2022-03-24 (Thu)✎
『ネームトレイン』 第10回 いさぶろう・しんぺい
大畑の2段スイッチバックの
2段目に進入する
下り吉松行の〔いさぶろう〕
普通 〔いざぶろう〕・〔しんぺい〕 ・・ 熊本・人吉~吉松を、鹿児島本線・肥薩線経由で運行する観光目的で運用される臨時列車である。 臨時扱いではあるが、肥薩線の人吉~吉松に運行される4往復の内の1往復にこの列車名を当てがっていて、事実上は毎日運行の定期列車であった。
両列車を総称して「いさぶろう・しんぺい」と表記される事が多く、使用車両の愛称としてはこの表記が採用されている。
列車名の由来は〔いさぶろう〕が、八代から鹿児島を結ぶ鹿児島本線として肥薩線の人吉~吉松が建設された明治末期当時の逓信大臣であった山縣伊三郎、〔しんぺい〕が同区間開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平の名に由来する。
矢岳第一トンネルの矢岳方入口に山縣伊三郎の『天険若夷』、吉松方に後藤新平の『引重致遠』の扁額が掲げられている事にちなむものである。 それぞれの名を冠した列車が、揮毫者の記した扁額に向かって走る形となっている。
〔いさぶろう〕・〔しんぺい〕は
元は1日4往復の定期列車の
昼間便を観光列車化したものだった
〔いさぶろう〕・〔しんぺい〕は、1996年3月16日に当時人吉~吉松で4往復運行されていた普通列車のうちの1往復で、固有の列車名を付けて専用車両を用いて運行を開始した列車である。 前述の如く、矢岳第一トンネルの人吉側坑口に入る下り(人吉→吉松)列車が〔いさぶろう〕、吉松側坑口に入る上り(吉松→人吉)の列車が〔しんぺい〕と、別々の列車名で運行されている。
人吉~吉松の区間は、日本三大車窓の一つに数えられる『矢岳越え』など車窓からの景観に優れていて、名所では一時停車したり徐行運転を行うなど、運行当初から観光列車としての性格が強い列車であった。
駅のホーム上で観光客を避ける
ホジションで撮れば
茨で顔面袈裟斬りとなった
2004年に九州新幹線の鹿児島ルートが部分開業すると、新たに専用車両を投入した事もあって人気が高まり、当初は1往復で単行列車での運行だったのが、現在では2往復で2両又は3両での運行となっている。 2016年3月26日のダイヤ改正では1往復が熊本発着に延長され、2017年3月4日のダイヤ改正からは、熊本~人吉が特急列車に格上げされている。
熊本~吉松に1往復(1・4号)、人吉~吉松1往復(2・3号)の計2往復が運行され、下りの熊本・人吉発が〔いさぶろう〕、上りの吉松駅発が〔しんぺい〕の列車名となっている。 前述の如く熊本発着の1・4号の熊本~人吉が特急列車で、その他は普通列車で運行されている。 また、熊本~人吉では、〔かわせみ やませみ〕3往復と合わせて4往復の特急列車が設定されている。
最後は特急にまでなったが
表定速度は30km/hそこそこだった
〔いさぶろう〕・〔しんぺい〕及び〔かわせみ やませみ〕共に観光目的の『D&S(デザイン&ストーリー)列車』と位置付けられているが、熊本~人吉では2016年3月25日まで運行されていた特急【九州横断特急】や【くまがわ】の後継としての役割も担っている。 また、吉松では、特急【はやとの風】との接続が考慮されたダイヤを組んでいた。 人吉発着の1往復は、人吉で特急【かわせみ やませみ3・4号】と接続している。
なお、2016年3月26日~2017年3月3日の期間は、列車種別の上では熊本~人吉も普通列車であったものの小駅を通過する快速運転を行っていた為に、この区間の駅では快速列車と案内されていた。
それ以前の熊本~八代は上下とも客扱い無しの回送列車として運転され、八代~人吉では送り込み・返却を兼ねての1往復は、同車両を使用した全席自由関の肥薩線の定期列車としての運用だった。
当初は単行運転であったが、2004年10月9日から通年2両編成となり、同時に車内販売も開始されている。 運行開始当初からワンマン運転を行っているが、車内販売が開始されてからは客室乗務員が車内検札を行っている。 週末などの多客時に3両に増結される場合は車掌も乗務する。
このスイッチバック運行も
観光列車としての演出の1つだろうね
:
でも観光客は『ピース写真』撮影に
係りっきりでスイッチバックを
見届ける者はほとんどいなかったよ
観光列車の性質から、真幸~矢岳の日本三大車窓付近の走行時は徐行・停車を行った後にアテンダントと呼ばれる添乗員によって観光案内が行われる。 途中駅の大畑駅・矢岳駅・真幸駅では、観光目的の為に長時間停車となり、駅での撮影会や地元原産の野菜・果物・土産物の販売が行われる。
肥薩線も日田彦山線や高千穂線と
同様の命運を辿り
再びこのスイッチバックを
列車が通る時は無いのかもしれない
だが、豪雨災害の被害が甚大だった為に、不通となった八代~人吉及び、列車の送り込み不能により併せて運休処置が取られた人吉~吉松の区間共に復旧の目途は立たず、運用されていた車両のうちの1両が【はやとの風】の2両と共に〔ふたつ星4047〕に改造される事が発表されて運用を離脱するなど、実質列車廃止状態になりつつある。
なお、令和2年7月の豪雨災害で八代~吉松が不通となった際には、土曜・休日・夏冬休み期間中に門司港~博多で〔いさぶろう91号〕と〔しんぺい92号〕を特別運行している。
矢岳駅でイヘントをこなすべく
長時間停車する観光列車〔いさぶろう〕
《列車データ》
運行区間:人吉~吉松 35.0km(後に1往復が熊本~人吉を運行延長の上で増便され、延長運転区間
は特急列車となった)
〔いさぶろう〕・〔しんぺい〕の運行当初は
車内の一部を畳敷きにした
キハ31形による単行暗転だった
運行期間:1996年 3月16日:人吉~吉松で運行される普通列車のうち1往復に〔いさぶろう〕と
〔しんぺい〕の列車名をつけて運転開始。
2004年 3月13日:九州新幹線鹿児島ルート部分開業に伴うダイヤ改正により、
使用車両がキハ31形気動車からキハ140形気動車に変更。
定期列車の〔いさぶろう〕・〔しんぺい〕の前に、毎日運転の
臨時列車として〔いさぶろう101号〕・〔しんぺい102号〕を設定。
2004年10月 9日:キハ47形気動車1両を改造し、通年2両編成となる。
同時に車内販売の営業を開始。
2005年 3月 1日:〔いさぶろう101号〕・〔しんぺい102号〕が定期列車となり、2往復
運行となる。
2016年 3月26日:1往復を熊本発着に延長。
2017年 3月 4日:観光特急【かわせみ やませみ】新設に伴って、〔いさぶろう101号〕・
〔しんぺい102号〕の熊本~人吉を特急列車として運転。
2020年 7月 4日:令和2年7月豪雨によって肥薩線の八代~吉松が不通となった為、当面
の間運休となる。 その後は肥薩線応援企画として、門司港~博多で
〔いさぶろう〕・〔しんぺい〕の使用車両を使った応援運行が行われ
たが、被災した区間の被害は甚大で復旧の目途たたず。
そのまま列車廃止となる事が懸念されている。
停車駅:熊本・新八代・八代・坂本・一勝地・渡・人吉・大畑・矢岳・真幸・吉松
※ 熊本~人吉は特急列車で、普通列車となる人吉~吉松は各駅に停車。
※ 大畑・矢岳・真幸の各駅ではいずれも数分間の停車時間があり、駅の施設を見学したり、
即席記念撮影会を催したり、地元農家による売店が営業していて地元の特産品などが販売
されていた。
最初に改造されたキハ147は
天井まで届くパノラミックウインドウだ
使用車両:運行開始当初は、畳敷きに改造したキハ31形気動車を単行運転で使用していた。
2004年に普通列車用の車両であるキハ140やキハ47を、〔いさぶろう〕・〔しんぺい〕
仕様に改造して導入。 当初の改造車両は1両のみだったが、多客時の3両編成に対応
すべく2両のキハ47を〔いさぶろう〕・〔しんぺい〕仕様に追加改造。
※ 深い赤色基調の古代漆色に塗装され、内装は難燃木材を使用した固定式クロスシート中心
で、各車両の中央部には共用スペースとして展望スペースを設置してい小型のベンチが
壁面に設置されている。 最初に改造を受けて導入された両運転台式のキハ147は、窓
ガラスが観光列車仕様に拡大されているが、後に改造導入のキハ47の2両は一般車両同様
の二段窓のままとなっている。 また、車端部壁面に運転台展望のモニターも設置せれて
いて、車窓解説のVTRの放映や観光案内が行われる。
※ 運転席寄りの車端部のみ、従来のロングシートが残されている。 これは同列車が観光
列車として全席指定席となるが、同時に肥薩線の人吉~吉松における定期列車でもある為、
同区間の乗客(ほとんどいなかったが)の為の自由席として、このロングシート7席が当て
られていた為である。 この事により、JR九州の公式サイトでは「事前に指定券を購入
する事をお勧めします」と記載されている。
乗車経験:人吉~真幸で〔いさぶろう〕に乗車
撮影経験:アリ
今回の撮影行の思い出は
『セ・セ・セ・セイシュン18きっぷ』の
撮影場所を見つけるべくのヤブ漕ぎだった
《撮影と乗車にまつわる思い出》
列車の車内販売では腹は満たされないし、大畑・矢岳・真幸と行った駅には何もなさそうだし、果ては今回は運行元のJR九州の意向に反する自由席又は立ち席だしィ・・という事で、コンビニ飯を買い込んで列車に乗り込むとしよう。 しかし、人吉駅前ってコンビニがないのね。 発車時間が迫ってきて焦ったよ。
アラアラ・・改造され
まくってますねぇ
でも直角椅子で指定席の有難みナシ
※ JR九州のウェブより
で、列車の中に乗り込むと、アラアラ改造しまくってますねェ・・。 それに車内は、指定席完売の犯人である観光ツアーの一団で満席状態だ。 だが、そのほぼ全席の指定席は、ただのボックス席でリクライニングなどはなく『ありがたみ』は皆無だ。
今日の夜にここに泊まる装備を詰め込んだ
デカザックを持ち込みながら
指定券さえケチりコンビニ飯を
ガツ食いするタワケには
道義的に座席に座る資格などなかった
そして、指定席券を買わぬ不届き者(筆者)は、二両目端の『シルバーシート席(ロングシート席)』以外の着席を禁じられる。 その上に筆者は、宿泊装備一式の20㎏超のデカザックを担いでいるのだ。
従って、同義的に『シルバーシート席』の着席も禁じられているようなものであった。
このような状況でタワケが飯を食うべく取った手法は、デカザックを立て掛けたその上にジャンバーを被せた『簡易テーブル』をこしらえる事たったのだ。 もちろん、立ち食いである。 その上にコンビニ弁当を広げて、観光案内の車内アナウンスを聴きながら飯をがっついたのである。 大畑ループ下のトンネルに差しかかる時、飯を食い終えてデザートのヨーグルトに食指を伸ばそうとする“クライマックス”であったのは藪の中に・・。
大畑駅の売りは
壮大な情景の中を行き交う
2段のスイッチバックだろう
トンネルを越えると、スイッチバックの線形を見ながら大畑駅に到着する。 大畑では5分程停車し、ツアー観光客はワラワラと降りて、駅や列車を前にして『ピースサインの記念撮影』に興じていた。
何でも、記念撮影用のサインボードも用意されているみたいだ。
さて、『ピースサインの記念撮影』は白熱化し、5分の停車が8分となるハプニングがあったが、たぶんそれは想定済みの事なのだろう。 運転士は悠然とスイッチバック越えをするべく、後部車輌の運転席に陣取る。 それを車内TVモニターで映しながら、車内アテンダントの女性乗務員が団体ツアー客にスイッチバックの説明を行なっている。 スイッチバック線に入線し、運転士は再び前の運転席に戻っていく。
観光客がピースサインに興じてる間が
邪魔が入らない『撮り鉄』チャンス
運転士が前の運転席に入るとほどなく列車は発進し、ループ線へと入っていく。 大畑駅展望場所(大きな看板が立ってたよ)などのループ線の名所毎に列車が停まり、アテンダントさんが団体ツアー客に「右をご覧下さい」「左をご覧下さい」と説明に忙しい。 この列車の従業員にとっては、ループ線の通過までが最も忙しい時間帯だろう。
列車は大畑から300mも標高を稼いで、路線上でのサミットとなる矢岳に入る。 この駅でも5分の停車があり、ここでも指定席客(団体ツアー客)は駅構内に展示された蒸気機関車の前で『ピースサインの記念撮影』に勤しんでいた。
古き良き時代の
鉄道情景を魅せていた
矢岳駅の駅名標
九州の鉄道創成期から
この駅は100年の時を越えて
肥薩線を見守り続けている
ワテは蒸気機関車に全く興味がなく、むしろ“嫌い”の部類に入るので、乗客の皆が蒸気機関車の方へ行って閑散としていた隙に、古き良き時代を残して雰囲気満点な矢岳駅舎を撮っていたが・・。
矢岳越え付近の日本三大車窓
:
撮ったのは
車で訪れた別の時だけれど
矢岳も停車5分の所を7~8分使って発車。 県境とトンネルを越えて、『日本三大車窓』を眺めつつ真幸へ下っていく。 そして、最後の見せ場である真幸のスイッチバックでワタワタとした後に真幸駅に進入する。
ワテはこの駅で下車するのだが、駅に着くと同時に指定席客達及び『シルバーシート席』の『本鉄』達は、ホームに飛び出して『真幸駅の幸せの鐘』を代わる代わる乱打する。 これが結構やかましい。
「KOされて、10カウントゴングが乱打されてるが如し」である。
観光客が代わる代わる乱打する
耳をつんざく金切り音は
自身がマットに沈んだ
10カウントゴングの如し
※ JR九州のウェブより
鐘の乱打を終えた指定席客は、この列車の到着時だけ営業される行商のおばちゃんの誘いにのって宮崎の名産品を買い漁っていた。 一方、『シルバーシート席』の『本鉄』は、スイッチバック線形や駅の撮影に勤しんでいた。 で・・、『○鉄』で“ぼっち”のワテは、ただこの喧噪が早く去ってくれるのを願い、列車が発車するのを心待ちにしていた。
〔いさぶろう〕という最初の喧騒が去って
〔しんぺい〕という次の喧騒が
押し寄せるまでの10分ほどの昼下がり
さて、列車の発車で喧噪が去った真幸駅は、いつもの静けさを取り戻す。 だが、今の列車が名称を〔しんぺい〕と変えて折り返してくる頃に、再び10分間の喧噪がやってくる。 この駅に降りた目的は列車がスイッチバックに入った後の『カット狙い』なので、列車が去るまでは駅舎の陰に隠れて(隠れる必要はないのだが)じっとやり過ごす。 その時のがコレ。 今イチですな。 もうちょっと下見の時間があれば良かったかも・・。
先程の喧騒は駅舎の隅に隠れ
スイッチバック方向はド逆光で
下見の時間がなく適当に撮ったので
掲載当落線上の不毛作となりますた
さて、本日の最終列車(観光列車の・・ですよ)が発車すると、行商のおばちゃん達はそそくさと店じまいを始めて、列車発車後30分でいなくなった。 この後、18:37の最終列車まで3時間のヒマだ。
本日最終の観光列車が去った後
その喧騒が夢幻のように
人っ子1人いない寒村の駅に戻っていた
この真幸駅からはえびの盆地の町が一望できるのだが、「ただそれだけ」で店屋の一軒もなく、自動販売機なども一切ない。 そして、行商のおばちゃん達の店も、漬物や干し柿などの名産品はあっても飲料は全く売っていなかった。 そのおばちゃん達も列車が去ると、即座に軽トラで去っていった。
・・で、干上がってきたのである。
観光列車が去った後
ワテだけを残して陽が影っていく
仕方がないので、自動販売機を求めて京極温泉側を1km、吉松側を2kmほど歩く。 吉松側には『西内竪棚田一〇〇選 ⇒』なる案内板があり、「何かあるかなぁ」と自動販売機探しのついでにめぐってみる。
棚田の石垣は整然としていたが
棚田自体はショボかった西内竪棚田100選
※『ロコナビ』より
矢印の通り行くと、グルリと大回りして駅裏の小学校跡に出た。 その小学校跡の背後に広がるのがこの棚田であるが、大回りさせられた上に棚田もショボかった。 だが、駅の裏手に出たので、いい撮影地は発見できた。
・・で、歩き周って自動販売機ナシのダメ出しを食らい、空も夕方から陽が落ちて暗くなった。
先程の『棚田めぐり』で見つけた撮影地に陣取り、レリーズなしで18:00発のスイッチバック通過列車を撮ってみる。
列車を撮った写真は
ゾンビな物体となったので
辛うじて視認できる
暮れ落ちた駅おば・・
やはり、レリーズなしではアカンかったね。 なお、画像はお見せできるような物体ではなかったので、『掲載見合わせ』という事で・・。
過疎地の夜は都会では
まだ夕食前の6時過ぎでも
深夜のような静寂に包まれていた
撮影を終えて駅に戻り、さっき撮影した列車の折り返しである18:37発の人吉行に乗り込む。
車内は、行きの観光列車での喧噪がウソだったかのように、ワテを含めた乗客2人を乗せた一般の気動車は、黙々とサミットを越える。 やがて、列車は大畑着。 途中駅から途中駅、しかも夜汽車で無人地帯の大畑で降りる奴など鉄道目当ての『本鉄』でもおらず、運転士氏も真幸~大畑の運賃が判らずに、運転席に戻ってワンマン運賃表を点灯させて確認していたよ。
こうして下車した大畑駅は、駅舎が名刺で埋もれていた。 旅の記念に・・はいいが、美的感覚は問われるわなぁ。 で、こんな中でテントを張るのも嫌だったので、駅舎の外にテントを張る。
観光客の貼り付けた名詞で
落ち着かない駅舎内はやめて
手前の庇の土間にテント張ったよ
後はいつもの如く、持参した漫画見ながら飯を作って、飯食って、漫画を枕にシュラフに潜り込んで寝るだけだ。 まぁ、山の中といっても九州なので、テント内は3℃位までしか下がらなかったよ。
ランタンもあって、暖かいテントの一夜だった。
大畑で野宿した翌日はこの旅の最終日だ。 真幸ではあまり手応えがなかったので、ここはちょっとは本腰を入れないと、「観光列車に乗ってヨーグルトを立ち食いして、真幸で『幸せの鐘』の乱打に耳を劈かれ、歩き回ってショボい棚田を見て、大畑でテント張っただけ」に終わっちまうなぁ。
・・という訳で、ちょっと入れ込む事にしよう。
ブッシュ漕ぎを繰り返すなど
いっときだけ約30年以上前の
撮り鉄に夢中になっていた
頃にタイムワープしてますた
大畑駅の列車時刻は、人吉行きの7:02と折り返しの7:35で1つの対となる。 この後は、9:52の人吉行きの一般列車と吉松行きの【いさぶろう】があるので計4本が狙える。 だが、九州の冬の夜明けは超遅い7:20以降という事で、7:02の列車は日が昇っておらず撮影不可という事で見送りだ。
なので、7:35の列車時刻までに撮影地を見つける必要がある。 これに合わせて、6時半頃に偵察を兼ねて出撃する。
偵察の目的は、大畑のスイッチバックを俯瞰できる位置を見つける事だ。 取り敢えず、人吉方向へ歩いていく。 国道221号沿いにある大畑集落への道は以前に車で通った事があって、この道が線路とは離れていくのは確認済だ。 それで線路沿いの道を行くと、300m程で立派な舗装道路に出る。 ここからウロウロと雑木のブッシュの中に分け入っていく。 なぜなら、線路が見えなければ『鉄道撮影』もヘッタクレもないからだ。
2度のブッシュ突入で時間を浪費し、ブッシュの中で彷徨っている内に7:02の列車のスイッチバック通過音が山峡に鳴り響く。 これで時間に追われている事が確定した。 セッティングの時間(適当でいい加減がモットーのナッチャッテセッティングだが)を考えると、15分以内に撮影地を見つけねばならない。
股の部分で撮った1枚は
寂れた感じが出てワテ的には2番星
で、無理やりブッシュを突貫して線路に下りる。 時間的には、もう撮影地を探し歩く余裕はないだろう。
・・で、スイッチバックの股の部分に陣取って、7:35の列車はスイッチバックをジグザクに行くシーンで一丁!といこう。 まぁ、駅への進入とスイッチバックの出入りの『一粒で3度美味しい』ので、『写真床』のウデでも1ショット位はいけるだろう。 まぁ、失敗したらしたで、華麗なる話術でねじ伏せればいいのだ(何を?)。
「華麗なる話術でねじ伏せねばならぬ」と
思った矢先に撮影地を見つける
手掛かりが出てきますた
ループを登っていく7:35の列車を撮り終えると、9:52の列車まで2時間チョイ時間がある。
この時間で、スイッチバック俯瞰場所を発見できればいい。 という訳で、大規模!?大畑索敵・偵察戦が開始される。 方向は朝に通った道で間違いないので、この道から線路の俯瞰が出来そうな土手に這い上がっていく。
踏跡を見つけたらブッシュの中に分け入っていき、ブッシュに詰まれて引き返す・・というのを3~4度繰り返し、その結果をもって「どうやらこの土手は違う」と結論づける。 線路側の土手は先ほど歩いてボツな事が確認済みなので、次はちょっと視野を広く取ってみる。
この高台の上からは
国道沿いにある
大畑の集落も一望できる
先ほどの立派な舗装道に出て、その周辺を偵察する。 すると、すぐに高台に登る坂があり、この高台の上からは線路の俯瞰が出来そうだったので、この坂をつめてみる。 坂をつめると、田畑と民家が見えてくる。 それも集落規模の・・。 大畑駅周辺は完全な無人地帯ではなく、人家が点在しているよ。
ただ、この民家の人が鉄道を利用する事はないだろうけど・・ね。
ここから、50m位の丘の上に『オウムの第7サティアン』のようなアルミの工作場があり、その脇を通り抜けて更に奥の丘の頂上に詰めると「ありました!」、大畑のスイッチバックを俯瞰できる好撮影地が・・。
『セ・セ・セ・セイシュン18きっぷ』の
ポスターはこんなのだったと思う
たぶん、『セ・セ・セ・セイシュン18きっぷ』のポスターの撮影地はここだろうと思う。
だが、その前の『第7サティアン』が怪し過ぎる。 『日中共同』何とかの看板があったしィ。
極力、この建物は通らずに裏を周っていった方が無難だろう。 拉致されたら適わんしィ。
撮影地を見つけられた事だし、あと1時間以上あるという事で基地である駅に戻る。 駅までは15分程だった。
ぢ・つ・わ・・
〔いさぶろう〕・〔しんぺい〕よりも
力を入れて狙ってますた
さて、列車通過時刻の25分前に行けば、十分セッティングできる。 駅に戻って40分ほどくつろぎ、9:52の列車に備える。 【いさぶろう】よりも一般の気動車の方が絵になるかな・・と思うので、この列車を狙いの中心に据えていたのである。 さて、結果は如何に?
組写真を意識したけど
ただ単にジグザグに
行ってるだけですな
まぁ、熱中すると楽しいものですな。 久々に『撮り鉄』に根を詰めたよ。 『鉄道編』に関しては、「撮影を楽しんだので、結果はどうでもいいや」って思えてきた。 でも、上手く撮れてたら、撮影地を探して動き回った分もあるし格別に嬉しいかも。 それでは、大畑で愉しんだひとときをごろうじろ。
一番決まったのがコレかな
:
久々に『撮り鉄』に
根をつめて楽しかったよ
感染拡大を防ぐ事に
国内の移動制限や
店の時短など関係がない
それは感染源ではない日本人に
制限をかけた所で
ますますこの国の経済が疲弊し
自らの首を絞めるだけだからだ
感染拡大防止策として
やらねばならぬ事は4つ
1つ目は感染源である
外国人の入国の厳格化である
外国人の入国には隔たり無しに
専用隔離施設での14日間の隔離を施し
拒否すれば入国拒否にせねばならない
2つ目の日本人の帰国に関しても同様だ
3つ目は感染爆発の原因となった
国際祭典召致に国費を投じる事を止めるべきだ
要するに出たいなら国民の命を脅かす
行為に国費援助はできないので
自費で参加して帰国も14日間の隔離を義務付ける事だ
そして4つ目はこのような感染爆発を
引き起こした東京五輪の開催首謀者を
多くの国民の命を奪った敵として
極刑により処罰する事だ
但し国内に緩衝地域を数ヶ所設け
この緩衝地域での外国人との
やり取りはこの限りではないとしよう
招致するスポーツの大会もこの
緩衝地帯で無観客挙行すればいい
半分夢物語な事であるが
世界的な終息宣言が出されるまでは
ここまで徹底しないと
五輪開催毎に感染爆発が起こり得るし
永遠に終息しないよ
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんにちは。
肥薩線の場合は被害が甚大過ぎて、JR九州では復旧する余力がないでしょうね。
となると、国が復旧費用を出すしかないですが、出すとしても復旧工事に取り掛かれるのは数年後かと。
そして復旧したとしても、1日3往復で観光列車の〔いさぶろう・しんぺい〕以外に乗客皆無の人吉~吉松は復旧を見送られる公算がありますね。 函館本線のように、歴史的な鉄道遺産をムダなシンカンセンと引き換えに廃止するのが今の政府やJRの体質ですから、同じく歴史遺産の肥薩線の閑散区間も同様な判断をくだされるかもしれません。
10年ほど前に乗った体験を元に書いたのが、この記事ですね。
肥薩線の場合は被害が甚大過ぎて、JR九州では復旧する余力がないでしょうね。
となると、国が復旧費用を出すしかないですが、出すとしても復旧工事に取り掛かれるのは数年後かと。
そして復旧したとしても、1日3往復で観光列車の〔いさぶろう・しんぺい〕以外に乗客皆無の人吉~吉松は復旧を見送られる公算がありますね。 函館本線のように、歴史的な鉄道遺産をムダなシンカンセンと引き換えに廃止するのが今の政府やJRの体質ですから、同じく歴史遺産の肥薩線の閑散区間も同様な判断をくだされるかもしれません。
10年ほど前に乗った体験を元に書いたのが、この記事ですね。
もはや風前の灯火でしょうか。
これに乗ったのはもう40年近くも前の事になります。
切ないですねぇ。。