風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第12回  シーサイドライナー

『ネームトレイン』 第12回  シーサイドライナー

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大村湾をバックに快走する
快速〔シーサイドライナー〕

  快速〔シーサイドライナー〕 ・・ JR九州によって、佐世保・竹松(区間快速は佐世保~竹松は普通列車)~長崎を、佐世保線・大村線・長崎本線経由で運行する快速列車・区間快速列車である。
シーサイドライナー〕の列車名は、経由路線の大村線が海岸線近くを通る事のフィーリングからとされる。

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佐世保行の快速〔シーサイドライナー〕
だが使用車両の『YC1』型には
快速の風格が全くない

この快速列車は、長崎県の県庁所在地である長崎市と、県北の中心で県内第二の都市である佐世保市を結ぶ都市圏内速達輸送を主任務に、佐世保・ハウステンボス・長崎を結ぶ観光客輸送を担っている。
その始まりは1986年11月1日のダイヤ改正で、佐世保~長崎を運行する快速列車として1往復設定された。

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かつて筑豊で急行【日田】・【はんだ】で
使用されていたキハ66・67は
優等列車の雰囲気を兼ね備えていた
※ ウィキペディア画像を拝借

当初、愛称は設定されておらず、〔シーサイドライナー〕の愛称が与えられたのは1989年3月11日のダイヤ改正からである。 この快速列車は、国鉄分割民営化以降はダイヤ改正毎に増発され、愛称が着いたこの時点で佐世保発の下り10本・長崎発の上り9本設定されている。

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〔シーサイドライナー〕という
列車名は定着したが
使用車両は明らかに名前負け

大村線の快速列車には〔シーサイドライナー〕という列車名が定着し、佐世保~長崎に下り7本・上り8本、竹松~長崎に1往復、佐世保~竹松が各駅停車の区間快速列車が佐世保~長崎に6往復運行されており、上下とも1日の最初の列車が竹松発着となる。 かつては、松浦鉄道・西九州線のたびら平戸口や佐々まで乗り入れる列車もあったが、現在は乗り入れを行っていない。 喜々津~浦上は、〔シーサイドライナー〕の全ての列車が新線経由である。

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車両が新しい型になる程に
優等列車らしくなくなるのは何故!?
※ ウィキペディア画像を拝借

列車番号は、佐世保発が3221D~・長崎発は3222D~と、それぞれ2ずつを加えられる。
竹松発着列車に関しては、3271D・3270Dとしている。 〔シーサイドライナー〕の愛称が与えられた当初は、号数の表記もあったが2005年2月28日をもって表記されなくなった。 2018年3月17日のダイヤ改正より昼間時間帯の列車が区間快速となり、佐世保~竹松は各駅停車となった。 所要時間は停車駅によって差があり、おおむね1時間30分~2時間程度である。 完全な等間隔の運転ではない。

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デビュー当初は大きな
ヘッドマークが取り付けられていた
快速〔シーサイドライナー〕
※ ウィキペディア画像を拝借

《列車データ》
運行区間:佐世保~長崎 81.4km(佐世保線・大村線・長崎本線経由
運行期間:1989年 3月11日 - 佐世保~長崎の快速列車に〔シーサイドライナー〕の名称が与えられ、
              号数表記が採用される
              登場時は佐世保発の下り10本・長崎発の上り9本で、キハ58系
              (一部キハ65形を含む)で運転された
              専用塗色となる前にはヘッドマークを掲示していた
     1992年 7月15日 - 運転本数が下り13本・上り15本に増便
     2002年 3月23日 - キハ58系を筑豊本線・篠栗線から転入したキハ66・67系に置き換えて
              ワンマン運転を開始
     2005年 3月  1日 - 号数表記を取りやめる
     2006年 3月18日 - 松浦鉄道乗り入れ休止
     2018年 3月17日 - 日中運行の列車の大半が佐世保~竹松に各駅停車となり、種別は
              区間快速となる
     2020年 3月14日 - YC1系による〔シーサイドライナー〕運転が開始された
     2021年 6月30日 - キハ66・67系での運用終了
          10月 1日 - 3・4両ワンマン運転を開始し、全列車ワンマン運転となる
停車駅:佐世保・日宇・・早岐・ハウステンボス・川棚・彼杵・竹松・大村・諫早・(西諌早)・
    喜々津・(市布)・(肥前古賀)・(現川)・浦上・長崎
  ※ 長崎本線の喜々津~浦上は、全てのシーサイドライナー〕が新線(現川経由)を通る
  ※ 西諌早・現川は一部の列車が停車し、市布と肥前古賀は諫早~長崎が各停となる上下2本
    づつのみ停車する

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快速なのに『快速』表記もなく
様相がチンドン屋系統な
「優しくて(Y)力持ち(C)」の
YC1』型ハイブリッド気動車
※ ウィキペディア画像を拝借

使用車両:佐世保車両センター所属のYC1系が使用され、通常は2両でワンマン運転を行っている
     ラッシュ時などは増結して3両ないし4両での運転となり、3両以上のワンマン列車は、
     無人駅でも全てのドアが開く(客がボタンを押して半自動ドアを開け、運賃や乗車券
     は駅の集札箱に入れる)

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登場当初は急行用車両のキハ65を使用し
急行列車と言ってもいい様相だった
※ ウィキペディア画像を拝借

     運行開始当初はキハ58やキハ65による運行で、その後は筑豊から転属したキ66・67
     が充てられた(一部列車はキハ200やキハ220の場合があった)
     また、キハ58や65で運行されていた時期には、指定席車が連結された時もあった

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海をイメージした派手な塗装の
キハ66・67が運用に就いていた
※ ウィキペディア画像を拝借
     
     かつて使用されていた車両は、車体が青20号に類似したシーサイドライナー専用塗色で、
     乗客扉は赤色に塗装されて『SEA SIDE LINER』のロゴが記されていた。
     2021年3月11日をもってキハ200形・220形での運用が、同年6月30日をもってキハ66
     67系での運用が終了した
乗車経験:川棚~諫早で乗車経験アリ
撮影経験:大村湾河口付近で撮影経験アリ

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魅力のない車両を魅せるには
車両を目立たぬ
ように撮るのがキモですね

  《乗車記と撮影記》
大村線に乗ったのは35年前の普通列車〔ながさき〕以来の事で、実質的には初めて乗ったに等しい路線であった。 もちろん大村線はローカル線ではないので、『撮り鉄』で追いかける対象になる事もなかったしィ。

だが、今年(2022年)の冬の旅で、九州での未乗区間である筑肥線や唐津線を完乗するべく、西九州方面に繰り出す事となったのである。 その西九州方面に繰り出す理由を、詳しく述べれば次のようになる。

鉄道線の完乗ってのは当然起点駅から終点駅への移動を伴うもので、唐津線や筑肥線を完乗するとなると長崎県に入らねばならない→その日の内に博多方面に戻るのは旅においてのロスであり、長崎県内で宿泊する必要がある→どうせ立ち寄るのなら、『撮り鉄』に勤しむって事で、その『撮り鉄』のターゲットにしたのが、大村線の大村湾の河口風景を背景に・・である。

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駅舎はあるにはあったが
建物だけの空洞吹き抜けの
駅寝に不向きな建付けだったよ
『ユキサキナビ』より

前述で述べた通り、翌日の『撮り鉄』に無駄なくつなげるへく・・の長崎県内での宿泊地は、撮影地の近くにある岩松駅にしたのであるが、コレが大きな『ミステイク』だったのである。 駅寝駅として選択した岩松は、駅寝には適さない飛んだ『ハズレ駅』だったのである。

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駅寝駅としてあまりの悪条件から
憤慨して撮るの忘れたよ
なのでユキサキナビから拝借
※『ユキサキナビ』より

それは旅立つ前の下調べで、ウィキに掲載されていた駅舎の写真からこの駅に「駅舎がある」と踏んだのだが、コレが大いなる誤算だったのである。 それは、駅舎はあるが「建物だけ」で扉もない吹きっ晒しだったのである。

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深夜まで通過列車の轟音が響き
駅前道路は長崎県随一の主幹道路で
トレーラが道路を引き裂く走行音を立てる
駅寝には最悪な環境の駅だった
※『ユキサキナビ』より

次に、ホーム下の線路脇にその吹きっ晒しの駅舎が建っていて、列車が通過する度に構内踏切の鐘の音と、通る列車の轟音が駅舎内に響き渡るのである。 まぁ、温暖な地・九州の無人化後に建てられた駅はこの駅に限らず、建物だけで扉がなく吹きっ晒しの駅舎が多いのである。 

しかも、大村線って地方交通線ではあるものの、実質は幹線格である長崎本線や佐世保線より幹線の性質を有した線で、最小でも毎時2本で、それに加えて快速列車もあるのだ。 また最終は、午前零時直前まであるのだ。

つまり、上下線で言うと、快速を含めて時間6本の列車がある訳だ。 それに快速は通過で、通過列車の轟音は更に盛大となる訳である。 要するに煩くて寝てられないのである。 だが、騒音の元は列車だけではない。 駅前を通る道が長崎と佐世保を結ぶ長崎県で最大の主幹道路である国道34号線で、昼夜を問わず長距離トラックやトレーラーが爆音と共に走り去るのである。

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1時間に6本の列車と
ひっきりなしに通るトレーラーの
轟音の中でも寝れるもんだね

また、頻繁に走るトラックによって道路舗装がズタズタに裂けているのか、一般車でも甲高い変な走行音が響き渡るのである。 正直いって、「寝るなんてムリ」な状況だったよ。 救いは、真冬(年末年始)でも、テント内温度が10℃を越えていた事くらいか。 でも、北海道の無人駅の氷点下の方が駅寝環境がいいと思ったよ。

それと、もう一つ『救い』があったよ。 それは、トイレが洋式水洗だった事である。 もし、トイレがボットン or 最悪のトイレナシなら、列車本数もある事だし他の駅への移動を決断したかもしれんなぁ。

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大村線紹介での千綿駅の
ポスターを見た時は悔しさ以上に
己のタワケさに爽快感を感じたよ
※ JRの『青春18きっぷ・2014年冬』より

この駅に着いたのが20時前だったから、何とか他の駅へ逃げれる事ができたしィっていうか、「他の駅に逃げてた方が良かった」って事は、JR九州の大村線の沿線を紹介するポスターを目にして悟ったよ。
それは、この駅から5つ先の千綿駅が、レトロな木造駅舎(建て替えられたモノだが)で戸締りもできるし、線路は海際で車道も駅舎から離れているので騒音の心配もなさそうなのである。 コレを知った時、「駅寝する駅選びをシクったぁ!」と思ったよ。

でも、『自爆してオチャメる程に真価を発揮する』というロクでもないスキルを持つタワケは、この状況でも最終列車が出た0時過ぎから5時半の始発の前までの記憶がない・・、つまり寝ていたのですね。
これはテント内温度が、『上着の要らない』10℃以上だった(ウチの部屋より暖かいよ)事も寝れた要因かなぁ。

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こんな駅で駅寝した唯一の利点は
『大村湾河口の撮影地』まで
駅から徒歩15分って事だ

まぁ、しょうもない駅寝の事はこれまでにしといて、この駅に降り立った(駅寝した)理由である『大村湾河口の撮影地』だが、『撮り鉄』よりも川に漂うマガモの群れの方に熱中したよ。

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滞在2時間でマガモさんが
唯一羽ばたいたのはこのシーンのみ

「マガモが列車に合わせて飛び立ってくれれば、もの凄いラッキー」と、「あわ良くば・・」を期待したが、河口の水面を漂うだけで全く飛び立ちませんでした。

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1時間に8本も撮れるから
多少ブレても失敗してもい~のだ

そして、この大村線は単線で擬制キロが適用される地方交通線ではあるが、ラッシュ時には路線容量の目一杯を使った片方向で毎時4本という運行で、撮影地に朝7:30頃(九州の冬は夜明けが遅く日の出は7:30頃で、それまでは光量不足で撮影不能)から繰り出せば、1時間に上下合わせて8本の撮影が適うのである。

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大村線に来るのは半年遅かったよ
その理由は言うまでもなくこの車両
でも半年前は『残念』の術後の
ダメージで遠出はムリだったしィ
※ ウィキペディア画像を拝借

それに、大村線の『撮り鉄』は半年遅かったよ。 キハ66・67が運用に就いていたのだが、半年前の2021年6月末で引退となり、新型のハイブリット気動車に代えられてしまったのである。 

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「やさしくて力持ち」というより
「変な電飾のチンドン屋」って感じだな

その形式は『YC1』系というらしい。 その『Y』と『C』の文字は、「やさしくて力持ち(Yasashikute Chikaramochi)」の頭文字を取ったモノであるという事だ。 JR九州は充電バッテリー車の『デンチャ』といい、何ていうか茶化したネーミングを採用しているみたいだね。

前述の如く、撮影機会が1時間に7~8本(年末年始の休みと言えどもラッシュの時間帯なので、上下共毎時3~4本ヘッド)あるので、さすがに『撮り鉄』ばかりだと飽きがくるので、8時半には切り上げる。

撮影地を変えるべく川棚まで移動するが、昼には大村湾方向がド逆光となって『撮り鉄』不能となったので、町である川棚でホカ弁を見つけて諫早に戻る。 その時に乗ったのが昼間時は区間快速となるシーサイドライナー〕である。 ちなみに、この日泊まった岩松は区間快速も通過でっす。

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列車が通った数分後に
船が湾を横切ったよ・・残念

シーサイドライナー〕が走る大村線は、擬制キロが採用される地方交通線扱いだが実質は長崎本線より格上で、昼間時でも毎時2~3本運行されて車内も立ち客がいる程に混んでいる。 「車内で座ってホカ弁を食う」という目論見は外れ、諫早まで座れなかったよ。

逆に長崎本線の博多行特急【かもめ】は、自由席でも座れてそこで本願成就(昼飯のホカ弁を食う)となったよ。 でも、【かもめ】は料金が高くなった上に、乗り換えの手間だけが増えて実質の時短効果がないシンカンセンとなったら、利用客が激減してガラ空きになるかもね。 となると、乗り換えの手間で時間ロスしても座れるかな? そして、西九州シンカンセンは、ジリ貧の大村空港の救世主となるかもね。


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安く見積もっても4000万円はいるという

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