2022-04-13 (Wed)✎
『路線の思い出』 第484回 函館本線、留萌本線、深名線・深川駅 〔北海道〕
元深名線発着ホームの
7番線が埋められた跡が残る
深川駅の6番線ホーム
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
函館本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’20)
函館~旭川・七重~大沼~森 465.7km 349 / 1329
※ 長万部~小樽の数値
廃止区間と営業キロ 廃止年月日 廃止時運行本数 転換処置
砂川~上砂川 7.3km ’94・ 5・16 6往復 北海道中央バス
’22年・運行本数
滝川~旭川
滝川~旭川 普通 下り8本・上り8本(運転系統が分かれる滝川で運行本数が激減する)
深川~旭川 普通 下り1本・上り1本(うち上り1本は深川より留萌本線に入る留萌行)
滝川~深川 普通 上り1本
札幌~旭川 特急【かむい】【ライラック】おおむね上下共毎時1本で毎時2本の時あり
札幌~網走 特急【オホーツク】2往復
札幌~稚内 特急【宗谷】1往復
時が経ち今度は留萌本線の
末端区間が廃止となり
留萌までもが輸送密度2ケタの
北海道随一の閑散線区となっていた
留萌本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’20) 運行本数
深川~留萌 50.1km 90 / 2372 7往復
廃止区間
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15) 廃止年月日
留萌~増毛 16.7km 39 / 844 ’16・12・ 5
※ 輸送密度は留萌~増毛の数値
※ 営業係数は深川~増毛の全線の数値
’22年・運行本数
深川~留萌 7往復(うち下り1本は旭川発の直通列車)
営業係数ワースト1の路線となるも
代替道路不備で1990年台前半
まで存続した深名線
深名線
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
深川~名寄 121.8km 168 / 3157
廃止年月日 転換処置
’95/ 9/ 4 名士バス
廃止時運行本数
深川~名寄 1往復(車両は直通・列車番号は朱鞠内で変わる)
深川~朱鞠内 下り3本・上り2本
深川~幌加内 下り1本・上り2本
朱鞠内~名寄 2往復
各地の駅で駅ビルへの建替えとなる中
国鉄時代からの駅舎が残る深川駅
※ ウィキペディア画像を拝借
深川駅(ふかがわえき)は、北海道深川市1条9番にあるJR北海道の駅である。 函館本線を所属線としており、当駅を起点とする留萌本線を加えた2路線が乗り入れる。 また、かつては幌加内を経て名寄に至る深名線も分岐していたが、1995年9月4日に路線廃止となっている。 臨時列車を含め、全ての列車が停車する函館本線の主要駅である。 社員配置駅でみどりの窓口・自動券売機・自動改札機(ICカード非対応)が設置されている。 2019年の1日平均乗車人員は1041人との事である。
深川駅は利用客が圧倒的に多い
札幌方面への乗客優先で
駅舎側のホームは上り札幌方面の
乗り場となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
単式ホーム1面1線、島式ホーム2面3線の合計3面4線のホームを有する駅で、のりばは駅舎側から順に1・3・4・6番線となっている。 ホーム間を連絡している跨線橋には、1番線と3・4番線間をつなぐエレベーターが設置されている。 2番線と5番線はホームをもたない中線で、2番線は主に貨物列車の待避(上下線共用)、5番線は主に留萌本線運用車両の留置で使用される。
下りの旭川方面行は
3番線が優等列車・4番線が
1日8本の普通列車の発着ホーム
として使用されている
※ ウィキペディア画像を拝借
かつては6番線の奥にも多数の側線を持ち、深名線の一部発着やイベント列車が使用する7番線も存在したが、線路は撤去されて埋められて片面使用となっている。 また、7番線の奥には深名線運用車両の車庫や転車台(ターンテーブル)なども備えた鉄道の要衝であったが、深名線の廃止後は多くの側線や施設が撤去され、自由通路やジェイ・アール北海道バス深川営業所・駅利用者駐車場に転用されている。
駅の改札風景は自動改札機が
導入されたものの国鉄時代からの
様式が受け継がれている
※ ウィキペディア画像を拝借
駅舎内には物産館と観光案内所が併設されていて、かつては駅弁の販売が行われていた。
現在は駅弁の販売は行われていないが、併設されている深川物産館では深川そばめし等の販売を行っている。 また、深川物産館で販売される菓子のウロコダンゴは、駅名物の土産品となっている。
深川のバス事情は駅前が中心ではなく
国道と駅との十字路が
市の中心バス停となっている
道路の交差点に設けられたバス停の
待合所としての設備を備えた
地域交流施設の『プラザ深川』がある
※ 上下いずれもウィキペディア画像を拝借
駅前まで乗り入れるバスは少ない(地域循環バスと深名線代替のJR北海道バスのみ)が、駅から徒歩3分にある国道233号線との交差点には、バス待合施設を備えた『深川十字街』バス停があり、深川に立ち寄る全ての路線バスが通過する。
かつては機関区もあり
側線が数多くあった深川駅も
貨物及び列車待機用の
構内の2線のみとなってしまった
※ ウィキペディア画像を拝借
かつては日本一の赤字線にも名を連ねた深名線が分岐していた深川駅は、『ローカル線追っかけ・命』の若き日のワテにとっては、北海道の廃止線追っかけ旅での札幌に次ぐ拠点駅だったのである。
石北本線・美幌から分岐していた
廃止ローカル線の国鉄・相生線
それは、オホーツク沿岸や石北本線・宗谷本線に存在していた廃止ローカル線は1日の運行本数が6往復程度で、1線追っかけて『乗り鉄&撮り鉄』するだけでほぼ1日を要したのである。
廃止ローカル線には
心を奪われる鉄道風景があった
:
国鉄・渚滑線
北見滝ノ上付近にて
また、1日6往復程と運行本数の少ない廃止ローカル線を追っかけるなら、札幌から夜行列車に乗って廃止ローカル線の始発列車に乗り継ぐ事が必須条件となっていたのである。 そして、ほぼ全ての廃止ローカル線の始発列車が、【利尻】・【大雪】といった札幌発の夜行列車に接続していたのである。
廃止ローカル線の『乗り鉄&撮り鉄』という
困難なミッションの遂行に必須だった
夜行急行【利尻】・【大雪】・【まりも】と
20日間乗り降り自由の道内ワイド周遊券
今の乗り換えの多大な手間を要し、赤字だけを生み出す轍となり果てた「全く使えない」シンカンセン有りきで、在来線の接続ズタズタのJR北海道からは考えられない運行ダイヤだったのである。
即ち、札幌発の夜行列車があって前日の宿と始発列車へのアプローチが適ったからこそ、廃止ローカル線の『乗り鉄&撮り鉄』という困難と思えるミッションの遂行ができたのである。
憧れのオホーツク縦貫鉄道
興浜南線の『乗り鉄&撮り鉄』も叶った
だが、1日の日中の全てを要してローカル線めぐりをして、翌日も別の廃止ローカル線の始発にアプローチするなら、一度札幌に戻って札幌発の下り夜行列車に乗り込まねば日程がムダとなるのである。
まぁ、北海道に慣れた数年後の廃止線めぐりは、札幌まで戻って夜行列車に乗り込む手間を端折って、駅舎のある無人駅で真冬の駅寝をしていたけど・・ね。 でも、真冬の駅寝って、夜行列車に乗るべく札幌に戻るより命がけの愚行だったりして。
もうこの国には存在しない鉄道風景
だからワテのかけがえのない宝物
名寄本線・沙留の流氷の丘にて
次にめぐる廃止線の始発列車へのアプローチの為に、「札幌に戻って夜行列車に乗る」事だが、一日の日中のほぼ全てを費やして廃止線めぐりをしたなら、網走や宗谷・・、そしてオホーツク沿岸地域から札幌へ戻り着く事が時間的にムリとなってくるのだ。
だが、札幌からの下り夜行列車に乗らねばならないとすると、途中の深川・滝川より夜行列車に乗る方法を選択するしかないのである。 もちろん、座席に座る事が適わず、デッキで寝転がる事も折り込み済で・・。 でも、強烈な暖房で暑く寝苦しい上に、寝付いた頃に大音響と共に元の位置に戻る『半自動簡易リクライニング』より、デッキでゴロ寝の方が快適だったりするのは何故!?
三種の神器に加えて
心を穏やかにできる定食屋さんが
あったからこそ厳冬のローカル線
撮り鉄ができたんだろうね
深川に降りる状況説明を長々としたが、北海道廃止路線追っかけ旅の第二の拠点となった深川では快適な旅暮らしができるように、『ホカ弁』『コインランドリー』『銭湯』の『三種の神器』の確保に加えて、当時流行った『一杯のかけそば』の如く顔を憶えてもらって、店のおかみさんと身の上話ができる定食屋さんを見つけて、風呂上りに夜行列車の発車30分前までこの定食屋に入り浸るのが、深川に立ち寄る際の旅の日常となっていたよ。 マンガ雑誌も毎週号あったしィ。
深名線の『乗り鉄&撮り鉄』も
夜行列車の逆向き利用で成就が適った
そして、オホーツク沿岸の廃止線が淘汰された後に『偉大なるローカル線』となった深名線は、稚内や網走からの上り夜行列車の乗って深川に降りると、深名線の始発にアプローチできる今までのローカル線追っかけと同じシチュエーションが叶ったのである。
モノトーンの情景
:
深々と降る雪と単行に改造された
かつての急行用車両
その車両の心が抱く哀愁も
モノトーンの情景の一つだと思う
その末期の深名線は、単行運転ができるように急行型気動車のキハ56を両運転台に改造したキハ53の500番台を3両つなげた車両が始発列車として仕立てられ、幌加内と朱鞠内で切り離して、朱鞠内~名寄・深川~朱鞠内・深川~幌加内の区間列車の3列車として運行され、その日の最終便で朱鞠内と幌加内で併結され基地の深川に帰るという、3両で線内全列車を運用する幾何学的な最小規模の運用をしていたのである。
廃止を控えた末期の深名線は
単行運転可能に改造された
3両の気動車で1日の全列車運行を
賄う幾何学的運用となっていた
『山旅放浪期』でもかつて取った杵柄で
深名線のこの駅で駅寝していたよ
廃止線が淘汰されて、ターゲットが大雪・日高のヤマへと変わった『山旅放浪期』の1990年台も、年代前半まで深名線は代替道路不備で廃止されずに存在していて、『かつて取った杵柄』で、駅舎のある深名線の無人駅で車を止めて駅寝していたなぁ。 でも、その頃の深川は通り道と化していて、立ち寄らなくなっていたよ。
再度廃止線追っかけを再開した
留萌本線は訪れるといつも猛吹雪で
抱く『撮り鉄』の野望は未だ成就されず
身体がヘタった事で『〇鉄』復帰したここ数年で、輸送密度が39と美幸線と肩を並べる程に落ちた留萌本線の末端区間が廃止となり、残った本線も北海道で随一の閑散路線となった留萌本線を追っかけるべく深川を通る事になったが、留萌本線同様使えないJR北海道には見切りをつけて、レンタカーと高速利用となったよ。 高速利用など、かつてではワテの旅では有り得ない事だったけど。
『鉄』を追っかけた過去は
「自身の黒歴史」と言いながら
ヤマから帰ると細々と
深名線を追いかけていた
あの定食屋さんは店を閉め、銭湯は壊されてコンビニになっていたしィ。 でも、最初の北海道の『山旅放浪』では、雨竜沼湿原に向かう途中に旅の宿である中古車のファミリアのオートマ・ミッションが壊れて、10日間『頭文字D』したのも深川だったっけなぁ。
12両編成の多層建て急行列車
【大雪】・【紋別】・【はぼろ】
※『レイルラボ』より
憧れの列車があった鉄道への
思いが募る駅が深川駅だった
※ 写真集『国鉄・急行列車』
(山と渓谷社 刊・廣田尚敬 著)より
旅に出る前の小僧の頃は、札幌を出た【大雪】・【紋別】・【はぼろ】の12両編成の多層建て急行列車の【はぼろ】が深川で分割されるシーンに(今も・・だが)思いをめぐらし、『ローカル線おっかけ旅』の頃は第二の旅の拠点となり、『山旅放浪』の時は旅の継続が困難となる車の故障の危機を救ってもらった恩ある地など、ワテにとって道央地区で最も旅の思い出が詰まっているのがこの深川なのである。
FIREやその手法として株式投資を進めるサイトは
会社雇用しがみつく事を先がなく
疲弊するだけの隷属で株式投資の益で
働かず暮らしていくFIREを
この世の理想郷のように述べている
そして最後に生命保険の
契約書のようにチョコっと
「その為には1年の生活費25年分の
資金が必要」と謳っている
これってほとんど詐欺でしょ?
だから詐欺に騙される奴に
先はないのである
それに敵対相手である会社のせいに
して溜飲を下げているが
これでは全く状況は改善しないのだ
現実は自身の敵である経営層を貶し
それに媚びて現在の地位に
しがみつく者を社畜と貶す自身は
その社畜にも負けているのである
そして起業するって事は
自身が毛嫌いしている経営者になる事だ
だから根本から意識改革しないと
いつまで経っても負け犬のままで
それでは家族がたまったものではない
その意識改革は何故アフィリエイトが
流行って今はすると必ず破滅するという
現状を理解する事が早道だろう
それはアフィリエイト創成期は
競争相手が少なくまた購買者の
警戒心が低かった事と
購買側に防御手段が乏しかった事だ
そして『営業』『経理』『クレーム処理』も
「追及されればサイトを閉めて逃げる」
事が通用した為である
だがセキュリティが強化され問題発生すると
アフィリエイト主にも追及の手が及ぶようになったのだ
また参入者が増大して『営業』の代わりに
ネットで上位検索を受ける為に
膨大な広告料が必要となったのだ
そしてその膨大な広告料払ったとしても
売上に直結する保証はないのだ
それに販売代金の5%が売上のアフィリエイトで
月15万円の収入を得るには
どれだけ人を騙して売ればいいという
事の根本を考えて判らなければ
起業の能力は「見込みナシ」と言えるだろう
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