風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第20回  くずりゅう

『ネームトレイン』 第20回  くずりゅう

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米原駅で撮った急行【くずりゅう】
たぷん『出目金』(前照灯未改造)なら
撮らなかっただろうね

  急行【くずりゅう】 ・・ 米原で東海道新幹線との接続を目的とする急行列車として、1966年12月から1985年3月13日まで運転されていた急行列車である。 471系による6両編成で、当初は米原~金沢で2往復(1往復は臨時列車)が運転される。 列車名の由来は、九頭竜川・九頭竜湖など、福井県を代表する水資源である。

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この列車の名前の由来は
この湖でっす

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駅舎でいうと
コチラの駅となります
ちなみに今の駅舎は建替えられて
ログハウス調の別物です

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そのブロック駅の隣で売っていた
貴重な硬券切符です
タワケのアクセス釣り
三段手法でした

新幹線との接続もよく、米原駅始発である事から着席が保障される為に利用客からの人気が高く、1968年10月には5往復(2往復は不定期列車)に倍増された。 1969年には米原~福井の列車も設定されて6往復となり、1978年10月2日には全列車が定期列車になった。

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確か当時は日本一
快速な特急だった【加越】
でも目立たないし
急行【くずりゅう】の消滅原因だし
絵入りマークの東尋坊も今イチだしィ

しかし、1982年11月15日のダイヤ改正での特急【加越】の増発によって1往復にまで減少し、その最後の1往復も特急【加越】へ格上げ統合されて1985年3月14日に廃止となった。 急行【くずりゅう】の廃止により、北陸本線から昼行急行が姿を消した。 その原因となった特急【加越】も特急【しらさぎ】に統合されて名称消滅となったので、現在の特急【しらさぎ】に至る源流の一つと言える。

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・・で人気のない特急は
【しらさぎ】に統合されますた
今の683系はサンダーバードと
区別着かないので
40年以上前に米原で撮ったコレをば

大阪からの頻発運転に対応すべく米原までは直流電化で、その余裕を持たせる為(専ら長大編成の貨物の機関車の付け替えに、平坦地での有効な長さを確保する為とされた)に米原から2つ先の先の田村でデットセクションが設けられて、以遠の北陸本線は交流電化となっていた。 

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急行【くずりゅう】には
交直流の両区間で走行できた
455系交直流用電車が充てられた
※ ウィキペディア画像を拝借

この事で交直流のいずれの電化状況でも走行できる交直流区間の急行電車のスタンダードである471系やその改良車である455・475系を使用する列車だった。

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九頭竜湖駅から徒歩で
この湖に行ったワテはダム堤体を
直に監視用階段で昇ったよ
何が言いたいのかというと
掲載写真が準急時代と同じく
記事内容とは全く異なるって事ですね

登場は1966年12月1日だが、その前に敦賀~金沢という区間設定で1964年10月1日より1年間ほど、準急【くずりゅう】が設定されていた。 この準急は米原まで行かない新幹線接続とは関係のない全く性格の異なる列車だった。

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鉄橋で渡る川が九頭竜川でっす

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この川の上流に仏御前ノ滝という
素晴らしい滝があります

また、列車のエピソードとして、米原~福井の距離が99.9kmとなり、急行料金の最低額にギリギリ収まる事で注目されていた。 編成は6両編成中5両が自由席であったが、下りの場合は前述の如く、新幹線との乗換駅である米原が始発である事で着席できる確率が高く、利便性に優れていた。

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列車名の名前の由来となった湖は
冬景色もいいですよ

設定当初は2往復で始まったが、大阪発着の北陸方面行き優等列車の多くが湖西線経由になった1975年3月からは米原乗り換え列車の重要度が高くなり、増発されて1978年10月には定期列車6往復と運行のピークとなった。

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今は『リバイバルトレイン』として
人気絶頂の『出目金』だが
ワテは『ブサイク判定』で
今でも撮らないだろうね

《列車データ》
運行区間:米原~金沢 176.6km 増発時はには米原~福井の列車もあった     
運行期間:1964年10月  1日:当初は敦賀~金沢の準急【くずりゅう】として登場が、米原まで行か
                ないなど設定の異なる列車で、特急【白山】の金沢~福井延長運転に
                より1965年10月1日に準急【くずりゅう】いったん廃止
       1966年12月  1日:急行に格上げされ、運行区間も新幹線接続を目的に米原まで延長され
                て米原~金沢となる
                2往復(うち1往復は臨時)運行で使用車両は471系だった
     1968年10月  1日:3往復定期、2往復が不定期列車の5往復に増発
       1969年10月  1日:米原~福井で1往復増発して6往復となる
     1978年10月  2日:6往復全列車が定期運転となる
       1982年11月15日:4往復が廃止となり、1往復を特急【加越】に格上げし、1往復のみの
              運行になる
       1985年 3月14日:最後の1往復も特急【加越】に格上げとなり、急行【くずりゅう】廃止
               急行【くずりゅう】の廃止で、北陸本線を走る昼行急行が消滅した
停車駅米原・長浜・敦賀・(今庄)・武生・鯖江・福井・芦原温泉・(大聖寺)・加賀温泉・
    (動橋)・(粟津)・小松・(松任)・金沢
   ※ 今庄は朝の上下各1本づつのみ停車
   ※ 大聖寺は上下2本づつが通過
   ※ 動橋・粟津は上り始発と下り最終のみ停車
   ※ 松任は上下2本づつ停車
使用車両:交直流電化路線なので、交直流区間双方で運行できるた交直両用電車が使用された
     登場時は471系で、その後改良型の455・475系が運用に就いた
乗車経験:ナシ

t20-mb (3)
当時は急行【くずりゅう】より
コッチの方に気を引いたよ
当時の米原~敦賀は
キハ20による
気動車運行だったりする

撮影経験:米原駅で1枚だけ撮影経験アリ
     この時は米原~敦賀の普通列車は、気動車のキハ20だったよなぁ


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・・前回の続き
3つ目は金の使い方である
政治屋共にとって利権が大きな外人や
国際大会等の参加者の強化支援など
必要のない事に金を使い

経済支援に使うべき金も
外人を含めた働かない弱者を標榜する
奴らに多くバラ撒いたからである

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感染爆発を招いてまでメダルを取って欲しいか?
ワテはこの感染爆発状況では感染拡大を呼ぶ
害でしかないメダルなんか要らねえよ
欲しいのは感染終息による
活気ある日本の経済再生だよ

この武漢コロナ災禍を終息させるには
感染源は最初に東京五輪の参加等で入国した外人で
感染を広めたのもシナ五輪の強化で日本に入国した
外人強化スタッフである事実を認めて
感染源を外人と特定した対策を取る事だったのだ

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東京五輪の開催でこの災禍を引き起こした
政治屋共を国民殺しの国家反逆罪として
糾弾・処罰して二度と
このような事を繰り返さない礎にする事

そして経済の再生に支援(金を出す事)を特化し
バラマキはやめて金額の上限を定めて
中小企業や店舗経営者や個人商店等に
無利子無担保で融資をしていく事である

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働かず弱者を標榜する奴に支援の必要はなく
職を斡旋して働かせるべきなのだ
バラ撒くと給付金詐欺のような犯罪の温床となるだけで
受けた奴は必ず「もっとよこせ!」と
なるのが見えているのである

飲食店などの営業自粛も
時短も必要ないのである
強いて言えば感染源である
外人の入店をお断りする位だろうね

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それと普段から外人とは一定の距離を保ち
エレベーターとか密室空間となるモノなどは
一緒に乗らないなどを心掛けるといいだろう

必要以上に意識するな!っていう奴もいるが
この武漢コロナ災禍は死者3万を超えるなど
東日本大震災より多くの死者を出す大惨事
なのだし経済的な被害も含めると「必要以上に
恐れるな!」という奴の方が詭弁なのである

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だからこの武漢コロナ災禍を正しく理解し
『最初の感染源は東京五輪に参加するべく
入国した外人である』というもはや言い逃れの
できない事実の下に適正な対応をする事で
終息に向かって対策を進めるべきだろうね




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