風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  廃線鉄道 >  廃線鉄道・関東 >  廃線鉄道  第85回  相模線・寒川支線

廃線鉄道  第85回  相模線・寒川支線

廃線鉄道  第85回  相模線・寒川支線 〔神奈川県〕

h85-w (1)
駅入口に庇屋根があるだけの無人駅に
1日4往復のみの列車が折り返すだけだった
寒川支線の西寒川駅
※ ウィキペディア画像を拝借

相模線・寒川支線(さがみせん・さむかわしせん)は、1922年5月10日に相模線の建設を進めていた民鉄の相模鉄道によって、寒川~四之宮 1.93km が開業する。 開業当時は、相模川から採取した砂利を運搬する砂利運搬貨物線で、路線名のない砂利支線(貨物支線)であった。 また、開業と同時に砂利貨物取扱駅として、四之宮駅が開業している。 なお、四之宮の駅名は、平塚市大野町四之宮の飛び地が当時寒川町側にあった事からとの事である。

1923年2月5日に、四之宮までの途中に東河原駅を開業させる。 この東河原駅も貨物駅で、この駅が何度か駅名を改称した後に西寒川駅となったのである。 この砂利運搬は、当時路線を経営していた相模鉄道にとって収益の柱であって、町としても主要産業的存在であったので、親しみを込めて『ジャリ鉄、ジャリ線』と呼ばれたとの事である。

h85-samukawa (2)
西寒川は過去に
3回の駅名改称をしている
※『相模線・寒川支線』より

1938年には昭和産業が一之宮工場の操業開始し、駅名を東河原から昭和産業に改称して、工場への工員輸送を目的に寒川~昭和産業の一般旅客輸送が開始となる。 その3年後の1941年には、旧日本海軍が昭和産業の一之宮工場を買収して相模海軍工廠となって、駅名を四之宮口へと改称される。
1944年6月に相模鉄道の現在の相模線区間が買収・国有化されて国鉄相模線となり、駅名も西寒川と改称される。 同時に西寒川~四之宮 0.43kmが廃止となり、西寒川が終着駅となった。

h85-samukawa (1)
旅客営業をしたものの
路線敷設の目的が砂利運搬だった為
相模川の砂利採取を失った
寒川支線はジリ貧となっていた
※『相模線・寒川支線』より

戦後は相模海軍工廠跡地に民間企業が進出して、駅周辺が工場地帯となって戦後の15年程は貨物専用線となったが、1960年11月に旅客営業を再開している。 だが、貨物輸送がコストのかかる鉄道貨物からトラックによる陸送に切り替えられ、また1964年頃に相模川での砂利採取も河川保護の為に禁止となって貨物輸送が皆無となり、貨物営業が廃止される。

h85-samukawa (4)
寒川支線の列車本数は
旅客営業を再開してからずっと
朝1本夕方3本と僅かであった
※『相模線・寒川支線』より

貨物輸送という輸送の柱を失った西寒川支線は元から旅客列車が1日4往復と少なく、工場も就業時間が合わなくなって、各工場自社で送迎バスの運行を始めて工場従業員の輸送さえ失う事になり、国鉄再建法の成立に伴う第一次特定地方交通線の第一陣の路線廃止に合わせた1984年3月31日に不要不採算路線として廃止となった。

廃止直前にテレビ等で報道されて一躍有名となり、廃止間際から当日にかけて近県より多くの鉄道ファンが詰めかけて、さよなら臨時列車も運行された。

h85-m.jpg
相模線・寒川支線の予想路線図
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
路線廃止区間と路線距離(営業キロ):寒川~西寒川 1.5 km
軌間:1067mm、電化区間:ナシ(全線非電化)、複線区間:ナシ(全線単線)
駅数:2駅〔寒川〕・西寒川・〔四之宮
廃止時の運転本数:全運行列車が茅ヶ崎~西寒川の運行で、1日4往復の運行があった

h85-town (2)
建設目的である相模川の砂利採取が禁止され
工場貨物もトラック輸送に切り替えられ
工場通勤の足も工場の送迎バスに奪われて
寒川支線は高校生の通学生のみの利用となっていた
※ 寒川町のウェブサイトより

   国鉄相模線・西寒川支線 年表
1922年 5月10日:相模線の建設に着手していた相模鉄道によって、砂利支線として寒川~四之宮
         1.93kmが開業し、貨物専用駅と四之宮を開業する
         開業当時は旅客営業は行われず、砂利運搬専用の貨物線であった
1923年 2月  5日 寒川~四之宮の途中駅として、東河原を開業
         開業当初は、相模川で採取する砂利を取り扱う貨物駅であった
1939年10月  1日:前年に昭和産業による一之宮工場の操業に伴い、駅名昭和産業に改称
1940年  4月20日一之宮工場への工員輸送の為に旅客営業を開始する
1942年10月30日四之宮口に駅名を改称
1944年  6月  1日運輸通信省による国有化により、国鉄相模線となる
           同時に四之宮口を西寒川に駅名改称
           また、当駅から四之宮 0.43kmが廃止され、西寒川が終着駅となる
1946年 頃    :西寒川周辺が工場専用地帯となり旅客が殆どなくなった為に、旅客営業が行われ
           なくなる
1954年10月  1日旅客営業が正式に廃止となる
1960年11月15日旅客営業を再開する
1970年  7月10日貨物取扱を廃止し、営業範囲が旅客営業のみとなる
1984年  3月31日:国鉄再建法施行に伴う第一次廃止対象線の廃止に合わせて、当視線も廃止となる

h85-get.jpg
廃線跡は一之宮緑地として
遊歩道整備され
一部には線路も残されている
※『ゲットナビ』より

  廃線跡と駅跡地
寒川支線の跡地は、本線からの分岐点からのほぼ全てが『一之宮緑道』として整備されている。
一部区間には線路も残され、車輪などが展示されている。 また、一部のレールは、西暦ではなく皇紀での刻印がなされている。

西寒川駅の跡は『八角広場』という小さな公園になっており、線路が一部残されている。
当駅跡地には、当駅と相模海軍工廠跡の記念碑がある。



h85-town (1)
寒川支線があった当時の寒川駅
※ 寒川町のウェブサイトより

寒川駅(さむかわえき)は、神奈川県高座郡寒川町岡田一丁目にあるJR東日本・相模線の駅である。
現在は島式ホーム1面2線を有する駅で、1985年に駅舎の建替え及び駅の高架化が行われて橋上駅舎となっている。

h85-w (4)
寒川支線の西寒川駅が記載された
国鉄時の寒川駅の駅名標
※ ウィキペディア画像を拝借

1984年3月まで当駅から西寒川を経て四之宮(1944年廃止)までを結ぶ寒川支線(相模鉄道時代:四之宮支線)が分岐していた。 また、かつては構内に多くの側線があり、当駅から茅ケ崎・西寒川の区間列車の留置に使用されていたが、寒川支線の廃止に伴ってほとんどの側線が撤去されている。

h85-wsk.jpg
相模線の高架化で
近代的な高架駅となった寒川駅
だが寒川支線があった面影は全くない
※ ウィキペディア画像を拝借

茅ケ崎駅管理の業務委託駅で、みどりの窓口・自動改札機・自動券売機・自動精算機を備える。
出入口と改札外コンコースを結ぶエスカレーターとエレベーターが、南口と北口に設置されている。
2020年度の1日平均乗車人員は5,096人との事である。



h85-w (2)
西寒川駅の駅名標
※ ウィキペディア画像を拝借

西寒川駅(にしさむかわえき)は、かつて神奈川県高座郡寒川町一之宮にあった国鉄・相模線の寒川支線の駅である。 1984年3月31日に寒川支線の廃止に伴って駅廃止となっている。 寒川支線は、国鉄分割民営化を前に廃止された旅客路線のうち、首都圏で唯一の廃止路線であった。 なお、当駅は開業じに名乗った東川原から、四之宮口・昭和産業・西寒川と3回の駅名変更をしている。

h85-samukawa (3)
駅のラッチに掛けられた
西寒川駅のホーロー駅名版
※『相模線・寒川支線』より

廃止時の駅構造は単式ホーム1面1線の駅で、廃止当時は無人駅であり、改札口の上に小さな屋根があるだけで駅舎もなかった。 茅ケ崎駅発着の1日4往復(8時台に1往復と16時台~19時台にかけて3往復)の折り返し運行のみであった。

h85-w (3)
駅跡は相模海軍工廠跡及び
駅跡碑が建立された
鉄道小公園となっている
※ ウィキペディア画像を拝借

駅跡及び線路跡は、本線からの分岐点からのほぼ全てが『一之宮緑道』として整備されている。
一部区間には線路も残され、車輪などが展示されている。 西寒川駅の跡は『八角広場』という小さな公園になっており、線路が一部残されている。 当地には、当駅と相模海軍工廠跡の記念碑がある。


にほんブログ村 鉄道ブログ 廃線・未成線へ
チョンやシナに媚びて反日の限りを尽すバヨクも
東京五輪の開催で日本に感染爆発をもたらした
天皇信奉右翼のどちらもチョンの
日本人成りすましという同じ穴のムジナだ

「SDGSと国民の命のどちらがなのか?」
言ってる事は正しくとも
東京五輪の開催を煽って
日本の国民を17000人殺した
おまエラだけには言われたくはない

にほんブログ村 鉄道ブログ 廃線・未成線へ
「そんなに再生可能エネルギーをやりたいなら
電力が有り余りウクライナ戦争が終結して
石油も天然ガスも安定供給されるようになってからで
通常の頭ならばウクライナに露が侵攻した時点で
電力不足となる事は解かるハズ」というが

そういうおまエラこそ「開催を決定した3ヶ月前に
1日の感染者数が3ケタから6000人に激増した事」や
開催日時点で一般国民のワクチン接種率が18%で
世界中の機関より「この状況では感染爆発に
陥るのは必至」と警鐘を鳴らされても

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
「ワクチンは効果がない」と開催をゴリ押しして
日本を感染爆破災禍に陥れたではないか!
おまエラだけにはこうなる事
分かっていたハズ言われたくはないのだ

夏までに再稼働を決めて原発を動かすべきなのに
マスゴミや反日左翼に叩かれるのを恐れて
何もせぬ岸田政権を「国民の命を蔑ろにして
政権の支持率だけに気を配った
最低最悪の卑怯者」と罵っているが

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
開催すれば感染爆発となる事が必至」と
世界の機関から警鐘を受けて国民の多くが
「五輪開催は感染爆発となるからヤメて」
という声を上げていたのに対して

おまエラは己の利権や主義主張の為に
「開催に反対する奴は日本人ではない」やら
バヨクに煽られたバカな非国民」とヌカして
開催をゴリ押しして日本を陥れ
多くの日本人を殺したではないか

にほんブログ村 鉄道ブログへ
その上五輪開催の開催前後8ヶ月で
大感染爆発を引き起こして17000人を殺害したなら
「感染爆破の原因は東京五輪ではなく
感染者を最も多い日本人の若年層で若年層は
外出規制の指示を聞かなかった」と罪を擦りつけたのだ

PVアクセスランキング にほんブログ村
「日本人に罪を擦りつける」・・コレが卑怯でなければ
卑怯』という言葉自体が存在しないわ!
バヨクに勝るとも劣らない卑怯っぷりだわ
コイツらが喋る程にバヨクの日本人成りすまし
同じ穴のムジナの在日チョンだって事が判るよ





関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可