2022-07-16 (Sat)✎
『日本百景』 夏 第521回 九重・三俣山 〔大分県〕
三俣山に向かって
ピンクの絨毯が敷き詰められて
※ 平治岳より望む三俣山
三俣山 みまたやま (阿蘇くじゅう国立公園)
大分県竹田市と玖珠郡九重町の境界に位置する峰であり、九重連山を形成する火山である。
なお、標高は主峰である本峰で1745mとなっている。 九重連山の代表的な登山口である長者原(ちょうじゃばる)から見て、正面(南東側)に位置する峰で、どこから見ても3つの峰が見える事からこの名がある。
歳食ってヘタレとなったので計画を変更して、『久住別レ』に新たに建てられた避難小屋で一泊したが、これが大正解で九重の夜明けのシーンを堪能する事ができたよ。 空が夜明け前のスペクトルの色彩を魅せ、山が朝日で染まり、山の肩から昇る御来光の神々しさに、武漢ウイルス災禍など今日の嫌な事をいっとき払拭する事ができたよ。
しかし、実際には本峰(1745m)・南峰(1743m)、北峰(1690m)、西峰(1678m)の4つの峰から構成されており、最高峰の本峰に標高1,744.67 mの三等三角点が設置されている。 北峰と本峰の間には大鍋・小鍋と呼ばれる2つの火口跡(凹地)がある。
どこから見ても
3つの峰をもたげた
三俣を魅せる三俣山
三俣山は飯田火砕流以降の約15000年前までの火山活動によって形成され、トロイデ型火山特有の冠型の複数の峰をもたげている。 下位から順に西峰を中心とする三俣山噴出物下部・指山溶岩・湯沢山溶岩・本峰を中心とする三俣山噴出物上部に区分される。 西峰と本峰は溶岩ドームであり、周囲を火砕流斜面で取り囲まれている。
夜明け前・・
スペクトルの空に
影として溶け込む三俣山
三俣山の北西側に見られる松の台岩屑なだれ堆積物は、以前の研究では泉水山起源と考えられていたが、2000年以降の研究では堆積物中の木片の年代測定より、三俣山火山成長途中での火山体崩壊が原因と考えられている 。
初夏の花期には
ミヤマキリシマのピンクで山が染まる
対峙するどの山々から望んでも3つの峰をもたげる『山』の字を示す姿を魅せ、また5月下旬のシャクナゲから始まり、初夏のミヤマキリシマ・イワカガミなど花も豊富で、大鍋・小鍋の変化に富んだ『お鉢めぐり』など、登山の魅力もいっぱいの九重連山の中で最も楽しめる峰なのである。
行程記録 → 『日本百景』の行程表と所要タイムが大いに異なりますが何か?
《1日目》 豊後中村駅よりバス(1:00)→牧ノ戸峠(3:00)→九重・中岳(1:00)→久住山
(0:40)→久住分レ避難小屋
《2日目》 久住分レ避難小屋(1:10)→スガモリ越(1:10)→三俣山・本峰
三俣山・本峰より三俣山のお鉢めぐり、三俣山・北峰を通って所要2:30
※ 三俣山・本峰から下る踏跡は傾斜がキツく危険なので、南峰からの緩やかな
ルートを伝っての一周コースの方が断然よい
三俣山のお鉢めぐり(2:30)→三俣山・南峰(1:10)→スガモリ越
(1:10)→法華院温泉・坊ヶツル
《3日目》 法華院温泉・坊ヶツル(1:00)→大戸越 (0:40)→平治岳(0:35)→大戸越
(1:35)→段原(0:35)→大船山(0:25)→段原(1:45)→法華院温泉・坊ヶツル
《4日目》 法華院温泉・坊ヶツル(2:00)→長者原よりバス(0:55)→JR豊後中村駅
※ 前回の『第520回 九重山』の続き
朝日に染まる久住山
《2日目》 三俣山・お鉢めぐり
九重の山々の夜明け前
前日の夕方に魅た久住山
日ノ出のいっとき前
空がスペクトルの色彩を放ち
日の出前の優しい光が
山をほのかに染め始める
久住山も幕が上がるように
朝日に照らされていく
そろそろその瞬間が
近づいてきたようだ
火山ドームの荒々しい姿の星生山が
朝日に照らされて
限りなく穏やかに見えた
:
そして日の出へ
この情景はもはや言葉では語れない。 『写真床』のウデではあるが、ワテが感銘して「この情景を自らの手元に残したい」と欲して、フイルムに刻んだ美しき情景をごろうじろ。
そして日の出へ
阿蘇の山々がミルク色に染まって
いよいよその時がやってきた
久住山の影の幕は
いっとき停滞した後に
力強く染まり始める
そう・・中岳の背の部分から
光が差し始めたのだ
その光は力強く
辺りの山々が黒い影と化す閃光となった
その強い閃光は阿蘇の山まで届いて
朝の色で染め上げていた
目指す三俣山が影から
緑のグラデーションに変わる頃に
出発しようか
山々に囲まれた『久住別レ』での至福のひと時は、約1時間ほどで日も高くなってきて終わりを迎える。 この朝のショータイムを堪能したなら、荷を担いで『久住別レ』から対峙する三俣山に向けて、その間にある深い白砂の谷を下っていこう。
朝日を浴びたミヤマキリシマの花が
朝の余韻を魅せていた
早朝から朝への移り変わりは
朝の光を浴びた花の色が現わしていた
かつての『奇跡の体力』のホルダーだった頃から四半世紀ぶりに通るルートだ。 あの時は上りだったが1時間足らずで『久住別レ』に登り着く事ができたけど、歳食ってヘタレた今は足や膝の踏ん張りが利かずにフラフラと安定感がなく、いつ転ぶか・・とヒヤヒヤしながら下るので思いっきり時間がかかる。
三俣山への分岐となる『スガモリ越分岐』まで、下りなのにあの時より30分近くもかかってしまったよ。
『奇跡の体力』を有した時に
苦も無く駆け上った坂が
長くキツイ下りとなっていた
そして、6月というのにかなり暑い。 そして、火山の中なので水は流れてるが、飲めるかどうかが判らずに持ち水だけで過ごさねばならない。 昨日に『久住別レ』で、裏技を使って水を補給しておいて助かったよ。 持ち水1.5リットルの1/3程消費して、テント一式の荷物を分岐の道標の前にデポして、三俣山へと向かう。
帰り着いた時はヘバって
この岩室の影でヘタリまくったよ
三俣山の取付き点となる『すがもり越』までは、岩屑の積み重なった火山壁を15分程登るといい。
着いた『すがもり越』には直射日光を避けられる岩廊の休憩舎があり、下りの時には大変お世話になったよ。 その事は、下った時に話そうか。
岩廊の休憩舎の正面に三俣山がデンとそびえ、その短い距離でイッキに西峰の頂上まで上がっていくので、危険な所はないもののかなりの急傾斜で、ヤマに慣れてないふくら脛だと途端に爆発して突っ張ってしまうだろう。
さっき下りてきた下り道が
登り始めてすぐに
同じ目の高さになってきた
まぁ、登山初心者の増加でルートは多くにつづらに切られ、昔より登るのが楽になっているようだが、昔は『奇跡の体力』のホルダーという最盛期だったので、比べると道がよりつづらに切られているにも関わらず、今回の方がキツかったよ。 確か・・、最盛期は本峰まで1時間を切っていたっけ・・。
ちなみに、今回は1時間と8分(10分と言わない所がコスい小市民)デス。 登りはキツいが、九重の山々を一望できる絶景が後押ししてくれるだろう。
振り向けば火山灰土で白く輝く
九重の本峰が
見護ってくれていた
ルートは西峰 1678m までが滑りやすい粘土質の急登で、コレを越えると一度緩く下ってから本峰の高みに向かって斜めを切って登っていく。 空身だし、西岳を越えた頃からミヤマキリシマの花々も現れ出すので、『登り』は比較的楽にこなせた。
頂から続くピンクの花の波
でも、苦手の『下り』でオツリ以上の目に遭うのがこのタワケ(筆者)の『クオリティ』なのである。 その『クオリティ』は後ほどに・・。
頂上丘付近は萌える緑だった
頂上から続くピンクの
花の波を追っていくと
草付きとなった頂上丘まで登り、本峰と南峰を分ける分岐を左を向いて緩やかに辿っていくと、〔名峰次選〕の三俣山 1745m の頂上である。
三俣山本峰から望む大船山と
ミヤマキリシマの花コロニー
九重の山の中央に位置する頂上からは九重の全ての山々が一望でき、雨ヶ峠の湿原や飯田高原のライトグリーンの草原も望める。 そして、より目を引くのが、直下に大鍋・小鍋という噴火口のすり鉢を挟んで対峙する三俣山で最も岩肌を露出した北峰であろう。
北峰の背後はライトグリーンの飯田高原が広がり、真に桃源郷を隔てる岩壁のような様相を魅せている。 最盛期より20分ばかりかかったとはいえまだ午前8時台で、「このまま引き返すのは勿体ない」という気持ちがもたげてくる。 それは、「時間もある事だし、一丁・・お鉢めぐりでもしてみるか」って事である。
でも、指定された『お鉢めぐり』ルートの降り口は隣にある南峰で、本峰は引き返すだけの登山初心者しか見当たらないのである。 でも、タワケは『危険!通行禁止』の立て札を越えて、踏跡を伝っていく。
こうしてタワケは、『自爆の扉』を開けて中に入っていくのである。
『通行禁止』の道は
右端の大崩れの隣の筋です・・たぶん
その『危険!通行禁止』の踏跡は、初めは通り良い道だったが、徐々に傾斜を増して、本峰のトロイデの縁まで行くと、その先は土砂の崖となっていたのである。 引き返せばいいものを、タワケはこういう時だけは率先して進んで自爆する『クオリティ』なので、構わず下り始める。
北峰からドアップで撮ると
大いに滑落の危険がある事が判りますね
土砂崖は見た目懸垂下降にも思える程に急で、掛かっているゼブラロープや枝を握りながら下っていく。 当然だが、一度下ると引き返すのは「絶対嫌だ」と思えるほどの急下降だ。 なので、ムリヤリ下っていく。
ちなみにこのルートは雨ヶ峠への短絡ルートだが、急過ぎて誰も通らず廃道となった道のようである。
約40分位手に汗握る下降をして、汗ダクダクかいてようやくお鉢の底に出る。 お鉢の底で『お鉢めぐりルート』と合流すると、途端に立って歩けるようになったよ。
小鍋の底に咲くミヤマキリシマを見て
汗が大量に噴き出たよ
そこで、正規の『お鉢めぐりルート』を伝ってきた人とあって、正規ルートの状況を尋ねるが「少し急だけど大した事ないよ」だって。 ワテの40分に及ぶ滑落の危険を伴った懸垂下降は、いったい何だったのだろうか? やっぱりモノ事は端折ると、大概ロクでもない事になりますね。
現場写真は撮れませんでしたので
ピンクの花でお口に濁しを・・
この危険と背中合わせの急下降では、もちろん写真など撮れませんでしたので悪しからず。
そして、これで『今日の体力』の半分以上を使い果たしてヘロヘロとなったよ。 にも関わらず、北峰の登りは西峰までの急登を髣髴させるような急登で、正規ルートを歩いてきた先程の人に完全に後れを取って、登りだして10分もたたないうちに視界から消えたよ。
身の危険を経て登り着いた
北峰は残念ながらショボかった
北峰から望む
飯田高原のライトグリーン
それでも何とか登り切って北峰 1690m の頂上を踏んで、三俣山の完全制覇ができたよ。
後は、アップダウンを繰り返しながら火口壁を伝って、最後は南峰にイッキ登りするだけである。
北峰からは火口壁のアップダウンと
南峰への200mイッキ登りで
暑さにヘバって写真を撮る
余裕などアリマセンでした
この『お鉢めぐり』ルートは少々キツいものの、正規ルートさえ外さなければ初心者でも行けそうなルートのようである。 まぁ、下心満載で自爆した『廃道ルート』は、『永遠の技量初級者(っていうか進歩ナシ)』のワテで“一杯いっぱい”って所だろうか。
2時間半かかって何とか
本峰より直線距離で300m先の
南峰へたどり着く事がてきますた
でも、最後の直登はヘバっていた事もあって、暑かったよ。 こうして、本峰からの『廃道ルート in お鉢めぐり』は、2時間半かかって南峰まで無事にたどり着く事ができたのである。 でも、暑さも相俟ってかなり疲れたよ。 ここで、分けて持ってきた水(午前11時に飲む午後の紅茶の味付け)を2/3飲んで、一息入れてから『スガモリ越』に向けて下っていく。
こんな写真を掲載してるので
このタワケを
一端の玄人登山者と思ったら大間違い!
1回の山行で必ず1回は『オチャメる』
スーパーオチャメゲッターだったりするのです
だが、ここでタワケの『クオリティ』が炸裂するのである。 本峰からやってきた為に今イチ下山ルートが解らずに、変な踏跡を下って行ったのである。 つくづくこの日は、正規ルートを外すよなぁ。
だからか下り過ぎて、楽だった記憶のある西峰までは強烈な登り返しとなったよ。 もう、ヘタれた上に想定外の登り返しに、踏み跡をショートカット(今日3度目の道踏み外し)して西峰の反対側にトラバースしたよ。 まぁ、このタワケは人生においても御多分に軽く道を踏み外しているので、「これ位はどうって事ない」と嘯くデスと。
この日2度目の『オチャメ』は
ちょっとした道の取り違い
これは萌える新緑写真で誤魔化そう
:
スーパーオチャメの時に言われたよ
「よく生きてたね」と
想定外のブッシュ漕ぎも合わさって、『スガモリ越』の岩廊に着いた時はヘロヘロがピークに達していたよ。 分けて持ってきた水を全て飲み干しても乾きは癒えず、岩廊の中で20分くらいヘタっていたよ。 そして、荷物をデポした分岐までの15分の下りは足が前に出ず、下るのに30分近くかかったような気がする。
でも、デホしたザックに残しておいた水600ml(今のペットボトル飲料は600ml入りもあるしィ)の半分以上を飲むと多少復活したよ。 後は、照り返しのキツイ白砂の浜を伝って、下方に見える坊ヶヅルの草原まで行くだけだ。 それに風呂も待ってるし、温泉小屋に着いたら久々にコーラ(身体が弱ってから胃に負担のかかるサイダーは控えていた)を飲むとしよう。
日に焼けた腕がシビレたよ
この刺激に一瞬ヘタレが収まったよ
※ 法華院温泉のウェブサイトより
・・こうして、温泉小屋に着いたのが午後2時で、風呂に入ってサッパリはしたもののヘタれた足どりで坊ヶヅルのキャンプ場までゆき、ダラダラと胡坐をかいたり芝生に寝転がったりしながらテントを設営して、『お鉢めぐり』のこの日を終える。
次回はピンクに染まる
花の山旅でっす
翌日の天候が下り坂だった事だし、3日しか休みが取れないので、今回の山行では明日は平治岳をめぐっただけで下山となったが、ミヤマキリシマの峰・平治岳と九重のもう一つの盟主である大船山を登るべく、記事では1日山行を延長しますね。 なので元ネタは、2年前に歩いた山行を語っていこうかと。
※ 続く《3日目》は、次回の『第522回 ミヤマキリシマの峰』にて
物価高に対する政策としては
企業に賃上げを要請して消費者層である
我々一般ピープルの所得を上げる事が
一番の良策であるが
賃上げを促す為には企業がより利益を
上げる事が絶対条件となるのである
利益が上がらぬのに賃上げを要請しても
賃上げを受諾する企業などないのである
従って日本の主幹産業である輸出製造業が
利益を上げている円安状況を破棄して
物価対策と称して金利を上げる円高誘導をすると
タダでさえ東京五輪開催で蔓延した武漢コロナの
ダメージと相俟って途端に不況となるのである
それでなくても外人利権を目論む政治屋共が
病原体で感染源である
外人の入国を緩和しただけで
日の感染者数が7万超となったのである
その上にバカな奴らが「国力を増強する為に
金利を上げろ!」とホザいてるのである
でもこんなバカが一流大学出やら有名大学の
経済専攻の教授やらと本当に恐れ入るよ
金利が上がると企業の業績が途端に悪化して
再び派遣切りなどが起きて失業者が増大するし
企業の業績が落ちるのだからそのしわ寄せは
下請け企業に及んで潰れる下請け企業が出て
さらなる失業者増になるかもね
もちちん賃上げなんて夢のまた夢で
正社員でさえ雇用が怪しくなり
また破産者や倒産企業が増大して
大不況が到来する危険すらあるのだ
たから物価高の対策に好景気である事が
必須条件の金利上げによる円高誘導は
絶対にしてはならないのである
ならば他に方法は・・というと
次回に続く←引っ張る事を覚えたタワケ
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