風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第14回  ニセコ

『ネームトレイン』 第14回  ニセコ

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かつての急行列車は
それはカックイイかった
※『国鉄急行列車《東日本編》』
廣田尚敬 著 より

  急行【ニセコ】 ・・ 函館~札幌を函館本線(山線経由)で1986年まで定期列車として、更に1993年夏まで臨時列車として運行していた急行列車である。 列車の最盛期にキハ56系で運転されていた上りニセコ3号は運行区間が根室~函館と、気動車を使用する急行列車としては最長運行距離で、当時もその後もこの最長距離運行は更新されていない。 なお、この列車の誕生に深く関わる急行【らいでん】も併記していこうと思う。

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小樽からの電化区間は
電気機関車に付け替えていた
急行【ニセコ】
※ ウィキペディア画像を拝借

数ある北海道の客車急行の中でいち早く14系化されて、国鉄当局が力を入れている列車かと思われた時期もあったが、JR化を待たずに定期運行を打ち切られ、気動車運行による臨時列車となっている。
特急【北海】と同様に、山線の閑散化と共に需要が低下していった列車の一つである。 とはいえ、急行そのものの衰退期に入っていた事も事実で、海線経由の急行【すずらん】も、急行【ニセコ】より先に特急【北斗】に格上げされて臨時列車化されていた。

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この定番撮影地で撮りたくて
何度か通ったが地勢が変わったのか
見つける事ができなかった
※『北海道鉄道百景』監修・国鉄北海道総局より

急行【ニセコ】というと、函館〜札幌間を倶知安・小樽経由の『山線』で結んでいた客車・気動車急行というイメージが大きいが、愛称名の起源としては1962年2月1日の目名・蘭越・倶知安・岩内〜札幌間に新設された気動車準急にまで遡る。

この準急【ニセコ】は一般型のキハ22が使用され、目名・蘭越編成と岩内編成は小沢で分割・併合し、単独運転時はそれぞれが単行になるという、如何にも北海道らしいローカル列車だった。 なお、この運転系統は、準急【ニセコ】と同時期に設定された準急【らいでん】(後に急行に格上げ)に引き継がれている。

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急行【らいでん】のサボ
※ Yahoo!オークションの写真より

一時期は同じ区間を走る準急列車に【ニセコ】・【らいでん】と別々の愛称が掲げられ、準急【らいでん】が、倶知安方面発の下りが早朝発・札幌発の上りが夕方発という札幌指向のビジネスダイヤだったのに対し、準急【ニセコ】は札幌発を午後とするレジャー指向のダイヤだった。

また、準急【ニセコ】には、1962年10月6日から土・日曜に限り、廃線となった胆振線を経由して札幌~倶知安~京極~伊達紋別~札幌と、反時計周りに循環運転する車両が連結されるようになって、翌年10月1日のダイヤ改正からは時計周りの列車も登場し、準急【いぶり】と命名されている。 この準急【いぶり】は後に急行に格上げされたが、胆振線の路線廃止に先んじた1980年10月の改正で廃止となっている。

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【ニセコ】・【らいでん】の列車名の変革には
併結されて胆振線に入り札幌に戻る
循環急行【いぶり】が深く関わっていた
※『国鉄急行列車《東日本編》』
廣田尚敬 著 より

ちなみに、ほとんど同じ区間を走るにも関わらず、【ニセコ】・【らいでん】と別々の愛称が掲げられたのは【ニセコ】が【いぶり】を併結していたからで、1966年3月5日に実施された運賃・料金改訂で運行距離100km以上の準急をすべて急行に格上げする措置が取られてからは、【ニセコ】は【いぶり】併結していた関係で100kmオーバーと認定されて急行に格上げされたが、【らいでん】は、優等列車としての運行区間の倶知安〜札幌が100kmに満たない事から準急のままとされていた。

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愛書【ニセコ】の本家・ニセコ駅
【ニセコ】の急行運転は俱知安までで
本家であるニセコ駅には
愛称ナシの普通列車で到着していた

それからわずか3ヶ月後の同年6月1日に、上述でも述べた通り【いぶり】を併結する【ニセコ】が【らいでん】に、従来の【らいでん】が【ニセコ】へと変更となり、【らいでん】が急行に格上げされて、逆に【ニセコ】が準急に格下げとなるチグハグな処置が取られている。

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駅舎の外側が洋風で
ホーム側が国鉄様式と
【ニセコ】・【らいでん】の列車名
同様にチグハグな駅舎のニセコ駅

だが、これらの列車は2年後の1968年10月1日の改正で、函館〜札幌・根室間に設定された急行列車に【ニセコ】と命名される事になって、従来運行の【ニセコ】・【らいでん】は全て【らいでん】に統一されている。 なお、1968年10月1日の改正では、全国的に列車愛称名の整理が実施され、同系統の列車はできるだけ愛称名を統一した上で号数をつけて表示するようになった。

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一般型気動車が使用され
廃止された岩内線に入るなど
遜色急行の代名詞だった急行【らいでん】
※『国鉄急行列車《東日本編》』
廣田尚敬 著 より

ちなみに【らいでん】は急行に格上げされてからも、キハ22などの一般型気動車が単行で運行するなど遜色急行の代名詞たる列車となっていたが、併結の【いぶり】が胆振線の廃止に先んじて運行廃止となると急行型のキハ56・27が使用されるようになって、列車仕様が僅かながらもグレードアップしていた。

ようやく整理がつくようになった。この【らいでん】は1984年2月1日改正で廃止され、併結されていた【いぶり】はこれに先がけ1980年10月1日改正で廃止された。 【いぶり】は終始キハ22で運転されたが、【らいでん】の方は末期に急行型のキハ56、27が使用されるようになり、わずかながらグレードアップしていた。

1968年10月1日改正では、改正前に函館〜札幌間を倶知安、小樽経由の『山線』で運転されていた急行は、客車急行の【ていね】と気動車急行の【ライラック】があったが、これらが客車・気動車問わず【ニセコ】の愛称名に統一されている。 その結果【ニセコ】は客車と気動車の2往復の運行となっている。

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根室駅に停車中の
札幌行ロングラン急行【狩勝2号】
この列車はかつて函館まで走っていた
急行【ニセコ2号】だった

また、気動車運行の上り【ニセコ2号】は、根室〜函館の816.6kmを14時間41分で走破する北海道らしい壮大な列車だった。 これは改正前に根室~札幌で運転されていた【阿寒】と札幌~函館間で運転されていた【ライラック】一本化したもので、日本一長い距離を走る気動車急行として名を馳せていた。
なお、下りは函館~札幌を【ニセコ1号】、札幌~根室は【狩勝3号】として運用していた(後に釧路〜根室は急行【ノサップ】に系統分離)。

【ていね】を名乗った頃から長らく蒸気機関車による重連で牽引されていたが、無煙化によってDD51牽引による牽引となったが、昭和50年代に入っても一般型の旧式客車による編成で運転されていた。

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車両近代化で14系客車が導入されたが
この車両の簡易リクライニングは
背もたれへの荷重がなくなると
大音響と共に元に戻る極めつけの不評だった
※ ウィキペディア画像を拝借

1980年のダイヤ改正で関西〜九州間の客車急行が全廃された事により、余剰となった14系座席車が投入され、車両近代化が図られている。 この14系客車への切り替えは、宗谷線をゆく急行【宗谷】・【天北】への客車投入よりも4年も早い1981年に行われている。

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後に写る山は登頂済みだが
『撮り鉄』とのコラボは
ついに叶わなかった

1985年3月のダイヤ改正以降は、倶知安・小樽経由の優等列車は急行【ニセコ】の他に、特急【北海】2往復(うち1往復は気動車急行の【ニセコ】の特急格上げ)の態勢が維持されたが、函館〜札幌の優等列車は室蘭本線・千歳線経由の【北斗】に重点が置かれるようになり、国鉄最後の改正となる1986年11月1日改正で、【北海】2往復は【北斗】へ吸収される形で廃止となり、同時に急行【ニセコ】も不定期列車に格下げとなって、事実上廃止された。

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臨時特急【ニセコ】で
使用された絵入りテール幕
※ ギャラリー『特急・ニセコ』より

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かつては特急・急行銀座だった
函館本線の『山線』は
今や単行の普通列車が数本のみとなり
しかも整備新幹線の延伸により
路線廃止も確定的となっている

なお、JR化後は、臨時列車として【ニセコ】の名が数回使用されており、臨時特急【ニセコスキーエクスプレス】や定期運行列車としての快速〔ニセコライナー〕など、今なお【ニセコ】が冠された列車が残っているのは、函館本線とニセコ地域の結びつきの強さを物語っている。

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鉄道は自然環境と同じで
一度失うとほぼ再起ができなくなる
もう魅力的な鉄道風景は
見れなくなるのだ
※『レスポンス』より

だが、不採算必至で鉄道を食い潰す存在でしかない『整備新幹線計画』の北海道新幹線の延伸により、函館本線の『山線』の廃止が決定的となり、函館本線とニセコ地域の強い結びつきも風前の灯となっている。

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広大な北海道の原野をゆく
客車急行【ニセコ】
※『ホビコム・列車名図鑑』より

《列車データ》
運行区間:函館~札幌 286.3km ※ 最盛期には、上り【ニセコ3号】は【阿寒】との運行を一本化
                   して、根室~函館 816.6km の超ロングラン運行をしていた           

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長万部駅を発車する
急行【ニセコ】
※『ホビコム・列車名図鑑』より

運行期間:1961年12月23日 - 倶知安~札幌にスキー臨時準急ニセコ運行
              使用車両は一般型気動車のキハ22形であった
     1962年  2月  1日 - 定期運行化
     1962年10月  6日 - 土・日のみ胆振線に入り京極・伊達紋別経由で札幌に戻る循環列車が
              併結される(登場時は反時計回りのみの運行)
     1963年10月  1日 - 胆振線に入る時計回りの列車も併結されて定期運行となり、この併結
              列車に【いぶり】の愛称がつけられる
     1966年  3月  5日 - 運賃・料金改定による制度変更により急行格上げ
     1966年  6月  1日 - 急行【らいでん】と愛称が交換されて運行区間が札幌~岩内・上目名
              となって急行【いぶり】との併結がなくなり、同年10月1日のダイヤ
              改正で再び準急に格下げとなる
     1968年10月  1日 - 従来まで函館~札幌を山線経由で運行していた気動車急行の【ライ
              ラック】及び客車急行の【ていね】を急行【ニセコ】として愛称統一
              また、倶知安~札幌の1往復は急行【らいでん】に吸収統一
              この改正により、急行【ニセコ】は気動車と客車の各1往復づつの運行
              となり、上りの気動車急行は従来に札幌~根室を運行していた急行
              【阿寒】と一本化されて根室~函館の超ロングラン運行列車となる
     1971年  9月15日 - 無鉛化対策によって、蒸気機関車からディーゼル機関車のDD51
              に置き換えられる
     1978年10月  2日 - 上り【ニセコ】の根室~札幌を急行【狩勝2号】として分割し運行
               区間が函館~札幌に統一される
     1980年10月  1日 - 気動車運行の1往復が廃止となり、客車列車の1往復になる

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14系客車に切り替えられた
急行【ニセコ】
※『ホビコム・列車名図鑑』より

     1981年  2月  7日 - 車両近代化で、一般型旧型客車より14形客車に置き換えられる

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リバイバル急行【ニセコ】運転に際して
発行されたオレンジカード
※『JR北海道』のウェブサイトより

     1986年11月  1日 - 定期運行が廃止となり、夏季のみの臨時急行化される
              また、使用車両も14系客車からキハ56系気動車に変更となる
              
  ※ 臨時列車化以降はジョイフルトレイン車両を使用した臨時列車や、札幌~倶知安の快速
    〔ニセコライナー〕となって名称は受け継がれたが、札幌への北海道新幹線の延伸により
    余市(もしくは小樽)から倶知安の路線廃止が決定的となり、当列車名は消えゆく運命に
    ある

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赤文字の列車行先サボ
今の特急より優等列車らしかったな
※『ホビコム・列車名図鑑』より

停車駅:根室・厚床・厚岸・釧路・池田・帯広・芽室・十勝清水・新得・富良野・芦別・滝川・
    岩見沢・〔札幌〕(ここまで上り急行【ニセコ2号】- 1978年3月の停車駅)・
    札幌・小樽・余市・小沢・倶知安・ニセコ・蘭越・黒松内・長万部・国縫・八雲・森・
    大沼公園(下りのみで上りは大沼停車)・函館

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羊蹄山と急行【ニセコ】
撮りたかったなぁ
でも往時は廃止ローカル線
至上主義だったしィ

使用車両:準急時代と急行【いぶり】を併結していた時は、一般型気動車のキハ22が使用されていた
     函館~札幌(上りの【ニセコ2号】は根室発の函館行)の運行となると、気動車と客車の
     1往復づつの運行となり、気動車はキハ56が使用された。 また、客車は旧型客車で1971
     年9月まで蒸気機関車の牽引であったが、無煙化によりDD51の牽引に切り替えられている
     その後、上りの根室~札幌の運行が分割され、気動車運行の1往復も廃止されて客車運行
     のみとなり、客車車両も旧型一般車両より14系客車に置き換えられていた

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手書きの急行【ニセコ】列車名サボ
急行【ニセコ】にまつわる思い出は
胆振線に乗った帰りに札幌に戻る際に
乗ったのと乗った列車のサボを撮ったのみ

乗車経験:胆振線から乗り継ぐ形で、倶知安~札幌で上り【ニセコ】に乗車経験アリ
撮影経験:札幌駅で急行【ニセコ】の手書きサボを撮った事があるのみ

t14 (3)
ヤマ(ニセコアンヌプリ)なら
撮っているんだけど・・なぁ


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こういう鉄道が輝いていた時代の
ネタで記事を書くと
もう一度あの頃に戻れたらなぁ
って気持ちが強くなる

もし戻れれば撮れなかった事で
悔やむのはナシにしたい
でも例え過去に戻れたとしても
後悔を全てナシにするのは叶わないのだな

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それは過去にまで戻って叶えたいという
望みがブッキングしてしまうからだ
即ち撮れなかった複数の事柄の
ブッキングで取捨選択を迫られるのだ

それに過去に戻ってまで思う望みを
叶えたとしてもそのシワ寄せが
必ずあって下手すれば
望んで過去に飛んだ事により
より悪い結果や後悔となるかもしれない

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書いていて訳が分からなくなりそうだが
過去に戻れないからこそ
今の判断が重要になってくると
改めて認識できるよ

だからこそ決断は機械ではなく
自分の判断・・即ち自身の
頭で分析して考え判断すべきだと思う

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そしてその能力を枯渇させない為にも
極力頭を使って思った事が成し得る
ように裏付けを構築していこうと思う
そして夢は自らが望む世界を実現させて
ウハウハになって叶えていこうと思う









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