や知識を得ようとは思わない
IT技術や知識を得たその代償に
分析力・考察力・想像力・判断力といった
大切な自身の能力を失いたくないから
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