2022-06-12 (Sun)✎
『ネームトレイン』 第16回 むつ
青函連絡船の看板が掛かる青森駅で
発車を待つ急行【むつ】
※『国鉄急行列車《東日本編》』
廣田尚敬 著 より
急行【むつ】 ・・ 1963年10月に仙台~青森で運転を開始した急行列車であるが、1965年10月の改正で準急【岩木】を統合した事によって仙台~青森~秋田の運転となった。 このダイヤ改正より、青森駅を折り返し点として東北本線と奥羽本線を跨ぐ列車となっている。 だが、大半の利用客が青森で入れ替わり、奥羽本線での運転距離が200kmに満たない事から、青森~秋田は準急列車として運転されていた。
そのあらましは、1963年に郡山駅と青森駅を仙台駅経由で結んでいた準急【やまびこ】(1965年に上野~盛岡の特急列車となった)の仙台以北が、急行【むつ】として運行されるようになった。 この時が列車名【むつ】の初出で、仙台以南に関しては準急のままであったが、列車名は【あぶくま】に変更されて南側の始発着駅も郡山から白河に延長されている。
だが、青森以西の奥羽本線区間は準急のままで据え置かれたので、【むつ】は準急・急行列車となっていた。 このような事例は、他には函館~小樽~旭川を結ぶ準急・急行【あかしや】(小樽~旭川が準急)がある。 しかし、国鉄の『100km以上の運行区間の準急列車は急行に格上げ』という運転改革が持ち上がり、1966年以降は全区間で急行列車となっている。
全区間電化区間をゆく
気動車運行であった急行【むつ】
※『ホビコム・列車図鑑』より
また、1968年には「似たような運行区間の列車は同じ列車名にする」という国鉄の方針から、東北本線部分が急行【くりこま】の増発で対処される事となった。 こうして【むつ】の東北本線区間はカットされて、奥羽本線のみ運行の急行列車となっている。 1970年と1982年に1往復ずつ増発されて最大1日3往復の運行となっていたが、1985年の東北新幹線・上野開業に伴う全国的なダイヤ改正という転換点を迎える事となる。
東北新幹線が上野駅まで開業した事によって、東北本線の在来線特急が整理されて車両に余裕ができた事で、秋田~青森の短距離列車も特急に格上げされる事となる。 3往復中2往復は盛岡と秋田を結んでいた特急【たざわ】の運転区間を延長して青森発着とする事で対処したが、残る1往復は【むつ】の列車名を名乗ったまま特急に格上げされている。
781系に押し出されて
余剰となった北海道用の485系が
使用されていた
※『ホビコム・列車図鑑』より
東北新幹線の開業を契機に特急に格上げされた【むつ】であったが、僅か1年8ヶ月後に秋田~盛岡を延長した上で特急【たざわ】に統一されて、【むつ】の列車名は登場から23年間で幕を下ろす事となった。
青森の特産品である『青森りんご』と
【むつ】が特急列車だった時に秋田~青森運行の昼行特急は、大阪からのロングランの【白鳥】を始め、山形からの【つばさ】、新潟からの【いなほ】、盛岡からの【たざわ】があって、秋田止の【むつ】は他の特急が停車しない急行時代の停車駅にも停車するなど、『特急』の補完という格下の位置づけであった。
郷土の山である岩木山
津軽の名峰・白神岳より望む岩木山
:
この記事唯一の自分で撮った
写真だったりする
盛岡からの【たざわ】に編入されて【むつ】が廃止となった後は、秋田新幹線や山形新幹線の延伸開業によって長距離運行の特急が廃止となり、青森~秋田の区間特急が復活設定されたが、【むつ】の列車名は復活せずに【かもしか】や【つがる】の列車名で運行されている。
この2つを合わせて
この図案となったみたい
列車名の由来は、青森県・岩手県・宮城県・福島県と秋田県の一部の旧国名である陸奥国で、特急時代の【むつ】の絵入りヘッドマークは岩木山と名産のリンゴがアレンジされたものであった。
秋田駅で発車を待つ急行【むつ】
:
昔の秋田駅は駅らしかった
※ ウィキペディア画像を拝借
《列車データ》
運行区間:秋田~青森 185.8km ※ 登場時は仙台~青森を運行する東北本線の急行列車であった
最盛期には、青森を介して仙台と秋田を結ぶ準急・急行列車
(青森~秋田は準急運転)となり、1966年の国鉄運行改革
によって全区間急行となった
だが、1968年の列車名統一によって秋田~青森に運転区間
が短縮されて、以降は同区間をゆく列車となっていた
運行期間:1963年10月 東北本線の郡山~仙台~青森で運行していた準急【やまびこ】の仙台以北
を急行に格上げし、列車名も【むつ】に変更されて初登場となる
1965年10月 秋田~青森の準急【岩木】を統合して、仙台~青森~秋田の東北本線と
奥羽本線を跨ぐ準急・急行列車となる
なお、この時の急行として運行区間は東北本線区間で、準急【岩木】を
統合した奥羽本線区間は準急として運行されていた
1966年から全区間急行となった
急行【むつ】
1966年 3月 国鉄の運行改革により、全区間で急行での運転となる
1968年10月 仙台~青森の東北本線区間が急行【くりこま】として分離されて、急行
【むつ】の運行区間は秋田~青森となる
1970年10月 2往復に増発
1982年11月 3往復に増発
1985年 3月 2往復が盛岡~秋田の特急【たざわ】の青森延長運転となり、残る1往復
のみが特急【むつ】に格上げとなる
1986年11月 1往復残った便も特急【たざわ】に統合されて、【むつ】の名が消える
停車駅:秋田・土崎・追分・大久保・八郎潟・鹿渡・森岳・東能代・二ツ井・鷹ノ巣・早口・大館・
碇ケ関・大鰐(現在は大鰐温泉)・弘前・川部・浪岡・青森
※ 特急格上げ時の停車駅は、秋田・土崎・追分・八郎潟・森岳・東能代・二ツ井・鷹ノ巣・
早口・大館・碇ヶ関・大鰐・弘前・青森と、急行時代とほとんど変わらないモノであった
乗車経験:東能代~秋田で、急行【むつ6号】に乗車経験アリ
撮影経験:ナシ
岸田内閣の支持率が高いらしい
でもその理由は解る
それは何もしないからである
「何もしない」っていうのは
失点・エラーも生じにくいって事である
逆に政治の世界において
活発に行動を起こすと
必ず政敵が妨害行動を起こす
そしてその政敵は小さな反対や失態を
大きな疑念に作り変えて陥れる
また与党の自民党も一枚岩ではなく
多数派工作が必須だし
東京五輪開催による国民大虐殺など
国家反逆罪級の犯罪を犯す
それに岸田内閣は思ったより「ハシッコイ」のだ
それは経済の停滞とか武漢ウイルス対策より
知床観光船事故やウクライナなど
国民の関心が高い事の対処が早いのである
それは例え物価高になっても
米に追随して露に制裁するスタンスを取り
経済が低迷しても国民の支持を維持したり
観光船事故の報が入ったらすぐさま
官邸に戻るパフォーマンスを示すのである
だから次も岸田内閣は選挙に勝つだろうね
ウクライナを煽ってる右翼の奴ら
には大いに不満であろうけど
そして変わらず「何もしない」を続けて
米や党に伺い続ける政治となるのだろうね
でも野党は論外だし
東京五輪の開催で感染爆発を引き起こして
国民を虐殺した自民党も許さない
感染源である外人の流入を緩和する事も反対だ
だから『支持政党皆無』で白票を投じるよ
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