2022-07-23 (Sat)✎
『路線の思い出』 第495回 日高本線(未成線)・襟裳岬駅予定地 〔北海道〕
だってやり方解らんもん
岩礁が沖まで続く
絶景を魅せる襟裳岬
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’20)
苫小牧~鵡川 30.5km 95 / 1531
※ 苫小牧~様似の数値
廃止区間 廃止年月日 転換処置
鵡川~様似 116.0km '21・4・1 道南バス(苫小牧〔札幌〕~浦河)
JR北海道バス(静内~えりも~広尾)
運転本数(’22)
下り8本・上り9本
災害休止以前の運行本数
苫小牧~様似 下り5本・上り6本 静内~様似 下り2本・上り1本
苫小牧~静内 下り3本・上り2本(内1往復 土日運行)
苫小牧~鵡川 2往復(土日上り1本増便) 浦河~様似 1往復
※ ’15年の高波による土砂流出の為、以来鵡川~様似で代行バス運行のまま
復旧される事なく路線廃止となった
北海道を代表する
岬観光地となった襟裳岬
襟裳岬 えりもみさき (日高山脈襟裳国定公園)
北海道幌泉郡えりも町えりも岬に属し、太平洋に面する岬である。 北緯41度55分28秒・東経143度14分57秒に位置する。 北海道の形を大きく表徴する自然地形の一つで、日高山脈の最南端が太平洋に向かって南へ突き出しており、海上には岩礁が点在する。
心動かす情景を魅せる
暮れゆく襟裳岬
日高山脈の南端部に位置し、沖合い7kmまで岩礁が連なる。 岬の周囲は高さ60 mに及ぶ断崖となっており、三段に及ぶ海岸段丘が発達している。 眺望が開けており、日高山脈襟裳国定公園の中核を成す観光地となっている。
海際に咲く花が
ちぎれんばかりに吹く強風が
岩礁に波の花を呼び起こす
風が強い事で知られ、山岳の観測地点を除く風速が計測できる全国900以上のアメダス地点では、年平均の風速値において襟裳岬の観測地点が最も大きい数値を出している。 1981~2010年の年平均風速は8.2m/s との事。 また、風速10m/s 以上の風の吹く日が年間270日以上あるとの事。
夕陽に染まる襟裳岬灯台
岬上の襟裳岬灯台は海抜73mに位置し、光達は22海里に及ぶ。 1889年に初点灯した。
沖合で暖流の黒潮(日本海流)と寒流である親潮(千島海流)とがぶつかって濃霧が発生しやすい為に霧笛が備えられていて、2009年4月10日までは無線方位信号所も備えられていた。 周辺海域はゼニガタアザラシの最大の生息地であり、岬の至る所でその姿を観察できる。 また、昆布の生産でも知られ、『日高昆布』として全国有名ブランドとなっている。
地名の由来は、アイヌ語の「エンルム(enrum)」(岬)または「エルムン(ermun)」(ネズミ)などがある。 森進一の歌謡曲で、第16回日本レコード大賞を受賞した『襟裳岬』(1974年岡本おさみ作詞・吉田拓郎作曲)で、一躍全国区の岬として名が知れ渡った。
建設される事は元より測量さえもなかったが、1922年4月11日に公布・施行された日高本線の建設の元となる『改正鉄道敷設法』の第133号の別表に記載された条文には、『北海道苫小牧市苫小牧地区より北海道勇払郡むかわ町鵡川地区(以上胆振支庁管内)、北海道浦河郡浦河町浦河地区(日高支庁管内)、北海道広尾郡広尾町広尾地区を経て北海道帯広市帯広地区(以上十勝支庁管内)に至る鉄道』として建設構想があったのである。
在りし日の広尾駅
:
当時は十勝の主要港であった広尾の港に
物資を運ぶ目的で建設された広尾線
愛国・幸福の縁起切符ブームで
脚光を浴びた広尾線も
廃止になって35年の時が経った
:
幸福駅跡にて
静態保存されている気動車
そして、日高本線が苫小牧より様似まで開業し、一方の帯広側も広尾線が帯広~広尾で開業していたが、広尾線は廃止対象の特定地方交通線の第2次路線に指定され、1987年2月2日に全区間路線廃止となっている。 そう・・、廃止となってもう35年の歳月が過ぎているのである。
日高本線の鵡川~様似は
2015年の冬に高波による路盤流失災害で
不通となったまま路線廃止となった
※ 毎日新聞のウェブ記事より
また、様似まで延伸していた日高本線も、2015年の高潮による路盤流失災害により、以来鵡川~様似で運休となり、JR北海道の経営状態が芳しくなかった事から復旧される事なく、2021年の4月1日に正式に路線廃止となっている。
国鉄時代からずっと
えりも町と襟裳岬への観光輸送は
国鉄バス・日勝線が担っていた
JRバス・日勝線の運行マップ
※ JR北海道バスのウェブページより
そして現在は、浦河までの日高振興局内の行政区は道南バス、一大観光地の襟裳岬を含めた静内から襟裳岬を通って帯広までは、JR北海道バスが廃止代行輸送を担っている。
JR北海道バスのえりも駅バス待合所
:
岬の手前に人口4000人の町があり
バスが生活路線ともなっている
以前のえりも駅バス営業所
1998年までは窓口業務もしていた
また現在も札幌行の
高速バスが設定されている
※ 上下いずれもウィキペディア画像を拝借
即ち、鉄道在りし時も未成区間であった様似~襟裳岬~広尾には、国鉄時代から『日勝線』というバス路線があって、襟裳岬を要するえりも町の生活公共交通路線ともなっている。
風の館から150mほど離れた
第二駐車場が襟裳岬駅の駅予定地だった
※ グーグルアースの写真を印刷の上で転写
だが、この細長い鋭角二等辺三角形のような岬に鉄道を通す構想が存在し、おぼろげながら『襟裳岬駅』の駅予定地も定められていたとの事なのである。 その場所がこの岬第二駐車場で、岬園地から150m離れているだけなのである。
遊歩道の150mは歩いても
駐車場とレストハウスの150mは
拒否る観光客の心情
その駅予定地に立ち寄って、岬から150m離れただけで歩くのを拒否した観光客により敬遠されて1台として駐車する車のなかったこの駐車場に、ワテは車を止めてテントを張って泊まった事があるのである。
果てなき情景に
魅せられて心を癒すべく
その訪れた時が、当時のワテにして最大の出来事(一昨年の『スーパーオチャメ』で霞んでしまったけど)の後で、やや感傷的な心持ちであったので、襟裳岬の情景と共に心に焼きついているのである、
そして感傷的になった心を
立ち直らせて再び山に挑むべく
海の情景に魅せられにやってきたのだ
その『当時のワテにして最大の出来事』とは、日高のヤマで3日3晩大雨に降られて、沢が増水して沢を渡る事が出来ずに一週間カンヅメを食らって、便乗だったとはいえヘリに乗っちゃったのである。
3日3晩雨に降られて
カールの石碑になりかけますた
もう、地方紙であるが「日高に入山した2名帰還せず」と報道され、止めていた車が現場検証されて、自衛隊が出動要請(もう一人の遭難者の爺さんの家族が要請したらしい)受けて、対戦ヘリ(武装可能ヘリ)に乗っちゃったよ。 でも、ワテはともかく(暴風でテントがヒシャげて浸水したけど)、爺さんはツエルトが風雨で潰れて雨ざらしとなっていて、あと1日遅れてたらヤバかったらしい。
最初に行った時は
夢の楽園だったんだけど・・ね
また、人生で初めてフラッシュを浴びて、『行方不明の2人救護される』の記事にも載ったよ。
地方紙には写真付きで、全国紙の読売新聞の北海道版には、10行くらいの活字が載ったよ。
『無職の放浪野郎』と身バレした上で・・である。
でも唯一の無事救出例だぁね
でも、無職で金なかったので、救助される時に「コレ・・、タダですか?」と自衛隊の兄ちゃんに聞いてしまったよ。 思えばビックな野郎だねぇ、ワテも。 まぁ、自身では水が引いたら自力で降りるつもりでいたし、腹が減らなくて食料が2日分(消費ペースでいうと1週間はもっただろうね)余っていたしィ。
救出された日は駅跡の遊具で
必死にハシャイでいたよ
※ ウィキペディア画像を拝借
この事の詳細は来るべきの『よも“ヤマ”話』で語る事にするが、救助の日は中札内の駅跡で遊具に乗って、いい年してハシャイでしまったよ。 救助の翌日にお礼に帯広の航空自衛隊にお礼の挨拶に行って、その後は後だけに「しばらくは心を落ち着かせるべく沈殿(ヤマにいかずに下界を彷徨う事)しよう」と、まだ訪れた事のない襟裳岬を訪れたのだった。
心情的にしばらくヤマはお預けだったので
心を落ち着かせる景色が魅たいと
選んだのがこの襟裳岬だった
そして、1台の駐車もなく車寝の場所として選んだこの駐車場が、何かの案内板を目にして『国鉄・日高本線の襟裳岬駅予定地』だって事を知ったのである。
この地形では
途中駅形態はムリですね
※ ウィキペディア画像を拝借
まぁ、この襟裳岬まで路線を延伸したとしたなら、駅を設ける場所はこの駐車場以外になかっただろうし、延伸してたなら鋭い二等辺三角形な岬地形からして、恐らく突端式の折り返しスイッチバック駅となっていただろうね。
近くで金鉱がある訳ではなく
道路維持に莫大な費用が掛かるので
『黄金(の維持費のかかる)道路』と
名付けられた訳ですね
※ ウィキペディア画像を拝借
そして、黄金道路は気象状況が悪くなるといつも通行止めとなるので、人もいないし産業もないので鉄道の延伸は技術的にも経営的にもムリと判断しただろうね。 ならばどうするか・・と言えば、幌別(浦河より2つ様似寄りの駅)より分岐して、国道236号線の天馬街道と同じく日高山脈をぶち抜いてダイレクトに広尾に向かう方法で、幌別~襟裳岬は盲腸折り返し支線(運用は浦河起点)となっていただろうね。
道道111号の工事凍結で渡る事が
必須となったこの沢を渡る必要がなくなるね
となると〔名峰次選〕で最もムズい
このペテガリ岳も簡単に行けるようになるね
戦前は、無駄の権化として2003年に工事凍結された道道111号線の《静内中札内》のルートが選択されてたようで、このルートだと沢で出足払いを食って脇腹2本折れたまま下山した日高のペテガリ岳が、鉄道で登山口まで行ける事になっちまうね。
もしかしたら沢をドブドブ渡らねば
たどり着けないこの山荘前に
駅が設置されたりして
:
※ 工事凍結となった道道111号線の
静内寄り(静内より約60km)に
この山荘があります
となるとアバラ骨2本折って
沢下りしなくて済んだかも
まぁ、鉄道が陸上輸送の主役の座を奪われた時から、こんな採算的に成り立たない延伸計画は有り得ないだろうけど、この記事を書いてる間だけは、襟裳岬への『夢鉄道』に想いを馳せる事にしましょうか。
ワテはユーチューブやニコ動等の動画サイトは
写真界にとって害のあるモノだと思っている
なぜなら対立相手の攻撃だけを目的に
編集と嘯く捏造のし放題だからだ
このように感じたのは最近出された捏造動画である
それは山手線の駅で線路にサイフを落とした奴が
すぐに拾ってくれ!と駅員氏に命令したのだが
電車が頻繁に通る山手線では終電までムリと
当たり前の事だが拒否されたのである
駅員氏の拒否に怒ったこの男は山手線の
全ての電車の運転を停止させる
非常停止ボタンを押す
犯罪をしでかしたのである
男が非常停止ボタンを押したのを見た駅員氏は
「何て事をするんだ!」とこの男を詰り倒したの
であるがその怒って詰り倒す駅員氏を動画に撮って
客に対して言いがかりをつけで暴言を吐く
態度最悪の駅員として叩こうとしたのである
でもバカは所詮バカで列車往来妨害罪という
犯罪である非常停止ボタンを押した事を
編集して消去した事が簡単にバレて
下手したら列車遅延の損害賠償で
訴えられかねない立場となってるようだ
でも鉄道会社側も事を荒立てたくないと
訴え出る事はしないだろうね
だがこういう事を二度と起こさない為にも
この男に列車遅延及び駅員氏の名誉毀損で
数千万単位で損害賠償請求をするべきだろうね
もうこの男が土下座して謝る姿を動画に
撮って晒すまでしないと第2第3の同じ
ような事が起こるだろうね
また有無を言わず鉄道警察隊に
連行してもらうのも防止策の一つかもね
他にも飲食店の店員の
態度が悪いやら味が最悪やらと
動画という攻撃手段を使って
個人の鬱憤を晴らす輩が
後を絶たないのである
それもコレも捏造のし放題という
デジタル画像の悪い面が暴走して
止まらなくなったのだろうね
コレって写真の真実性に対する害でしかなく
写真の魅力や力が失われた元凶なのである
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アクセス数に比べて拍手が異常に少ない理由は、「本当の事だけど遠慮ナシに完膚なきまでに指摘糾弾する」ワテの嫌われる性質だと判りきってるし、今更この性質は変えられないので致し方ありませんね。
だけど、記事内容には一定の期待を持たれているようで、アクセス数だけはそれなりに多いみたいで。 FC2に移って3年3ヶ月で20万アクセスだしィ。
それでは、間もなく通算35万アクセス(残りあと750足らず)もクリアするので、クリアしたらanniversary記事おばアップしようかと。 たぶん、27日頃かと。