2022-08-22 (Mon)✎
『日本百景』 夏 第525回 トムラウシ山 〔北海道〕
北沼より見上げるトムラウシ山
トムラウシ山 とむらうしやま (大雪山国立公園)
北海道中央部、上川管内美瑛町と十勝管内新得町の境にそびえる大雪山系南部の標高2,141 mの山で、『大雪の奥座敷』と称される。 アイヌの時代から『カムイミンタラ』(神々の遊ぶ庭)として崇められている大雪山国立公園のほぼ中央にどっしりと構えた雄大な山で、表大雪側から望むと、広大な高根ヶ原の平原の果てにトロイデ火山が成した王冠のような山容が印象に残る。
白雲岳避難小屋より望む
高根ヶ原とトムラウシ山の
モルゲンロード
約30万年前から後期更新世に活動した火山で、山頂付近の溶岩は完新世に噴出した可能性が指摘されている。 山頂部は巨岩が積み重なった複雑な地形で、南西開きの直径約200mの火口の他、周辺には複数の溶岩ドームや噴火口がある。 頂上からは、大雪と日高の山々が一望の下に見渡せる360度の絶景が広がる。 山域は1934年に大雪山国立公園の特別保護地区に指定されている。 また、麓の新得町側にはトムラウシ温泉がある。
『トムラウシ』の名は
「花の美しい所」という説に共感するよ
トムラウシの山名は、アイヌ語の「トㇺラ・ウㇱ・イ」(緑色の藻の一種が群生するところ)に由来するとされ、本来はこの山を源流とするトムラウシ川を指した地名である。 国土地理院の一等三角点の名称は『富良牛山』と記されているが、これは『トムラウシ』の言葉に漢字で当て字したものである。
池塘に花々が咲き乱れるその情景は
真に『カムイミンタラ』(神々の遊ぶ庭)だ
また、別の説にアイヌ語の「花の美しい所」とする説もあるが、他の山と同じくここに発する川の名に由来するとすれば、「水垢の多い所」と解釈される事となる。 アイヌ語の発音に、適当にカナを当てはめた為に生じた混同であろう。
大地を花の色で白く染める
花の楽園・五色ヶ原とトムラウシ山
奥深い山である故に、広大な花畑や湖沼などの大自然が荒らされる事なく残っていて、山の上部は森林限界のハイマツ帯で、池塘や沼が点在し高山植物の大群落を抱いている。 その頂上丘には、日本庭園・トムラウシ庭園・黄金ヶ原などと呼ばれるお花畑や沼が織りなす庭園風景が広がり、花が大地を花の色に染め上げる情景は、真に『カムイミンタラ』(神々の遊ぶ庭)と呼ぶに相応しい奇跡の絶景である。
トムラウシ山の頂上には
溶岩台地に大岩が積み重なった
『ロックガーデン』がある
また、山腹北面の溶岩台地には大きな岩が積み重なった『ロックガーデン』と呼ばれるゴーロ帯があり、氷河時代からの生き残りと言われるナキウサギの生息地になっている。 また、『ロックガーデン』の北側には『日本庭園』と呼ばれる庭園風景が広がり、チングルマやエゾノツガザクラなどの高山植物が見られる。 山域は1934年に大雪山国立公園の特別保護地区に指定されている。 また、麓の新得町側にはトムラウシ温泉がある。
北沼の畔に咲くイワツメクサ
山頂の直下には北側に北沼、南西部に南沼があり、イワヒゲ、エゾコザクラ、コマクサなどの高山植物が見られる。 南沼から南に下っていくと『トムラウシ公園』と呼ばれる一帯があり、エゾノハクサンイチゲなどの高山植物が見られる。
忠別岳避難小屋~トムラウシ 行程詳細図
行程記録 駐車場・トイレ・山小屋情報
※ 今回実際にかかった時間ですけど・・、何か?
《1日目》 JR上川駅よりバス(0:30)→層雲峡バス停よりロープウェイとリフト
(0:25)→黒岳7合目(1:10)→黒岳(0:15)→黒岳石室
《2日目》 黒岳石室(2:00)→北海岳(1:05)→白雲岳分岐より白雲岳往復・所要1時間
(0:30)白雲岳避難小屋
《3日目》 白雲岳避難小屋(3:30)→忠別岳(0:20)→忠別岳避難小屋
《4日目》 忠別岳避難小屋(1:10)→五色岳より五色ヶ原散策・所要1時間
(1:00)→化雲岳(1:00)→ヒサゴ沼
《5日目》 ヒサゴ沼(1:20)→トムラウシ・日本庭園(2:20)→トムラウシ山
(2:50)→ヒサゴ沼分岐(0:50)→ヒサゴ沼
《6日目》 ヒサゴ沼(1:10)→化雲岳(1:30)→小化雲岳(4:00)→天人峡よりタクシー
(0:50)→JR旭川駅
※ 前回『第524回 ヒサゴ沼』の続きです。
トムラウシ山の頂から望む
大地が花の白で光る奇跡の絶景
《5日目》 カムイミンタラに遊ぶ
朝、4時前に起きる。 テントはデポで、この頃夏はパン食で時間を取らないので、4:40には出発用意が整う。 だが、出発の順番で言えば真ん中位である。 早い人は4時前に出発しているし・・。
朝の雪渓の登高時に魅せられた
陽の光と雪渓がおりなす陽炎の神秘
さて、テント場から木道を伝うと、化雲平経由の大回りだか安全コースと、沼の畔の崩れた雪渓の上部を伝って、急な雪渓を通る短絡ルートがある。 どうやら自信のない人は、早出して化雲平経由の大回りの安全ルートを歩いているみたいだ。
急がば回れで
安全な化雲平の緩やかな雪渓を
登っていく方が早く着くかも
その「沼の畔の崩れた雪渓」のトラバースだが、結構急でしかも下部が崩壊して沼に落ち込んでいる。
つまり、滑落すると沼にドボンなのである。 沼にドボンすると、死にはしないだろうが、山行きは全てゲームオーバーとなるだろうしィ。
このように右側の雪渓は
ヒサゴ沼に直接落ち込んでいる上に
一部が崩壊してるしィ
:
今日最大のデンジャラスゾーンは
いきなりやってくる
そして、アイゼンを持参しているにも拘らず、面倒臭さがってアイゼンを装着せずに行ったものだから、すごく怖かったよ。 滑るのを拒絶して雪渓の上部へ高巻くと、今度は下りるのが困難となり、高巻きをしないとクレバスが近づいておっかない。 また、朝という事で、解けた雪が夜の内に再び凍り、更に滑りやすくなっていたしィ。
雪渓通過のシーンは
見苦しさ満開なので
ホソバウルップソウと
エゾノハクサンイチゲで誤魔化そう
ピッケルがあったので、深く刺して身体を支える事で何とか通過できたよ。 でも、のっけから、200mの雪渓の移動で30分近くかかっちまったよ。 そして、稜線に出るまでの急な雪渓は、以前はこちらが沼にドボンの危険があったが、今は干からびて泥田となっている。 どっちにしても滑り落ちると、山行はゲームオーバだ。
先程の雪渓にヒビって
この雪渓登りには
アイゼンを装着したよ
性質が『小市民』の筆者は、先程の雪渓にビビって、この雪渓でアイゼンを装着する始末である。
アイゼンの装着でまた10分を無駄にし、見た目ほどキツくないこの雪渓(最盛期はアイゼンなしで登れたのだが)をアイゼンを踏みしめて登り、上部のゴーロ帯を越えて稜線上に出たのは、もう6時前だった。
これなら、大回りの安全ルートを行った方が早かったりして。
朝の光と立ち込めた霧で
大地を光の靄で包みこむ
さて、とにかく稜線に出たので、ひと登りしてトムラウシ・日本庭園の丘に出よう。 これからは、お花畑撮影タイムのオンパレードだ。 まずは、ヒサゴ沼をショット。 でも、ヒサゴ沼は、以前に撮った雲の縞が水面に映った以撮ったモノの方がいいね。
ド逆光で黒くなったよ
ヒサゴ沼は以前に撮った
奴の方が断然いいかな
登りついたトムラウシ・日本庭園は木道が完全に敷設され、かなり歩き良くなっている。
花のコロニーなら、天沼の池塘であろう。
トムラウシ・日本庭園を彩る
チングルマの花コロニー
大自然が創造し
天然の庭園風景に魅せられて
形のいいチングルマのコロニーと、池の水とが庭園風景を形成している。 ただ残念なのは、池が干上がり気味で泥土の池の床が見えていた事だろうか。
ハイマツと露岩で
創造された庭園風景
日本庭園をめぐる木道を越えると、ロックガーデンの岩コロ地帯となる。 距離は短いのだが、大きな岩と岩の間に大きな隙間があり、飛び越えて跨いでよじ登って・・を繰り返すと、かなりの時間を食う。
下り気味にこの岩コロの丘を越えると、岩でできた外輪山のイッキ登りとなる。
ロックガーデン前に
広がるお花畑
トムラウシの山の形そのままの
ゴーロ帯をイッキ登りする
「かつては、コレを23㎏担いでイッキ登りしたんだなぁ」と過去の栄光が脳裏に過ぎったその夜は、カッパをグルグル巻きにした枕を涙で濡らすのだろうなぁ。 今、カメラと水だけの空身で、ここまで3時間近くかかってるしィ。
ロックガーデンを越えた丘に咲く
希少種・リシリリンドウ
トムラウシの固有種ともいえる
ホソバウルップソウの群落
それに、「あの頃はヒサゴ沼を出て3時間後には、頂上でプッチンプリンを食ってたよなぁ」(一時期、頂上で食うプッチンプリンに執着していた)と、『奇跡の体力』によるかつての栄光に想いふける。
ロックガーデンを登りつめると
北沼越しに表大雪の山々を望む
絶景が見渡せる広潤な丘に出る
でも、何とか登れたよ。 そして、これがトムラウシへの最もキツい登りで、これを乗り越えると北沼を隔てる緩やかな丘を越えて、北沼を借景にトムラウシ本峰の岩屑の塊が見えてくる。 北沼の湧き水で喉を潤してから、トムラウシ本峰の岩屑に登っていく。
トムラウシ直下の湧水が沼となった
透明度抜群の北沼の畔が
トムラウシ山への取り付き点だ
湧き出る泉の上に咲いていた
エゾノハクサンイチゲ
登っていく最中に、あんなに快晴だった空に水蒸気がムァ~と舞い上がってきた。 その勢いは水蒸気からガスとなり、完全に北沼の蒼い水を視界から消していった。 かつてなら、青空の下でプッチンプリンを食ってたのだが、今や退化ゆえにトムラウシの展望にも間に合わなくなってしまったよ。
山の民憧れの峰
トムラウシの頂に立つ
・・で、着いたのは8:14。 うひゃぁ、空身で3時間半かかったよ。 23㎏担いでた時は2時間半で行けたのに・・。 今日、枕を涙で濡らすのは必定だなぁ。 まぁ、3時間半もかかった事だし、晴れるのを待って頂上でタムロする。
トムラウシ山の頂上標柱
:
当日はガスに巻かれたので
別の日に登った時の写真おば・・
2009年の大雪のツアー事故以来、トムラウシはトムラウシ温泉からの日帰りが主となっているみたいだ。 登ってくる人たちも、極力空身で頂上滞在10分ほどで折り返していく人が多いみたいだ。
正直言って、「何しに来たんだろ?」って思う行程である。 少なくともトムラウシは、『頂上にデンして帰る山』ではないと思うのだが・・。
かつては一番端の富良野岳まで
十勝の山脈を歩いて行ったんだなぁ
:
あぁ・・また今夜も枕を涙で濡らしそう
・・で、9:15まで1時間タムロするが、ガスは濃くなれども晴れる事はなく、諦めて帰路に着く。
帰りはガスも濃くて写真を撮ってもパッとしないが、カメラをぶら下げながらダラダラと下ろう。
下りといっても、2度の登り返しと最後に沼面スレスレの雪渓のトラバースがある。 最盛期でも下りは遅かった(ともすれば、上りより下りの方が時間がかかっていたりして)ワテとしては、4時間を見ているのだが・・。
トムラウシから下りてきたら
北沼は陰っていたよ
案の定、ロックガーデンで線香の火のように細々と燃えていた筆者の“ヤル気”は、ガスに含む水蒸気でジュゥ~と掻き消され、白い灰となってしまった。 ダラダラとアッチに腰掛け、コッチで胡坐をかき、無駄に小休止を連発して時間を消費していく。 朝は美しく輝いた花々も、ガスにくすんで今イチに。
帰りはガスってしまったので
キレイ所で誤魔化そう
こういう状況では歩くしかないのに、「歩くのがイヤだ」と退化著しい上半身が嘆く。 宿主も、そのゴネ捲る上半身の我が侭に従う。 ダメ人間の典型でないか、コリわ・・。
上の写真と以下同文
途中でロックガーデンの道を踏み外して、エグイ岩場帯の通過を余儀なくされたりして余計時間を食って、ヒサゴ沼への下降路分岐に着いたのは12時過ぎ。 3時間かかっとるじゃねえか。 安全策を取るなら、これから化雲岳への標高差250mの登りを経て、化雲平からの緩やかな雪渓を下降すればいい。
トムラウシの母なる沼
北沼の畔に咲く
エゾノハクサンイチゲ
だが、今になって天気が持ち直して、化雲岳への250mの登路がはっきりと見上げる事ができる。
かつてならともかく、今なら戦慄の眺めだ。 コレを見て、アイゼンもある事だし、雪渓トラバースに決定した。
使い回しという秘伝の技を
『拠り所』に得たタワケは
ロクデナシ道を更に邁進する
『拠り所』を得た者は強いというか何と言うか、アイゼンを装着すると、途端にあの急な雪渓下りが何でもなくなる。 アイゼン装着に掛かった時間を取り返して、なお余りある雪渓下降だったよ。
けれど雪渓を下りきると、ぬかるみの中を不安定なアイゼン付で歩かねばならず、これが結構ダルくて100m進むのに4~5分かかる。 このぬかるみを過ぎると、朝のあの雪渓だ。
雪渓に降りる前のゴーロ帯
この後急速に晴れてきたよ
でも、朝に渡るのに30分かかった「シクじって滑り落ちれば沼にドボンでサヨウナラ」のあの雪渓は、多少怖かった程度で、難なく渡り行ける。 やはり、アイゼンの爪が雪面に喰いついて「ズリッ」っていう事がないから、安心して前に足を出せる。 行きで渡るのに30分かかったこの雪渓も、アイゼン付きならば5分もあれば渡り終える事ができたよ。
今の『下り三倍満』なら
13:10の到着は到底ムリだな
渡り終えたら、後は木道を伝って我が城(デポッたテント)へ。 到着は13:10。 行きよりも更に時間がかかっての3時間55分。 全盛期と同じく、登りのタイムが下りのタイムを上回った瞬間だ。
だが、『これをもって復活』ではない。 15年ほど前の全盛期は登りが2時間半、しかもテント一式23㎏を担いで・・である。 今は空身で、1時間オーバーだ。 でも下りは、現役時代も3時間をオーバーしていたっけ・・かな。
雨が降ると水が浮かび
泥沼状となる悪いテント場の
ヒサゴ沼テントサイト
さて、トムラウシの往復で疲れたのでテントに入ってひと眠りしていたら、14時半位から大スコールが降ってくる。 『ボツボツボツ』と、大きな雨粒がテントを叩く。 外を見ると、ただでさえ水ハケの悪いこの展場は、たちまちドロ田状態になっていた。 「水が浮いてるよ」。 雨は4時前に上がったが、周囲はドロ田状態だ。 そして、湿気か浸水かは判らぬが、中もジメ~っと濡れてきた。 「これでは、炊事は無理だね」と、撤退を決意する。
スコールでテント場が泥田となって
避難小屋に逃げ込んだよ
※ 十勝総合振興局環境部のウエブサイトより
幸い、雨予報で今日の内に下山した組が多く、雨なので登ってくるのも少ないし、何より最も楽なルートの沼ノ原からの道がこの年は通行止なので、オバチャン達の大量流入が防げているみたいだ。
そういう事だし、テントを撤収して小屋に入る。 退化とヘタリが顕著な今は、荷物が濡れると対応が厳しくなるのだ。 それに、シュラフが濡れると、夜ヤバイしね。
幸いヒサゴ沼までの最短ルートである
沼ノ原ルートが通行止となっていて
オバちゃん連中がやってこなかったので
バケツリレーで再び追い出される事はなかったよ
※ 十勝総合振興局環境部のウエブサイトより
撤退して逃げ込んだ小屋は、利用者は1階は6人ほどで十分にスペースを確保できた。 荷物をバケツリレーで放り出された10数年前のあの日は、夢幻だったのか。 小屋に撤退した事で濡れる心配がないので、グッスリと寝れたよ。 天気予報は思わしくないようだが、明日が暴風雨にならん事を祈るだけである。
『神遊びの庭』から望む王冠
トムラウシ山
:
下山時は天気が良くなかったので
別の時に撮った写真を
ゴチャ混ぜにして掲載してマス
《6日目》 天人峡へ下山
さて、4時に目覚めると、濃い霧で小雨が降ったり止んだりの状態。 状況としては、最悪は回避されたようだ。 テントを撤収しての小屋泊なので準備には時間はかからず、5時前には出発準備完了。
昨日入山した方は、「この天気でトムラウシも何だし、一昨年の大雪ツアー遭難事故があるから」と、小屋で沈殿するとの事。 まぁ、賢明な判断だろう。
雪渓を登りきると
化雲岳までキバナシャクナゲや
チングルマ・エゾノハクサンイチゲの
お花畑が広がる
:
但しそれも天気が良ければの事で
悪天下では低体温症や
リングワンダリング遭難もありえるのだ
テントを担いでる者や、これから下山一直線という者ならば『GO』だが、避難用具を持たず小屋泊で山上を遊ぶ行程ならば、この天気は自重すべきだろう。 それを履き違えた結果が、あの遭難事故なのだから。 山の稜線上での雨は、暴風を伴うものだからである。 日程に迫られると冷静な判断をできなくなってしまうが、『日程』と言えるのも五体満足で無事下山できての事なのだから・・。
天人峡への下山ルート 行程詳細図
さて、5時に出発して、化雲平側の緩やかな雪渓を登っていく。 始めは「4時に出て、10時には下って、札幌で少し遊ぼうか」と考えていたが、雪渓に出るまでのぬかるみの木段を登り始めた瞬間に「10時はムリ」と悟ったよ。 まず、第一にお花畑が目に入ると、ザックを下ろさずにはおれなくなるから・・である。 それに加えてただでさえ遅い下りが、更に輪をかけて“底なしのヘタレ”になっている自身を鑑みれば、10時下山は『10時の神話』でしかないのである。
『神遊びの庭』と
化雲岳のシンボル『デベソ岩』
となれば、ゆっくり行こう。 幸い、空は小康状態を保っているしィ。 で、写真を撮りながら歩いていくと、化雲岳のデペソ岩到着が6:08であった。 さて、これから天人峡まで12.5km、コースタイム4:30である。 普通の人なら、急いで下ると10時ちょっと過ぎ位で降りれるだろうが、ワテは筋金入りで下りが遅い。 最盛期の時は、登りが下りより1時間以上早かった事などザラだったのである。
そして今回も、トムラウシの往復では登りの方がタイムが短かったしィ。
化雲岳へから続く登山道以外は
花で埋まっていた
化雲岳から小化雲岳の間はお花畑となっていて、しかも天気は持ち直して薄日が差す位になっていた。
トムラウシが見えていた位だ。 花も、チングルマを中心に、エゾコザクラ・コマクサ・タカネナデシコ・ツガザクラ・キバナシャクナゲ・キジムシロなどが咲き競っていて、ただでさえ遅い足を止める。
トムラウシから続く
十勝連峰の山なみと
ハクサンイチゲのお花畑
この辺りまでで、ヒサゴ沼からこちら側に下山する人全てに抜かれた模様だ。 これでは絶対に札幌で遊ぶのはムリだし、ともすれば帰りの飛行機にも乗り遅れたりして。 逆算すると、千歳空港17時の飛行機に乗るためには、千歳空港駅16:04着の列車、即ち旭川14:00発の特急に乗らねばならない。
お花畑が途切れると
こんな感じで下っていく
タクシーの迎車を50分・乗車を50分とすると、リミットは12:00ちょうどって事になる。
大丈夫ッポイけど、微妙にひっかかりそうなデンジャラスな時間である。
雨に濡れたコマクサ
:
いきなり当日の雨の写真を
掲載する節操のないタワケ
それでも、雨露に濡れたコマクサを見ると、ザックを下ろさずにはいられない。 そうこうしていくと、やがて雨が落ちてきた。 これは『助け舟』か? あまりにもクズグスしているので、尻を叩きに来たようである。 雨が止むまでノンストップで歩くと、高山植物帯を越えて樹林帯に突入する。 ここまで下りればカメラを取り出す事がなくなるので、歩く以外にやる事がなくなるのである。
晴れていれば右手に
延々と旭岳が望めます
:
この旭岳が後端から前方に見えるように
なるまで歩き続けなければならない
やがて、樹林帯から『第二公園』を通過して、クマザサの湿地帯を通る。 この一帯はぬかるみ地帯で、腰掛けて休憩するような所は皆無で、またザックを下ろすのもNGだ。 そんな事をすれば、ザックが泥坊主化してしまう。 だから、『第二公園』から『第一公園』までの長いぬかるみ帯は、しんどいもののひたすら歩かねばならない。 このノンストップの下りで、結構時間を取り戻せたかもしれない。
ここまで下ると花層が変わって
レンゲやタンポポが主となる
やがて、『第一公園』へ。 あらら、今公園全体に木道が敷かれているよ。 以前は、ぬかるみ道だったけどねぇ。 また、ここまで下るともう高山的なものはなくなり、花もタンポポなどの『野花』となってくる。 下りは遅いが、木道を歩くのは早い。 但し、『滑って転ぶ可能性も他人の3倍ないし4倍はある』っていうのが、筆者の『プロパティ』である。
木道は1キロ近く延びているようで、その間だけ『区間急行』となった。 自分でもかなり早く歩いたと思う。 そして幸いな事に、トライ(ド派手な転倒)はなかった。 この木道を終えると樹林帯に入って、急な下りとなる。 その下りの最中に、目にしたくないものが現れる。 『天人峡まで4.5km』の看板だ。 それでなくても、ぬかるみを2時間以上歩いてヘタっているのだ。 それにトドメをさすような、「まだまだ終わりでないよ」との意味合いを示す“ダメ出し”看板なのである。
これを見ると、途端にやる気をなくすのだ。 「こんなに歩いたのに、まだ残り2時間近くあるなんて・・」と、落胆してしまうのである。 そして、ドッと疲れるのだ。 とりあえず、目標を恐らく今日は見えないであろう『滝見台』に定め、樹林帯の中を歩いていく。 夢見るのは、『滝見台』の先にあるつづら折の急坂だ。 そして、下りきった後の温泉だ。
滝見台からは落差250mの
羽衣の滝が望めるのだが
この時は視界ゼロの白霧の世界だった
歩けども、歩けども、なかなか着かないし、同じような景色の中で「本当に進んでいるのか?」と訝る状況が続くが、ふと「目の前は旭岳です」との記述札が置いてあるが、霧で真っ白けで何も見えない『滝見台』に着く。 何も見えないので、珍しく休憩せずに通過。 記憶では「すぐにつづら折の急坂」のハズなのだが、500m位樹林帯が続く。
赤い線香花火のような
タカネナデシコ
:
ここまで下れば咲いてませんが
掲載したい下心で何の脈絡もなく
じれったい位にこの500mを歩かされ、ついに待望のつづら折の急坂だ。 そういえば、この下りでハデに『終了間際(ロスタイム)の逆転サヨナラトライ』を決めて、腕に『バイオレットハザードの紋章』(デカイ青タン)を刻んだっけ・・かなぁ。 あの時は若かったからいいが、今『終了間際(ロスタイム)の逆転サヨナラトライ』を決めると立ち上がれなくなるかもしれんので、大胆に急ぎつつも、細心の注意を払ってつづら折りを下っていく。
下りでもたっぷり
6時間かかっちゃいました
で・・、11:34に、登山口を示すトーテムポールを越える。 何とかリミットより30分のアンダーで下り着く事ができた。 でも、6時間かかったよ。 早速ホテルに入り、タクシーを呼ぶ。 イケズな事に、この年の7/17をもって旭川発の旭岳温泉行のバスが天人峡に立ち寄らん事になったんだって・・。
お陰で、8500円の出費となったよ。
タクシーを待つ間の40分で風呂に入り、12:40に来たタクシーに乗って旭川へ。 タクシーの運ちゃんいわく、旭川のバスがシーズンに天人峡に寄らなくなった訳は、「シーズン以外は生活路線として運行しているが、シーズン中はマイカーでくるので利用客がない事と、去年の豪雨で橋が流されて迂回するのが面倒だから」との事である。 まぁ、天人峡からあの道をコースタイムで7時間かけて登ってくる人は、皆マイカーで来るわなぁ。
ツマトリソウに載る
大粒の雨露が光って
:
コレもタカネナデシコの記述と以下同文
旭川の前で小さな渋滞に遭って少しヒヤッとしたが、13:35に駅に到着。 特急の発車まで25分ある。 でも、特急券を買うべく『みどりの窓口』に入ると、ズラーっと並んでるしィ。 そして、駅の職員もノンビリと売っているしィ。 「こりゃあ、間に合わんわ」と、往きと同じく1000円区間のキップを買って、車内精算にする。
到着した旭川駅は
駅から競馬場に変わっていた
:
駅というより競馬場な
改築後の旭川駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
先述の通り、旭川発14:00の列車・特急【スーパーカムイ】は千歳空港直行で、16:04に千歳空港に着く。 17:00の飛行機に乗る為の列車だ。 後はやん事もなく、ボンベ缶は「欲しいのか? くれてやるぜ!」とばかりに差し出して北海道を離れる。 「あぁ、もうちょっと列車のキップの条件が良ければ、北海道へは絶対に列車なのにな」と思いつつ、暑苦しいだけの大阪に戻る。 帰りはしんどかったので、【はるか】に乗っちゃったよ。
この頃思う事としてこれらのヤマ記事を
歩いたのは本当にワテなのか?
という疑問が沸き立つよ
それは記事内容が別人としか思えない訳で・・
ちなみに最盛期はヒサゴ沼から
トムラウシを往復して
天人峡まで下っていたしィ
もちろんテント一式の装備担いで
だけど『残念』の手術で
喉を切ってからめっきり弱くなって
7月の鹿島槍縦走計画では
身を切る前はヘタッたとはいえ4時間で登れた
種池山荘までが5時間半かかって
雨で縦走断念して下った時には
6時間近くかかって
しかも『残念』で切り取った為に
機能が低下して禁断症状が出て
ぶっ倒れそうになったよ
盆のヤマはこの失敗を踏まえて
中アの千畳敷までロープウェイで登って
1時間半でテント場の行程を立てたが
3日間いっさい日が照らず雨かキリ
山での天気運も消え失せたよ
もうヤケクソとなって
帰りは飯田線で豊橋まで出て帰ったよ
でも飯田線車内の5時間は何でもなかったよ
小和田・田本の秘境めぐりも目論んだけど
列車本数が少ないのでまた今度にしたよ
コレって「乗り鉄に戻れ!」っていう
天のお告げなのか?
1つ判った事は荷を担いでなら
歩行4時間が身体の限界かなって事
空身なら時間制限はないみたい
これは6月の九州・九重の三俣山の
お池周りした事で判明したよ
訓練ナシで過去の遺産だけで
20㎏以上担いでヤマに登れば
当然こうなるという『逆説』も存在するが
ヘタレたのは『残念』で身体を切ったのが原因で
ワテ自身の訓練をしないでヤマに登るなど
腐った性根と資質が原因だとは
信じたくないのだな
↑
ホンマモンの『ロクデナシ』やな・・
このタワケ
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