風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第19回  うそり・しもきた

『ネームトレイン』 第19回  うそり・しもきた

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急行【陸中】などに使われてていた
急行用の車内設備を有した車両を
引っ張ってきたようだ
※ ウィキペディア画像を拝借

  快速〔うそり〕・〔しもきた〕 ・・ JR東日本及び青い森鉄道が、現在も八戸~大湊などで運転している快速列車である。 現在は上り4本・下り3本の運転で、運行区間は八戸~大湊の上り2本・下り2本、八戸~野辺地(野辺地~大湊は普通列車に格下げ)上り1本・下り1本、野辺地~大湊:上り1本の列車が設定されている。 また、2021年3月12日までは、野辺地から青い森鉄道線を北進して、青森まで運転する列車が1往復設定されていた。

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ワテにとっての『しもきた』とは
仏ヶ浦のモアイです

当列車は、1961年10月1日に盛岡・鮫~大鰐の準急【八甲田】を改称して、準急【しもきた】としてデビューしたものである。 デビュー当時は大畑~青森で上り列車のみの運転であった。 また、愛称を譲った【八甲田】は、上野~青森の急行列車名称に採用されている。 1962年10月1日には準急【しもきた】の鮫編成を分離し、久慈~盛岡を運行する準急【うみねこ】の運転を開始する。

だが、1965年10月のダイヤ改正で準急【しもきた】は【みちのく】に改称され、同時期の国鉄の実施した列車種別改定で急行に格上げとなる。 それからすぐの1966年10月1日に急行【うみねこ】が廃止となり、【しもきた】の名は盛岡~大鰐駅(上り)・碇ヶ関(下り・弘前~碇ヶ関は普通列車)の急行列車に充てられた。

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下北半島は鉄道より
岬と秘境めぐりに熱中してたので
鉄道写真が少ししかアリマセン
※ 冬の仏ヶ浦にて

急行【しもきた】は弘前運転区(当時)のキハ58系気動車3両を基本編成(全車普通車自由席)とし、一部区間で付属編成を増結して運行していた。 盛岡~八戸で2両、青森~弘前では5両(うち1両はキロ28形・自由席グリーン車)の増結を行っていた。 なお、急行【しもきた】は、1982年11月15日のダイヤ改正で廃止となって、1993年12月に快速として復活するまで一時的に名称が消滅した。

一方、八戸線では1968年10月1日に、青森~鮫・大湊で急行【なつどまり】の運転が開始(青森~野辺地は急行【しもきた】と併結運転)された。 だが、1978年10月2日のいわゆる『ゴー・サン・トウ』のダイヤ改正で急行【なつどまり】は快速列車に格下げ(運転区間・併結運転はそのまま)となる。

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赤鬼塗装って
快速〔うそり〕用だったのね
※『列車名鑑・うそり』より

1988年3月13日に快速〔なつどまり〕の運転区間が分割され、大湊編成が快速〔うそり〕、鮫編成は快速〔うみねこ〕となり、青森~野辺地で上り列車のみ併結運転が行われ、下りはそれぞれ単独運行となった。 また、〔うそり〕は当時の新鋭気動車であったキハ40系に置き換えの上で3往復運行され、大湊線内ではワンマン運転が実施された。

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もうこの蓬トッピングも
製造から30年になるのね
当時は今イチに感じたけど
JR西日本のキハ120などそれ以下のが
出てきたのでJRの気動車では一番マシに
※『快速しもきた・大湊行』より

1993年12月1日:青森~大湊の快速〔うそり〕をキハ100系に置き換えた上、快速〔しもきた〕に名称変更されて5往復に増発される。 2010年12月4日の東北新幹線新青森開業に合わせて、快速〔しもきた〕の八戸発着列車が1往復から2往復に増発される。 これに伴って青森発着の〔しもきた〕は3往復から2往復に削減される。 また、停車駅が改定となり、青森発着列車は東青森に、八戸発着列車は上北町と下田駅(1往復のみ)が新たな停車駅となる。

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ワンマン運転となって愛称表示が
『ワンマン快速』になっちまったよ
※ 八戸駅にて

2013年3月16日のダイヤ改正では、青森発着の快速〔しもきた〕のうち1往復を八戸発着に変更し、快速〔しもきた〕は八戸発着3往復・青森発着1往復となる。 また青い森鉄道線内がワンマン運転化され、全区間ワンマン運転となる。

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コレ撮るより現地に
向かう方が厳しいよ
国道338号は全面凍結の
峠道という『酷道』だしィ

2017年3月4日のダイヤ改正では、青森駅発着の快速〔しもきた〕が浅虫温泉~青森で各駅停車となる。 2018年3月17日のダイヤ改正で、青い森鉄道線内完結の快速列車が廃止され、本列車が青い森鉄道線内で運行される唯一の快速列車となる。 2021年3月13日のダイヤ改正では青森発着列車が廃止され、新たに大湊線完結の上り列車が設定されるなど、現在は八戸と大湊線を結ぶ列車となっている。

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ヘッドマーク付きの
快速〔しもきた〕
少し流れたけど
キハ58の快速だから貴重でしょう

《列車データ》
運行区間:八戸~大湊 109.8km 以前は青森~大湊及び八戸(八戸線の鮫からの列車もあった)
                 ~大湊・青森の多層建て列車であった
                 最盛期は青森を越えて弘前や碇ヶ関まで運行していた
運行期間:1961年10月 1日:盛岡・鮫~大鰐の準急【八甲田を改称して、準急【しもきた】となる
       1962年10月 1日:準急【しもきた】の鮫編成を分離し、久慈~盛岡を運行する準急
              【うみねこ】の運転開始
       1965年10月    :準急【しもきた】を【みちのく】に改称
               また、国鉄の列車種別改定によりこの時期に急行に格上げ
       1966年10月 1日:急行【うみねこ】の廃止及び、盛岡~大鰐(上り)・碇ヶ関(下り・
              弘前~碇ヶ関は普通列車)に急行【しもきた】の名が充てられる
       1968年10月 1日:青森~鮫・大湊で急行【なつどまり】の運転が開始(青森~野辺地は
               急行【しもきた】と併結運転)

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〔なつどまり〕・〔からまつ〕・・
乗りたかったなぁ
※『国鉄急行列車《東日本編》』
廣田尚敬 著 より

       1978年10月 2日:〔なつどまり〕が快速列車に格下げ(運転区間・併結運転はそのまま)
       1982年11月15日:急行【しもきた】廃止

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〔うそり〕の名の由来は
恐山にある宇曽利山湖からだが
恐山は知られていても宇曽利山湖は
知名度が低そうですね
※ ウィキペディア画像を拝借

     1988年 3月13日:快速〔なつどまり〕の運行区間が分割されて、大湊編成が快速
              〔うそり〕、鮫編成が快速〔うみねこ〕となる
               なお、青森~野辺地における併結運転は上り列車のみ実施
              〔うそり〕をキハ40系に置き換えた上で3往復とし、大湊線内での
               ワンマン運転を開始する
     1993年12月 1日:青森~大湊の快速〔うそり〕をキハ100系に置き換えた上で、快速
              〔しもきた〕に名称変更されて、5往復に増発
     2002年12月 1日:東北新幹線八戸延伸に伴い、青森発着の1往復を八戸発着に変更
     2010年12月 4日:東北新幹線新青森開業に合わせ、快速〔しもきた〕の八戸発着列車が、
               1往復から2往復に増発となる
               これに伴って、青森発着の〔しもきた〕は3往復から2往復に削減
               となる
     2013年 3月16日:ダイヤ改正により、青森発着の快速〔しもきた〕のうち1往復を
八戸
               発着とし、快速〔しもきた〕は八戸発着3往復・青森発着1往復となる
     2017年 3月 4日:ダイヤ改正により、青森発着の快速〔しもきた〕が浅虫温泉~青森で
               各駅停車となる
       2018年 3月17日:ダイヤ改正で青い森鉄道線内完結の快速列車が廃止され、本列車が
              青い森鉄道線内で運行される唯一の快速列車となる
      2021年 3月13日:同日実施のダイヤ改正で青森駅発着便が廃止され、新たに大湊線完結
              の上り列車が設定される

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残念ながら下北半島の観光には
鉄道は全く使えない
※ 秘境・仏ヶ浦を一望する

停車駅:
現在の八戸~大湊の快速列車の停車駅
八戸・下田・三沢・上北町・(乙供)・野辺地・陸奥横浜・(近川)・下北・大湊
青森行列車の停車駅(廃止時点)
青森・筒井・東青森・小柳・矢田前・野内・浅虫温泉・小湊・野辺地・陸奥横浜・下北・大湊
大湊行き列車は野辺地~大湊は普通列車(同区間各駅停車)
急行時代の【なつどまり】の停車駅
青森・浅虫(現・浅虫温泉)・小湊・野辺地・乙供・上北町・三沢・下田・陸奥市川・八戸・
本八戸・陸奥湊・鮫
大湊線内停車駅:陸奥横浜・下北・大湊

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列車名〔しもきた〕の由来である
下北半島は北海道より遠い
本州の北の果て
※ 本州最北端の岬・大間崎にて

1982年11月15日の急行【しもきた】廃止時の停車駅
盛岡・好摩・沼宮内(現・いわて沼宮内)・一戸・北福岡(現・二戸)・金田一(現・金田一温泉)・
三戸・八戸・陸奥市川・三沢・上北町・野辺地・浅虫(現・浅虫温泉)・青森・浪岡・川部・
弘前・大鰐(現・大鰐温泉)(下りの弘前~碇ヶ関は普通列車)
使用車両:急行時代はキハ58系気動車で、〔うそり〕に愛称が変更となった時には当時の新鋭気動車
     であったキハ40が充てられた
     現在はJR東日本のキハ100系が使用されている

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快速〔しもきた〕もどき
陸奥湾の海辺をゆく絶景区間で
後追い撮りをするも
巻き上げられた雪で撃沈

乗車経験:快速〔うそり〕で大湊線内の乗車経験アリ
撮影経験:快速〔しもきた〕の撮影経験アリ→上の写真を拡大したら
     ヘッドマークが『さようなら国鉄』だったので快速
     〔なつどまり〕だったかも


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サッカーの浦和レッズの私設応援隊
(いつもお騒がせでチームにとっても害で
サポーターとは呼べないしィ)が
『声出し応援』をした廉で浦和レッズが
懲罰の対象となってるらしい

何でも武漢コロナの蔓延防止の為の
サッカー界全体での取り決めらしいけど
声を出さないサッカー観戦なんて
有り得ないだろうから浦和レッズの場合は
いつものように騒いだんだろうね

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懲罰はチームに観客管理の不備を問われて
罰金と無観客試合に加えて
勝ち点の剥奪まで挙げられてるらしい

浦和レッズがどうなろうが
横浜マリノス贔屓のワテの
知った事ではないが
今の感染爆発災禍を引き起こしたのは
東京五輪の開催なのだから

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レッズを処分する前に
国民を騙して東京五輪を開催して
感染爆発を引き起こした奴らの首に
縄を掛けて吊るすのが先だろうがよ

感染の病原体で感染拡大の原因である
外人の受け入れを倍の2万に増やしただけで
5万を超える感染拡大を示しているのだ
しかも受け入れを増やして1ヶ月でこの結果は
外人が病原体である事を端的に示しているのだ

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東京五輪開催の前後4ヶ月で感染者170万
死者17000の感染爆発をもたらし
シナ五輪で日の感染者数が6万を超え
今回も1か月で日の感染者が5万超え
全ての共通点は外人の入国の増加なのだ

入国制限緩和や優遇処置によって
フリーパスで日本に入国した外人共が
病原体となっての感染拡大なのだ

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日本における感染爆発の原因は
外人の行動を制御できないのに
外人を五輪の参加者として規制ナシの
VIP待遇をした為に起こった
「日本人の命より五輪利権」による悲劇なのだ

だが経済再生の事を考慮すると
「外人の入国拒絶」が感染終息の
最短・最善の方法ではあるが
そうもいかないのだ

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だから免税店や待機処置の緩和等の
優遇は全て撤廃して
入国に際して規定期間の隔離と
最低2回のワクチン接種の
証明を義務づけるのである

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要するにキチンと正当な規制をかけて
税金もキチンと取る事で
まともな外人のみに入国を許すのである
規制に従い税金をキチンと払う外人なら
マトモな外人であると推察できるのだ





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