風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第512回  会越国境の春 その2

『日本百景』 春  第512回  会越国境の春 その2 〔新潟県〕

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国境トンネルを抜け出て
最初に臨んだ情景

  雪わり街道 ゆきわりかいどう (越後三山只見国定公園)
『六十里越・雪わり街道』とは、福島県只見町と新潟県魚沼市を結ぶ国道252号の会越国境付近の峠をゆく区間につけられた道路愛称名である。 前記事でも記したように、『六十里越』は実際の距離は6里(約24km)ほどであるが、1里が10里にも感じられるほどに急峻で険しく、かつ長い山道である事からそう呼ばれるようになったと云われている。

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夏の雪わり街道
舗装が完備した一般国道だ

『雪わり街道』と名付けられた同区間は我が国屈指の豪雪地帯で、例年11月中旬~4月下旬の冬期間は通行止めとなる。 即ち、雪が降り道路が冠雪し始めた時点で、全面通行止の処置(理由は雪崩や落石の危険性が高い為とされる)が取られるのである。

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それが冬は雪を掘り返さねば
駅から出られない程に雪で埋まる

その通行止の期間は1年の約半分となり、自然に雪が解けて除雪車が作業できる程になるまで一切除雪は行われず、その時期は例年ゴールデンウィーク手前の週辺りとなる。

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この地が雪に閉ざされる長い冬に
会越国境を越える唯一の手段は
1日僅か3本の只見線のか細い”脈”だ

道路の完全閉鎖が解除されるそれまでの間は、会越国境の往来は並行するJR東日本の只見線が唯一の交通連絡手段となる。 だが、この豪雪地帯に住む者には、「大白川と田子倉の会越国境は、自然に雪が解けて通れるようになるまで立ち入らない」とする暗黙の『掟』があり、代々その『掟』は受け継がれて冬季に鉄道を使っての往来はほとんどなく、只見線の車内は閑散としている。

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この地の遅き春にその名の通り
雪を割って地表に姿を現す雪割草

『雪わり街道』の愛称は、豪雪地帯であるこの地の雪解け時期に、道を覆っていた雪を割って地上を露出させることを『雪割り』と称するところからで、山野の雪の間に咲く可憐な花・ユキワリソウではないとの事である。 だが、その険しさゆえ、秋の紅葉、そして残雪が残る春の美しさは格別で、言葉で表せないほどの秘めたる絶景を魅せてくれる。



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日本各地の桜の季節が終わり
初夏の陽気に上着を脱いで軽装となる頃
会越国境地域ではようやく雪間から
フクジュソウという春の息吹が顔を覗かせる

日本全国各地が桜のシーズンを終えてゴールデンウイークに差し掛かり、初夏の陽気に上着を脱いで軽装となる頃、この会越国境地帯はようやく遅い春を迎える。 その春の始まりが、国道の除雪が成されて開通するコールデンウイークの少し前の4月下旬に差し掛かる頃だ。

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1年の約半分が雪に閉ざされ
只見線の1日3往復のか細い脈だけが
会越国境を越える唯一の手段となる

それまでは積雪3mを越える深い雪の中にあり、冒頭の『雪わり街道』の記述にもある通り、国道は完全に雪で埋もれて通行止となり、1日3往復の只見線だけが国境を越える唯一の交通手段となる。
だが、冬季に国境を越える需要はなく、国境を越える唯一の交通手段であるにも関わらず閑散としている。

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この地域では雪が降ると峰や峠には
立ち入ってはならないという
代々伝えられる『掟』があったのだ

それは、この地域に住む住人達は雪が降り始めたなら、越後側の大白川の集落より先から会津側の田子倉ダムサイトまでは、自然の摂理に従って「雪が解けて通れるようになるまで立ち入らない」という事を『掟』としたのである。 そして、この掟は道路が開通した今でも、違える事なく受け継がれているのである。 その日本全国で最も遅い春の到来が、道路の除雪が成されるゴールデンウイーク直前なのである。

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ユキワリソウが一輪咲いていた

今回の『会越国境 その2』では、大白川から新潟県側・・、即ち越後の国境までの情景を語ろうと思う。 大白川から会越国境への区間も春夏秋冬通じて魅惑的な情景を魅せるが、中でも周囲が燃えるように紅葉で染まる秋と並んで、待ち遠しさと遅い春の到来の喜びそのものの春は更に魅惑的な情景を魅せてくれる。 それでは、会越国境までの大白川の名所の一つまみを訪ねる旅をしてみよう。

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会越国境を語る主役は
冬も国境を行き交う事が
できる只見線だろう

大白川の景観も、只見線が主役となる。 だが水系は浅草岳など分水嶺となる会越国境線の峰々により分かれて、破間(あぶるま)川から魚野川に注ぐ河川水系となる。 そして只見線は長大な国境トンネルを抜けると、まだ多くの雪が残り未だ開通しない『雪わり街道』の雪原野を望みながらゆき、大白川の駅付近でようやく最奥の民家を目にして駅に着く。

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越後側の里の灯は
大白川駅の直前まで下って
ようやく目にする事ができる

会津の奥只見と違う所は、会津側が只見町の中心で里を形成しているのに対して、大白川は小さな集落が点在するだけの過疎地域で、店屋や旅館などの観光業も冬季は店を閉鎖して、この地を離れて越後側の里である入広瀬や須原に戻るのである。

そんな山峡の小さな集落である大白川も、花あり・滝あり・白峰の山々あり、いで湯ありと見どころはいっぱいだ。 そして、入広瀬などの里の中心から離れている事もあって、雪に閉ざされた秘境感は、ともすれば奥只見より大きいかもしれない。

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会越国境を貫く国道252号線の
『六十里越トンネル』
※ ウィキペディア画像を拝借

それでは会越国境を貫く『六十里越トンネル』を抜け出て、開通直後の『雪わり街道』で六十里越の坂道を下り、会越国境の白峰に潜む秘めたる滝を訪ねたり、大白川の山奥にある破間川ダムでの春先の数日限りの奇跡的絶景である『雪流れ』を望み、豪雪地帯がようやく雪解けの兆しを魅せた「春近し」の里を行く只見線の情景などを訪ねてみよう。

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要塞のトーチカのような
スノーシェッドが連なる
国道252号・雪わり街道

国境のトンネルを抜けると、要塞のトーチカのようなスノーシェッドを連ねながら、つづら折りで越後側最奥の里・大白川へ下っていく。

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田子倉湖の最奥地帯に入り
湖から川へと戻っていく

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湖から完全に川に戻って
源である尾瀬ヶ原まで続いていく

田子倉湖は、国境トンネルを抜けると再び只見川となって、やがて奥只見湖から果ては水源地の尾瀬ヶ原まで続いている。

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ヤマに乗る雪がまだらになる頃
ようやく雪わり街道の
除雪の手が着けられる

只見線は『雪わり街道』がつづら折りで下っていく中、『六十里越トンネル』でイッキに抜けて、残雪まぶしい雪原野の中に躍り出る。

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ヤマと道路の真ん中の
山腹だけが春の様相を魅せていた

『雪わり街道』の除雪は越後側の区間が最後に成されるようで、雪解けの遅い年や訪れた時期がゴールデンウィーク初日など微妙な時なら、道は通行止のままとなっている事もあるだろう。

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ようやく長い冬が終わり
道床は雪解けを魅せ始めるが
人が通る踏切は依然として
雪で閉ざされたままの冬情景だった

この時は、道路の除雪は未だ行われず通行止という真にその状況で、で除雪車の転回場で只見線列車を撮るだけで終わってしまった。

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冬は湖の水が完全に氷結する
会越国境の地にある波間川ダム湖

次に訪ねたのは、大白川の奥地にある破間川ダムだ。 このダム湖には、豪雪がこの地を閉ざした冬の爪痕がそこらかしこに残っている。 それが、大白川の春の情景だ。 その『春の情景』でも一押しの絶景が、『ダム湖の流氷』と呼ばれる『雪流れ』の絶景である。

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氷結した湖面の氷が割れて流れ出す
川の流氷『雪流れ』は
春先の数日のみて見られる絶景だ
※ 越後観光協会のウェブより

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ワテも『雪流れ』の絶景を
何度か狙いに行ったが
いずれも氷が流れ出た後の「空振り」だった

だが、この絶景が見られるのは年間でも数日のみで、なかなか目にする事ができない『奇跡の絶景』でもある。 ワテも何度が撮影を試みたがいずれも空振りで、この絶景は未だに未撮である。

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ダム湖の縁に残った
『雪流れ』の氷片の上で
日向ぼっこする鴨の親子

『雪流れ』の絶景を撮る事は叶わなかったが、湖面に残る『雪流れ』の破片に鴨の親子が日向ぼっこしている微笑ましいシーンを目にする事ができた。

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標高は中央高地のヤマのほぼ半分
だが春先の雪深さと険しさは
中央高地のヤマに勝るとも劣らないのだ

破間川ダムより更に奥は、国境の峰である浅草岳と魚沼の名峰である守門岳の登山口へと道路が続いているが、浅草岳の方は『浅草山荘』(廃業して久しく廃墟になってる)付近で雪によって通行止だった。

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みちのくのヤマは
未だ『冬山』だった

守門岳の方は『大原スキー場』(休業中のようである)の施設維持の為か、スキー場最上部にある登山口まで車は通れたが、ヤマは雪のルンゼの直登で傾斜がキツくて登る事ができなかった。

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雪に閉ざされたみちのくの山に
人知れず雪解け水を落とす
秘められた滝を魅に行こう

このまま引き返すのも勿体ないので、登山口に入って0.5kmほどの所にある秘滝・布引ノ滝を訪ねてみる。 登山口からすぐの分岐を滝の方向へ進む。 途中から残雪の乗ったヘツリとなり、雪に埋もれた鎖場を突破して滝前にたどり着く。

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つづら折りとなった登山道が
雪で埋められてキツい直登となり退散
その埋め合わせに
秘滝・布引ノ滝に立ち寄る事にした

そこには山肌に滔々と白布を掛ける春先の滝と、登頂が叶わなかった守門岳が、頂稜部に深き雪をまとったまだ春山までには至らない姿で望めた。 だが、春の代名詞である萌えるような新緑などは見当たらず、唯一コブシの花だけが『春』主張していた。

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滝前に人知れず咲くコブシの花だけが
『春』の到来を主張していた

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ヤマに乗る雪を滔々と落とし
白布を掛ける秘滝と守門岳

最後は入広瀬の里の手前まで降りて、豪雪地帯がようやく雪解けの兆しを魅せた「春近し」の里を行く只見線の情景で締める事にしよう。 この鉄道情景を目にして思い描いたのは「冬来りなば春遠からじ」という言葉だった。

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日本の各地が春爛漫の陽気を迎えた頃
雪深き会越国境の地はようやく
春の兆しを魅せ始めたばかりだった

この諺の意味は、「つらい時期を耐え抜けば必ずいい時期がくる」というモノである。 でも、この地のこの情景を目にして、ワテの頭に浮かんだ「冬来りなば春遠からじ」という言葉は少し意味が違った。

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そのまだ冬が明けやらぬ情景に
この地だけが意味する
「春遠からじ」を思いめぐらしていた

それは、「ようやく春の兆しが見えてきたものの、まだまだ深い冬から抜け出せずにいる」という「もどかしい思い」を表しているのである。

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それは農道がほんの少し
地表面に現れただけの
依然として雪に閉ざされた
『冬』のままの情景だった

それは、ようやく雪が解け始めて、深い雪の下に埋もれていた農道と踏切が姿を現したものの、まだその踏切や農道を通る事は適わず、未だに「冬のまま」であったという事である。


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まぁワテなんか親に教育で金を使って
もらった事はないよ 即ち0円だ
強いて言えば小坊の時のそろばん塾と
中坊の時の公文式くらいて
総額10万円に満たないかもね

学歴も偏差値50より少し上の公立高校で
しかも親父が家に金入れなかったので
高校は学費免除だったしィ
教室内で学費免除の申請で呼ばれた時は
その空気の読めなさにその先公を恨んだよ

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でも今資産は3本数えるしオチャメって非正規
になったけど家主業の収入を合わせると
管理職の手取りと同じくらいだしィ
家主業を拡充させるとナンチャッてだが
資産億万長者も夢ではないしィ

考えたらワテの投資効率は
今でも300倍ジャン!
株価に例えると100円の株価が
30000円になったようなモノだよ

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要するに必要なのは
一度しかない青春の時を食い潰してまで
そして親に何千万という大金を積ませてまで
手に入れる将来の保証のない学歴ではなく

事実に裏打ちされた的確な判断力や分析力と
金がなくても目的を達成させる強い意志
そしてどんな事があっても生き延びる
ゴキブリのようなシブとさである

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ワテは何度もオチャメって
クタバリかけた体験や
その死さえ有り得たオチャメから
生還した事で得た変な方向への自信

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秘めたる思いであるローカル線の
追っかけを金をかけずに成就させたなど

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何度もリベンジを挑んだ気の持ちようが
救いようのないタワケであるにも拘らず
いい方向に転んだのかも・・ね









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