2022-07-09 (Sat)✎
『路線の思い出』 第494回 三江線・江平駅 〔島根県〕
『江ノ川に沿った棒線無人駅』の江平駅
:
作木口駅と全く同じ構造だが
駅周辺は川向こうの広島県側は無人地帯で
駅のある島根県側に数件の民家があるのみだった
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’16)
江津~三次 108.1km 46 / 1109
廃止年月日 転換処置
’18/4/1 備北交通・大和観光・邑南町営・石見交通
など区間によって分担
運行本数(’17)
江津~三次 下り2本・上り1本
江津~石見川本 上り1本
江津~浜原 3往復
石見川本~三次 上り1本
浜原~三次 2往復
口羽~三次 1往復
※ 廃止日までの残り2週間は昼間便の浜原~口羽の通し運行を実施した
江津~三次 下り4本・上り3本
江津~石見川本 上り1本
石見川本~三次 上り1本
江津~浜原 1往復
浜原~三次 1往復
江平駅の駅名標
:
JR西日本の駅名標は
面白みがないよね
江平駅(ごうびらえき)は、島根県邑智郡邑南町上田江平にあったJR西日本・三江線の駅である。
三江線の廃止に伴い、2018年(平成30年)4月1日に廃駅となった。 三次方面に向かって右側に単式1面1線のホームを持つ停留所規格の駅で、浜田鉄道部管理の無人駅であった。
廃止後はそのまま放置されて
朽ち果てる運命の三江線廃線跡
※ ウィキペディア画像を拝借
駅舎は存在せず、ホーム上に前駅の作木口と同じタイプのベンチの付いた庇のみの待合所が設置されただけであった。
三江線が路線廃止となり
鉄パイプで塞がれて
『立入禁止』と表示された江平駅
※ ウィキペディア画像を拝借
ホームへの入場は、三次寄りにある入口から直接ホームに入るようになっていた。 もちろん、自動券売機等の設備はなかった。 2015年の1日平均の乗車人員は1人との事である。
江ノ川に架けられた
生活橋の丹渡橋
※ ウィキペディア画像を拝借
当駅も作木口駅と同じく、駅の三次側に架けられた橋で江ノ川を渡ると広島県三次市の作木地区に出るが、対岸に目ぼしい集落はなく、駅のある江ノ川左岸の斜面上に小さな集落があるのみであった。
江平駅の駅写真は撮るには撮ったけど
季節外れの雪が残る写真なので
トップ掲載は諦めますた
《三江線 最後の一年》より
この江平駅も、項目に載せる写真で苦労した駅である。 それは、「対岸の撮りやすい場所から撮ると、作木口と完全に被ってしまう」という事だったのである。 それに加えて、作木口には『百名滝』の《常清滝》があるが、この江平には目ぼしい景勝地もないのである。 また、作木口駅と同様に駅のすぐ傍に架けられた、これまた塗装も一緒の赤い橋を渡ると広島県に出られるので、長谷のような『秘境駅』のネタ展開も当てはまらないのである。
江ノ川沿いをゆくキハ40
※ 30年前の三江線より
:
変な塗装となっても
キハ40は閲覧者を
引っ張れるアイテムだね
この事で「この駅は書く事のない”坊主駅”でもいいかな」とも思ったのだが、さすがに冬の情景をほとんど撮れなくて、この旅行記集のお題を『最後の四季』から『最後の一年』に後退せざるを得なくなって、「やたらに坊主を残すのはマズいかな」って思う様になったのである。 やるからにはそれなりに”デキたモノ”を創りたいしネ・・。
この『写真床』な写真が
”デキたモノ”なのか?
そうなると「何かネタになるモノはないか?」という事になるが、駅のある江ノ川左岸は段々畑がキリギリの狭い土地で、江ノ川に架かる橋の上か対岸からしか撮りようがなく、「対岸から」は粟屋や作木口で”使用済み”なので、『橋の上』から撮ってみたのがコレである。
橋上から江ノ川を入れると
列車は窮屈に
でも、コレだけでは弱すぎるので、周囲に目ぼしいモノがないか・・と探す。 だが、前述の如く駅のある江ノ川左岸は段々畑だけで何もないので、対岸の広島県の江平駅の対面付近を車でウロウロする。
すると、もの凄く『マイナー』な”アテ”があったのである。
所在位置から距離から滝の名前まで
『大ウソ八百屋丁』なアテだったよ
そう・・、こんなヘンチクリンな撮影旅行記を製作するワテ以外は見向きもしない・・というか近づく事もない滝があって、記載の不明瞭極まる滝の案内看板があったのである。 作木口で《常清滝》を載せた事でも判るようにワテは滝に興味があるので、この胡散臭い滝看板に従って入ってみる。
『百名滝』の常清滝のある
作木口は製作も楽だったけど
入ってみると、案の定看板に記された内容は滝までの距離や案内図など『滝がある事』以外はデタラメで、案内図通りに進むと国道375号に戻ってしまうのである。 2回ほどグルグルと国道と行ったり来たりして、迷った分岐で気づいたよ。 それは、この地図が示す向きとは逆に延びる廃道っぽい道があり、その道の入口には三角コーンとゼブラハードルで『通行止』と書かれた進入禁止処置が施されていたのである。
当然、筆者(タワケ)はコレをブッちぎって入っていくが、この時点でこの旅行記集には「人の寄り付きそうにない所にゆく」という『アブノーマル』の要素が漂っているのである。 その通り、この廃道っぽい道は『廃道』以前に道ですらなく、始め200m程は舗装がひび割れて枯草と苔がアスファルトにこびり付くなど、その手の道としては”歩きよい”道であったが、すぐに土砂崩れで落ちてきた石が苔生した状態で転がる『杣そま道』となったのである。
稲滝・下の段
雑木が茂って滝前には出れなかった
確かに滝はありそうだが、ハッキリいうとこの道を通ってまで見に行く所ではないのであるが、「ここまできたなら元を取らなけりゃ収まらん」のコスい心で突っ切る。 イバラや倒木で行く手は塞がれるはわ、苔生した岩は浮石で滑るし踏み外しやすいし、踏み外すと下の沢に落ちそうだしィ・・と、とんでもないルートだったよ。 どうやら、このルートは砂防提の上をそのまま行っているようで、その上は周囲からの落石が堆積して苔生していったようだ。
倒木2本の180m先にあった小滝
このルートを500mほど入っていくとあったよ、看板に記載されていた《稲滝》が・・。
でも、滝前が雑木で遮られ、滝を見るには滝の右側の土手の岩をよじ登らねばならかったが、これが苔生してズル滑りだったよ。
もはや道ですらない踏跡は
稲滝・上段まで続いていた
更に奥へ踏跡は続いていて、下の案内板にあった《小滝》を周って《稲滝》の上部に至っていたが、看板に記載された距離の180mのみが正しい記述で後は倒木2本のイバラブッシュなど『道』ではなかったのである。 軽い気持ちでこの滝見に行ったので、三脚も持って行かずのスニーカー履きであったが、さすがに三脚持って登山靴に履き替えてもう一度行く気にはならなかったねぇ。
下の看板に書かれた案内書きによると、この《稲滝》は落差60mで滝の容姿が「稲穂に似ている」からだそうであるが、雑木があり過ぎた事とスニーカー履きで足元が覚束なかった事で、到底『稲穂』には見えなかったなぁ。 でも、三次市の観光案内ウェブには写真無しで紹介されている滝で、三次市指定の名勝なのである。
安倍氏の訃報に関して
消費税の増税やら入管法改悪やら
武漢ウイルス拡大時に臭菌屁の国賓招待を
慮ってシナの入国を禁止しないなど
政権維持の為の忖度が続く失政の連続を見て
想像の域を出ない事であるが
今回の事件は二股状態だった安倍氏が
チョン右翼の内ゲバに
巻き込まれたモノだと推察する
それは殺害の手口が完全に右翼の手口だし
犯人の男は一発も反らさず致命傷を与えるなど
訓練され尽くしたプロの殺し屋で
自身の命も含めた全てを雇い主に捧げる
忠誠を持っていると推察できる
そして安倍氏が二股状態となっていた
『宗教』は似非キリスト教の統一教会と
神社神道の日本会議及び日本財団である
統一教会は南チョンの宗教だし
日本会議及び日本財団は旧笹川会のヤクザである
そして統一教会と日本会議は蜜月関係だったが
武漢コロナ対策などで天皇信奉右翼など
チョン右翼の急進派が中止を唱える
ワクチン接種の推進やマスク着用などで
すれ違いが生じ始めていたし
女系天皇の皇位継承問題や夫婦別姓問題などで
煮え切らない態度を取って
党内をまとめられなかった
安倍氏に不快感を持ち始めたのだろう
要するに日本会議は在日チョンの勢力であり
南チョンの手足である統一教会と
不和を生じ始めたのである
即ちチョン右翼同士の覇権争いである
そして先祖の岸伸介からのつながりである
統一教会と深い関係を持ち
日本会議にも籍を置く二股状態だった
安倍氏は在日チョン特有の
『逆恨み』の標的となったのである
だからこの男は絶対に「個人的な恨み」
としか口を割らないだろうね
でも黒幕はどう考えても日本会議の
急進派である天皇信奉右翼であるのだ
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