風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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岬めぐり・・  禄剛崎

岬めぐり・・  禄剛崎

社会に出て会社勤めとなったなら全く関係ないけど、一応春休みとなって、知らぬうちに高校野球の選抜までやっているので、季刊記事である『岬めぐり』の春の号おば・・。



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最突端の想いを伝えるモノ

  禄剛崎 ろくごうさき (能登半島国定公園)  〔石川県〕
能登半島の先端に位置し、日本海の北東方向に突き出す形の岬で、所在地は石川県珠洲市となっている。
古くから日本海航路の要所として重要視されていた為に、隔絶された地の割には集落が発展していた。
特に一帯は海難事故が多かった為、航路を照らす狼煙が古くから上げられていた。

それは、現在の珠洲という地名が「すすみ」(古訓で、のろしのこと)にちなむとも云われる程であり、狼煙町・狼煙港・狼煙海岸などの地名が残っている。 この狼煙は1883年に白亜の石造灯台である禄剛埼灯台が建設されるまで使用されたという。

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春先の岬の醍醐味は
岩礁と荒れ狂う波の情景だ

また、禄剛崎一帯には海岸段丘が発達し、沿岸には千畳敷と呼ばれる海食台地が卓越していて景観に優れている。 禄剛崎園地は能登半島国定公園の代表的な景勝地の一つで、灯台一帯は広場として整備されており、観光拠点として機能する。 また、能登半島の外浦と内浦の双方にまたがる為、朝日と夕日が同じ場所で見られる事でも知られている。



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能登半島・景勝地 位置図
※拡大して見てネ

   《岬訪問記》
2005年の4月まで、内浦の蛸島まで鉄道路線があった。 駅跡にはかつてこの路線を行き交った車両が棄てられたも同然に放置されて哀愁を誘う。

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棄てられたも同然に放置された
のと鉄道の車両
※ ウィキペディア画像を拝借

駅跡を訪ねて鉄道在りし頃の情景を思いめぐらせたなら、更に半島の奥地である『奥能登』を訪ねてみよう。 蛸島の駅より先は道はか細くなって、岬の先端に向かっている事が実感できる。

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狼煙海岸にある紅白の灯台の間で
波が逆巻き立っていた

そして、岬に近づくにつれ内海の域を出て、波が荒れ狂う外海の情景が広がってくるだろう。 
《狼煙海岸》の沖合いに立つ赤と白の灯台と日本海の荒波が、旅人の目を奪う事だろう。
断崖絶壁で仕切られた港風景と、岬ならではの情景が旅情を引き立てる。 やがて、日本海の荒波へ向けて光跡を照らす灯台の立つ『奥能登』の突端・禄剛崎へ・・。

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押し寄せる波が刃物の如く
刃先を向けて押し寄せる

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その刃先が白く光ると
押し寄せる波が最大の力を持った瞬間だ

『奥能登』の最突端・禄剛崎は、防波堤で仕切られた小さな漁港だ。 今まで内海の波一つない穏やかな光景を見てきた目には、猛烈な低気圧により荒れ狂う情景はパラレルワールドに引き込まれたような感覚を覚える。

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最大の力を持って防波堤に
ブチ当たった波は
次々に波の華を置いていく

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引き波の一瞬だけ姿を魅せる神秘
散華する波の華

小さな防波堤に高波が被さり、それを洗い流すが如く白い波の泡を抱き砕け散っていく。
防波堤で羽を休めるカモメが、押し寄せる波を羽ばたきでかわしつつ、じっと周囲の様子を伺っている。
羽を休める・・という事も、彼等にとっては戦いなのだろう。

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冬の荒波に抗するが如く
寄り添って建つ奥能登海辺の集落

岬周辺の海岸・《狼煙海岸》の情景を楽しんだなら、お目当ての《禄剛崎》へ向かおう。 
《狼煙海岸》沿いの集落は半島最突端の集落らしく、地形に沿っての曲がり角にこじんまりと固まっている。 まるで、日本海より吹きすさぶ猛烈な波風に皆で抗するが如く。 

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最果ての情感を抱かせる
海洋図のモニュメント

岬の灯台は、半島の突き出た断崖の端に建っている。 駐車場に車を止め、急な坂道を7~8分程登っていくといい。 登るにつれキツい風の抵抗を受けながらやってくると、広い園地に整備された最奥に白亜の灯台と通信塔が立ち並んでいる。 そして、真っ先に目を奪われるのは、灯台前のモニュメントの一角にある標識板であろう。

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彼の地の国・ウラジオストクに
最果ての旅の思いを馳せる
札幌より僅かに近い
見知らぬ“彼の地”の国を想像して

そこには、『←上海 1598km』、『←釜山 783km』、『東京 302km →』とあった。
そしてその下には、“彼の地の国”であるウラジオストクの標示が示してあった。 『← ウラジオストク 772km』。 一つだけあさっての方向を示しているこの標識は、近くて遠き国・・の印象を強く抱かせるものがあった。 そして、この遠き国は、北海道の札幌よりも僅かながら近いのである。

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このモニュメントが建てられた頃の
彼の国はこの海洋の果てより
更に遠い国だったのだろう

恐らく、このモニュメントが立てられた頃は、現在よりも遙かに“遠き国”であったのだろう。 
その見知らぬ凍土の“遠き国”の旅の想像を、このモニュメントは大きく駆り立ててくれる。 
そして、岬を語る案内板も岬を思う感情が記されていて、これを目にすると人が抱く“岬”の情景が大いに刺激される事だろう。

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西洋の古城の城壁を思わせる
禄剛崎灯台

さて、モニュメントより一段下った奥の広い突端の丘の中央には、白亜の灯台が西洋の古城の如くそびえ立っている。 城壁を思わせる白いレンガの側壁が、他の者を安易に寄せつけぬ雰囲気を漂わせている。 

・・そうなのだ。 ここは、かつて命がけで職務を全うした灯台守の“戦場”なのだ。 灯台守がいる時代ならば、安易に街の者が来るような所ではなかったのだ。 その“思い”が堅牢を意味する城壁なのだ・・と想像するのは、ワテの勇み足なのだろうか。

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岬展望台にあった枯木越しに
日本海の荒波を望む

 白亜の古城のような灯台の丘は海岸段丘の断崖となって途切れ、その先は波濤渦巻く白波が闊達にアートを描く“海”というキャンパスだった。 そろそろに傾き始める雲間の光とまだ冬から醒めぬ枯木の枝を絡めると、奔放だが美しい情景が演出できる。

だが風は強く、ほんの5分もカメラを構えていると手が寒さで痺れてくる。 たとえ、厚手の手袋を着込んだ・・としても。 3月をまわった春先だというのに、この冬のような厳しさが、岬の情景を人の心に“憧憬”として植えつけるのだ・・と思う。

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この時は日本海の海上に
950ヘクトパスカルの爆弾低気圧があり
竜巻を巻き起こしていた

傾いた日が水平線に陣取る前線の鈍重な雲に隠れてしまったなら、そろそろ岬めぐりより引き上げよう。 岬の周遊を終えたなら、ロジックな雰囲気漂う《狼煙》集落でひと息着くとしよう。 《狼煙》の集落には、レトロ調の喫茶店がある。 岬めぐりで冷えきった体を暖かい飲み物で中から暖めると、より岬の風の強さが思い起こされて感慨が深まる事だろう。

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岬を後にした頃には
奥能登の一日は暮れようとしていた
さて・・ どこに泊ろうか

さて、今日はどこに泊ろうか。 この地を訪れた一般の旅行者ならば、今夜の宿泊には旅館等を想定する事と思う。 『奥能登』は観光地なので、探さずとも旅館や国民宿舎は見つけられるだろう。

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荒々しくも
何か懐かしい情景

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押し寄せる荒波の轟音と
ウミネコの鳴き声以外は何もない
旅人が惹かれる情景

だが、旅館などは断崖の上の“安全な”所に建っていて、荒れ狂う冬の日本海を“俯瞰”という形では堪能できるが、“情景を思う”には今一つ役不足のような眺めに思えるのだ。 まぁ、前面に広がる冬の日本海を見ながら豪華な夕食を取る・・っていうのも、いいシチュエーションなのだが。

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岩うつ波が逆巻き立って
間近で魅るからこそ
震えるような感動がある

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波が横に飛んだ
奇跡の情景を間近で魅る・・という
岬めぐりの旅での最大の贅沢

なぜなら、この『日本百景』の旅の本質とは異なる“贅沢”という言葉が出てくるからだ。 同じ“贅沢”をするのでも、この『日本百景』では情景に魅せられる“贅沢”をしたい。 従って、海辺まで来て岩に砕け散る波を間近で眺めつつ、狭いハコ(車内)の中で一夜を過ごそうと思う。

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安全なホテルへの宿泊は
岬めぐりの旅には合わないような
気がして海辺の駐車場に
車を止めて中で泊まる事にした

夕食も朝食もかなり貧弱だけれども、夕暮れと夜明けの波濤を魅せられるという、『日本百景』の旅が求める究極の“贅沢”が味わえるのだ。 だから・・今夜は、《木ノ浦海岸》の海辺にある駐車場で車中泊する事にしよう。


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事を成すにはそれが実現できるような
裏付けを得た上で行動する事である

前出のオッサンのように
仕事が辞めたくて仕方ないのなら
仕事が辞めれるような収入の裏付けを
固めた上で事を運ぶべきで

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敵対相手をディスっても
それは負け犬の遠吠え以外の
何モノでもなく見苦しい限りに見える

少なくともディスっている相手は
形の上では会社人間として
上手くやっていて処世術の一つの形
として参考にできるからだ

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それに目論む事が上手く軌道に乗れば
『仕事命』の仕事人間たる奴らが
学歴も知識も技量もないワテ自身に比べて
必死に喘いでいるように見えて憐れにさえ感じる

要するに今の地位を守る為に
身を削ってそこまでせねば
ならないのか・・という憐れみだ

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この境地に至ると仕事が嫌でなくなるよ
だって給料はそれなりだけど
責任の低い下っ端で気が楽で
不足の収入分は副業で補って
ともすれば管理職より収入が多いんだもの

そして事を起こすのは
最初はどんな事でも苦難を生じるものだ
現にワテも改装費という予定外の
借金を返し終わるまで
完全に軌道に乗ったとは言えないしィ

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だがこの最初の2年の苦しい時期を
乗り越えて軌道に乗れば
月間200時間以上の労働でもらえる
賃金より上のウハウハな状況が待っていて
実現可能なその状況を空想するだけでお腹一杯だよ








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